2006年10月
2006年10月16日
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(イラン・イラク)治安・情報の協力関係を強化
(UAE)2007年予算閣議決定、284億Dh(77億ドル)の均衡予算
(OPEC)混迷続く生産枠削減協議、19日の緊急総会は中止
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(UAE)2007年予算閣議決定、284億Dh(77億ドル)の均衡予算
(OPEC)混迷続く生産枠削減協議、19日の緊急総会は中止
2006年10月15日
(お知らせ)
本シリーズは「中東と石油」の「A-02 カタールとサーニー家:金持ちだからできること、小国だからできないこと」で一括全文をごらんいただけます。
(これまでの内容)
(第1回) はじめに
(第2回) アル・サーニー家の歴史 - 「親から子」への継承ルールを明文化
(第3回) 天然ガスで繁栄を約束されたカタル
(第4回) 内閣と王族:閣僚の過半数が王族
(第5回) 民主主義のシンボル:アル・ジャジーラTV
ビジネスマンがカタルと言えばまず思い浮かべるのは「アル・ジャジーラ・テレビ(以下ジャジーラTV)」であろう。ジャジーラTV(正式英文名:Al Jazeera)は1996年、アラビア語圏初のニュース専門放送として中東の小国カタールで開局した。Al Jazeeraとはアラビア語で「島」または「半島」を意味する。発信地カタールがアラビア半島の一部であり、カタール自身がアラビア湾に突き出た半島であることに命名のいわれがあると考えられる。
ジャジーラTVのルーツはBBCが1994年に開始したアラビア語放送である。しかし1996年、サウジアラビア王家に関する報道に対して、サウジアラビア政府がBBCに放映内容の事前検閲を求めたことが両国の外交問題に発展し、結局BBCはアラビア語放送を中止した。この時、カタールが担当スタッフの多くを雇い入れてジャジーラTVを開局したのである。これには前年の1995年、首長の外遊中に息子の皇太子が王室クーデターを敢行して首長位を奪ったというカタールの国内事情も影響している。新国王はカタールのイメージアップを図り民主化のポーズを世界に示す手段としてアラビア語圏初のニュース専門衛星放送、ジャジーラTVを設立したのである。
ジャジーラTVは開局と同時に既成TVに飽き足らない視聴者の強い支持を受けた。しかしジャジーラTVの名前を決定的にし、CNN、BBCと並ぶ世界的なニュースブランドに押し上げたのは、アフガニスタン内戦時のタリバン政権やイラクのフセイン政権等これまで欧米メディアが取材不可能であった政権内部からのニュースを世界に向けて独占的に放映したことであろう。それまで欧米からの一方的なニュース報道にフラストレーションを感じていたアラブ・イスラム圏の視聴者はジャジーラTVに飛び付き、欧米メディアもジャジーラTVを貴重なニュースソースとして利用し始めたのである。
ジャジーラTVが世界で認知されたのはアフガニスタンやイラク政権内部からのいわゆるインサイダー・レポートであるが、躍進の契機となったのは9.11テロ事件後、米国が同事件の首謀者として国際指名手配したテロ組織アル・カイダのリーダー、オサマ・ビン・ラーデンとの単独インタビューに成功し、その後もアル・カイダが提供するビデオを放映し続けたことである。更には2003年3月のイラク戦争では、欧米メディアが米英軍の従軍記者として報道したのに対し、ジャジーラTVはイラク国内からの衛星中継により空爆やロケット砲の攻撃による被害状況を克明に報道して近代戦争の恐ろしさを印象付けた。
またイラク戦争後、極度に治安が悪化したイラク国内で旧政権残党や国際テロ組織による外国人誘拐事件が多発すると、ジャジーラTVは誘拐組織が提供する人質の映像ビデオを放映し、また日本政府を含めた人質関係国の政府要人によるインタビューや親族による人質解放要求メッセージ放映などはジャジーラTVの独壇場となりその知名度は飛躍的に高まった。
ジャジーラTVは「一つの意見とその反対意見(“The opinion and the counter opinion”)」をモットーとしており、普遍的な立場で両サイドの意見を公平に報道するということである。しかしながらこれはテロ組織が提供する情報をそのまま放映するいわば「情報のたれ流し」により、結局テロ組織の情報宣伝活動の片棒をかつぐことにもなりかねない。米国はこのようなジャジーラTVの対応を厳しく非難していた。そして人質処刑のビデオが(一部カットはされたものの)放映されるまでエスカレートすると、さすがに一般視聴者もその行き過ぎた報道に批判的になったのである。
ジャジーラTVは1996年にカタール首長の下賜金1.5億ドルで設立され、その後も毎年数千万ドルの補助金が交付されるなどカタール政府の財政的支援のもとにある。会長はカタールを支配するアル・サーニー家の一族ハマド・ビン・サーメルである。同社の知名度が上がるに伴い現在ではスポンサー収入が40%を占めているようである。
