2007年07月

2007年07月21日

(第8回)要職を独占するサウド家の王族(その2):官選知事の顔ぶれ

前章で述べたとおり中央省庁ではアブダッラー国王兼首相をはじめ6人の王族が大臣ポストに就き、そこでは今も第二世代(アブドルアジズ初代国王の子息)の存在が大きい。しかし第二世代であるアブドルアジズの36人の息子のうち既に15人が亡くなり、存命している21人も83歳のアブダッラー国王を初め高齢者が多い。一方、州知事レベルでは世代交替が進み第三世代(初代国王の孫)が中核となっている。

sa-map.pngサウジアラビアには13州の地方行政区がある。国土は日本の6倍近くあるが、人口は17百万人(外国人を含めれば23百万人)に過ぎずない。人口はリヤド、ジェッダ及びダンマンの三大都市圏に集中しているが、地方では昔ながらのベドウィンの部族社会が幅を利かせている。サウド家はアラビア半島を征服するためこれら地方部族を時には武力で制圧し、或いはアブドルアジズ自身が相手の部族長の娘を娶ることにより同盟関係を築いた(第4回参照)。従って地方の部族と良好な関係を維持し或いは彼らの不満を和らげることは州知事の重要な役割である。

 13州のうちリヤド州、マッカ州及び東部州の3州は特に重要である。リヤド州は首都リヤドを擁する同国の中心であり、またサウド家発祥の地でもある。マッカ州は紅海沿岸に面し、商業都市ジェッダ及びイスラーム教の聖都マッカがある。そしてアラビア湾に面した東部州は油田地帯であり同国の財政を支えている。

知事は官選であり国王が任命する。その結果、13州の知事のうち11名は第二世代或いは第三世代の王族であり、残る2名もサウド家五摂家(第1回参照)のジルウィ家出身、及びサウド家と深い姻戚関係を持つスデイリ家出身である。つまり13名の知事全員がサウド家の身内なのである。

王族知事11名とその血縁関係及び年齢は以下のとおりである。

サルマン・リヤド州知事(故アブドルアジズ初代国王25男、スルタン皇太子実弟。71歳)
ハーリド・マッカ州知事(故ファイサル第3代国王3男。67歳)
ムハンマド・東部州知事(故ファハド第5代国王次男。57歳)
アブドルアジズ・マディナ州知事(故マジド・マッカ州知事次男。不詳)
サウド・ハイール州知事(故アブドルモホセン・マディナ州知事次男。60歳)
ムハンマド・バーハ州知事(故サウド第2代国王次男。73歳)
ファイサル・アシール州知事(故ハリド第4代国王次男。不詳)
ファイサル・カシーム州知事(バンダル王子長男。64歳)
ファハド・タブーク州知事(スルタン皇太子次男。57歳)
ミシャール・ナジュラン州知事(故サウド第2代国王14男。不詳)
ファハド・ジョウフ州知事(バドル国家警備隊副司令官3男。不詳)

(注)北部国境州知事はジルウィ家出身、ジザン州知事はスデイリ家出身である。

 11名の王族知事のうちサルマン・リヤド州知事は第二世代であるが、その他は全員第三世代である。最近の例を見る限り、昨年10月のマッカ州のように知事の交替は現職が亡くなった場合に限られている。当時アブドルマジド・マッカ州知事(当時)は米国で病気療養中であり執務不能の状態であったが、後任知事(ハーリド・アシール州知事の横滑り)が任命されたのは彼が亡くなった後のことである。現状では知事は終身制であると言っても過言ではない。

 また知事の顔ぶれには第2代サウド国王から第5代ファハド前国王までの歴代国王の息子達が揃っている。さらにスデイリ・セブンとその息子達もリヤド州知事(サルマン)、東部州知事(ファハド前国王子息)、タブーク州知事(スルタン皇太子子息)の座を占めており、一族の優遇振りが目立つ。

