荒葉一也シリーズ

2018年02月13日

 

2018.2.13

荒葉一也

Areha_Kazuya@jcom.home.ne.jp

 

201711月:レバノン、ハリリ首相の辞意撤回騒動

 3-1Lebanon
レバノンは人口約600万人の小国であるが、「宗教のモザイク国家」と言われるほど多数の宗教宗派が混在している。イスラームのシーア派、スンニ派、ドルーズ派を始め、キリスト教ではマロン派、ギリシャ正教、ローマ・カトリック、アルメニア正教などがあり、全体では18宗派で構成されている[1]
。政治的安定を確保するためレバノンは建国以来、大統領はマロン派、首相はスンニ派、国会議長はシーア派と決められている。現在の大統領はミシェル・アウン、首相はサアド・ハリリである。因みにサアド・ハリリの父親ラフィーク・ハリリもかつてレバノン首相を務めたが、退任後の2005年に爆殺されている。以来、親イランのシーア派ヒズボラと親サウジのスンニ派との対立が激しくなり、レバノンの国内紛争はイランとサウジアラビアの代理戦争の様相を呈している。(後述するイエメンでも親イランのフーシ派と親サウジのスンニ派ハディ政権によるイランとサウジの代理戦争という同じ図式による泥沼の内戦が続いている。)

 

 サアド・ハリリは父親の遺志を継いで2005年末に首相に選ばれたが、2011年にラフィーク暗殺の原因究明を巡り親シリア派の野党閣僚が辞任するとハリリ内閣は瓦解、その後大統領職もその後任を巡って紛糾し国政は混乱した。2016年にようやく新大統領が決定、憲法規定に則り同年11月に挙国一致のサアド・ハリリ内閣が成立した。ハリリ首相は複雑なパワー・バランスの中で微妙なかじ取りを強いられているが、彼を陰に陽に支えたのがスンニ派の盟主サウジアラビアなのである。

 

 実はサアド・ハリリはサウジアラビアのリヤドで生まれ育ち、レバノンとサウジの二重国籍を有し、父親ラフィークはサウジでビン・ラーデンと並ぶ大手ゼネコンSaudi Oer社の創業者であり、したがってサウド家王族とも極めて親密な関係を持っている。中でも大富豪アルワリード王子は、母方の祖父が初代レバノン首相であり、同国にも事業の拠点を置いているため、ハリリ家とは特に親しい。ラフィークの葬儀には当時のアブダッラー国王とアルワリードの父親タラール王子が参列したほどである。

 

 首相就任以来親イランのヒズボラなどシーア派国会勢力との政争で綱渡り的な政権運営を強いられていたハリリ首相は昨年12月サウジアラビアを訪問、国王、皇太子と善後策を協議した。この時、ハリリは突然首相辞任を表明して世界を驚かせた[2]。ところがハリリはその後レバノンに帰国すると今度は辞意を撤回してもう一度世界を驚かせたのである。

 

 ハリリはリヤドでの辞意表明は国民に対するショック療法であると説明したが、背後にサルマン国王とムハンマド皇太子の圧力があったとの見方が強い。ハリリは帰国後大統領の強い慰留で辞意を撤回したのであるが、結局この猿芝居を演出したサウジの国王と皇太子は世間の冷笑を浴びたのである。援助をちらつかせて小国レバノンを自らの意向に従わせようとしたサウジ外交の失敗であった。

 

201712月:イエメン、サーレハ前大統領暗殺

3-2Yemen
 12月初めイエメンのサーレハ前大統領がフーシ派武装組織によって暗殺された[3]
。サーレハとフーシ派は欧米諸国及びサウジアラビアが正統と認めるハディ暫定政権に対抗する反政府組織として共闘、イエメンの首都サナアを占領し、暫定政権をアデンに追いやった一大勢力である。サーレハは仲間割れによってフーシから命を奪われたわけであるが、実はサーレハがサウジアラビアと密通し寝返ろうとしたためフーシ派から裏切り者として暗殺されたというのが真相のようである。

 

