2006年01月
2006年01月28日
各項目をクリックすれば各紙(英語版)にリンクします。
(クウェート)皇太子選出は慎重にーサリーム国家警備隊司令官
(サウジ)アブダッラー国王、インド公式訪問を終え共同声明発表*
(OPEC)OPEC議長、石油増産の予定無し
*ブログ「活発化するインドの資源外交(サウジアラビア国王、インドを訪問)」参照。
(クウェート)皇太子選出は慎重にーサリーム国家警備隊司令官
(サウジ)アブダッラー国王、インド公式訪問を終え共同声明発表*
(OPEC)OPEC議長、石油増産の予定無し
*ブログ「活発化するインドの資源外交(サウジアラビア国王、インドを訪問)」参照。
1/28 Arab Times (Kuwait)
サバーハ家の首長位を巡ってサリーム系の領袖としてサード首長の退位に抵抗したサリーム国家警備隊司令官(82)は、サウジアラビアのOkaz紙の電話インタビューに対し、皇太子選任は急ぐべきではない、と答えた。また彼自身が皇太子になるつもりはなく、また国家警備隊司令官の職を辞するつもりもない、とも語った。
*本ブログ「10日天下のサード首長」参照
サバーハ家の首長位を巡ってサリーム系の領袖としてサード首長の退位に抵抗したサリーム国家警備隊司令官(82)は、サウジアラビアのOkaz紙の電話インタビューに対し、皇太子選任は急ぐべきではない、と答えた。また彼自身が皇太子になるつもりはなく、また国家警備隊司令官の職を辞するつもりもない、とも語った。
*本ブログ「10日天下のサード首長」参照
2006年01月26日
―君主制国家の二つのL:Legend(伝説)とLegitimacy(正統性)-
第1回:10日天下に終わったサード第14代首長

1月24日のクウェート国会は内閣が提出した首長交替の緊急提案を満場一致で可決し、サード第14代首長はわずか10日間で退位させられた。首長はたった一度車椅子に乗った姿を見せただけで、一言も肉声を発することなく国民の前から消え去ったのである。
ことの発端は1月15日、ジャービル第13代首長が心臓病で亡くなったことに始まる。時をおかずにサード皇太子が憲法の規定に基づき新しい首長となることが発表された。しかしサード新首長には重大な問題があった。彼は9年前に発病した結腸出血がその後徐々に悪化し、今では病床に伏したままで国民の前にも全く姿を現さない。国家の最高責任者として正常に職務を果たせないことは誰の眼にも明らかであった。実はジャービル首長も重い心臓病のため国政の実務を執ることができず、ここ数年、クウェートは首長と皇太子が共に重病人と言う異常な事態が続いていたのである。このため国政の全権はジャービル首長の実弟サバーハ首相に委ねられていた。
250年にわたりクウェートを統治しているサバーハ家には大きく分けて「ジャービル系」と「サリーム系」と呼ばれる二大家系があり、交互に首長に即位する慣例がある。一方の系統の王族が首長であれば他方の系統の王族が皇太子となり、首長が亡くなった場合は首長承継法(日本の皇室典範に相当する)の規定により皇太子が新首長に即位することになる。ジャービル前首長はジャービル系であり、サード新首長はサリーム系である。因みに前首長の実弟サバーハ首相も当然ジャービル系と言うことになる(「サバーハ家系図(ジャービル系とサリーム系)」参照)。このため1977年に当時の首長(サリーム系)が亡くなり、ジャービル首長、サード皇太子体制となったときから、次期首長がサードになることは疑問の余地の無い既定路線であった。しかしサードの首長承継が現実となったとき、彼が既に皇太子時代から執務不能の重病であることが問題となった。
首長承継法では首長が執務不能な場合、政府はサバーハ家の別の継承権者を指名し、これを国会が3分の2の多数決で承認すれば首長を交代させることが出来る、と定めている。クウェートは湾岸各国の中でも最も早くから民主主義制度が取り入れられており、このような首長交替の規定は他の湾岸諸国には無いものである。
