2016年04月27日

見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(17)

第2章:戦後世界のうねり:植民地時代の終焉とブロック化する世界

3.東西二大陣営の激突
 英仏の植民地帝国主義に代わって登場したのが米国とソ連を頂点とする東西二大陣営である。18世紀に始まった産業革命は資本家と労働者の二極化をもたらし、19世紀にカール・マルクスは資本論の中で「生産手段が少数の資本家に集中し、一方で自分の労働力を売るしかない多数の労働者が存在する生産様式」を資本主義と定義した。


 マルクスは生産手段を共同所有することで平等な社会を目指す「共産主義」を提唱、個人主義・自由主義の弊害に対抗する社会主義思想と相まって、20世紀初めには資本主義にかわる新思想として社会主義・共産主義が浸透していった。そしてそれが最初に陽の目を見たのがロシア革命であり、世界初の社会・共産主義国家として1917年に「ソビエト社会主義共和国連邦」(略称ソ連)が生まれた。


 第一次世界大戦中に誕生したソ連はその後着々と実力を蓄え、第二次世界大戦では連合国の一翼として全体主義国家ドイツ及び日本を倒す原動力となった。しかし第二次世界大戦中は互いの主張こそ違え「呉越同舟」、「同床異夢」の関係であったが、戦争が終わると、水と油の関係の両者の対立が表面化した。直接の衝突を回避した関係は「冷戦」と呼ばれたが、実際には世界各地で「熱い戦争」が続発した。


 極東の中国では国民党と共産党の国共内戦が発生、ベトナムではベトコン(南ベトナム解放民族戦線)とフランス駐留軍の戦闘が始まった。ベトナムの場合、最初は植民地旧宗主国のフランスに対するベトナム人の抵抗運動であったが、フランスがディエンビエンフーの戦いに敗れ撤退すると、米国が後始末に乗り出した。ベトコンはソ連の軍事的援助のもとで米国に対する抵抗を続ける。まさにベトナムを挟んだ米ソ対決であった。


 さらに1950年には朝鮮戦争が勃発、北緯38度線を境に戦線は膠着し1953年に休戦したが、朝鮮半島は現在も二分化したままである。欧州大陸では西ヨーロッパと東ヨーロッパが国境を挟んで緊張が高まり東ドイツ領内のベルリンでは1949年に西ベルリン地区を包囲する壁が築かれ、ベルリン封鎖は結局ソ連が崩壊する1990年まで続くのである。


 冷戦の構図の中で鋭く対立する東西両陣営は互いに相手国を封じ込めるための軍事・経済のブロック化を推し進めることになる。1949年に西側陣営は軍事同盟NATO(北大西洋条約機構)を結成、ココム(対共産圏輸出統制委員会)と共に共産主義諸国への軍事技術・戦略物資の禁輸措置を講じた。これに対抗して1955年、ソ連はポーランド、東ドイツなど東ヨーロッパ8カ国を巻き込んだ軍事同盟「ワルシャワ条約機構」を立ち上げている。さらに米国はフランスのベトナム撤退後の東南アジアの空白を埋めるためNATOと同様の軍事同盟SEATO(東南アジア条約機構)を結成した。


 中東では1958年にMETO(中東条約機構、本部の置かれた都市に因みバグダッド条約とも言う)が生まれた。NATO、METO及びSEATOの三つの反共軍事同盟によりソ連封じ込め体制が出来上がったが、このうちのMETOはエジプトが当初から参加しなかった上、設立の年にイラクで社会主義革命が勃発、同国がMETOを脱退したため、本部はトルコのアンカラに移転、名前もCENTO(中央条約機構)と改められている。


17Nehru, Nkrumah, Nasser, Sukarno & Tito
 汎アラブ主義のナセルは米国の反共同盟に加わる気はもとよりなかったが、さりとてソ連社会主義の傘の下に入る気もなかった。彼の眼には米国もソ連も所詮新しいタイプの帝国主義国家と映ったのである。米国とソ連に対する見方は中国の周恩来首相、インドのネール首相、ユーゴスラビアのチトー大統領あるいはインドネシアのスカルノ大統領もナセルと大同小異であった。ネールと周恩来は1954年の首脳会談で平和五原則を発表、さらに翌1955年にインドネシアのバンドンでアジア・アフリカ会議が開催された(バンドン会議)。


 バンドン会議で採択された平和十原則では反帝国主義、反植民地主義、民族自決の精神のもと、米国、ソ連のいずれにも属さない第三の立場いわゆる第三世界をうたいあげたのである。ナセルはいがみ合う東西両陣営者の間でうまく立ち回って漁夫の利を得ることを狙い、また第三世界の中ではアラブの代表としての地位を確かなものにしたのである。このころから第二次中東戦争、そしてシリアとアラブ連合を結成する頃までがナセルの絶頂期であったと言えよう。


(続く)


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       荒葉一也

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drecom_ocin_japan at 08:56コメント(0)トラックバック(0)中東の戦後70年  

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