2016年09月07日

見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(36)

第4章:中東の戦争と平和

 

8.ナクバの東

 イスラエルの独立を賭けた第一次中東戦争でアラブが惨敗したため、アラブ諸国ではこの戦争のことを「ナクバ(大災厄)」と呼んでいる。その最大の被害者はパレスチナに住んでいたアラブ人、すなわちパレスチナ人であった。戦争終結後の数年間で約75万人のユダヤ人が世界各地からパレスチナに流れ込んだが、それとほぼ同数のパレスチナ人が難民となって国外に押し出された。その後の中東戦争でも多数のパレスチナ難民が生まれ、難民の総数は世界全体で1千万人と言われるが、その多くは東の隣国ヨルダンに逃れたのである。ヨルダンが「ナクバの東」という訳である。

 

 しかしもともと貧しい国であるヨルダンではパレスチナ難民の暮らしは苦しく、彼らの多くはそのころ石油ブームが始まったばかりのクウェイト、サウジアラビアなどの湾岸アラブ産油国へ移住した。彼らはナクバの地パレスチナからヨルダンを経てさらに東へと移動していったのである。湾岸産油国で彼らは重宝がられた。同じアラブの同胞、共にアラビア語を話す容易な意思疎通、宗教はイスラーム、宗派も同じスンニ派。そしてサウジアラビアやクウェイトがなによりも重宝したのはパレスチナ人の学力の高さであった。

 

 湾岸諸国では外国から来る出稼ぎ者を「ゲスト・ワーカー(客人労働者)」と呼び、自らを「ホスト国」と称した。アラビア語で日常会話をし、金曜日にはモスクで一緒に礼拝するパレスチナ人出稼ぎ者は地元では最良の「ゲスト・ワーカー」だった。ただし「ゲスト(客人)」という言葉の響きに惑わされてはならない。石油の富の分け前を求めてこの国にやってくるパレスチナ人はあくまでも出稼ぎ労働者に過ぎない。だからパレスチナ人たちは冷遇される。時には自らを棚に上げてパレスチナ人を罵倒する者もいる。子供たちもそれを真似て理由もなくパレスチナの子供たちをいじめる。

 

 しかしパレスチナ人たちはじっと耐え忍ぶしかない。ここでは故郷の数倍の給料がもらえるが、身分は不安定で、雇用主の気分次第で簡単に首にされ国を追い出される。出稼ぎはまさに現代の奴隷制度である。

 

ただ出稼ぎは移民と異なることを指摘しておく必要があろう。移民は他国から移住してその国の市民権を取得した人々である。社会的差別があるにしても移民は本来の国民と同様の政治的権利を持ち、社会保障を受ける権利を有する。しかし出稼ぎ労働者にはそのような権利は与えられない。

 

パレスチナ人は明らかにクウェイトやサウジアラビアの国民よりも学問があり、経験豊かで礼儀正しかった。それでも出稼ぎという現代の奴隷制度のもとでは彼らは屈辱に耐えて働き続けるほかなかった。彼らは毎月の給料の大半をひたすら故郷に送り続けた。いずれ退職してヨルダンに帰ったときにアパートを建てて家主になるか、或いは小さな店を開いて自営業者になることが彼らの夢だったのである。

 

彼らは子供たちに大学教育をつけてやることにも熱心であった。流浪の難民が他国で生きていくためには人並み優れた知識や専門技術が必要だったからである。クウェイトで働くシャティーラ家とアル・ヤーシン家はそれぞれ教師と医師であったため、人一倍教育熱心であり、シャティーラ家では苦しい家計をやりくりして次男を米国に留学させた、サウジアラビアの石油会社で働く長男のシャティーラも給料の何がしかを弟の学費の足しにと父親に渡した。彼らは弟が米国の大学を卒業し市民権を取ってくれることを期待した。そこには万一、中東での生活が危うくなったとき、米国に移住しようという思惑もあったのである。

 

 ただ父親自身はトゥルカムに戻る希望を失っていなかった。彼には故郷の町で私塾を開き子供たちに学問を教えて余生を過ごしたいという夢があった。彼はクウェイトでの教師として定年を迎えた1970年代末にクウェイトを離れ、ヨルダンに戻った。シャティーラ家と前後してアル・ヤーシン家も娘のラニアをカイロのアメリカン大学に留学させると、それを機にヨルダンに戻った。こちらは医師の免許があるのでヨルダンに永住する覚悟を決め、パレスチナ国籍からヨルダン国籍に変更した。1970年の「黒い9月」事件以後、パレスチナの政治組織PLOはレバノンに移り、ヨルダンはフセイン国王の下で平穏な情勢であった。湾岸諸国に移住したパレスチナ人たちはいろいろな思惑を胸にヨルダンに戻ったのである。「ナクバ」の地パレスチナから東へ東へと移動したパレスチナ人は再び西へ移動し、ヨルダンでパレスチナに帰還できる日を待ちわびたのであった。

 

 (続く)

 

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       荒葉一也

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drecom_ocin_japan at 08:59コメント(0)トラックバック(0)中東の戦後70年  

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