 しかしサーレハとサウジアラビアの関係は一筋縄では済まない複雑な関係である。それは2011年の「アラブの春」にさかのぼる。当時サーレハは北イエメン時代を含めすでに34年間もイエメンの大統領であった。しかし2011年、チュニジアで始まった民主化の嵐はリビア、エジプトからイエメンまで波及、2012年前半の度重なるデモで騒然とする中、6月にはついに反政府組織による大統領府攻撃によりサーレハは負傷、治療のためサウジの首都リヤドに向かった。事実上の亡命である。

 

 サーレハはリヤドでサウジ政府から因果を含められ大統領職を当時副大統領のハディに譲ったのである。サウジ外交の勝利としてイエメンはスンニ派による民主国家に変身するはずであった。しかし本来部族社会であるイエメンで国内に有力な後ろ盾を持たないハディは弱体であり、足元を見たシーア派のフーシ派部族が挙兵した。そして傷が癒えて帰国したサーレハは自分を支持する部隊を引き連れ何とフーシ派と共闘、ハディの追い落としを図ったのである。サウジ政府にとってはサーレハに恩をあだで返されたようなものである。

 

フーシ派のバックにイランがいたことは言うまでもない。首都のサナアはフーシ派とサーレハ部隊によって陥落、ハディ政権は南部の国内第二の都市アデンに撤退、ハディ暫定大統領はサウジのリヤドに難を逃れ、現在もそこから指揮を執っているほどである。しかしアデン臨時政府は寄り合い所帯でありサナア奪還どころか暫定政府に抵抗する南部の独立勢力に押され、このままではかつてのようにイエメンが南北に分断されかねない状況である。

 

サウジ政府にとってイエメンを分断させずにスンニ派国家として存続させるためには、ハディは頼りにならず、イランに支援されたフーシ派を打ち破るにはサーレハに寝返りを働きかけるほかないと考えたのであろうか。しかしそのサーレハは暗殺され、イエメンの将来は混とんとしたままである。ただサーレハが暫定政府側につけば彼が早晩実権を握り再び独裁国家が生まれるであろうことも想像に難くない。

 

サルマン国王及びムハンマド皇太子のサウジ外交の無為無策ぶり、あるいはシーア派イラン憎しの怨念が支配する限り同国の外交は地域の混乱を深めるだけかもしれない。

 

(続く)



[1] 外務省:レバノン共和国基礎データより。

www.mofa.go.jp/mofaj/area/lebanon/data.html 

[2] “Hariri revokes resignation after consensus deal” on 2017/12/5Arab News

http://www.arabnews.com/node/1204091/middle-east

[3]Yemen's Ali Abdullah Saleh assassinated by Al Houthi militia‘ on 2017/12/4, Gulf News

http://gulfnews.com/news/gulf/yemen/yemen-s-ali-abdullah-saleh-assassinated-by-al-houthi-militia-1.2135006



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2018年02月06日

 

2018.2.6

荒葉一也

Areha_Kazuya@jcom.home.ne.jp

 

20176月:カタールと断交、GCC解体へ[1]

GCC-logo

 6月初め、サウジアラビアはUAE、バハレーン及びエジプトを巻き込んでカタールと断交した[2]
。カタールがシリア、イラク、レバノンあるいはイエメンのシーア派勢力をひそかに支援しているというのがその理由である。カタールを含めGCC各国はいずれもスンニ派の君主制国家である。しかしバハレーンはシーア派住民が国民の多数を占め、サウジも東部油田地帯に少なからぬシーア派を抱えている。サウジアラビアのサウド王家、バハレーンのハリーファ王家はシーア派住民とその背後で糸を引く(と彼らが主張する)イランの動向に神経をとがらせているのである。

 

 その中で同じペルシャ(アラビア)湾岸にありながらカタールは宗派対立とは無縁である。さらに前ハマド首長(現首長の父親で現在は国父の称号を有する)と王妃(即ち現首長の母親)は西欧化即ち近代化ととらえ、アル・ジャジーラTV開設など他のGCC統治者とは一味違う政策を推進した。同国はエジプトのイスラム同胞団宗教指導者の亡命を受け入れ、あるいはアル・ジャジーラTVがサウジアラビアの体制を批判するなど地域の強権的なイスラム政権にとって目障りな存在であった。

 