政府はサードが首長としてふさわしくないと判断し、承継法に基づき国会に首長の交代を求める手続きに着手した。しかし政府のトップがジャービル系のサバーハ首相であり、しかも交代すべき人物としてサバーハ首相自身を指名したことが問題を一層複雑なものとした。ここにジャービル系とサリーム系のお家騒動が勃発したのである。
まず最初に動いたのはサリーム系である。サリーム系の領袖はサードの従兄弟で国家警備隊司令官のサリームであるが、彼は82歳でありサバーハ家の中では現役最長老である。サリーム系は22日、サード新首長の即位宣誓式を行うための特別国会の開催を要求するサード首長署名の書簡を国会議長に提出した。議長は召集のための時間不足を理由にこれを保留した。サバーハ家とは直接関係の無い議長としては、この問題はサバーハ家内部で調整してほしいと言うのが真意であった。と同時に法的な手続き上では書簡は内閣を通して国会に提出されるべき筋合いでもあった。しかしサリーム系としては内閣がジャービル系に掌握されているため書簡が握りつぶされるだけとの判断があったのである。
これに対してジャービル系のサバーハは首相官邸に一族の主だった王族を集め、クウェートの新首長はサバーハが最適任者であり彼の即位を求める、との声明を発表させた。これにはジャービル系以外の王族も出席しており、王族の多数派は、首長交替はやむを得ない選択である、との意思表示でもあった。サリーム国家警備隊司令官を含めサリーム系王族は当然この集会をボイコットした。サバーハ家のようなアラブ部族社会では一族の長老の意見は無視できない。最長老のサリームが主流派のジャービル系に反抗していることに王族達は困惑を隠せなかった。サリーム系はサード首長の即位宣誓式を行うため24日夕刻に特別国会を招集することを改めて議長に要請、これに対抗して政府(ジャービル系)は承継法に基づく首長交替案の審議を24日午前10時に行ってほしいと国会に申し入れた。こうして両系統の対立は抜き差しなら無い泥沼に陥ったのである。
サバーハ家の中には、両派の妥協を求める良識派も少なくなかった。国会決議でサードを廃位してサバーハを即位させる決議が行われることは、サバーハ家内部の不和を世間に公表し、内輪の問題を解決できないと言うサバーハ一族の恥を天下に晒すことになるからである。名誉と面子を何よりも重んじるアラブ人であるサバーハ王族にとっては、国会決議に持ち込むことは何としても避けたかったのである。
これはジャービル系、サリーム系の王族も同じ思いであった。こうして23日夜、サバーハ首相とサリーム国家警備隊司令官のトップ会談が行われた。結果は公表されなかったが、両者はサード首長が自発的に退位しサバーハを後継首長とすることで合意したようである。但しそのためには退位を表明したサード首長自身の署名入りの書簡が提出されなければならない。
翌24日午前10時になっても首長書簡は国会に届かなかった。開会時間は午後2時に変更され、その間に副首相等がサード首長邸に赴いたが書簡は入手できず手ぶらで国会に戻った。長老の説得にもかかわらずサード首長の子息ファハドが頑強に抵抗したためである。
こうして国会は午後2時に開会された。サバーハ首相は、サード首長の皇太子時代の功績をたたえつつも、首長の健康状態を考慮し、またクウェート国家を安定的に運営するためには首長を交代する他ないと提案理由を説明、続いてアハマド通信・保健相が首長の健康状態に関する診断書を読み上げ、サード首長は実務に耐えられないと付け加えた。国会は政府案の表決に移り、全会一致で首長交替を承認したのである。国会審議の途中、サード首長の子息ファハドが書簡を持参したのであるが既に時間遅れであった。こうして現在の首長を廃位し、新首長を選ぶと言う前代未聞の事態になったのである。
