2018年02月06日

混迷深まるサウジアラビア(その3):暗転するサウジ外交(2)

(注)本シリーズはブログ「OCIN Initiative」で一括してご覧いただけます。
http://ocininitiative.maeda1.jp/0434Ksa2018-3ForeignPolicy.pdf

2018.2.6

荒葉一也

Areha_Kazuya@jcom.home.ne.jp

 

20176月:カタールと断交、GCC解体へ[1]

GCC-logo

 6月初め、サウジアラビアはUAE、バハレーン及びエジプトを巻き込んでカタールと断交した[2]
。カタールがシリア、イラク、レバノンあるいはイエメンのシーア派勢力をひそかに支援しているというのがその理由である。カタールを含めGCC各国はいずれもスンニ派の君主制国家である。しかしバハレーンはシーア派住民が国民の多数を占め、サウジも東部油田地帯に少なからぬシーア派を抱えている。サウジアラビアのサウド王家、バハレーンのハリーファ王家はシーア派住民とその背後で糸を引く(と彼らが主張する)イランの動向に神経をとがらせているのである。

 

 その中で同じペルシャ(アラビア)湾岸にありながらカタールは宗派対立とは無縁である。さらに前ハマド首長(現首長の父親で現在は国父の称号を有する)と王妃(即ち現首長の母親)は西欧化即ち近代化ととらえ、アル・ジャジーラTV開設など他のGCC統治者とは一味違う政策を推進した。同国はエジプトのイスラム同胞団宗教指導者の亡命を受け入れ、あるいはアル・ジャジーラTVがサウジアラビアの体制を批判するなど地域の強権的なイスラム政権にとって目障りな存在であった。

 

 その結果、サウジアラビアはエジプト、UAE及びバハレーンを巻き込んでカタールと断交したのである。食料品など生活用品の多くをサウジ、UAEに頼っていたカタールは陸路、空路及び海路の全てを封鎖されて大きな困難に直面した。サウジアラビアはカタールがすぐに音を上げると高をくくっていた節がある。無理難題を突き付けてカタールが膝を屈して許しを請うのを待ち受けたのである。しかし金に困らないカタールはトルコ、インドさらにはGCCの宿敵であるイランまで補給ルートを広げ急場をしのいでいる。7か月経った今も問題解決の兆しは見えない。

 

 ムハンマド皇太子は断交当初、米国のトランプ大統領がまずサウジ側に理解を示したことですっかりいい気になった。しかしその後トランプ大統領はカタール側にも同じようなリップ・サービスを与えており、またヨーロッパ諸国やロシア、中国などは所詮GCC内部の内輪もめと静観している。サウジ側は振り上げたこぶしを下ろすこともできず、12月のGCCサミットには国王、皇太子のいずれも顔を出さずテクノクラートの外務大臣でお茶を濁す始末である。アブダッラー前国王の時代にもサウジアラビアと他のGCC加盟国が対立することはあった。しかしアブダッラーの寛容な姿勢で事態がこじれる前に解決していた。しかしサルマン国王とムハンマド皇太子の時代になるとサルマンの慇懃無礼な姿勢とムハンマドの向こう見ずな対応が自ら外交の袋小路を招いているように見える。

 

20179月:シリア、イラクの拠点陥落でIS(イスラム国)崩壊

IslamicState

 イスラム国(IS)が猛威を奮っていた間、中東では敵味方の立場をひとまず棚上げしてIS打倒のために呉越同舟、大同団結し、ロシアを含む欧米諸国もそれぞれの思惑で各国政府あるいは反政府組織を支援した。

 

 シリア領内における対IS戦線は複雑多岐を極めた。シーア派の中の少数派であるアラウィ派アサド政権は同じシーア派のイランの支援を受けた。そしてロシアもシリア国内にある中東唯一の海軍・空軍基地を保持するためにアサド政権を支えた。米国はアサド政権の退陣を求めるクルド勢力を含む反政府勢力に肩入れした。サウジアラビアもその一翼であった。とは言え反政府勢力はアサド退陣を旗印にした同床異夢の集団に過ぎない。イスラム国(IS)誕生の母体となりその後袂を分たったアルカイダ系のヌスラ戦線、民族独立を求めるクルド勢力などISに対抗できる軍事勢力を持つ勢力の他に民主勢力もある。トルコは自国内のクルド独立運動への波及を恐れてクルド勢力を警戒したのに対し、伝統的に民主主義と民族独立に理解と同情を示す米国や欧米諸国は民主勢力及びクルド勢力を後押しした。

 

 このような中でサウジアラビアは反政府勢力を支援したのであるが、それはあくまでイスラム過激思想のISから自国を守るために過ぎない。アルカイダの流れを汲むヌスラ戦線は受け入れがたく、また人権や開かれた議会制などサウド家絶対君主制になじまない民主勢力の主張を苦々しく思っている。それでもサウジが反政府勢力を支持したのは、米国と共同歩調を取ることこそ自国の最大の安全保障だったからである。

 

 2017年に入り呉越同舟・同床異夢の勢力が共通の敵IS(イスラム国)をほぼ打倒した。しかし当然のことながらIS後のシリア和平について異なる夢がぶつかり合うことになる。当面イニシアティブを握ったのはアサド政権とそれを支えたロシア及びイランである。米国はと言えば支持していたクルド勢力がトルコ、イラクなどの現政権と対立し、民主勢力は口先ばかりで実力が伴わない状況であり米国の代理人が見当たらない。

 

この状況ではサウジの出る幕は全く無いと言って良い。和平交渉の国際外交の舞台でサウジは端役すら演じられないのである。

 

(続く)



[1] サウジ・カタール断交の経緯及び現状については以下のレポート参照。

20177月「カタールGCC離脱の可能性も」

http://mylibrary.maeda1.jp/0416GccDispute2017July.pdf  

201712月「いよいよGCC解体か?首脳会議を振り返って」

http://mylibrary.maeda1.jp/0429GccSummitDec2017.pdf 

[2]Bahrain, KSA, Egypt and UAE cut diplomatic ties with Qatar” on 2017/6/5, Arab News

http://www.arabnews.com/node/1110366/middle-east



drecom_ocin_japan at 09:29コメント(0)荒葉一也シリーズ  

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