2012年01月

2012年01月27日

(エジプト)若者ら改革派、軍政即時停止求め座り込みを計画
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  (革命の犠牲者の氏名を刻んだ模擬オベリスク:タハリール広場で)
(サウジ)トルキ王子:中東に核開発競争の懸念。中東非核化を提唱。 *
(クウェイト)カタール・アルジャジーラ放送の駐在事務所を1年ぶりに再開
(UAE)ホルムズ海峡バイパスのパイプライン工事、さらに遅れ8-9月完成見通し

*トルキ王子は第3代ファイサル国王の子息でサウド外相の実弟。中央情報局長官、駐英大使、駐米大使等を歴任。


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2012年01月26日

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2012年01月25日

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2012年01月24日

(注)本稿は「マイ・ライブラリー(前田高行論稿集)」に一括掲載されています。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0212ArabSpring.pdf

 チュニジアの政変に始まった「アラブの春」から1年が過ぎた。昨年1月15日、23年もの間強権をふるったチュニジアのベン・アリ大統領がサウジアラビアに亡命、そしてエジプトを29年間独裁的に支配してきたムバラク大統領は現在裁きの場に晒されている。両国に挟まれたリビアでは両大統領をはるかに上回る41年間という超長期にわたり同国を支配したカダフィ大佐が内戦の末に殺された。彼ら独裁者達は亡命、裁判、殺害と分かれているが、いずれもその末路は哀れと言うほかはない。「奢れる者は久しからず。ただ春の夜の夢の如し」。平家物語の無常感と「アラブの春」がダブって見える。アラブ民族に無常感があるのかどうか知らない。しかし彼らは独裁者の悲惨な運命も「アラーの思し召し」と考えていることは間違いないであろう。


 「アラブの春」は未だ終わっていない。イエメンでは33年間権力を握っていたサーレハ大統領がサウジアラビアなどGCC諸国に見放され、渋々その座を降りた。シリアでも父子二代にわたるアサド政権が危機に瀕している。これら全ての国々に共通しているのは「共和制」と言う政体である。曰く「チュニジア共和国」、「エジプト・アラブ共和国」、「イエメン共和国」、「シリア・アラブ共和国」等々。正式国名を「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマヒリーヤ国」と称するリビアも政体は共和制である。


  勿論民主化の嵐はバハレーン、モロッコ、ヨルダン、オマーンなどの君主制国家にも吹き荒れた。曰く「バハレーン王国」、「モロッコ王国」、「ヨルダン・ハシミテ王国」、「オマーン・スルタン国」。しかもこれらの国では国王が首相を指名し、議会も勅撰議員が多数を占めるなど民主主義には程遠く、専制君主制と呼んでもおかしくない。アラブの他にも世界には「連合王国」(United Kingdom、UK即ちイギリス)のように「王国」を呼称する国はいくつかあるが、いずれも民主主義国家であり、専制君主制国家は今やアラブの専売特許である。しかしこれらアラブ王制国家は(今のところ)何とか王制を持ちこたえている。アラブでは「共和制」が倒れ、「君主制」が残った。


 革命で君主制から共和制に移行するのが歴史の必然と教えられた日本人にとって、このように共和制が倒れ君主制が残った「アラブの春」は理解に苦しむ。まして「アラブの春」の後に政権を握るのが、イスラム主義の宗教政党だとわかると一層戸惑ってしまう。欧米的民主主義を教え込まれた日本人はイスラム主義政体を民主主義とは別物と考えることしかできないからである。


 広辞苑によれば「共和制」とは「主権が国民にあり、国民の選んだ代表者たちが合議で政治を行う体制」とされている。また「専制君主政治」は「支配者層と被支配者層とが身分的に区別されていた前近代社会において身分的支配層が行った統治」であると説明している。両者の間に大きな差異があることは言うまでもない。


 しかしアラブ諸国の「共和制」と「君主制」は統治の実態において実は殆ど差異がないのである。崩壊前のチュニジア、エジプト、リビアなどは共和制と言う名前とは裏腹に強権的な独裁者による専制政治だった。彼らは一旦権力を握ると親族或いは忠実な部下を支配機構の隅々に登用、秘密警察と軍隊で反対派を弾圧した。そして権力機構を独裁者に有利な翼賛組織に仕立て上げると、次には大統領の多選を禁じた「憲法」を改悪して長期独裁体制を正当化したのである。


 ただ彼ら独裁者たちが狡猾だったのは国際政治に極めて敏感であり、米ソ冷戦時代には両者を手玉にとり、次にソ連崩壊後の米国一強時代になると、「共和制」の名のもとに表面的な民主主義で欧米の目を欺いた。即ち「コスメティック・デモクラシー(化粧顔の民主主義)」である。ひねった見方をすれば欧米特に米国はアル・カイダ、ハマス、ヒズボラー、イランなどイスラム急進勢力を抑え込むため、これら独裁国家の「コスメティック・デモクラシー」に進んで手を貸し、或いは敢えて見て見ぬふりをしたのである。

 
 これに対してサウジアラビアをはじめとする「君主制」国家群は今も支配一族が行政、立法、軍事等全ての権力を独占している。とりわけGCCのような産油国では石油の富をばらまくことで一般国民に西欧流近代生活の満足を与え、或いは鼻先に議会選挙、女性の地位向上など西欧の匂いをふりまくことで一般国民の目を欺いていると言える。何故アラブ各国の国民は「共和制」を倒しながら「君主制」を倒さなかった(あるいは倒せなかった)のであろうか?


(続く)


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 前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
   Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
   E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp



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