2009年07月11日

レバノン新首相とサウジアラビアを結ぶ太い糸(上)

ハリリ一族の系譜
img20090711.jpg レバノンの新首相に指名されたサード・ハリリはサウジアラビアのリヤド生まれであり、サウジアラビアとレバノンの二重の国籍を持っている。彼の父親ラフィーク・ハリリ(写真)は1992年から98年まで、および2000年から2004年までの2回にわたりレバノンの首相をつとめたが、首相を退いた翌2005年2月にベイルートで爆弾テロにより暗殺された。暗殺の背後には当時レバノンを軍事占領していた隣国シリアの影があったとされ、欧米諸国はこぞってシリアを非難した。米国はこれに加えシリアをイランと並ぶテロ支援国家に指定し経済制裁を行ったのである。暗殺事件の真相は解明されないまま現在に至っている。

 ラフィーク・ハリリは母国レバノンで小さな建設会社を経営した後、70年代初めにオイルブームで建設ラッシュに沸くサウジアラビアに拠点を移した。サウド家の「夏の王宮」のあるターイフにホテルの建設計画があることを知った彼は、ハリド国王(当時)に近づき、フランスの建設企業オジェール(Oger)社と組んでこれを受注した。国をあげての建設ラッシュで、資材不足のため他の業者の工事が軒並み遅れる中、ラフィークは予定よりも早く完成させた。フランスに住むレバノン人脈(レバノンはかつてフランスの植民地であった)をフルに活かしたことが勝因である。これによってハリド国王の信認を得たラフィークと彼の会社は、王室御用達の建設業者として次々と公共事業を受注、数年のうちに会社はサウジアラビア有数のゼネコンに成長し、ラフィーク自身も大富豪にのし上がったのである。その後彼は合弁相手のOger社を買収して、Saudi Oger社と改名、同社は今もサウジアラビア国内ではビン・ラーデン・グループと並ぶ二大建設会社の一つである。

 余談であるがラフィークとビン・ラーデン・グループの創設者ムハンマド・ビン・ラーデンの経歴は極めて似通っている。ムハンマドはラフィークより一足早くイエメンからサウジアラビアに出稼ぎに来たのであるが、彼は初代国王アブドルアジズのお気に入りとなり、イスラム教の聖地マッカの土木建設工事をほぼ独占的に受注して大富豪となっている。言うまでも無く国際的テロリストのオサマ・ビン・ラーデンはムハンマドの数多い息子の一人である。

 功なり名を遂げたラフィークはレバノンに戻り政治とビジネスの二足のわらじを履いた。彼の企業グループSaudi Ogerは現在中東全域に活動領域を広げている。政治にビジネスの手法を持ち込んだラフィークは、それまで内戦で四分五裂し、経済が極度に疲弊していたレバノンの建て直しに大きく貢献したと言われる。また旧宗主国のフランス、或いはサウジアラビアのサウド王家とも極めて良好な外交関係を築き上げた。2004年の首相退任後も彼は国内の反シリア勢力の根強い支持を受け、3度目の首相返り咲きが取沙汰されていたが、その矢先に暗殺されたのである。ラフィークの葬儀にはフランスからシラク大統領(当時)、サウジアラビアからはサウド外相が国王の名代として参列している。
(続く)

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