 その結果、サウジアラビアはエジプト、UAE及びバハレーンを巻き込んでカタールと断交したのである。食料品など生活用品の多くをサウジ、UAEに頼っていたカタールは陸路、空路及び海路の全てを封鎖されて大きな困難に直面した。サウジアラビアはカタールがすぐに音を上げると高をくくっていた節がある。無理難題を突き付けてカタールが膝を屈して許しを請うのを待ち受けたのである。しかし金に困らないカタールはトルコ、インドさらにはGCCの宿敵であるイランまで補給ルートを広げ急場をしのいでいる。7か月経った今も問題解決の兆しは見えない。

 

 ムハンマド皇太子は断交当初、米国のトランプ大統領がまずサウジ側に理解を示したことですっかりいい気になった。しかしその後トランプ大統領はカタール側にも同じようなリップ・サービスを与えており、またヨーロッパ諸国やロシア、中国などは所詮GCC内部の内輪もめと静観している。サウジ側は振り上げたこぶしを下ろすこともできず、12月のGCCサミットには国王、皇太子のいずれも顔を出さずテクノクラートの外務大臣でお茶を濁す始末である。アブダッラー前国王の時代にもサウジアラビアと他のGCC加盟国が対立することはあった。しかしアブダッラーの寛容な姿勢で事態がこじれる前に解決していた。しかしサルマン国王とムハンマド皇太子の時代になるとサルマンの慇懃無礼な姿勢とムハンマドの向こう見ずな対応が自ら外交の袋小路を招いているように見える。

 

20179月:シリア、イラクの拠点陥落でIS(イスラム国)崩壊

IslamicState

 イスラム国(IS)が猛威を奮っていた間、中東では敵味方の立場をひとまず棚上げしてIS打倒のために呉越同舟、大同団結し、ロシアを含む欧米諸国もそれぞれの思惑で各国政府あるいは反政府組織を支援した。

 

 シリア領内における対IS戦線は複雑多岐を極めた。シーア派の中の少数派であるアラウィ派アサド政権は同じシーア派のイランの支援を受けた。そしてロシアもシリア国内にある中東唯一の海軍・空軍基地を保持するためにアサド政権を支えた。米国はアサド政権の退陣を求めるクルド勢力を含む反政府勢力に肩入れした。サウジアラビアもその一翼であった。とは言え反政府勢力はアサド退陣を旗印にした同床異夢の集団に過ぎない。イスラム国(IS)誕生の母体となりその後袂を分たったアルカイダ系のヌスラ戦線、民族独立を求めるクルド勢力などISに対抗できる軍事勢力を持つ勢力の他に民主勢力もある。トルコは自国内のクルド独立運動への波及を恐れてクルド勢力を警戒したのに対し、伝統的に民主主義と民族独立に理解と同情を示す米国や欧米諸国は民主勢力及びクルド勢力を後押しした。

 

 このような中でサウジアラビアは反政府勢力を支援したのであるが、それはあくまでイスラム過激思想のISから自国を守るために過ぎない。アルカイダの流れを汲むヌスラ戦線は受け入れがたく、また人権や開かれた議会制などサウド家絶対君主制になじまない民主勢力の主張を苦々しく思っている。それでもサウジが反政府勢力を支持したのは、米国と共同歩調を取ることこそ自国の最大の安全保障だったからである。

 

 2017年に入り呉越同舟・同床異夢の勢力が共通の敵IS(イスラム国)をほぼ打倒した。しかし当然のことながらIS後のシリア和平について異なる夢がぶつかり合うことになる。当面イニシアティブを握ったのはアサド政権とそれを支えたロシア及びイランである。米国はと言えば支持していたクルド勢力がトルコ、イラクなどの現政権と対立し、民主勢力は口先ばかりで実力が伴わない状況であり米国の代理人が見当たらない。

 

この状況ではサウジの出る幕は全く無いと言って良い。和平交渉の国際外交の舞台でサウジは端役すら演じられないのである。

 

(続く)



[1] サウジ・カタール断交の経緯及び現状については以下のレポート参照。

20177月「カタールGCC離脱の可能性も」

http://mylibrary.maeda1.jp/0416GccDispute2017July.pdf  

201712月「いよいよGCC解体か?首脳会議を振り返って」

http://mylibrary.maeda1.jp/0429GccSummitDec2017.pdf 

[2]Bahrain, KSA, Egypt and UAE cut diplomatic ties with Qatar” on 2017/6/5, Arab News

http://www.arabnews.com/node/1110366/middle-east



drecom_ocin_japan at 09:29コメント(0) 