今回の事件はサバーハ家内部に大きな亀裂を生んだ。またクウェート国民のみならず外国に対してもサバーハ家に対する信頼が揺らいだことは間違いない。次期皇太子を誰にするかの問題も残っており、また新たな首相選任及び内閣改造も差し迫っている。今回はサードの病気にスポットライトが当たったが、実はサバーハ新首長自身も現在の健康状態に表立った問題はないものの、77歳の高齢に加え心臓にペースメーカーを埋め込んでいるのである。新体制の前途は必ずしも平穏ではなさそうである。
(次回の第2回は「サバーハ家の系譜」です。)
第1回:10日天下に終わったサード第14代首長

1月24日のクウェート国会は内閣が提出した首長交替の緊急提案を満場一致で可決し、サード第14代首長はわずか10日間で退位させられた。首長はたった一度車椅子に乗った姿を見せただけで、一言も肉声を発することなく国民の前から消え去ったのである。
ことの発端は1月15日、ジャービル第13代首長が心臓病で亡くなったことに始まる。時をおかずにサード皇太子が憲法の規定に基づき新しい首長となることが発表された。しかしサード新首長には重大な問題があった。彼は9年前に発病した結腸出血がその後徐々に悪化し、今では病床に伏したままで国民の前にも全く姿を現さない。国家の最高責任者として正常に職務を果たせないことは誰の眼にも明らかであった。実はジャービル首長も重い心臓病のため国政の実務を執ることができず、ここ数年、クウェートは首長と皇太子が共に重病人と言う異常な事態が続いていたのである。このため国政の全権はジャービル首長の実弟サバーハ首相に委ねられていた。
250年にわたりクウェートを統治しているサバーハ家には大きく分けて「ジャービル系」と「サリーム系」と呼ばれる二大家系があり、交互に首長に即位する慣例がある。一方の系統の王族が首長であれば他方の系統の王族が皇太子となり、首長が亡くなった場合は首長承継法(日本の皇室典範に相当する)の規定により皇太子が新首長に即位することになる。ジャービル前首長はジャービル系であり、サード新首長はサリーム系である。因みに前首長の実弟サバーハ首相も当然ジャービル系と言うことになる(「サバーハ家系図(ジャービル系とサリーム系)」参照)。このため1977年に当時の首長(サリーム系)が亡くなり、ジャービル首長、サード皇太子体制となったときから、次期首長がサードになることは疑問の余地の無い既定路線であった。しかしサードの首長承継が現実となったとき、彼が既に皇太子時代から執務不能の重病であることが問題となった。
首長承継法では首長が執務不能な場合、政府はサバーハ家の別の継承権者を指名し、これを国会が3分の2の多数決で承認すれば首長を交代させることが出来る、と定めている。クウェートは湾岸各国の中でも最も早くから民主主義制度が取り入れられており、このような首長交替の規定は他の湾岸諸国には無いものである。
政府はサードが首長としてふさわしくないと判断し、承継法に基づき国会に首長の交代を求める手続きに着手した。しかし政府のトップがジャービル系のサバーハ首相であり、しかも交代すべき人物としてサバーハ首相自身を指名したことが問題を一層複雑なものとした。ここにジャービル系とサリーム系のお家騒動が勃発したのである。
まず最初に動いたのはサリーム系である。サリーム系の領袖はサードの従兄弟で国家警備隊司令官のサリームであるが、彼は82歳でありサバーハ家の中では現役最長老である。サリーム系は22日、サード新首長の即位宣誓式を行うための特別国会の開催を要求するサード首長署名の書簡を国会議長に提出した。議長は召集のための時間不足を理由にこれを保留した。サバーハ家とは直接関係の無い議長としては、この問題はサバーハ家内部で調整してほしいと言うのが真意であった。と同時に法的な手続き上では書簡は内閣を通して国会に提出されるべき筋合いでもあった。しかしサリーム系としては内閣がジャービル系に掌握されているため書簡が握りつぶされるだけとの判断があったのである。