同TVは実力をつけるに従い、これまでタブーとされてきたアラブ諸国の政治問題に取り組んだ結果、各国との摩擦が生じた。そのため1998年から2002年にかけて、ヨルダン支局、クウェイト支局、パレスチナ支局、バハレーン支局などが、短期間ではあるが閉鎖に追い込まれた。また2002年にはサウジアラビアとヨルダンの王室批判報道に対し両国が駐カタール大使を召還するなどの事件も発生している。一部のアラブ諸国にとってジャジーラTVが目障りな存在であることは間違いない。
ジャジーラTVは最近になって英語放送開始と民営化という二つの大きな計画を打ち出した。すなわち英語放送を開始することにより、これまでのアラブ語圏という限定されたメディアから世界レベルの信頼度の高いメディアに変貌することを狙い、また民営化により体制従属型メディアから独立不羈のメディアに変貌しようとしている。
しかし民営化については、現オーナーのカタール首長はジャジーラTVの持つ世界的なメディアとしての価値を簡単には手放さないと思われる。現在の経営形態が続く限り、同TVにはカタールの国益を害さないと言う制約がつきまとう。それはつまりカタール国家あるいは現首長に関する不利な報道はしないことであり、またカタール外交を危険に陥れるような報道を控えることであろう。小国であるカタールは米国に中央軍司令部基地を提供するなど米国寄りの姿勢が明確である。と同時にサウジアラビア、イランなど周辺各国にも相応の配慮し、これらの国々を刺激することは避けたいはずであり、そのためジャジーラTVの報道内容には、常に自主規制の影がつきまとうであろう。
ジャジーラTVが民営化され、また有力スポンサーの獲得により財政的な自立を確保することは可能であろうか。その場合、放送拠点をカタール以外に移転したとしても、現在のアラブ諸国の大半は米国追随型であり、また隣接各国との紛争を抱えているため、同じような制約条件を課されるものと思われる。と同時に報道の自由を盾にアラブの為政者あるいは国民感情を逆なでするような報道が多発すれば、為政者或いは視聴者自身によるスポンサー商品(その多くは欧米或いは日本製品である)のボイコットと言う事態が発生しスポンサーが番組を降りることも考えられる。
残念ながらアラブの一般大衆はいまだ扇動に踊らされやすく、為政者はメディアを自己の保身と宣伝の道具としか考えないレベルにとどまっているのが実情である。ジャジーラTVが中東の安定と成長に寄与するのであれば将来「ノーベル平和賞」を受賞する可能性を秘めている。しかしその一方では「早熟のメディア」として歴史のあだ花に終わる恐れもある。今がジャジーラTVの正念場であろう。
(第5回完)
(今後の予定)
6.国威発揚のシンボル:国際イベントの誘致
7.活躍する女性のシンボル:モーザ王妃
8.自国民わずか28万人なら西欧流民主主義は不要?
9.課題はRentier(金利生活)国民のMotivation、倫理観の維持
10.金持ちだからできること、小国だからできないこと
本シリーズは「中東と石油」の「A-02 カタールとサーニー家:金持ちだからできること、小国だからできないこと」で一括全文をごらんいただけます。
(これまでの内容)
(第1回) はじめに
(第2回) アル・サーニー家の歴史 - 「親から子」への継承ルールを明文化
(第3回) 天然ガスで繁栄を約束されたカタル
(第4回) 内閣と王族:閣僚の過半数が王族
(第5回) 民主主義のシンボル:アル・ジャジーラTV

ジャジーラTVのルーツはBBCが1994年に開始したアラビア語放送である。しかし1996年、サウジアラビア王家に関する報道に対して、サウジアラビア政府がBBCに放映内容の事前検閲を求めたことが両国の外交問題に発展し、結局BBCはアラビア語放送を中止した。この時、カタールが担当スタッフの多くを雇い入れてジャジーラTVを開局したのである。これには前年の1995年、首長の外遊中に息子の皇太子が王室クーデターを敢行して首長位を奪ったというカタールの国内事情も影響している。新国王はカタールのイメージアップを図り民主化のポーズを世界に示す手段としてアラビア語圏初のニュース専門衛星放送、ジャジーラTVを設立したのである。
ジャジーラTVは開局と同時に既成TVに飽き足らない視聴者の強い支持を受けた。しかしジャジーラTVの名前を決定的にし、CNN、BBCと並ぶ世界的なニュースブランドに押し上げたのは、アフガニスタン内戦時のタリバン政権やイラクのフセイン政権等これまで欧米メディアが取材不可能であった政権内部からのニュースを世界に向けて独占的に放映したことであろう。それまで欧米からの一方的なニュース報道にフラストレーションを感じていたアラブ・イスラム圏の視聴者はジャジーラTVに飛び付き、欧米メディアもジャジーラTVを貴重なニュースソースとして利用し始めたのである。