2018年02月01日

 

2018.2.1

荒葉一也

Areha_Kazuya@jcom.home.ne.jp

 

ジェットコースターのようなサウジ外交
KSA

サウジアラビアの外交が変調をきたしている。トランプ大統領が最初の外国訪問先にサウジアラビアを選んだ時、サルマン国王及びムハンマド皇太子は得意の絶頂であった。IS(イスラム国)あるいはイランとの闘いを錦の御旗に、さらにトランプ大統領の支持発言をバックにサウジアラビアは地域の紛争で主導権を握り、トルコ、エジプトを押しのけてアラブの盟主の地位を狙った。

 

スンニ派の盟主を自認するサウジアラビアはシーア派の旗頭イランとの対決姿勢を強め、シリア内戦でアサド政権の退陣を求めて反体制派を支援した。あるいはイエメンではハディ暫定政権の後ろ盾となって空爆作戦を行い、イランをバックに優勢を伝えられるフーシ派反政府勢力と泥沼の戦いを続けている。そして今度はあろうことか堅い同盟関係をはぐくんできた湾岸君主制国家6カ国GCCのリーダーであるサウジアラビア自らが同盟国カタールと断交したのである。それが昨年前半までのサウジアラビアの華々しい外交政策であった。

 

ところが昨年下期以降一転してサウジ外交の歯車が狂い始めた。IS(イスラム国)崩壊後のレバント地域の主導権はロシアとトルコと彼らに支持されたアサド政権の手にわたりサウジアラビアは完全に蚊帳の外である。イエメン内戦は先行きが見えず最近ではむしろ首都リヤドに向けたフーシ派のミサイル攻撃にさらされるありさまである。またカタールとの紛争もカタールがイランやトルコに接近するなどGCCそのものが崩壊の瀬戸際にある。そのような中で米国のトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認め、大使館を移転すると宣言した。米国と二人三脚のつもりでいたサウジ政府も今度ばかりは追従するわけにはいかない。かと言って米国を正面から非難する勇気もなく、奥歯にものの挟まったような言いぶりに終始している。

 

このようなサウジ外交を見てサウジの外交能力に疑問を抱いたのは周辺諸国のみならずヨーロッパ・アジアの大半の国であろう。多分米国ですらサウジ外交の底の浅さにあきれているのではないだろうか。今やサウジアラビア外交が先の見えない八方ふさがりの状況にあることは誰の目にも明らかである。サウジ外交の誤算の原因の多くはムハンマド皇太子の場当たり的な外交方針と分不相応な大国意識にあることは間違いない。

 

昨年1月以降のサウジアラビアの外交活動についてムハンマド皇太子の動きを交えて時系列的に俯瞰するとほぼ以下のような状況である。

 

20175月:トランプ大統領の初外遊先に選ばれ得意の絶頂

 昨年5月、トランプ米国大統領が就任後初の外遊先としてサウジアラビアを訪問したことに世界は驚いた[1]。サウジ政府はイランを除く主要なイスラム国の首脳を首都リヤドに招き米国大統領との会議を開き、大いに面目を施した。サルマン国王とトランプ大統領は共同宣言でテロとの闘いをうたい、イランをその元凶と厳しく批判した。同時にサウジは戦闘機を含む米国の兵器数千億ドルの購入契約を結びビジネス・ファーストのトランプ大統領への手土産とした[2]

 ムハンマド皇太子は3月に米国を訪問、トランプの娘婿クシュナー大統領上級顧問と緊密な連携を図りこの日に備えたのである[3]。クシュナーはユダヤ教徒でありスンニ派イスラムの盟主を任じるサウジアラビアとしてはかなり向こう見ずな外交とも映るがムハンマド皇太子は何のてらいもなかったようで、得意の絶頂で自らの力を誇示したのである。前任のオバマ大統領が民主主義と人権外交をかかげ脱中東政策を実行した時、米国とサウジアラビアの関係は最悪となり、ムハンマドはロシアのプーチン大統領や仏大統領に近付いたが[4]、今やサウジアラビアはトランプ大統領との親密な関係を印象付けることで中東地域外交のイニシアティブをとったつもりでいた。

 

 しかしその後のサウジ外交は暗転する。

 

(続く)



