2009年04月

2009年04月22日

at 09:54Today's News 

2009年04月20日

at 11:30Today's News 
(注)HP「中東と石油」に全6回を一括掲載しました。

(第1回)突然の第二副首相任命
naif.jpg 3月27日、サウジアラビアのアブダッラー国王は、ナーイフ内相を第二副首相に任命した。彼は2005年の国王即位に際し、当時第二副首相のスルタンを皇太子兼副首相に指名したが、それまでとは異なり第二副首相を任命していない。

サウジアラビアでは国王が首相となることが法律で明文化されており、また皇太子が第一副首相を兼任することが慣例となっているため、従来から第二副首相のポストは、国王、皇太子に次ぐナンバー3のポストという特別な意味を持っていた。そして同時にそれはサウド家の王位継承順位を内外に示す重要なシグナルでもあった。

その後、内閣改造の噂が流れる度に必ず第二副首相が誕生するか否か、そしてその場合誰が任命されるかに関して、国王の決断が内外の注目を浴びたのである。その候補者としてはスルタン皇太子の実弟ナーイフ内相やサルマンリヤド州知事など国王や皇太子と同世代の王子たちが下馬評にあがった。中にはアブドルアジズ初代国王の孫であり、第三代ファイサル国王の息子のサウド外相の名前も取り沙汰されていた。

しかし今年2月に司法相など4名の閣僚が交代した時も、結局アブダッラー国王は第二副首相を任命しなかった。ところが3月27日に国王は突然、ナーイフ内相を第二副首相に任命すると発表し、内外の関係者を驚かせた。国王の決断の背景にあるのは、(1)スルタン皇太子がニューヨークで入院手術を行なうため昨年末から国外に長期滞在していること、そして一方では(2)カタールでのアラブサミットやロンドンG20首脳会議に国王自らが出席せざるを得なかったことである。即ち首相(国王)と副首相(皇太子)が同時に国内を留守にするという変則事態を避けるため、ナーイフ内相を第二副首相に昇格させたということである。

しかしサウド家一族が絶対的な権力を掌握しているサウジアラビアでは、ナーイフの第二副首相就任が持つ意味は極めて重い。彼は既に30年以上にわたり内相のポストにあり、最近では国内のイスラム過激派アル・カイダの国内掃討作戦で豪腕を発揮している国内保守勢力の頭目である。今や彼は自他共に認める国王、皇太子に次ぐ存在であるが、今回の第二副首相就任により名実共にナンバー3となった。

後述するように前ファハド国王の時代からサウド家の後継者指名ルールが明文化され、アブダッラー現国王はそれに更に手を加えることにより、王位承継ルールはかつてに比べかなり透明化されてきた。過去三代にわたって第二副首相が次期皇太子、さらには王位についた実績があるが、現在では第二副首相のポストが国王の椅子を約束されたわけではない。それでも今回の人事でナーイフが後継者レースで他の王族よりも一歩抜きん出た地位を確立したということは言えよう。

今回のナーイフ第二副首相の誕生が、サウド家内部に新たな波風を引き起こしたであろうことは想像に難くない。ナーイフも既に76歳の高齢である。しかもファハド前国王及びスルタン現皇太子の実弟であり、有名なスデイリ・セブン(スデイリ7人兄弟)の一人である。スデイリ・セブン以外の同世代の他の王子、即ち異母兄弟たちはナーイフの台頭に複雑な思いを抱いているであろう。さらに老齢化した現世代からの若返りを願うサウド外相、バンダル元駐米大使(スルタン皇太子の子息)など第二世代の王子たちも、ナーイフの第二副首相指名が世代交代を遅らせるかもしれないことに苛立ちを覚えていると推測される。

(続く)

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
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at 08:49Saudi Arabia 

2009年04月19日

各項目をクリックすれば各紙(英語版)にリンクします。

(UAE)所得税導入の予定なし:ムハンマド首相(ドバイ首長)公式ホームページで


at 10:42Today's News 
米フォーブス誌の世界富豪番付
 米国の経済誌Forbesが恒例の世界の大富豪番付’The World’s Billionaire’(2009年版)を発表した。資産が1ビリオン・ダラー=10億ドル(約1千億円)以上の大富豪「ビリオネア」をリストアップしたものである。一昨年のサブプライム以後、昨年秋のリーマン・ショックを経て世界は同時不況の様相を呈し、株価暴落が世界中の富豪を直撃している。