ジャジーラTVが世界で認知されたのはアフガニスタンやイラク政権内部からのいわゆるインサイダー・レポートであるが、躍進の契機となったのは9.11テロ事件後、米国が同事件の首謀者として国際指名手配したテロ組織アル・カイダのリーダー、オサマ・ビン・ラーデンとの単独インタビューに成功し、その後もアル・カイダが提供するビデオを放映し続けたことである。更には2003年3月のイラク戦争では、欧米メディアが米英軍の従軍記者として報道したのに対し、ジャジーラTVはイラク国内からの衛星中継により空爆やロケット砲の攻撃による被害状況を克明に報道して近代戦争の恐ろしさを印象付けた。
またイラク戦争後、極度に治安が悪化したイラク国内で旧政権残党や国際テロ組織による外国人誘拐事件が多発すると、ジャジーラTVは誘拐組織が提供する人質の映像ビデオを放映し、また日本政府を含めた人質関係国の政府要人によるインタビューや親族による人質解放要求メッセージ放映などはジャジーラTVの独壇場となりその知名度は飛躍的に高まった。
ジャジーラTVは「一つの意見とその反対意見(“The opinion and the counter opinion”)」をモットーとしており、普遍的な立場で両サイドの意見を公平に報道するということである。しかしながらこれはテロ組織が提供する情報をそのまま放映するいわば「情報のたれ流し」により、結局テロ組織の情報宣伝活動の片棒をかつぐことにもなりかねない。米国はこのようなジャジーラTVの対応を厳しく非難していた。そして人質処刑のビデオが(一部カットはされたものの)放映されるまでエスカレートすると、さすがに一般視聴者もその行き過ぎた報道に批判的になったのである。
ジャジーラTVは1996年にカタール首長の下賜金1.5億ドルで設立され、その後も毎年数千万ドルの補助金が交付されるなどカタール政府の財政的支援のもとにある。会長はカタールを支配するアル・サーニー家の一族ハマド・ビン・サーメルである。同社の知名度が上がるに伴い現在ではスポンサー収入が40%を占めているようである。
同TVは実力をつけるに従い、これまでタブーとされてきたアラブ諸国の政治問題に取り組んだ結果、各国との摩擦が生じた。そのため1998年から2002年にかけて、ヨルダン支局、クウェイト支局、パレスチナ支局、バハレーン支局などが、短期間ではあるが閉鎖に追い込まれた。また2002年にはサウジアラビアとヨルダンの王室批判報道に対し両国が駐カタール大使を召還するなどの事件も発生している。一部のアラブ諸国にとってジャジーラTVが目障りな存在であることは間違いない。
ジャジーラTVは最近になって英語放送開始と民営化という二つの大きな計画を打ち出した。すなわち英語放送を開始することにより、これまでのアラブ語圏という限定されたメディアから世界レベルの信頼度の高いメディアに変貌することを狙い、また民営化により体制従属型メディアから独立不羈のメディアに変貌しようとしている。
しかし民営化については、現オーナーのカタール首長はジャジーラTVの持つ世界的なメディアとしての価値を簡単には手放さないと思われる。現在の経営形態が続く限り、同TVにはカタールの国益を害さないと言う制約がつきまとう。それはつまりカタール国家あるいは現首長に関する不利な報道はしないことであり、またカタール外交を危険に陥れるような報道を控えることであろう。小国であるカタールは米国に中央軍司令部基地を提供するなど米国寄りの姿勢が明確である。と同時にサウジアラビア、イランなど周辺各国にも相応の配慮し、これらの国々を刺激することは避けたいはずであり、そのためジャジーラTVの報道内容には、常に自主規制の影がつきまとうであろう。
ジャジーラTVが民営化され、また有力スポンサーの獲得により財政的な自立を確保することは可能であろうか。その場合、放送拠点をカタール以外に移転したとしても、現在のアラブ諸国の大半は米国追随型であり、また隣接各国との紛争を抱えているため、同じような制約条件を課されるものと思われる。と同時に報道の自由を盾にアラブの為政者あるいは国民感情を逆なでするような報道が多発すれば、為政者或いは視聴者自身によるスポンサー商品(その多くは欧米或いは日本製品である)のボイコットと言う事態が発生しスポンサーが番組を降りることも考えられる。
残念ながらアラブの一般大衆はいまだ扇動に踊らされやすく、為政者はメディアを自己の保身と宣伝の道具としか考えないレベルにとどまっているのが実情である。ジャジーラTVが中東の安定と成長に寄与するのであれば将来「ノーベル平和賞」を受賞する可能性を秘めている。しかしその一方では「早熟のメディア」として歴史のあだ花に終わる恐れもある。今がジャジーラTVの正念場であろう。
(第5回完)
(今後の予定)
6.国威発揚のシンボル:国際イベントの誘致
7.活躍する女性のシンボル:モーザ王妃
8.自国民わずか28万人なら西欧流民主主義は不要?
9.課題はRentier(金利生活)国民のMotivation、倫理観の維持
10.金持ちだからできること、小国だからできないこと