2013年09月
(注)本レポートは「マイライブラリ:前田高行論稿集」で一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0284MeDoubleStandardDiplomacy.pdf
3.政権支持・不支持の決め手
ここまで諸外国がエジプト、シリアに対してどのような外交方針で臨んできたかを検証したが、それではこれら諸外国が政権を支持し或いは支持しなかった決め手について米国、サウジアラビア、カタール、ロシア及びフランスの5カ国を取り上げて私見を述べてみたい。
(1)米国の場合:民主主義か?中東和平か?それともーーーーー
米国の政治の大義が民主主義であり、思想の根底に人道主義があることに異論はないであろう。さらに自由主義・資本主義に対するゆるぎない確信もある。人道主義の根本がキリスト教の博愛精神であることは言うまでもない。米国政府と国民は自分たちこそがこれらの理想を実現するための「世界の警察官」として最も相応しいと自負している。そのため彼らは自分たちの価値観に反する主義主張によって世界の安定が損なわれるとみなした時には容赦ない実力行使に踏み切る。実力行使とは軍事力のようなハードパワーだけでなく、経済制裁など相手を国際社会から締め出すためのソフトパワーも含め硬軟両様の圧力を行使するのである。
中東に当てはめると、これまで米国の価値基準は「地域の安定」にあったと言えよう。目的はイスラエルの安全確保とペルシャ湾のエネルギー確保であった。イスラエルの安全が保障されるのであればエジプトの強権的で非民主的なムバラク軍事政権に対する物心両面の支援を惜しまなかった。イラクのフセインやシリアのアサドのような独裁政権であっても、それが一国内に収まっている限りは黙認し、サウジアラビアなどペルシャ湾岸の君主制国家についても各国の国内情勢が安定している限りは民主主義を押し付けなかった。
しかし「アラブの春」が地域を席巻すると米国はこれを「中東民主化」というスローガンに置き換え各国の強権的な独裁政権に「ノー」を突き付けた。米国政府は日頃の外交方針として民主主義、人道主義を掲げている手前、アラブの民衆が民主化を求めた時真っ先に呼応せざるを得なかった。但しそれはあくまで各国の反政府運動を支持すると言う間接行動にとどまり、米国自身が直接行動を起こした訳ではない。内政に干渉しないのが米国の鉄則であり、それはアフガニスタンでの直接軍事介入、イラク戦争での同盟国との軍事行動が米国の国益にとってマイナスでしかなかったという反省を踏まえたものであった。
米国の大統領が日頃やりあう相手はイスラエルロビーにおびえる上下両院の議員であり、或いは4年ごとの大統領選挙の金づるである資本家たちである。議員や資本家たちは日頃民主主義や人道主義のようなイデオロギーとは無関係である。議員にとってはイスラエルの安泰が議員ポストの安泰であり、資本家にとってはペルシャ湾の石油が安定的に出回ることこそ利益なのである。彼らにとっては相手国が強権的な軍事政権でも専制的な王制でも構わない。
これに対して米国市民は民主主義、人道主義を唱える。しかしよくよく考えると彼ら市民にとって地球の反対側の遠く離れた中東のことなど普段は気にも留めないはずである。彼らは自分たちの生活が脅かされない限り遠く離れた外国の事件に一々行動するとは思えない。ディープ・サウス(米国南部)で平和な生活を送る市民たちは間違いなく保守的であり内向きである。しかし「アラブの春」の報道で9.11テロのトラウマがよみがえった。米国市民は政府の行動を要求したのである。大統領はそれを無視できず勇ましい発言を繰り返している。
(続く)
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2013年09月25日

(バハレーン)経済自由度世界ランクで2年連続Top10入り。 *
(サウジ)Aramco/米GE/印Tataが女性専門職のアウトソーシング組織を共同設立。3000人の雇用創出目指す。
*ヘリテージ財団発表「Economic Freedom of the World: 2013」による。
トップは香港。米国17位、日本33位。
MENA諸国のランクは追って本ブログで解説します。
昨年のランクについては下記をご覧ください。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0253MenaRank7.pdf
