荒葉一也シリーズ
2017年07月23日
(注)本レポート(1)~(3)は「マイライブラリー(前田高行論稿集)」で一括してお読みいただけます。
http://mylibrary.maeda1.jp/0416GccDispute2017July.pdf
2017.7.23
荒葉一也
同じGCCの一員であるクウェイトが仲介役として乗り出しサバーハ首長はリヤドとドーハの間でシャトル外交を繰り返している。しかし諸外国にとっては所詮GCC君主制国家の内輪喧嘩であり、当事者同士で話し合い解決するのがベストと見ている。先進国の中では最も利害関係が深い米国のホワイトハウスも当初は「Family issue (家庭の問題)」と突き放した姿勢であった[1]。
しかし問題解決の糸口を見い出せないままATQ4か国とカタールは互いを非難し、自らの正当性を主張するPR合戦の様相を呈している。これ以上事態がエスカレートし、万一ペルシャ(アラビア)湾からの石油或いは天然ガスの供給に問題が生じれば日本、中国、インドを含むアジア各国は大きな影響を受けることは間違いない。日本の場合、サウジアラビア、UAEに石油を、またカタールに天然ガスを頼っているため、どちらか一方の肩を持つ訳にはいかない。日本自身が調停に乗り出す可能性もないではないが、世界的に石油・天然ガスは余っており中東以外からも買い付けやすい状況を考えれば、ここは下手に調停役を買って出た挙句どちらか一方から恨みを買うという最悪のリスクを考えれば静観するのが得策であろう。
ところが米国のトランプ政権はこのまま「Family issue(家庭の問題)」として静観ばかりしていられないようである。エネルギー需給の面だけで見ればシェール・オイル及びシェールガスの増産により米国はエネルギーの自給率を高めており、サウジアラビア・UAEの石油或いはカタールの天然ガスは米国にとって大きな問題ではない。
それでは米国にとってこれら湾岸の国々に対する死活的利益が何かと言えばそれは「軍事的利益」なのである。わかりやすく言えばそれはサウジアラビア(及びUAE)にもっと多くの武器を売りつけることであり、一方カタールに対してはウデイド空軍基地を、またバハレーンに対しては海軍基地を引き続き利用できることなのである。
トランプ政権にとって武器の輸出拡大は国内産業を活性化し雇用を確保することにつながり選挙公約を実現する手段となる。そしてペルシャ(アラビア)湾に自国の空軍基地、海軍基地を維持することはイラン、トルコ或いはロシアににらみを利かせイスラエルを支えるという「偉大な米国」或いは「アメリカ・ファースト」政策にピッタリなのである。付け加えて言うなら民主党政権を破り共和党政権を樹立したトランプは中東から太平洋に軸足を移そうとしたオバマの足跡を消し去ることで自己の存在感を高めようとしていると考えられなくもない。
彼の中東外交はさしあたり成功しているようである。オバマ時代に最悪になった米国とサウジアラビアの関係は劇的に改善し、サウジアラビアを最初の外国訪問地に選んだトランプ大統領はサルマン国王から大歓迎を受け1,100億ドルと言われる巨額の武器契約を取り付けたのである[2]。そしてカタールのウデイド空軍基地はイスラム国(IS)の偵察基地、攻撃発進基地として成果を上げている。これはシリア・アサド政権と結託し中東でのプレゼンスを高めていたロシアを抑え込む効果も発揮している。
米国ではティラーセン国務長官が紛争の調停に当たった。因みにティラーセンは国務長官就任前は国際石油企業ExxonMobilのCEOであった。ExxonMobilはサウジアラムコ創設時のメンバーであり、現在もサウジアラビアと深いつながりがある。同時にExxonMobilはカタールの天然ガス事業にも合弁事業として参加している。このためティラーセンはCEO時代に頻繁にサウジアラビアとカタールを訪問しておりそれぞれの事情に精通した第一人者である。
しかし外交問題の責任者としての国務長官とこれまでの民間企業CEOとではかなり勝手が違ったようである。ティラーセンはサウジアラビアとカタールそして仲介役のクウェイトを精力的に駆け巡るシャトル外交を展開したが思うような結果は出なかった[3]。
最近の報道ではクウェイトの調停が実を結んだのであろうか、UAEからは態度軟化のシグナルが出ている。そして28日にはカタールのタミーム首長が外交関係修復のための協議に応じるとテレビで演説した[4]。彼が一連の問題について発言するのは6月初めの国交断絶以来1か月半ぶりのことである。4か国とカタールが一刻も早く無益な対立を解消することを願うばかりである。
以上
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荒葉一也
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[1] Demands presented unreasonable: Doha
2017/6/25 Arab Times
http://www.arabtimesonline.com/news/demands-presented-unreasonable-doha/
[2] US says nearly $110 billion worth of military deals inked with Kingdom
2017/5/21 Arab News
[3] No light seen at the end of Qatar tunnel
2017/7/13Saudi Gazette
http://saudigazette.com.sa/article/512813/SAUDI-ARABIA/Rex-Tillerson
[4] Emir says Qatar ready to talk but "sovereignty must be respected"
2017/7/21 The Peninsula
2017年06月05日
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2017.6.5
荒葉一也
3.聖地巡礼を続けるトランプ大統領:エルサレムの「嘆きの壁」で何を祈る?
