2016年07月
(注)本レポートは「マイライブラリ(前田高行論稿集)」で一括してご覧いただけます。
2.7月1日現在の各国の格付け状況
(表:http://members3.jcom.home.ne.jp/maeda1/1-G-3-01.pdf参照)
(EU離脱により英国がついに最上級から一挙に2ランク格下げ!)
(1)日米欧先進国およびMENA諸国の格付け
今回の格付けで最も注目すべき点はこれまで最上級格付けAAA(トリプルA)の常連であった英国が2ランク格下げされAAとなったことであろう。英国は国民投票でEU離脱が決まったことから今後の経済の見通しが極めて不透明な状態になった。これが景気変動に最も敏感な国債格付け(ソブリン格付け)に直ちに反映したと言えよう。
英国は今回の格下げの結果、これまで通りトリプルAの格付けを維持したドイツ、スイス、ノルウェー、オランダ等に引き離され、AA+の米国よりさらに1ランク低いフランスと同じAランクとなった。これは中東の産油国カタール、クウェイト及びアブダビ(UAE)と同等のランクである。なお非西欧諸国であるがアジア・オセアニア地域のオーストラリア、シンガポールおよび香港はこれまで同様最上級のAAAを保持している。
極東アジアでは中国、韓国及び台湾はAA-であり、英仏やアブダビなど中東産油国より1ランク低いAA-である。極東4カ国の一角を占める日本は昨年後半にランクがAA-からA+に下がっており、イスラエル、アイルランドなどとおなじランクである。
GCC6カ国のうちクウェイト、カタールおよびアブダビ(UAEは首長国毎の格付けでありドバイは格付けされていない)は上記の通りAAであるが、GCC最大の経済規模を誇るサウジアラビアは今年前半にA+からA-に2ランク格下げされている。同国は昨年前半まではアブダビ、クウェイト、カタールと同じA+であったが過去1年間の間に4ランクも格下げされている。原油価格の低迷で同国の財政は厳しい試練に直面しており、外貨準備高が急速に目減りするだけでなく、7年ぶりに国債発行を余儀なくされている。財務改善のめどが立たないことに対し格付け機関は厳しい姿勢を見せている。
財務状況が悪化しているのはオマーンおよびバハレーンも同様であり、オマーンは昨年1月現在のAランクから今回の今年7月現在はBBB-へ4ランク落ちている。因みにBBB-は投資適格の最低ランクである。またバハレーンはBBB-からBBに格下げされており投資不適格の範疇になっている。
その他のMENA諸国ではモロッコはBBB-でかろうじて投資適格の格付けを維持しているが、トルコ(BB+)(注)、ヨルダン(BB-)は投資不適格とされている。またエジプト、レバノン及びイラクはさらに低いB-の格付けである。なおEUのギリシャもこれら3か国とおなじ格付けであるが、同国は昨年後半のCCC-から格付けが1ランクアップしている。
(注)トルコはクーデタ未遂事件を受け、格付けは1ランク下がりBB(Negative)になった。
(東南アジア諸国は投資適格と不適格の境目に偏在!)