2013年09月24日
孤高のアラビア石油
石油精製元売りの業界団体である石油連盟に対し、上流部門の石油開発業界には石油鉱業連盟(略称石鉱連)があった。加盟企業は100社以上であったが、先に述べたとおり殆どはプロジェクト会社であり会社としての体裁を成していたのはアラビア石油、帝国石油、石油資源開発及びインドネシア石油の4社だけだった。ただ各社の設立の経緯と歴史は大きく異なっていた。
帝国石油は日本石油や日本鉱業(共に現JXホールディングス)など明治時代から新潟及び秋田で原油の開発と精製を行っていた企業の上流部門が太平洋戦争末期に集約して生まれた国策会社である。戦後帝国石油は株式公開により民間企業となったが、海外での石油開発を禁じられたため国内で細々と生産を続けていた。
経済復興はしたものの「産業の米」とも言われる石油はメジャーと呼ばれる欧米石油企業に握られていた。因みに昨年ベストセラーとなった「海賊と呼ばれた男」はイランの石油国有化に対してメジャーが輸出封鎖した時、出光興産創業者の出光佐三がメジャーの裏をかいて自社のタンカー「日章丸」をイランに送り込み原油を直接買い付けたエピソードを小説にしたものであり、当時のメジャーによる石油支配の強固さを物語っている。
日本政府自らの手で原油を確保するため1955(昭和30)年に政府の全額出資で設立されたのが石油資源開発株式会社である。石油資源開発は技術者中心であり、地質、油層解析など学術的分野に多くの専門家を抱えていたが、それらを実証すべき開発現場が乏しいため宝の持ち腐れに近い状況であった。
何とか海外で石油開発を行いたいと言う政府の願望は、1966(昭和46)年インドネシア国営石油会社プルタミナと生産物分与契約を締結したことで実現した。この時、石油資源開発の100%子会社として設立されたのが「北スマトラ石油開発株式会社」である。同社は4年後に米国ユノカル社(現シェブロン)と共同でアタカ油田を発見、インドネシア石油と改名しアラビア石油と並ぶ超優良企業として歩み出したのである。
日本の石油開発の四社のうち帝国石油、石油資源開発或いはインドネシア石油の三社は上に述べたように国策に沿って設立された企業であり、特に後の二社は国有企業として発足している。これに対してアラビア石油はそもそものなれそめから純粋な民間企業として始まった。良く知られているように同社は稀代の起業家山下太郎が1958(昭和33)年にサウジアラビアとクウェイト両国政府から中立地帯沖合の石油利権を獲得したことに始まる。同年2月、日本興業銀行(現みずほ銀行)、東京電力など日本を代表する企業が株主となってアラビア石油が設立され、試掘第一号井でカフジ油田と言う世界的な巨大油田を掘り当てる快挙を成し遂げた。アラビア石油は欧米石油企業と組まず単独で油田の開発と生産にこぎつけ、日本の石油消費量の1割を持ち込み、設立わずか10数年後の1970年代後半には経常利益日本一に輝き同業他社を圧倒したのである。
当時のアラビア石油を同業の帝国石油、石油資源開発或いはインドネシア石油と比較すると、まず上場企業と言う点で石油資源開発、インドネシア石油と異なる。また石油の生産現場が海外である点で帝国石油或いは石油資源と異なる(両社は子会社を通じ海外で探鉱開発を行っていたが本格的な原油生産は日本国内に限られていた)。海外で油田の開発生産を行っている点ではインドネシア石油と同じであるが、同社の場合は米国のユノカル社がオペレーター(操業担当会社)でありインドネシア石油は出資割合に応じた原油を引き取るだけである。その点、アラビア石油は単独で操業し全量を日本に持ち込んでいる。さらに人的交流の面でも帝国石油など三社は互いに仲間意識が強かったのに比べ、アラビア石油はこれら三社とつかず離れずの関係で良く言えば独立独歩、悪く言えば唯我独尊の気風が強かった。
日本から遠く離れたアラビアの厳しい風土の中で原油を生産している日本一の高収益会社。そのイメージは社外だけでなく社員自身にも強く反映し、アラビア石油は孤高の姿勢を保っていた。
(続く)
(追記)本シリーズ(1)~(13)は下記で一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0278BankaAoc.pdf
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