[1]‘A new page’ as US President Donald Trump lands in Saudi Arabia” on 2017/5/20, Arab News

http://www.arabnews.com/node/1102136/saudi-arabia

[2]US says nearly $110 billion worth of military deals inked with Kingdom” on 2017/5/21, Arab News http://www.arabnews.com/node/1102646/saudi-arabia

[3]Trump, Deputy Crown Prince call for intensifying efforts to fight terror” on 2017/3/15, Saudi Gazette

http://saudigazette.com.sa/world/americas/trump-deputy-crown-prince-call-intensifying-efforts-fight-terror/

[4]Royal visit to give a fillip to Riyadh-Paris relations” on 2015/6/24, Arab News



drecom_ocin_japan at 13:44コメント(0) 

2017年07月23日

(注)本レポート(1)~(3)は「マイライブラリー(前田高行論稿集)」で一括してお読みいただけます。
http://mylibrary.maeda1.jp/0416GccDispute2017July.pdf

 

2017.7.23

荒葉一也

 

3.ジレンマの米国:武器は売りたし、基地は借り続けたしTrumph

 カタールに断交を突きつけたサウジアラビア、UAE、エジプト及びバハレーン4か国、いわゆる「対テロ4か国同盟」(Anti-Terror Quartet、略称ATQ)は、622日、カタールに13か条の要求を突きつけ、その回答期限を10日間とした。アルジャジーラ放送局の閉鎖、トルコ駐留軍の撤退などを求めた強硬な要求に対してカタール側は「拒否する以外に選択肢のない要求である」と強く反発した。

 

 同じGCCの一員であるクウェイトが仲介役として乗り出しサバーハ首長はリヤドとドーハの間でシャトル外交を繰り返している。しかし諸外国にとっては所詮GCC君主制国家の内輪喧嘩であり、当事者同士で話し合い解決するのがベストと見ている。先進国の中では最も利害関係が深い米国のホワイトハウスも当初は「Family issue (家庭の問題)」と突き放した姿勢であった[1]

 

しかし問題解決の糸口を見い出せないままATQ4か国とカタールは互いを非難し、自らの正当性を主張するPR合戦の様相を呈している。これ以上事態がエスカレートし、万一ペルシャ(アラビア)湾からの石油或いは天然ガスの供給に問題が生じれば日本、中国、インドを含むアジア各国は大きな影響を受けることは間違いない。日本の場合、サウジアラビア、UAEに石油を、またカタールに天然ガスを頼っているため、どちらか一方の肩を持つ訳にはいかない。日本自身が調停に乗り出す可能性もないではないが、世界的に石油・天然ガスは余っており中東以外からも買い付けやすい状況を考えれば、ここは下手に調停役を買って出た挙句どちらか一方から恨みを買うという最悪のリスクを考えれば静観するのが得策であろう。

 

ところが米国のトランプ政権はこのまま「Family issue(家庭の問題)」として静観ばかりしていられないようである。エネルギー需給の面だけで見ればシェール・オイル及びシェールガスの増産により米国はエネルギーの自給率を高めており、サウジアラビア・UAEの石油或いはカタールの天然ガスは米国にとって大きな問題ではない。

 

それでは米国にとってこれら湾岸の国々に対する死活的利益が何かと言えばそれは「軍事的利益」なのである。わかりやすく言えばそれはサウジアラビア(及びUAE)にもっと多くの武器を売りつけることであり、一方カタールに対してはウデイド空軍基地を、またバハレーンに対しては海軍基地を引き続き利用できることなのである。

 

 トランプ政権にとって武器の輸出拡大は国内産業を活性化し雇用を確保することにつながり選挙公約を実現する手段となる。そしてペルシャ(アラビア)湾に自国の空軍基地、海軍基地を維持することはイラン、トルコ或いはロシアににらみを利かせイスラエルを支えるという「偉大な米国」或いは「アメリカ・ファースト」政策にピッタリなのである。付け加えて言うなら民主党政権を破り共和党政権を樹立したトランプは中東から太平洋に軸足を移そうとしたオバマの足跡を消し去ることで自己の存在感を高めようとしていると考えられなくもない。

 

