2016年11月02日

見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(44)

第6章:現代イスラームテロの系譜

 

1.イスラームテロの萌芽

イスラームテロの問題に入る前にまずテロリズム(以下テロと略す)の定義について考えてみる。広辞苑によれば「テロリズム」とは「政治目的のために、暴力或いはその脅威に訴える傾向。また、その行為。暴力主義。」とある。テロの動機としては民族の対立、宗教の対立、イデオロギーの対立の三つに分けることができよう。これまで度々触れてきたように民族の対立は「血」の問題であり現代風に言えば「DNA」の対立ということになろう。そしてイデオロギーの対立は「智」の問題、宗教の対立は「心」の問題ということになる。

 

中東における民族の対立を起因とするテロとしてはクルド民族独立運動に絡むテロ活動があげられる。民族テロ事件は世界各地で絶えない。血=DNAが根本にあるだけに多分将来も無くならないであろう。しかし第二次大戦後に国際社会が国民国家を基本とするようになり、民族紛争は小規模で地域限定的なものになりつつある。

 

イデオロギーの対立を起因とするテロは戦後の米ソ冷戦構造のなか世界各地で頻発した。アルゼンチンに生まれたチェ・ゲバラがキューバでカストロ兄弟と共に行ったテロ活動は独裁政権に対する社会主義イデオロギーのテロであった。イデオロギーという思想のテロは智の産物であるだけに民族テロ或いは宗教テロに比べ、世界各地にの思わぬ場所に飛び火する性質がある。しかしこの種のテロは1990年のソ連の崩壊により、自由主義・資本主義が社会主義・共産主義を超克して以降、急速に下火になった。フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」はまさにそのことを言い当てている。

 

これら民族或いはイデオロギーによるテロに対して宗教に起因するテロは宗教そのものが民族の境界或いは国境を越えて浸透する特性を持っているため、民族テロよりは地域的な広がりを持つ。古く西欧の帝国主義、植民地主義の時代、キリスト教の宣教師はある意味侵略の先兵となって布教活動を行っている。宣教師たちに侵略者の意識は無かったであろうが、「神」或いは「キリスト」の名のもとに現地に根付いた宗教をキリスト教より劣ったものと扱った。それに対して地域古来の宗教が報復のテロで応じた例も少なくない。

 

宗教テロには対立する相手により三つの形態が考えられる。一つは異教徒との対立であり、二つ目は智のイデオロギーとの対立、そして三つめは同じ宗教の中の宗派対立によるものである。イスラームを一方の当事者として見ると、異教徒との対立は同じ一神教のユダヤ教、キリスト教との対立として現れる。一神教が神は唯一であるとする以上、論理的に言えばユダヤ教の「エホバ」とキリスト教の「ゴッド」、そしてイスラームの「アッラー」は同一の存在ということになる。実際イスラームではアッラーもゴッドもエホバも同じものとみなしている。しかしイスラームより古いユダヤ教及びキリスト教は旧約聖書と新約聖書としてお互いを認めるが、イスラームのアッラーは受け入れない。こうしてユダヤ教・キリスト教連合対イスラームという形で何世紀にもわたる宗教間対立を続けてきた。

 

20世紀になるとイスラームはイデオロギー()の挑戦を受ける。アッラーの絶対的存在を前提とするイスラームにとって共産主義無神論はまさに悪魔の教えでしかない。イスラームの無神論に対する拒否反応は自由主義・資本主義の洗礼を受けたキリスト教とは比べ物にならないほど大きい。共産主義が国家権力を握ったとき、イスラーム勢力はテロによって対抗する。アフガニスタン紛争がまさにそれであった。

 

そして共産主義が勢力を失ったとき新たに発生したのが宗派の対立であり、それによるテロであった。同じ宗教の間の宗派対立は「正統性」をめぐる対立である。イスラームのスンニ派とシーア派の分裂と対立は預言者ムハンマドが死んで間もない時期に発生した。スンニ派はイスラームの教えの正統性を、シーア派は預言者の血統の正統性を掲げて争った。但し両派がそれ以降も闘争を継続したわけではない。大きく見るとシーア派はペルシャ民族のイランに受け継がれ、スンニ派はアラブ民族に受け継がれた。


44Binladin
 

現代イスラームテロの萌芽はスンニ派過激派組織アル・カイダにある。アル・カイダはサウジアラビアの大富豪ビン・ラーデン一族のオサマが立ち上げたイスラーム原理主義(サラフィー主義)組織であり、当時のアフガニスタン共産主義政権に対して過激なテロ活動を繰り広げた。1989年のソ連撤退と共にアフガニスタンは地元生まれのタリバーンが政権を掌握し、外国勢力アル・カイダの指導者オサマ・ビン・ラーデンはアフガニスタンを去った。

 

オサマの目的は原理主義を他のイスラーム国家でも展開することであった。彼の目には西欧キリスト教国家の自由主義、民主主義によってイスラームの崇高な価値が蹂躙されていると映った。彼は中東・北アフリカのイスラーム諸国を駆け巡り、或いは当時普及し始めたインターネットを利用してムハンマド時代のサラフィー主義に戻れ、と大衆を扇動した。

 

アル・カイダは細胞分裂してイスラーム圏に広まり、各国にアル・カイダを名乗り、或いはその流れを汲むと自称する反政府テロ組織が次々と生まれた。ざっとその名をあげれば、「アラビア半島のアル・カイダ」、「イラクの聖戦アル・カイダ」、インドネシアの「ジャマ・イスラミア」、フィリピンの「アブ・サヤフ」など枚挙にいとまがない。さらには一匹狼的なテロリストが犯行声明でアル・カイダの同調者を名乗るなど「アル・カイダ」はまるでイスラームテロの有名ブランドの様相を呈し創設者のオサマ・ビン・ラーデンは一部民衆から英雄扱いを受けたのであった。

 

(続く)

 

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       荒葉一也

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drecom_ocin_japan at 14:29コメント(0)トラックバック(0)中東の戦後70年  

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