(2)新興国:BRICsおよびアジアの発展途上国の格付け
アジア・オセアニア地域では上記の通りオーストラリア、シンガポールおよび香港が独、スイスなど西欧諸国に並ぶ最上級AAAの格付けであり、東アジアの中国、韓国、台湾は日本より高い格付けAA-を得ている。東南アジア諸国ではタイがBBB+、フィリピンはBBB、インドがBBB-である。BBBはS&Pの格付け定義では「債務を履行する能力は適切であるが、事業環境や経済状況の悪化によって債務履行能力が低下する可能性がより高い」とされ投資適格の中で最も低いランクである。
そしてインドネシアはBB+、ベトナムはBB-であり、これは格付け定義で「より低い格付けの発行体ほど脆弱ではないが、事業環境、財務状況、または経済状況の悪化に対して大きな不確実性、脆弱性を有しており、状況によっては債務を期日通りに履行する能力が不十分となる可能性がある」とされ、投機的要素が強いとみなされている。
BRICs諸国のうち中国、インドは上記の通りそれぞれAA-およびBBB-である。南アフリカはインドと同じ投資適格では最も低いBBB-であり、ロシアはBB+、ブラジルはBBで共に投資不適格の範疇とされている。
以上
本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
前田 高行 〒183-0027
Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp
2016年07月21日
(注)本レポートは「マイライブラリ(前田高行論稿集)」で一括してご覧いただけます。
1.ソブリン格付けについて
ソブリン格付とは国債を発行する発行体の信用リスク、つまり債務の返済が予定通りに行われないリスクを簡単な記号で投資家に情報提供するものである。「ソブリン格付け」は、英語のsovereign(主権)に由来する名称であり、国の信用力、すなわち中央政府(または中央銀行)が債務を履行する確実性を符号であらわしたものである。ソブリン格付けを付与するにあたっては、当該国の財政収支の状況、公的対外債務の状況、外貨準備水準といった経済・財政的要因だけでなく、政府の形態、国民の政治参加度、安全保障リスクなど政治・社会的要因を含めたきわめて幅広い要因が考慮される。
このようなリスク情報を提供しているのが格付け会社であり、全世界には多数の格付け会社があるが、その代表的なものはStandard & Poors(S&P)、Moody’s 及びFitchRatingの3社である。3社で世界のシェアの9割を占めており、特にS&PとMoody'sは各々40%前後のシェアを有している。
格付け3社はそれぞれ独自の格付け記号を用いており、S&Pでは最上位のAAAから最下位のCまで9つのカテゴリーに分けている。これら9段階のうち上位4段階(AAAからBBBまで)は「投資適格」と呼ばれ、下位5段階(BBからCまで)は「投資不適格」又は「投機的」と呼ばれている。なおAAからCCCまでの各カテゴリーには相対的な強さを示すものとしてプラス+またはマイナス-の記号が加えられている。カテゴリーごとに詳細な定義が定められているが、S&Pの定義では最上位のAAAは「債務を履行する能力が極めて高い」とされ、一方最も低いCは「債務者は現時点で脆弱であり、その債務の履行は良好な事業環境、財務状況、及び経済状況に依存している」である。
*S&Pの格付け定義については下記参照:
http://members3.jcom.home.ne.jp/maeda1/1-G-3-02.pdf
本レポートは3社の中で最もよく知られているS&Pのソブリン格付けに基づき、日米欧の先進国の他、中国、ブラジル、ロシアなどの新興国並びにMENA諸国および主要な発展途上国を取り上げた。レポートは毎年1月1日または7月1日時点の格付け状況について前回の格付けと比較しており、今回は2016年7月1日現在の格付けを取り上げて各国を横並びで比較し、同時に各国ごとに前回(2016年1月1日)の格付けと比較して半年の間のソブリン格付けの変化の状況を解説する。
*これまでのレポートは下記ホームページ参照。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/SovereignRating.html
(続く)
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前田 高行 〒183-0027
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2016年07月20日
