2008年01月30日
もう一つの視点:愚者の笛―クウェイトの深い傷口(2)
(第2回)イラクのクウェイト侵攻がもたらしたもの
五輪ハンドボール予選騒ぎの中心人物でアジアハンドボール連盟会長アハマド殿下(Shaikh Ahmad、写真左)は、クウェイトを支配するサバーハ首長家の有力王族である(サバーハ家 家系図参照)。クウェイトはUAE(アラブ首長国連邦)やカタルと同じ首長制国家であり、男子王族にはShaikhの尊称が与えられる。本稿ではShaikhを「殿下」と訳することとする。
アハマド殿下は1961年8月生まれで今年47歳である。彼の父親ファハド殿下(故人)はサバーハ現首長及びナワーフ皇太子と兄弟である。ちなみにナーセル現首相の父親(故人)も兄弟の一人である。従ってアハマド殿下は首長及び皇太子の甥であり、首相とは従兄弟関係ということになる。但しこれら四人の兄弟はそれぞれ母親の異なる異母兄弟である。かれらはサバーハ家の中で「ジャービル系」と言われる系統に属しているが、このジャービル系は2年前の後継者争いでもう一つの有力な系統である「サーリム系」を退け、それまで両系統で二分していた首長と皇太子のポストを独占してサバーハ家内部での主導権を確立した。
アハマド殿下はこのようにサバーハ家の中でも主流派でしかも首長、皇太子、首相など王族トップと非常に近い関係にある。但し先にも述べたとおりアハマドは彼らとは母系が異なる甥または従兄弟の関係である。このような関係はサバーハ家の中でサーリム系のような異なる系統に対しては団結するが、一方で近親者同士の利害が相反する場合は互いに反目する、という複雑な関係となることに注目する必要がある。
アハマド殿下の父親ファハドは生粋の軍人王族であった。彼はヨルダンの士官学校を卒業後、クウェイト陸軍に勤務、1967年の第三次中東戦争ではイスラエルの捕虜となった。帰国後近衛隊長等の軍歴を重ねる一方、クウェイト・オリンピック委員会委員長などスポーツ団体のトップを兼任した。彼の運命が暗転したのは1990年8月にイラクのフセイン大統領(当時)がクウェイトに侵攻したことである。
当時イラク軍はクウェイト国境に集結していたが、サバーハ政府はフセイン大統領がまさか自国を侵略するとは夢にも考えていなかった。(最近、「1993年の湾岸戦争でまさか米軍がイラク領土に侵攻するとは思っていなかった」というフセイン大統領の言葉が報道されたが、非常に皮肉なめぐり合わせといえよう。)8月2日、イラク軍がクウェイト国境を突破すると、首長以下全ての王族は慌てふためき、一般国民を置き去りにして南のサウジアラビアへ逃げたのである。このとき王族の中でただ一人イラク軍と戦って戦死したのがファハドであった。
もともと権力基盤が弱く不人気であったサバーハ家に対する国民の信頼は地に落ちた。その中で戦死したただ一人の王族ファハドの遺児アハマド殿下が、翌年の湾岸戦争によるクウェイト解放後、特別な評価と待遇を受けることになったのは当然の成り行きであった。彼は2001年には40歳で情報相に就任、さらに2003年には石油(後にエネルギー)相の要職に就いたのである。そしてエネルギー相在職中の2005年にはOPEC議長も務めている。この頃がアハマドの得意絶頂の時代であったと思われる。
OPEC議長は任期1年間の加盟国の持ち回りであり、従ってアハマドが議長となったのは単なるめぐり合わせであるが、この1年間、彼は世界のメディアに露出するなどかなり派手なパフォーマンスを行っており、任期満了直前の2005年末には世界の石油市場のキープレーヤーである中国とロシアを訪問している。また国内では10年来の懸案であった北部イラク国境付近の油田開発、いわゆる「プロジェクト・クウェイト」を外国企業に発注することに情熱を傾け、これに反対する国会と対立していた。当時のクウェイトの新聞を見ると石油相或いはOPEC議長としての彼の行動が頻繁に報道されており、自己の人気浮揚を図る野心が垣間見られる。
しかし翌年には彼は情報相就任以来5年にわたる大臣在任中の汚職と職権乱用の疑いで議会から糾弾され、また総選挙では野党の攻撃の的になった。そして遂に6月にエネルギー相を辞任したのである 。その後、彼は国家保安局(National Security Bureau)長官に就任し、今日に至っている。なおアハマド殿下はオリンピック委員会委員、ハンドボールアジア連盟会長などのスポーツ団体の要職を父親ファハドから受け継いでおり、同国のスポーツ団体を牛耳るとともにアジアのスポーツ界でも強い影響力を持っている。その影響力の源泉は、湾岸危機の英雄である父親の威光、彼自身の自己顕示欲、そしてサバーハ家王族としての財力、にあると見るのが妥当ではなかろうか。