 彼の中東外交はさしあたり成功しているようである。オバマ時代に最悪になった米国とサウジアラビアの関係は劇的に改善し、サウジアラビアを最初の外国訪問地に選んだトランプ大統領はサルマン国王から大歓迎を受け1,100億ドルと言われる巨額の武器契約を取り付けたのである[2]。そしてカタールのウデイド空軍基地はイスラム国(IS)の偵察基地、攻撃発進基地として成果を上げている。これはシリア・アサド政権と結託し中東でのプレゼンスを高めていたロシアを抑え込む効果も発揮している。

 

 米国ではティラーセン国務長官が紛争の調停に当たった。因みにティラーセンは国務長官就任前は国際石油企業ExxonMobilのCEOであった。ExxonMobilはサウジアラムコ創設時のメンバーであり、現在もサウジアラビアと深いつながりがある。同時にExxonMobilはカタールの天然ガス事業にも合弁事業として参加している。このためティラーセンはCEO時代に頻繁にサウジアラビアとカタールを訪問しておりそれぞれの事情に精通した第一人者である。

 

 しかし外交問題の責任者としての国務長官とこれまでの民間企業CEOとではかなり勝手が違ったようである。ティラーセンはサウジアラビアとカタールそして仲介役のクウェイトを精力的に駆け巡るシャトル外交を展開したが思うような結果は出なかった[3]

 

 最近の報道ではクウェイトの調停が実を結んだのであろうか、UAEからは態度軟化のシグナルが出ている。そして28日にはカタールのタミーム首長が外交関係修復のための協議に応じるとテレビで演説した[4]。彼が一連の問題について発言するのは6月初めの国交断絶以来1か月半ぶりのことである。4か国とカタールが一刻も早く無益な対立を解消することを願うばかりである。

 

以上

 

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

       荒葉一也

       E-mail; areha_kazuya@jcom.home.ne.jp

       携帯; 090-9157-3642



[1] Demands presented unreasonable: Doha

2017/6/25 Arab Times

http://www.arabtimesonline.com/news/demands-presented-unreasonable-doha/

[2] US says nearly $110 billion worth of military deals inked with Kingdom

2017/5/21 Arab News

http://www.arabnews.com/node/1102646/saudi-arabia

[3] No light seen at the end of Qatar tunnel

2017/7/13Saudi Gazette

http://saudigazette.com.sa/article/512813/SAUDI-ARABIA/Rex-Tillerson

[4] Emir says Qatar ready to talk but "sovereignty must be respected"

2017/7/21 The Peninsula

http://www.thepeninsulaqatar.com/article/21/07/2017/Emir-says-Qatar-ready-to-talk-but-sovereignty-must-be-respected



drecom_ocin_japan at 11:15コメント(0) 

2017年06月05日

(注)本レポート1~5は「マイライブラリー(前田高行論稿集)」で一括してご覧いただけます。
 
http://mylibrary.maeda1.jp/0412TrumpME2017.pdf
 

2017.6.5

荒葉一也

 

3.聖地巡礼を続けるトランプ大統領:エルサレムの「嘆きの壁」で何を祈る?

 トランプ大統領がイスラームの聖地マッカとマディナを擁するサウジアラビアの次に訪れたのはイスラエルである。ここは世界のユダヤ教徒のホームランドであるとともに、キリスト生誕の地であり、さらにイスラーム教徒にとってマッカ及びマディナに次ぐ第三の聖地でもある。特にエルサレムの旧市街、かつてのユダヤ教の神殿の丘にはユダヤ教徒が敬虔な祈りを捧げる「嘆きの壁」があり、丘の上にはイスラームの岩のドームとアル・アクサ・モスクがそびえている。ここは西暦7世紀までローマ帝国によりキリスト教の聖地とされ、7世紀以降イスラームの興隆と共に十字軍とアラブ人が争奪を繰り返した末、12世紀にはトルコ人のイスラーム帝国(オスマン・トルコ)が支配下におさめた。そして第二次大戦後にユダヤ人がイスラエルを建国して今日に至っている。

 

イスラエル建国の結果、父祖伝来の地パレスチナに住み続けていたアラブ人、即ちパレスチナ人の多くが近隣の国に逃れて難民としての過酷な生活を余儀なくされた。先祖の地にとどまった者たちも新しい支配者ユダヤ人入植者のもとで二級市民の扱いを受け続けている。彼らは独立国家の樹立を夢見てイスラエル・パレスチナ二国家共存を訴え続けている。二国家共存論は国連決議として国際世論の支持を得ているものの、世界最強の米国がイスラエルを全面的に支持し、国際世論の声に耳を傾けないことが最大の難問なのである。

