2016年11月09日

見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(45)

第6章:現代イスラームテロの系譜

 

2.やすやすと国境を越えるイスラーム・テロ

テロリズム(以下テロと略す)の定義である「政治目的のために、暴力或いはその脅威に訴える傾向」(広辞苑)に従えば、イスラーム・テロという宗教に依拠したテロにも政治目的があることになる。イスラーム・テロの政治目的とは何であろうか。イスラーム・テロの標的の多くは彼らが背教者とみなす世俗政権であり、その政権を転覆することが目的となる。1979年のイラン・イスラーム革命がそれである。典型的な世俗強権政権であったシャー・パハレビー国王体制に歯向かったシーア派のイスラーム革命で多くのテロ活動を経てホメイニ政権が成立した。ホメイニ師は「ベラヤット・ファギー」と呼ばれる法学者による宗教と政治を一体化した体制を樹立した。政権を握ったホメイニ師は次にアラブ世界に住むシーア派ムスリムたちに蜂起を呼びかけた。「ベラヤット・ファギー」とはマフディ(救世主)がこの世に現れるまでは法学者がイスラームの体制を指導するというものである。

 

45カーバ神殿
 イラン革命に呼応してサウジアラビアではマフディ(救世主)を名乗る人物によるマッカ大神殿占拠事件が発生した。サウジアラビアのファハド国王はテロを力づくで抑えつけたが、この事件で宗教の怖さを再認識し政教一致国家のイランを敵視するようになる。その一方でサウド家の宗教的立場を正統化するため、彼は1986年に自らを「マッカ・マディナの二大聖都の守護者」と名乗るようになる。サウド家自身はあくまで世俗権力である。国王のほかに聖都の守護者というもっともらしい称号を付け加えて宗教的な権威づけを行ったのである。

 

ホメイニ師の呼びかけに応えレバノンではシーア派組織ヒズボラが立ち上がった。ヒズボラはこれまでのイスラエルに対するテロ活動に加え米国人特に軍属に対するテロ活動を活発化させた。彼らにとってはイスラエルも米国も同じ穴の狢(むじな)である。1983年、ベイルート駐留の米軍海兵隊本部に爆弾テロ攻撃を敢行、米兵241名が死傷した。

 

エジプトでもイスラエルとの単独和平に踏み切ったエジプト・サダト大統領に対する反感が宗教意識に火をつけ、大統領はジハード団に属する身内の将校に暗殺された。さらにスンニ派によるテロ活動はアフガニスタンで名をはせたオサマ・ビン・ラーデン率いるアル・カイダが中東全域で活動を活発化させた。アル・カイダはイエメンのアデンで米兵を狙った爆弾テロを実行、オーストリア人観光客が犠牲になった(1992年)

 

アル・カイダのテロの標的は米国であり、それは1993年の米本土ニューヨークにおける世界貿易センタービル爆破事件につながる(2001年の9.11同時多発テロの前兆とも言えるテロ事件)。このようにイスラーム・テロはイラン或いはアフガニスタンを震源地として前者はシーア派テロ、後者はスンニ派テロとして中東から北アフリカに広がり、さらに大西洋を越えて米国に広がっていったのである。

 

宗教という「心」の問題に絡むイスラーム・テロには人為的な国境、或いは地理的な五大陸といった制約は意味を持たない。そしてインターネットという高度な情報社会の中では「心」が伝播する広がりとスピードは計り知れない。1990年代はイスラーム・テロが世界に拡散する大きな端緒となった時代であった。国や地域を問わず国境をたやすく越えるのが宗教テロの特徴である。

 

(続く)

 

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       荒葉一也

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