(第2回完)
これまでの内容:
(第1回)五輪ハンドボール予選騒ぎ
本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
E-mail; maedat@r6.dion.ne.jp

アハマド殿下は1961年8月生まれで今年47歳である。彼の父親ファハド殿下(故人)はサバーハ現首長及びナワーフ皇太子と兄弟である。ちなみにナーセル現首相の父親(故人)も兄弟の一人である。従ってアハマド殿下は首長及び皇太子の甥であり、首相とは従兄弟関係ということになる。但しこれら四人の兄弟はそれぞれ母親の異なる異母兄弟である。かれらはサバーハ家の中で「ジャービル系」と言われる系統に属しているが、このジャービル系は2年前の後継者争いでもう一つの有力な系統である「サーリム系」を退け、それまで両系統で二分していた首長と皇太子のポストを独占してサバーハ家内部での主導権を確立した。
アハマド殿下はこのようにサバーハ家の中でも主流派でしかも首長、皇太子、首相など王族トップと非常に近い関係にある。但し先にも述べたとおりアハマドは彼らとは母系が異なる甥または従兄弟の関係である。このような関係はサバーハ家の中でサーリム系のような異なる系統に対しては団結するが、一方で近親者同士の利害が相反する場合は互いに反目する、という複雑な関係となることに注目する必要がある。
アハマド殿下の父親ファハドは生粋の軍人王族であった。彼はヨルダンの士官学校を卒業後、クウェイト陸軍に勤務、1967年の第三次中東戦争ではイスラエルの捕虜となった。帰国後近衛隊長等の軍歴を重ねる一方、クウェイト・オリンピック委員会委員長などスポーツ団体のトップを兼任した。彼の運命が暗転したのは1990年8月にイラクのフセイン大統領(当時)がクウェイトに侵攻したことである。
当時イラク軍はクウェイト国境に集結していたが、サバーハ政府はフセイン大統領がまさか自国を侵略するとは夢にも考えていなかった。(最近、「1993年の湾岸戦争でまさか米軍がイラク領土に侵攻するとは思っていなかった」というフセイン大統領の言葉が報道されたが、非常に皮肉なめぐり合わせといえよう。)8月2日、イラク軍がクウェイト国境を突破すると、首長以下全ての王族は慌てふためき、一般国民を置き去りにして南のサウジアラビアへ逃げたのである。このとき王族の中でただ一人イラク軍と戦って戦死したのがファハドであった。
もともと権力基盤が弱く不人気であったサバーハ家に対する国民の信頼は地に落ちた。その中で戦死したただ一人の王族ファハドの遺児アハマド殿下が、翌年の湾岸戦争によるクウェイト解放後、特別な評価と待遇を受けることになったのは当然の成り行きであった。彼は2001年には40歳で情報相に就任、さらに2003年には石油(後にエネルギー)相の要職に就いたのである。そしてエネルギー相在職中の2005年にはOPEC議長も務めている。この頃がアハマドの得意絶頂の時代であったと思われる。
OPEC議長は任期1年間の加盟国の持ち回りであり、従ってアハマドが議長となったのは単なるめぐり合わせであるが、この1年間、彼は世界のメディアに露出するなどかなり派手なパフォーマンスを行っており、任期満了直前の2005年末には世界の石油市場のキープレーヤーである中国とロシアを訪問している。また国内では10年来の懸案であった北部イラク国境付近の油田開発、いわゆる「プロジェクト・クウェイト」を外国企業に発注することに情熱を傾け、これに反対する国会と対立していた。当時のクウェイトの新聞を見ると石油相或いはOPEC議長としての彼の行動が頻繁に報道されており、自己の人気浮揚を図る野心が垣間見られる。
しかし翌年には彼は情報相就任以来5年にわたる大臣在任中の汚職と職権乱用の疑いで議会から糾弾され、また総選挙では野党の攻撃の的になった。そして遂に6月にエネルギー相を辞任したのである 。その後、彼は国家保安局(National Security Bureau)長官に就任し、今日に至っている。なおアハマド殿下はオリンピック委員会委員、ハンドボールアジア連盟会長などのスポーツ団体の要職を父親ファハドから受け継いでおり、同国のスポーツ団体を牛耳るとともにアジアのスポーツ界でも強い影響力を持っている。その影響力の源泉は、湾岸危機の英雄である父親の威光、彼自身の自己顕示欲、そしてサバーハ家王族としての財力、にあると見るのが妥当ではなかろうか。
(第2回完)
これまでの内容:
(第1回)五輪ハンドボール予選騒ぎ
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