 

 それでも平和と平等を標榜するオバマ前政権の時代にはパレスチナに対する一定の理解があった。しかしオバマからトランプへ、民主党から共和党への政権移行により一気に風向きが変わった。その背景にあるのはシリアにおけるイスラーム国(IS)の台頭、それによる大量の難民のヨーロッパ流入及び世界各国で発生したイスラームテロ事件であった。米国ではイスラーム・アラブ諸国に対する嫌悪感が一気に蔓延し、テロの封じ込め、治安の維持が失業問題と並んで大統領選挙の争点になった。911同時多発テロの記憶が未だ消えやらぬ米国民の脳裏にテロ即ちイスラーム原理主義、震源地は中東という図式が刷り込まれた。パレスチナ問題は中東全体の問題の一つにされてしまった。

 

「パレスチナが独立すれば彼らは過激なテロ国家に変身する恐れがある。それは米国が何としても守るべきユダヤ人の国イスラエルを危険に晒すことであり、絶対に容認できない」ということになる。トランプ大統領はイスラエル訪問を前に二国家共存論に対してオールタナティブ(代案)もあり得ると示唆し、また米国大使館のエルサレム移転実現を約束した。大使館の移転は1995年に米国議会で決議されているが、歴代大統領は国際的な影響を考慮して実現を先送りしてきたものである。トランプ大統領はそれを選挙公約に掲げた。

 

嘆きの壁
 5月22日、トランプ大統領はイスラエルを訪問、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」を訪れた。この時、大統領はネタニヤフ首相が同行することを拒んだ。米国大統領とイスラエル首相が並んで嘆きの壁に手を触れている姿がメディアに流れるとイスラーム国家はこれを見逃すことができない。シーア派イランがここぞとばかり宣伝材料に使うことが目に見えている。スンニ派の盟主を任ずるサウジアラビアも折角溝を埋めたばかりの米国を非難せざるを得ない。取引(ディール)を得意とするトランプ大統領は、ユダヤ教の聖地をネタニヤフと一緒に訪れることが誰の得にもならないと考えたに違いない。

 

 この後、大統領はネタニヤフ首相と会談したが、外部に公表された内容に過激なものは無かった。イスラエル・パレスチナ二国家共存及び大使館のエルサレム移転のいずれについても明確な姿勢を示さず、さらにイスラエルの入植地拡大に抑制を求めることもしなかったのである。しかしこれらは外部に公表された事実だけであり、実際の会談内容とは異なる可能性は高い。両国首脳としては極めて友好的な雰囲気の中で会談を行ったということを世界に印象付けることが最大の目的だったと考えられる。

 

 ネタニヤフ首相にとってはトランプ大統領の力強い言葉さえあれば十分であり、大使館移転のようなギラギラした問題はむしろ有難迷惑であり、入植地拡大を含めてできるだけそっとしておいてほしいというのが本音であろう。現在の世界が考える中東問題とはIS(イスラーム国)やシリア難民の問題であり、パレスチナ問題は関心が薄い。これはイスラエルにとって極めて心地よい状況であり、その間にイスラエルは入植地拡大を既成事実化する魂胆である。将来和平問題の協議が再開された場合、議論の出発点は必ず既成事実化された現状から始まる。イスラエルはこれまでの中東和平の歴史の中でそのことを確信しているはずである。

 

ネタニヤフ首相との会談の翌日、トランプ大統領はパレスチナ自治政府のアッバス大統領(PLO議長)と会談した。こちらはネタニヤフ会談以上に中身の薄いものだった。トランプにとっては中東和平問題の当事者二人に会い自ら和平のイニシアティブをとることを内外に誇示することだけが目的である。歴代の大統領が手を焼いたこの問題は解決が極めて困難であることは誰の目にも明らかである。取引(ディール)が身上のトランプ大統領としては「火中の栗を拾う」ような愚かな真似はしないはずだ。

 

トランプ大統領のイスラエル訪問は世界に向けた政治ショーであったと言えよう。

 

(続く)

 

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

       荒葉一也

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