拙著「アラブの大富豪」を出版した昨年2月当時は、原油価格が100ドルを上回り(その後、7月には史上最高の147ドルに達した)、ドバイを始めとする中東産油国はオイル・ブームに沸きかえっていた。米シティグループの個人筆頭株主として知られるサウジアラビアのアルワリード王子を含めアラブの大富豪たちもわが世の春を謳歌していたのである。

しかしその後の原油価格と株価暴落により、アラブの大富豪の資産は大幅に目減りした。勿論資産が減ったのは世界中の富豪もおなじである。世界の「ビリオネア」の総数は、昨年の1,125人から今年は793人に激減し、中東アフリカ地域も昨年より26人減り58人になった、とForbes誌は報じている。

因みに昨年資産額620億ドルでトップだった投資家のウォーレン・バフェットは、1年間で250億ドルも減少し2位に陥落している。今年トップに返り咲いたのはマイクロソフトの創業者ビル・ゲーツであるが、彼とても資産額は昨年より180億ドル減っている。ウォーレン・バフェットは投資した企業の株価が暴落したためであり、ビル・ゲーツの場合は、彼の資産の殆どを占めているマイクロソフト株が下がったことが原因である。二人とも米国経済の急落のあおりを受けた格好となっている。

シティグループの株暴落で大損したアルワリード王子
alwaleed2.jpg Forbes番付でアラブ人としては不動のトップを誇っているサウジアラビアのアルワリード王子の資産は133億ドルである(写真)。彼はアブダッラー現国王の甥であり、建設業から金融業へと富豪の階段を上っていった彼の成功譚は誰知らぬものもない。現在は欧米や国内の株に投資し、「アラビアのバフェット」と呼ばれている投資家である。彼は1990年代初めシティグループが苦境に立ったとき、その大株主となり大富豪への足がかりを築いた。今回のサブプライム危機で再びシティグループの業績が悪化した昨年初め、アルワリード王子はクウェイト政府系ファンド(SWF)のクウェイト投資庁と共にシティに出資した。

当時のシティ株は往年の半値30ドル程度であり、誰の目にも底値と見えた。アルワリード王子としては絶好の投資タイミングだと判断したに違いない。ところがその半年後にリーマンショックが発生、金融株は軒並み暴落し、シティの株価は1ドルすれすれまで下がった。今年第一四半期の業績回復により現在は4ドル程度に回復しているが、昨年買ったシティ株は今や紙くず同然であり、彼が巨額の損害を蒙ったことは紛れも無い事実である。Forbes誌によるアルワリードの資産は昨年の210億ドルから、今年は133億ドルに減り、番付も昨年の世界19位から22位に転落している。

アラブの大富豪は健在
 彼以外のアラブの大富豪たちの資産もおしなべて減っている。今年の番付100位以内に入っている中東諸国のアラブ人大富豪は7人であるが、このうち5人はアルワリード王子と同様、資産額は前年を下回っている。54位のクウェイトのナセル・アル・カラフィー一族などは140億ドルから81億ドルへと半分近くになっているほどである。このようにアラブの大富豪たちはわずか一年で数十億ドル単位の資産を失っている。

但しここで注意しなければならないのは、今年100位以内に入ったアラブ人大富豪の数は7人だが、昨年はそれがわずか3人にとどまっている。その意味するところは、常連の世界の大富豪が軒並み資産を大幅に減らした中で、アラブの大富豪の傷は比較的浅く、その結果彼らの相対的な順位が上がったということである。

そしてもう一つ忘れてはならないのは、彼らアラブの大富豪は借金と言えるものを殆ど持っていないということである。彼らは資産の多くを安全な銀行預金や政府債に預けるか、株式投資の場合でも欧米の有力銘柄に集中している。中国やインドなど新興国の大富豪の殆どは、不動産開発あるいは自分の企業の株式公開で巨万の利益を得た者が多く、しかもその資金は銀行からの借入金でまかなっている。従って彼らはバブルの崩壊により一夜にして息の根を止められる運命にある。

その点、アラブの大富豪たちは借入金の返済に追われることはなく、彼らは今もかなりの資産を保有している。アラブの大富豪は健在なのである。

以上

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