 アブダッラー国王は2005年の知事任期(4年)の満了に際し全員を再任した。彼が知事全員を再任したのはサウド家内部に余計な摩擦が生まれることを懸念したからと考えられる。つまり知事の任命基準は本人の行政能力よりもむしろサウド家内部の勢力バランスを考慮した結果と言えそうである。スデイリ・セブンに属するサルマン・リヤド州知事とムハンマド東部州知事の続投などはその好例であろう。

これはあくまで筆者の個人的見解であるが、彼ら二人の行政能力には多少の疑問を感じる。特にサルマン知事の場合、3年前にリヤドでテロ事件が多発し首都の治安が問題となったケースを考えるとその感が強い。この時の一連のテロ事件を押さえ込んだのは実兄のスルタン国防相(現皇太子)あるいはナイフ内相であり、サルマン知事本人ではなかった。リヤド州知事が単なるテクノクラートであれば更迭されてもおかしくなかったはずである。また東部州知事のムハンマドについても新聞で見る限り市民の前に姿を現すことも稀で、行政上も確たる実績が見られないように思われる。

 サウジアラビアの地方自治は、昨年漸く州議会(Municipal Council)の半数が選挙で選ばれるようになったばかりであり、知事の公選制は当分先のことである。サウジアラビアが「サウド家のアラビア」であり続ける限り、大都市のみならず地方部族を掌握するためにも知事の国王任命制は変わらないであろう。そのため国王が知事を選ぶ基準も結局サウド家内部の勢力関係を色濃く反映したものにならざるを得ないようである。

(第8回完)

(これまでの内容)
(第7回)要職を独占するサウド家の王族(その1):中央政府閣僚
(第6回)アブドルアジズの息子達に受け継がれる王位
(第5回)アブドルアジズの治世後期:石油の発見と第二次世界大戦
(第4回)サウド家安泰のために:26人の王妃と36人の王子達
(第3回)アラビア半島国盗り物語―「サウジアラビア王国」の樹立
(第2回)サウド家のクウェイト亡命生活と19世紀末の中東情勢
(第1回)サウド家のはじまり

(前田 高行)


at 11:26Saudi Arabia 

2007年07月20日

at 09:25Today's News 

2007年07月18日

at 10:04Today's News 

2007年07月17日

at 20:00Today's News 

2007年07月16日

(お知らせ)
本シリーズは「中東と石油」の「A-15 サウジアラビア・サウド家」で全文をごらんいただけます。

(第7回)要職を独占するサウド家の王族(その1):中央政府閣僚

 「サウジアラビア王国」は国王に全ての権力が集中する絶対君主制の国家である。1992年に制定された「統治基本法」では、政体を君主制とし国王が皇太子を選任すると定められている(同法第5条)。そして国王自らが首相となり(同法第56条)、副首相及び大臣を任免する(同法第57条)。また国王は軍の最高司令官である(同法第60条)。同国には国会に相当する諮問評議会があるが、評議会に立法権限はなく、政府が提出する法案を審議するだけで拒否権も無い。この諮問評議会の議員は普通選挙ではなく国王によって任命される。このようにサウジアラビアの政治制度は西欧型民主主義とは全く異質のものなのである。

 そもそも「サウジアラビア王国」とは「サウド家によるアラビアの王国」の意味であり、サウド家の家父長がサウジアラビア王国の国王となる仕組みである。そしてアラブ・ベドウィンの一族であるサウド家は絶対家父長制である。従ってサウド家の当主である国王に全ての権限が集中するのはある意味で当然のことである。政府の要職もサウド家の王族が独占することになる。

img20070716.jpg 首相である国王は、まず皇太子を第一副首相に任命し、重要な閣僚ポストには兄弟或いは彼らの子息(つまり国王の甥たち)を指名する。因みにアブダッラー国王(左写真)には実の兄弟がいないため、王族閣僚は異母弟またはその子息達である。重要な閣僚ポストとは、国防相、内務相、外相など、サウジアラビアとサウド家の命運を握る治安と外交の閣僚ポストである。その他にも財務相、石油相なども同国にとっては重要なポストであるが、これらはナイミ石油相に見るように能力のあるテクノクラートに委ねられている。

