2016年08月03日

見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(31)

第4章:中東の戦争と平和
3.ポピュリズムが育てる独裁者
 中東の独裁者たちにほぼ共通しているのは貧しい出身でありながら士官学校で優秀な成績を収め軍の幹部にのし上がったと言うことである。当時のアラブ諸国では大学に進学できるのは一部の富裕層に限られており、向学心に燃える貧しい家庭の子弟は士官学校を目指した。こうして士官学校には優秀な若者が集まった。彼らは士官学校で最新の技術と知識を習得し、成績優秀者はソ連に留学した。若くしてソ連に留学した彼らがどのような思想的感化を受けたかは言うまでもないであろう。アラブ民族主義がソビエト流社会主義と結びつき、彼らは欧米資本主義・帝国主義を敵視するようになる。

 ただしソ連留学組は同時に社会主義思想そのものに違和感を覚えた。彼らは物心ついた時すでにイスラームという「心」のアイデンティティにからめとられており、「智」の産物である社会主義イデオロギーにはなじめなかったはずである。さらに共産主義思想が無神論であることを彼ら留学組は生理的に受け付けなかったに違いない。合理的思考の持ち主ではあるが同時に敬虔なムスリム(イスラーム信者)であるアラブ人の若手将校たちはその後次第に社会主義国家ソ連と距離を置くようになる。

 東西冷戦の渦中で中東の指導者たちは西側につくか、東側につくか厳しい判断を迫られていた。1950年代に中国の周恩来、インドのネール、チェコスロバキアのチトーなどが非同盟を呼びかけバンドン会議を開いた時代とは異なり、いずれの側にも属さない中立という立場はあり得なかった。第二次世界大戦直後、それまで西欧帝国主義に蹂躙されていたアラブ諸国はその反動として民族解放運動と結びついた社会主義国家ソ連に傾倒した。しかしイスラームを深く信奉するアラブにとって無神論のソ連共産主義は水と油の関係である。彼らにとってはそれ位ならむしろ同じ一神論の西欧キリスト教国家の方が理解しやすかった。さらに民族は違っても同じイスラーム教徒(ムスリム)である中央アジアの少数民族がモスクワ中央政府によって弾圧されている現実を前にして中東の独裁者たちは次第に西側諸国に傾いていくのであった。

 ただし彼らは西欧のように政治的自由を一般市民に与える気は毛頭なかった。国の名前に共和制を冠して国民や国際社会の目をくらます一方、実態は過酷な独裁強権主義国家を築いたのである。リビアの国名がそれを象徴している。カダフィは「大リビア・アラブ社会主義ジャマヒリーヤ(直接民主主義)国」と名付けた。「アラブ」(民族)、「社会主義ジャマヒリーヤ」とこれでもかというほどの飾り文句を並べている。しかし実態は程遠い絶対的独裁国家であった。国名で比較するならこれは北朝鮮の正式国名「朝鮮・民主主義・人民・共和国」と双璧を成すものと言ってよいであろう。独裁者はとかくうわべを飾りたがるものである。

 庶民全てがそのような独裁者を冷ややかに見ているかというと実は必ずしもそうではない。それどころか拍手喝さいで独裁者の登場を迎えることも少なくない。アラブの人々は腐敗した王制国家に倦み、或いは第二次世界大戦後も打ち続く戦乱に嫌気がさしていた。そのような旧体制(アンシャンレジューム)を打破しようとする若手軍人たちの「青年将校団」に世直しを期待したのである。「青年将校団」を名乗る組織はエジプトだけではない。シリアやリビアにも生まれている。

 貧しいが故に正規の高等教育を受けられなかった優秀な若者が軍隊組織の中で最新の知識と軍事技術を身に着け、同僚や部下を惹きつけるリーダーシップも身に着けた。彼らは大衆の人気を得る手練手管に長じている。もちろん独裁者は登場した時から独裁者だった訳ではなく、トップに上り詰めた後、大衆を煽りつつ知らず知らずのうちに権力を一身に集める。

 そして独裁者は一度手にした権力は絶対に手放そうとはしない。彼を助けるのが取り巻きの側近たちである。側近は独裁者の陰で甘い汁を吸うことを覚える。ボスが居てこその特権であるから彼らはボスがいつまでもボスであり続けるように画策する。その反面彼らは独裁者の地位が儚いことを熟知しているだけに自ら独裁者になるだけの勇気はない。ともかくボスにできるだけ地位を保ってもらいたいのである。

 いずれの国にも民主主義的な憲法があり大統領の任期と多選禁止が明記されている。しかし独裁者とその側近は意図的に大衆の人気を盛り上げ、憲法を都合よく変更するのである。こうして終身大統領が生まれる。大衆が気がついた時には独裁者はもはや手の付けられない怪物に変身しているのである。

 ただいくら終身とはいえ人間の命には限りがある。老いを自覚した独裁者は後継者を物色する。しかしその頃の彼は誰一人信用できなくなっている。側近に寝首を掻かれるのではと恐れ、血のつながった兄弟すら反逆者と疑い次々と粛正する。最後に残るのは血を分けた息子たちだけである。中東の独裁者たちは別々の人生を歩みながらも不思議なことに最期は驚くほど似通っているのである。

 それでも独裁者が君臨している間はまがりなりにも平和であり、大衆はそのことに満足する。独裁者はいつの時代も大衆のポピュリズムが生み出す奇形児なのである。

(続く)

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 荒葉一也
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drecom_ocin_japan at 08:57コメント(0)トラックバック(0)中東の戦後70年  

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