2011年03月22日

危機感を露わにする湾岸君主制国家(2)

(注)本シリーズ1~5回は前田高行論稿集「マイ・ライブラリー」で一括ご覧いただけます。

http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0175GccCrisis.pdf

(お断り)本シリーズのテーマであるGCC各国の情勢は時々刻々変化しており、個々の記載内容は掲載時点の最新情報に基づいています。従ってシリーズの前後で記述内容あるいは事実関係に齟齬を生じるかもしれませんので予めご承知おきください。

崖っぷちのバーレーン・ハリーファ王家
 反政府デモに揺れるバーレーンがつかの間の落ち着きを取り戻している。皇太子の国民対話の呼びかけを無視して首都マナマ中心部の「真珠広場」に居座った反政府デモ隊に対し、政府はついに同盟国サウジアラビアとUAEの治安部隊の助けを借りて排除に乗り出した(2月16日)。その二日後には政府は重機を動員して反政府運動のシンボルとなっていた広場の記念塔を破壊した(2月18日)。記念塔は1981年のGCC結成を記念して建てられたものであり、加盟6カ国に因んだ6本の脚が真珠を支える形のモニュメントである。真珠はかつてペルシャ湾の特産品でありバーレーンは真珠の採取と交易の中心地として栄えた。「真珠広場」の名前はこのような歴史を踏まえたものだったのである。

 バーレーンはペルシャ湾に浮かぶ島国で、面積は東京23区と川崎市を合わせた程度、人口は110万人強である(外務省HPより)。面積、人口ともGCC6カ国の中では最も小さいが、紀元前からペルシャ湾の海洋国家として栄えた古い歴史を誇っている。対岸のサウジアラビアとの間は海上橋で結ばれている。石油の生産量は少なく他のGCC諸国に比べ必ずしも豊かとは言えないが、クウェイトやサウジアラビアなど周辺国のオイル・マネーを集め、今では金融立国(オフショア・センター)としての評価が定着している。

 人口のうち半数はインド、パキスタンなどアジアからの出稼ぎ労働者で、実際の国民の人数は54万人程度にすぎない。バーレーンの住民の多くはイラン(ペルシャ)から渡り住んだ子孫たちであり、そのため現在でも国民の7割はイスラム教シーア派である。ところがアラビア半島から移住した遊牧民(ベドウィン)のハリーファ家が1783年に支配権を確立した。イスラム教スンニ派のハリーファ家が支配するバーレーンはその後英国の保護領を経て1971年に独立を宣言した。スンニ派は国民の3割程度であり、シーア派に対して少数派にとどまっている。

ハリーファ家は支配王家として絶対的な権力を握って国政の枢要なポストを独占し、またスンニ派国民を優遇して権力基盤を築いてきた。つまりバーレーンは少数派(スンニ派)が多数派(シーア派)を支配するという特異な社会構造であり、多数派を占めるシーア派住民は社会・経済のあらゆる面で差別待遇を受けているのが実情である。このような状況が潜在的な社会不安を生み、そのため同国ではこれまでも騒擾事件が頻発している。今回の騒動をチュニジア、エジプトに触発された民主化運動と見なす外部識者が多いが、実は問題の根源は少数派のハリーファ家が国を支配し、しかも多数派と宗派が異なることにある。隣接国との関係で見れば、同じスンニ派王制国家であるサウジアラビアがハリーファ家を、またシーア派のイランが一般国民をバックアップしており、ペルシャ湾を挟む二大国の対立構造が問題を複雑にしているのである。

ハマド現国王は1999年に即位後、国内の対立を和らげるため、国民憲章制定、二院制議会設立と矢継ぎ早の民主化政策を打ち出し、2002年には政体を立憲君主制国家に変更している。但しこれら一連の改革は民主化の旗印を掲げているものの、実態はハリーファ家の独裁体制をカムフラージュするための小手先の改革、俗に言う「コスメティック・デモクラシー」(化粧顔の民主主義)である。例えば二院制のうち国民選挙の対象は下院だけで、上院議員は国王の勅撰である。また国王は議会が承認した法律に対して拒否権を有しており、首相の任免権も国王にある。その結果首相を始め主要閣僚は全てハリーファ家の王族が独占している(脚注1)。

今回の抗議デモの中で当初反政府派は首相(国王の叔父である)の交代と民主化の推進と言う穏健な要求にとどまっていたが、その後急進派が力を得て王制の廃止を主張するようになった。これに対しリベラルな思想を持つと言われる皇太子は「国民対話」を呼び掛けたが、急進派はもとより穏健派も対話には懐疑的であった。国王、首相を含めた体制側も、一旦譲歩すれば歯止めがかからなくなりチュニジア或いはエジプトのように最終的に権力を奪われると言う恐怖感があると思われる。

ハリーファ体制が崩壊して最も困るのはサウジアラビアと米国である。サウジアラビアは油田地帯に多くのシーア派を抱えており、彼らが蜂起すれば国内の治安と石油生産に甚大な影響が出る。このためサウジアラビアはバーレーンの要請に応じて治安部隊1,000人を送り込んだ。サウジアラビアとしてはチュニジアに始まったドミノ倒しを何としても阻止しなければならないのである。また米国は第5艦隊の基地を持っており、イランを牽制するために同基地は不可欠である。中東民主化を標榜する米国にとってハリーファ独裁体制を表だって支持することはできない。かと言って背後にイランの影がちらつく反体制派にエールを送ることもためらわれる。ジレンマの米国は「両者の話し合いによる解決を希望する」と言うあいまいな態度しか取れないのである。

結局、バーレーンは他のGCC諸国と米国を後ろ盾に強権的な抑圧体制で多数派を抑え込むしかないのであろう。バーレーンの民主化は(現状では欧米流の民主化が同国に平和と安定をもたらすかどうか疑問であるが)さらに遠のいたと言える(脚注2)。

(続く)

 (脚注1)バーレーン内閣の閣僚リスト
http://members3.jcom.home.ne.jp/maeda1/4-3BahrainCabinet.pdf 
(脚注2)詳しくは拙稿「カタールとバーレーンに見る民主化の現状」参照
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/A57DemocracyInBahrainQatar.pdf 


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 前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
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drecom_ocin_japan at 11:40コメント(0)トラックバック(0)GCC  

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