2006年12月

2006年12月31日

プロローグ:フセイン元大統領死刑とのコントラスト

 2006年12月30日、フセイン元イラク大統領の死刑執行のニュースが世界を駆け巡った。フセインは、2003年3月の米英軍によるいわゆる「イラク解放戦争」により大統領の座を追われ、同年12月に身柄を拘束された。2005年10月、彼に対する裁判が始まり、2006年11月には死刑の判決が下され、12月26日、高等法廷は控訴を棄却しフセイン元大統領の死刑判決が確定した。そしてそのわずか4日後の12月30日に絞首刑が執行され、サダム・フセインは歴史から消え去った。

 その同じ頃、ハジ(巡礼)行事に沸くサウジアラビアで、キューバのグアンタナモ収容所から送還され、サウジ国内の刑務所に服役中であった11人のサウジ人がひっそりと釈放された。彼らは1979年のソ連アフガニスタン侵攻の抵抗勢力としてアル・カイダを結成した同胞のオサマ・ビン・ラディンに共鳴し、イスラム義勇兵としてアフガニスタンに馳せ参じた若者たちであった。しかし彼らは2001年の9.11同時多発テロ直後、米国がアフガニスタンで行ったアル・カイダ掃討作戦で捕捉され、翌年2月にグアンタナモの収容所に移送された。以来5年近くの間、彼らは裁判も受けないまま収容所に拘束され続けたのである。

 そして今、彼らは犯罪人として裁かれることもなく、釈放されて家族のもとに戻った。しかし自由を得た反面、彼らは自らの経験を語ることを封殺されたまま歴史の闇に消え去ろうとしているのである。独裁者として闇の世界から法廷に引きずり出されたフセイン元大統領とは著しいコントラストを示している。

 グアンタナモの虜囚もフセイン元大統領も米国によって捕捉され、その運命を米国に握られたと言う点で共通しているが、その結末は対照的である。本稿は彼らグアンタナモの虜囚たちの足跡をたどるとともに、国際政治・外交のせめぎあいの中で翻弄された彼らの過酷な運命をたどろうとするものである。

(続く)


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