2014年04月

2014年04月30日

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2014年04月29日

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(注)本シリーズは「マイライブラリー(前田高行論稿集)」で一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0311MenaRank17.pdf

(MENAなんでもランキング・シリーズ その17)


 中東北アフリカ諸国は英語のMiddle East & North Africaの頭文字をとってMENAと呼ばれています。MENA各国をいろいろなデータで比較しようと言うのがこの「MENAなんでもランキング・シリーズ」です。「MENA」は日頃なじみの薄い言葉ですが、国ごとの比較を通してその実態を理解していただければ幸いです。なおMENAの対象国は文献によって多少異なりますが、本シリーズでは下記の19の国と1機関(パレスチナ)を取り扱います。(アルファベット順)


 アルジェリア、バハレーン、エジプト、イラン、イラク、イスラエル、ヨルダン、クウェイト、レバノン、リビア、モロッコ、オマーン、パレスチナ自治政府、カタール、サウジアラビア、シリア、チュニジア、 トルコ、UAE(アラブ首長国連邦)、イエメン、


 これら19カ国・1機関をおおまかに分類すると、宗教的にはイスラエル(ユダヤ教)を除き、他は全てイスラム教国家でありOIC(イスラム諸国会議機構)加盟国です。なおその中でイラン、イラクはシーア派が政権政党ですが、その他の多くはスンニ派の政権国家です。また民族的にはイスラエル(ユダヤ人)、イラン(ペルシャ人)、トルコ(トルコ人)以外の国々はアラブ人の国家であり、それらの国々はアラブ連盟(Arab League)に加盟しています。つまりMENAはイスラム教スンニ派でアラブ民族の国家が多数を占める国家群と言えます。


 第17回のランキングは、「世界経済フォーラム(World Economic Forum, 略称WEF)」が毎年発表する「The Global Information Technology Report」(*)の中から「The Networked Readiness Index 2014」についてMENA諸国をとりあげて比較しました。

* ホームページ:http://www.weforum.org/reports/global-information-technology-report-2014/


1.「The Networked Readiness Index」について
 「The Networked Readiness Index」(ITネットワーク整備指数)は、毎冬スイスで開催される「ダボス会議」の主催者として世界に名を知られている「世界経済フォーラム(World Economic Forum, 略称WEF)」が作成したものである。WEFでは毎年「The Global Information Technology Report」を発表しており、その中でITの整備状況に関する各国の競争力をIndex(指数)としてランク付けしている。今回の2014年レポートでは世界148カ国がランク付けの対象となっている。


 Indexは(1)Environment (ITネットワーク環境)、(2)Readiness (ITネットワーク達成度)、(3)Usage (ITネットワーク利用状況)及び(4)Impact (ITネットワークのインパクト)の四つのサブ分野で構成され、またそれぞれのサブ分野ごとにPillar(柱)と呼ばれる合計10個の評価項目がある。10項目について各国毎に評価し、それらを総合した指数(NRI)により148カ国がランク付けされている。


サブ分野(Sub Index)とそれぞれの評価項目(Pillar)
Environment (ITネットワーク環境)
(1)Political and regulatory environment(政治・制度環境)
(2)Business & innovation environment (ビジネス及びイノベーション環境)


Readiness (ITネットワーク達成度)
(3)Infrastructure & digital content (ITインフラ及びデジタル・コンテンツ)
(4)Affordability (IT機器・ソフト入手の難易度)
(5)Skills (IT技術の習熟度)


Usage (ITネットワーク利用状況)
(6)Individual usage (個人の利用状況)
(7)Business usage (ビジネス部門の利用状況)
(8)Government usage (政府部門の利用状況)


Impact (ITネットワークのインパクト)
(9)Economic impact (経済的インパクト)
(10)Social impact (社会的インパクト)


(続く)


本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
 前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
   Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
   E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp



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2014年04月28日

1.サウド家の歴史(続き)
(6)第3次サウド王朝の始まり
アラビア半島のほぼ全域を制圧したアブドルアジズは、1932年9月23日、「サウジアラビア王国」の建国を宣言した。以来毎年9月23日が建国記念日とされ国内外で祝賀行事が行われている。「サウジアラビア」とは「サウド家」の「アラビア」と言う意味である。「王国」の名が付く国は世界に珍しくなく、例えば英国の正式国名はUnited Kingdom(連合王国、略称UK)であるが、国名に支配一族の名前を冠している国は世界広しと言えどもこのサウジアラビアとヨルダン(ヨルダン・ハシミテ王国)だけである。


 建国したものの度重なる征服戦争で国庫は火の車であった。財源と言えば聖地マッカを訪問する巡礼者から徴収する巡礼税がほとんどであり、現在のように石油が国庫を支えるのは第二次世界大戦後のことである。建国前の1922年に元英国少佐のフランク・ホームズが年2,000ポンドでアルハサ地方の石油採掘権を得たが試掘に失敗した。そして建国の翌年米国のソーカル(スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア)社との間で改めて60年の利権契約が締結され、同社は4年後の1936年にペルシャ湾沿岸でダンマン油田を発見した。しかしその頃戦雲が世界をおおい1939年に第二次世界大戦が勃発したため、サウジアラビアにおける本格的な石油生産とそれによる国内開発は第二次大戦後に持ち越されるのである。


AbdulazizRoozebelt
 サウジアラビアの石油に目を付けた米国は原油供給の見返りとしてアブドルアジズ国王に3,300万ドルの資金を提供し、また終戦間際の1945年2月にはスエズ運河に停泊する米国巡洋艦クインシー号の船上でルーズベルト大統領とアブドルアジズ国王が会談している(写真)。こうして戦後は英国に代わり米国とサウジアラビアの友好関係が深まることになる。但し会談ではルーズベルト大統領がユダヤ人難民のパレスチナ入植を提案したのに対してアブドルアジズは強い異議を表明しており、イスラエル・パレスチナ問題は米国とサウジアラビア間の最大の課題として70年後の今も引きずっているのである。


 アブドルアジズは建国の翌年次男サウド(長男トルキは夭逝したため実質的な長男)を皇太子に指名した。因みに国王は建国後さらに18人の王子を生んでいる。主な王子は23男のナイフ(スデイリセブン3男、元内務相、前皇太子、1933-2012年)、25男サルマン(スデイリセブン6男、皇太子、1936年生)及び現存する最も若い35男ムクリン(第二皇太子、母親:イエメン出身バラカ妃、1945年生)などである。なおアブドルアジズの初期の結婚相手はアルシェイク家、スデイリ家、ジルウィ家、シャンマル族など有力部族出身の女性が多く、友好部族との提携強化或いは征服した部族の懐柔など政略結婚の色彩が強い。その反面、諸部族を平定し国内の権力基盤を確立した建国後は主にモロッコ、コーカサス、シリア、イエメンなどの外国女性を結婚相手にしている。ただアラブは血縁と家柄を重視する部族社会であり、サウド家内部でも外国人女性との間に生まれた王子を一段低く見る傾向は避けられず、最近まで王位継承問題から遠ざけられていたのが事実である(母親がイエメン人であるムクリン王子の第二皇太子指名が意外視されたことはその事実を示している)。


 第二次大戦をはさむ激動期、アブドルアジズは次男サウド皇太子を国内の部族対策に、また3男のファイサル(後の第三代国王)を外交に当たらせた。戦後、内政・外交で威力を発揮したのが本格的な石油生産の開始であった。内政面でアブドルアジズが危惧したのは石油の富の分配をめぐり有力部族がサウド家に反旗を翻すことである。そのため彼はその富を新国家建設よりも部族懐柔に使うことに意を注いだ。そして外交面ではサウジアラビアの石油に目を付けた米国との関係を強化したのである。サウジアラビアの外交は戦前の英国依存から戦後は米国依存へと代わった。1945年のサンフランシスコ講和会議にはファイサル王子が出席している。

一代の英雄アブドルアジズは1953年、心臓発作のため73歳で死亡、サウド皇太子が第二代国王に即位し、新皇太子にはファイサルが指名された。この時サウドは51歳、ファイサルは49歳であった。


(続く)


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