トランプ大統領がイスラームの聖地マッカとマディナを擁するサウジアラビアの次に訪れたのはイスラエルである。ここは世界のユダヤ教徒のホームランドであるとともに、キリスト生誕の地であり、さらにイスラーム教徒にとってマッカ及びマディナに次ぐ第三の聖地でもある。特にエルサレムの旧市街、かつてのユダヤ教の神殿の丘にはユダヤ教徒が敬虔な祈りを捧げる「嘆きの壁」があり、丘の上にはイスラームの岩のドームとアル・アクサ・モスクがそびえている。ここは西暦7世紀までローマ帝国によりキリスト教の聖地とされ、7世紀以降イスラームの興隆と共に十字軍とアラブ人が争奪を繰り返した末、12世紀にはトルコ人のイスラーム帝国(オスマン・トルコ)が支配下におさめた。そして第二次大戦後にユダヤ人がイスラエルを建国して今日に至っている。
イスラエル建国の結果、父祖伝来の地パレスチナに住み続けていたアラブ人、即ちパレスチナ人の多くが近隣の国に逃れて難民としての過酷な生活を余儀なくされた。先祖の地にとどまった者たちも新しい支配者ユダヤ人入植者のもとで二級市民の扱いを受け続けている。彼らは独立国家の樹立を夢見てイスラエル・パレスチナ二国家共存を訴え続けている。二国家共存論は国連決議として国際世論の支持を得ているものの、世界最強の米国がイスラエルを全面的に支持し、国際世論の声に耳を傾けないことが最大の難問なのである。
それでも平和と平等を標榜するオバマ前政権の時代にはパレスチナに対する一定の理解があった。しかしオバマからトランプへ、民主党から共和党への政権移行により一気に風向きが変わった。その背景にあるのはシリアにおけるイスラーム国(IS)の台頭、それによる大量の難民のヨーロッパ流入及び世界各国で発生したイスラームテロ事件であった。米国ではイスラーム・アラブ諸国に対する嫌悪感が一気に蔓延し、テロの封じ込め、治安の維持が失業問題と並んで大統領選挙の争点になった。911同時多発テロの記憶が未だ消えやらぬ米国民の脳裏にテロ即ちイスラーム原理主義、震源地は中東という図式が刷り込まれた。パレスチナ問題は中東全体の問題の一つにされてしまった。
「パレスチナが独立すれば彼らは過激なテロ国家に変身する恐れがある。それは米国が何としても守るべきユダヤ人の国イスラエルを危険に晒すことであり、絶対に容認できない」ということになる。トランプ大統領はイスラエル訪問を前に二国家共存論に対してオールタナティブ(代案)もあり得ると示唆し、また米国大使館のエルサレム移転実現を約束した。大使館の移転は1995年に米国議会で決議されているが、歴代大統領は国際的な影響を考慮して実現を先送りしてきたものである。トランプ大統領はそれを選挙公約に掲げた。
5月22日、トランプ大統領はイスラエルを訪問、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」を訪れた。この時、大統領はネタニヤフ首相が同行することを拒んだ。米国大統領とイスラエル首相が並んで嘆きの壁に手を触れている姿がメディアに流れるとイスラーム国家はこれを見逃すことができない。シーア派イランがここぞとばかり宣伝材料に使うことが目に見えている。スンニ派の盟主を任ずるサウジアラビアも折角溝を埋めたばかりの米国を非難せざるを得ない。取引(ディール)を得意とするトランプ大統領は、ユダヤ教の聖地をネタニヤフと一緒に訪れることが誰の得にもならないと考えたに違いない。
この後、大統領はネタニヤフ首相と会談したが、外部に公表された内容に過激なものは無かった。イスラエル・パレスチナ二国家共存及び大使館のエルサレム移転のいずれについても明確な姿勢を示さず、さらにイスラエルの入植地拡大に抑制を求めることもしなかったのである。しかしこれらは外部に公表された事実だけであり、実際の会談内容とは異なる可能性は高い。両国首脳としては極めて友好的な雰囲気の中で会談を行ったということを世界に印象付けることが最大の目的だったと考えられる。
ネタニヤフ首相にとってはトランプ大統領の力強い言葉さえあれば十分であり、大使館移転のようなギラギラした問題はむしろ有難迷惑であり、入植地拡大を含めてできるだけそっとしておいてほしいというのが本音であろう。現在の世界が考える中東問題とはIS(イスラーム国)やシリア難民の問題であり、パレスチナ問題は関心が薄い。これはイスラエルにとって極めて心地よい状況であり、その間にイスラエルは入植地拡大を既成事実化する魂胆である。将来和平問題の協議が再開された場合、議論の出発点は必ず既成事実化された現状から始まる。イスラエルはこれまでの中東和平の歴史の中でそのことを確信しているはずである。