第四次中東戦争は1973年10月25日に終わった。緒戦の勝利でアラブ側に有利な停戦条件を引き出そうとしたサダトの思惑通りにはならなかったが、ともかくエジプトとイスラエル双方に和解の機運が生まれた。
1948年の第一次中東戦争(イスラエル独立戦争)以来わずか四半世紀の間に4回も戦火を交えた両国は共にすっかり疲弊し、国民の間には厭戦機運がみなぎっていた。中東戦争にうんざりしていたのは当事国だけではない。イスラエルの最大の庇護者である米国もニクソン大統領が経済面で不安定な国際通貨危機に振り回され(1971年、ニクソン・ドルショック)、外交面では泥沼のベトナム戦争から抜けられずに苦悩を深めていた。戦前ヨーロッパのユダヤ人迫害を逆手に取られてこれまでずっとイスラエルの肩を持たされてきた欧州諸国はと言えば、アラブ人やイスラム教徒に加担する気は毛頭なかったものの、我が物顔のイスラエルに対して「もういい加減にしてほしい」という空気が漂い始めていた。
さらに第四次中東戦争でアラブの産油国が石油禁輸を強行したため、これまで中東紛争に無関心、無関係を装っていたアジアの国々には石油ショックの衝撃が走った。特に日本にとっては高度成長という太平の夢を打ち砕く大事件であった。日本を始めとする石油の消費国もアラブとイスラエルの和平を促した。
戦争回避の機運は現実主義者のサダトにとっても望むところであった。一部アラブ諸国の首脳はなお「イスラエルを地中海に叩き落せ!」という勇ましい掛け声を叫び続けていたが、それが荒唐無稽な絵空事であることをアラブの大衆は肌身で感じていたし、サダトも同じであった。優秀な軍人ほど現実を冷徹に見据えるものである。ただ熱くなるだけのリーダーはいつか必ず敗北を味わう。そのとき退場するのが本人一人で済めば良いが、「一将功成って万骨枯る」では部下が浮かばれない。この点、サダトは智将であった。

サダトは第4次中東戦争終結後から米国寄りの姿勢に転じた。前任のナセル大統領がソ連寄りだったのと対照的である。米国ではキッシンジャー特別補佐官(後に国務長官)がニクソンとそれに続くジョンソンの両大統領時代にデタント(緊張緩和)外交政策を展開、これにより米中和解、ベトナム戦争終結などが実現、全世界に平和の機運が生まれた。この機に乗じサダトもイスラエルとの関係改善を図り、1977年にはイスラエル訪問にこぎつけた。翌1978年に民主党の理想主義者カーターが大統領に就任した。イスラエルびいきの共和党からリベラルな民主党に政権交代したことでエジプトとイスラエルの和平が現実味を帯びてきた。1977年、両国が歴史的な平和条約を締結すると、カーター大統領は両首脳をワシントンのキャンプ・デービッドに招いた。和平合意により第三次中東戦争以来イスラエルが占領していたシナイ半島はエジプトに返還された。
これら一連の動きの集大成として1978年、エジプト大統領サダトとイスラエル首相ベギンはノーベル平和賞を受ける栄誉に浴した。1901年に第1回ノーベル平和賞が授与されて以来、アラブ人が受賞するのはサダトが初めてである。
このように書き連ねるとサダトが英雄とは言えないまでもエジプトおよびアラブ諸国から平和の貢献者として高く評価されてもおかしくないように聞こえる。しかし現実は全く逆であった。彼のエジプト・イスラエル単独和平はアラブ以外の世界各国からは高い評価を得たものの、肝心のアラブ諸国からは「パレスチナのアラブ人同胞に対する裏切り」ととられサダトは国内外で孤立する。サダトのような軍人政治家は戦争に勝って平和を得てこそ英雄である。しかし勝敗がはっきりしないままに戦争を終結し外交手腕によって平和をもたらしても国民大衆は彼を「裏切者」とそしるのである。
サダトにその後もう一つの誤算が生じた。1979年、イランにイスラム革命が発生、サダトは人道的配慮からムハンマド・レザー皇帝の亡命を受け入れた。しかし皇帝はサダトの好意を踏みにじりカイロから米国へ向かったのである。エジプトの大衆はこれに猛烈に反発、非難の矛先をサダトに向けた。中東に平和をもたらし、シナイ半島の返還を実現したにもかかわらず大衆はサダトに冷たかった。
1981年10月、第4次中東戦争開戦記念の軍事パレードを観閲中のサダト大統領はパレードの隊列で行進中の歩兵車両部隊によって暗殺されたのであった。
(続く)
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荒葉一也
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