2011年09月07日
世代交代に備えるサウド家御三家(5)
(注)本シリーズ(1)~(6)は「前田高行論稿集:マイライブラリー」で一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0197SaudThreeFamilies.pdf
5. 鍵を握るバイ・プレーヤー:サルマン家、ファイサル家、ファハド家、タラール家
(1)サルマン家:兄の腰巾着でメッキのはげたサルマン州知事
(家系図http://members3.jcom.home.ne.jp/maeda1/3-1-7SalmanFamily.pdf 参照)
サルマンはアブドルアジズ初代国王の25番目の息子であり、スデイリ7人兄弟の6番目である。1936年生まれの彼は1962年以来39年にわたり首都リヤドの州知事の地位にあり、13州の知事の中では在任期間が最も長い。彼がかくも長く州知事を務めることができたのはひとえに長兄の故ファハド第5代国王や次兄スルタン(現皇太子)或いは4番目の兄ナイフ内相のバックアップによるものと言える。
彼はかなり以前は後継国王の有力候補とされていたが最近ではあまり下馬評にあがらなくなった。既に75歳の高齢であることが主な理由だが、リーダーとしての彼の資質にも問題があると筆者は考えている。サルマンは人格温厚で慈善活動に熱心なことで知られている。しかし2000年前後から州知事としての行政能力に加えテロ組織に対する資金供与疑惑が問題視されるようになった。2003年から2004年にかけてリヤドで国際テロ組織アル・カイダによるテロ事件が相次いで発生したが、事件を鎮圧したのは兄ナイフ内相であった。治安対策は内務省の管轄であるとはいえ、首都でテロ事件が頻発したことは州知事の能力を問われる問題であり、もし民選知事であれば更迭されていたに違いない。サルマンの責任が追及されなかったのは兄のファハド(2005年死亡)、スルタン、ナイフが尻拭いをしたからである。
一方テロ組織に対する資金援助問題についてはサルマン主宰の慈善団体が寄付金の資金洗浄(マネーロンダリング)に利用されたとの疑惑が外国、特に米国から提起された。サルマンの3男アハマド王子が2002年に死亡した時、詳しい死因が公表されなかったため9.11事件に関係しているとの噂が流れたほどである。サルマンやアハマドがテロ組織への資金援助或いは資金洗浄に直接関与したかどうか真実は闇の中であるが、温厚さと優柔不断はコインの裏表であり、人の好さを利用されサルマンが問題に関与し或いは関与させられたのかもしれない。
サルマンは兄達に頭が上がらないブラザー・コンプレックスがあると考えられる。彼は兄が外国で手術や療養をする場合、知事の公務を差し置いてでも兄の見舞いにかけつけた。健康を害したファハド(当時国王)がスイスで療養した時、サルマンは兄の病床に付き添い、またスルタンがニューヨークで手術後モロッコで静養した時もサルマンは長期間にわたりリヤドを留守にした。いずれのケースもサルマンは兄の腰巾着となり自己の延命を図ったと見られる。
サルマンには10人の息子がある。そのうち長男のファハドは不節制による心臓病で2001年に亡くなり、三男のアハマドもその翌年上述の通り疑惑の中で死亡している。次男のスルタンはアラブ初の宇宙飛行士として有名であり、現在は政府の観光促進機関STCのトップを務めている。政府は観光促進に力を入れているが王族のポストとしてはアブダッラー、スルタン、ナイフの息子達に比べ格下と言わざるを得ない。4男で石油省次官のアブドルアジズはかつて日本のアラビア石油の利権延長交渉で派手なパフォーマンスを示したが、交渉は決裂し両国間に大きなしこりを残す結果となりそれ以来彼は石油省次官としては影の薄い存在になっている。
サルマン一族はかつてSharq Al-Awsat, Arab Newsなど有力紙の発行元SRMGのオーナーとしてスデイリセブンやサルマン家をPRしていたが、経営に失敗しグループは現在富豪の王族アル・ワリード王子がオーナーである。サルマンの5男ファイサル王子はSRMG会長に納まっているが実権は無い。このようにサウド家の中でのサルマン一族の存在感は薄まりつつある 。
(2)ファイサル家:外交とビジネスを両立させるユニークな家系、第三世代の高齢化が問題
(家系図http://members3.jcom.home.ne.jp/maeda1/3-1-9AlFaisalFamily.pdf 参照)
第三代ファイサル国王の家系は「Al Faisal(ファイサル家)」と称されている。現在の王族は全て名前の最後に「Al Saud(サウド家)」が付けられているが、ファイサル家だけは独立した呼称が認められサウド家の中でも特別な存在感を示している。
ファイサル家は国政(特に外交)とビジネスの両方に軸足を置くユニークな一族である。国政はハヤ王妃の息子のハーリド王子(1940年生)がマッカ州知事であり、イファット妃の息子サウド(1941年生)が外相である。サウドは1975年以来36年間にわたり外相をつとめ外交では彼の右に出る者はいないほどの実力者である。またサウドの同母弟トルキ王子(1945年生)は中央情報局長官、駐英大使及び駐米大使を歴任している。但し駐米大使はバンダル(スルタン皇太子の息子)の22年間と言う超長期の在任期間に比べ、後任のトルキはわずか1年半であった。彼が短期間で辞めた理由は明らかではないが、中央情報局長官の在任時期と国際テロ組織アルカイダの暗躍及び9.11テロ事件が重なっていることと関係があるのかもしれない。
ファイサル家の中ではスルタナ王妃の系統がビジネス界で活躍している。一人息子のアブダッラー(2007年死亡)はAl-Faisaliyah Groupを創設、ソニーなど有力外国企業の総代理店として同グループを国内有数の企業集団に育て上げた。グループは現在アブダッラーの子供や孫に引き継がれている。
ファイサル家では既にサウド外相、ハーリド・マッカ州知事など第三世代が中核であるが、サウドとハーリドは共に70歳を超えており、第二世代のサルマンなどとほぼ同じ高齢である。サウド外相はアブダッラー国王に重用されており有力な後継国王候補とみなす向きもあるが、高齢に加え脊椎の手術を受ける(2009年9月)など健康に不安がある。彼自身も引退をほのめかしており後継者レースに加わっていないと見られる。実弟のトルキも駐米大使退任後は鳴りをひそめておりファイサル家のメンバーが後継者争いに加わる見込みは少ない。結局ファイサル家を代表して後継者選出の「忠誠委員会」メンバーとなっているハーリドが長老格のご意見番として後継者指名で存在感を示すのかもしれない。
(続く)
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