 中央政府の閣僚ポストにある王族とその年齢及び血縁関係を列挙すると以下の通りである。(図表「サウド家王族の閣僚・政府要人」参照)

首相: アブダッラー国王(83歳、初代国王の11男)
第一副首相兼国防相: スルタン皇太子(79歳、同15男。スデイリ・セブン次男)
内相: ナイフ王子(74歳、同23男。スデイリ・セブン五男)
外相: サウド王子(67歳、初代国王の孫。故ファイサル第三代国王4男)
国務相: アブドルアジズ王子(36歳、ファハド前国王6男)
都市村落相: ムッテーブ王子(76歳、初代国王17男)
国防副大臣: アアブドルラハマン王子(76歳、同16男。スデイリ・セブン三男)
内務副大臣: アハメド王子(66歳、同31男。スデイリ・セブン末弟)

 (注)各王子の年齢については諸説ある。スデイリ・セブンについては前回参照。

 サウド外相とアブドルアジズ国務相を除く6人はアブドルアジズ初代国王の息子達、いわゆる「第二世代」と言われ、サウドとアブドルアジズは初代国王の孫の「第三世代」である。閣僚の構成で特に目立つのはスデイリ・セブンのメンバーが4人いることである。第三世代のアブドルアジズ国務相もスデイリ・セブンの長男である故ファハド前国王の息子であり、従ってスデイリ・グループは上記8人の王族閣僚のうち実に5人を占めている。

 第二世代は現在70~80歳の高齢であり、サウド外相も第三世代とは言えすでに60歳台後半であり決して若いとは言えない。王族閣僚の中ではアブドルアジズ国務相が際立って若い(36歳)。ファハド前国王の末子であるアブドルアジズ王子はファハドの存命中に28歳の若さで国務相に抜擢されている。彼の就任当時ファハド国王は既に病気がちで、実権はアブダッラー皇太子兼第一副首相(現国王)が握っていた。アブドルアジズの国務相抜擢は当時内外の話題となったが、彼を溺愛するファハド国王のたっての願いをアブダッラー他のサウド家王族が受け入れたものと考えられている。

 アブダッラーは2005年に国王に即位し、首相に就任して名実共にトップに立った後も、アブドルアジズ国務相を含め王族閣僚を交代させることはなかった。この結果皇太子であり第一副首相と国防相を兼務するスルタンは、1962年の就任以来半世紀近く国防相をつとめ、ナイフ内相も32年間にわたり同一ポストを続けている。今年3月、閣僚任期(4年)が終わったが、アブダッラー国王は上記王族を含め全閣僚を留任させている。アブダッラーは急激な変化を望まない慎重な性格と言われ、今回の閣僚全員の留任もその現れと受けとめられており、特に王族閣僚の扱いについてはサウド家内部に余計な軋轢を生じさせないためと思われる。

 そのことはアブダッラーが国王即位後、第二副首相(第一副首相はスルタン皇太子)を指名しなかったことにも現れている。アブダッラー及びスルタンの例に見られるように過去二代の国王が即位後の内閣で指名した第二副首相は、後に国王交替の時に皇太子に指名されている。このためアブダッラー国王が第二副首相に誰を指名するかが大いに注目されたが、彼は結局誰も指名しなかったのである。

 王族閣僚が高齢化し世代交替の時期にあることは間違いない。しかし84歳のアブダッラー国王はサウド家の権力承継の道筋を未だに示していないのである。

(第7回完)

(これまでの内容)
(第6回)アブドルアジズの息子達に受け継がれる王位
(第5回)アブドルアジズの治世後期:石油の発見と第二次世界大戦
(第4回)サウド家安泰のために:26人の王妃と36人の王子達
(第3回)アラビア半島国盗り物語―「サウジアラビア王国」の樹立
(第2回)サウド家のクウェイト亡命生活と19世紀末の中東情勢
(第1回)サウド家のはじまり

(前田 高行)


at 16:50Saudi Arabia 
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