これに対してジャービル系のサバーハは首相官邸に一族の主だった王族を集め、クウェートの新首長はサバーハが最適任者であり彼の即位を求める、との声明を発表させた。これにはジャービル系以外の王族も出席しており、王族の多数派は、首長交替はやむを得ない選択である、との意思表示でもあった。サリーム国家警備隊司令官を含めサリーム系王族は当然この集会をボイコットした。サバーハ家のようなアラブ部族社会では一族の長老の意見は無視できない。最長老のサリームが主流派のジャービル系に反抗していることに王族達は困惑を隠せなかった。サリーム系はサード首長の即位宣誓式を行うため24日夕刻に特別国会を招集することを改めて議長に要請、これに対抗して政府(ジャービル系)は承継法に基づく首長交替案の審議を24日午前10時に行ってほしいと国会に申し入れた。こうして両系統の対立は抜き差しなら無い泥沼に陥ったのである。
サバーハ家の中には、両派の妥協を求める良識派も少なくなかった。国会決議でサードを廃位してサバーハを即位させる決議が行われることは、サバーハ家内部の不和を世間に公表し、内輪の問題を解決できないと言うサバーハ一族の恥を天下に晒すことになるからである。名誉と面子を何よりも重んじるアラブ人であるサバーハ王族にとっては、国会決議に持ち込むことは何としても避けたかったのである。
これはジャービル系、サリーム系の王族も同じ思いであった。こうして23日夜、サバーハ首相とサリーム国家警備隊司令官のトップ会談が行われた。結果は公表されなかったが、両者はサード首長が自発的に退位しサバーハを後継首長とすることで合意したようである。但しそのためには退位を表明したサード首長自身の署名入りの書簡が提出されなければならない。
翌24日午前10時になっても首長書簡は国会に届かなかった。開会時間は午後2時に変更され、その間に副首相等がサード首長邸に赴いたが書簡は入手できず手ぶらで国会に戻った。長老の説得にもかかわらずサード首長の子息ファハドが頑強に抵抗したためである。
こうして国会は午後2時に開会された。サバーハ首相は、サード首長の皇太子時代の功績をたたえつつも、首長の健康状態を考慮し、またクウェート国家を安定的に運営するためには首長を交代する他ないと提案理由を説明、続いてアハマド通信・保健相が首長の健康状態に関する診断書を読み上げ、サード首長は実務に耐えられないと付け加えた。国会は政府案の表決に移り、全会一致で首長交替を承認したのである。国会審議の途中、サード首長の子息ファハドが書簡を持参したのであるが既に時間遅れであった。こうして現在の首長を廃位し、新首長を選ぶと言う前代未聞の事態になったのである。
今回の事件はサバーハ家内部に大きな亀裂を生んだ。またクウェート国民のみならず外国に対してもサバーハ家に対する信頼が揺らいだことは間違いない。次期皇太子を誰にするかの問題も残っており、また新たな首相選任及び内閣改造も差し迫っている。今回はサードの病気にスポットライトが当たったが、実はサバーハ新首長自身も現在の健康状態に表立った問題はないものの、77歳の高齢に加え心臓にペースメーカーを埋め込んでいるのである。新体制の前途は必ずしも平穏ではなさそうである。
(次回の第2回は「サバーハ家の系譜」です。)
各項目をクリックすれば各紙(英語版)にリンクします。
(クウェート)国会、サバーハ現首相を第15代首長に正式指名
(サウジ)アブダッラー国王、インドを公式訪問
(カタール)横浜タイヤ、SUV用プレミアム・タイヤを市場に投入
(クウェート)国会、サバーハ現首相を第15代首長に正式指名
(サウジ)アブダッラー国王、インドを公式訪問
(カタール)横浜タイヤ、SUV用プレミアム・タイヤを市場に投入