ネタニヤフ首相との会談の翌日、トランプ大統領はパレスチナ自治政府のアッバス大統領(PLO議長)と会談した。こちらはネタニヤフ会談以上に中身の薄いものだった。トランプにとっては中東和平問題の当事者二人に会い自ら和平のイニシアティブをとることを内外に誇示することだけが目的である。歴代の大統領が手を焼いたこの問題は解決が極めて困難であることは誰の目にも明らかである。取引(ディール)が身上のトランプ大統領としては「火中の栗を拾う」ような愚かな真似はしないはずだ。
トランプ大統領のイスラエル訪問は世界に向けた政治ショーであったと言えよう。
(続く)
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2017年04月21日
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2017.4.21
荒葉一也
2.トランプの二つのキーワード:アメリカ・ファースト(米国第一主義)とディール(駆け引き)
対立関係にあるイスラエルとアラブ諸国、同じ独裁政権としてアラブの主導権を争うエジプトのシーシ軍事政権とサウジアラビアのサウド家専制君主政権、共に難民問題を抱えながら微妙に立場が異なるヨルダンとパレスチナ。トランプ大統領はこれらの国々の要求に対してどのように応えるつもりであろうか。さらに中東全体に対してどのような外交政策を示していくのか?政治経験もなくまして外交問題はズブの素人と言われるトランプが大方の予想を裏切って米国大統領に当選して以来、彼には「何をやらかすかわからない」という評価が付きまとっている。
トランプ大統領の中東外交政策を論じる前に彼のこれまでの経歴を簡単に追っておこう。トランプは1946年6月ニューヨーク生まれで現在70歳である。父親はニューヨークの不動産開発事業で財を成し、トランプはペンシルベニア大学卒業後、父親の事業を継いでいる。そして1983年にトランプ・タワーを建設するなど不動産王として富豪への道を突っ走った。1990年ころバブル崩壊で巨額の負債を抱えたが90年代後半には再び「不動産王」として復活した。ところが2007年のサブプライム問題をきっかけにまたまた経営難に陥り2009年にはトランプ・プラザなどリゾート部門が倒産した。このように彼は実業界で激しい浮き沈みを経験している。
そのようなトランプは2000年ころから政治にも興味を示しはじめる。当初彼は二大政党の共和党、民主党いずれにも属さず2000年の大統領選挙ではアメリカ合衆国改革党の候補として大統領選挙に出馬した。しかし党内の対立激化で2月には早々と選挙戦から撤退している。その後は共和党に入党、民主党のオバマ大統領に対する人種差別的発言など一連の過激な発言で注目を浴びるようになり、ついに2015年6月、翌年の大統領選挙に共和党候補として出馬することを表明した。出馬演説の中でメキシコ移民を排除するという破天荒な発言をしたこともあり、良識あるオピニオンリーダーを自認する一流新聞或いはワシントンのセレブな共和党の重鎮たちからは泡沫候補とみなされていた。
しかしトランプはビジネスで培ったしたたかな話術とメディア戦略を駆使し大衆の心をつかんだ。それが彼の標語「アメリカ・ファースト(米国第一主義)」である。そして彼は大方の予想を覆して本選でも民主党のクリントン候補を破り、ついに第45代米国大統領になったのである。彼の思想のベースにあるのが「アメリカ・ファースト(米国第一主義)」であり、政治の基本的手法はビジネスで培われたディール(deal)すなわち取引或いは駆け引きであろう。それは外交・内政・議会対策のいずれであるかを問わない。それはオバマ前大統領がことあるごとに振りかざしていた自由、平等といった世界共通と呼ばれる価値観とは異質なものである。ヨーロッパ、アジア、ロシアなど外国政府の首脳たちにとって「アメリカ・ファースト」を掲げ「ディール」で結果を求めるトランプ大統領は極めて厄介な交渉相手に映る。
彼は大統領就任早々TPP(環太平洋経済連携協定)から離脱する大統領令に署名した。民主党政権下で日本など太平洋諸国と血のにじむような多国間交渉の末にやっと作り上げたTPPであったが、米国の利益にならないと信ずるトランプ大統領はあっさりと協定を破棄し、貿易不均衡は二国間交渉で解決すると宣言したのである。それはまさに国益第一の「アメリカ・ファースト」であり、交渉は一対一で行う「ディール」だとするトランプ流である。メキシコとの国境に壁を作り不法移民を阻止するという乱暴極まりない発想、或いは地球温暖化を科学者や環境保護団体の妄言と言い切り、COP21のパリ協定に異議を唱えて温暖化対策の見直しを命じ国内のガスパイプライン建設に許可を出した。
実業界でジェットコースターのような浮き沈みを経験して不動産王となったトランプであるが、トランプ政権を二つのキーワードで表現するとすれば、上記にあげた「アメリカ・ファースト(米国第一主義)」と「ディール(取引或いは駆け引き)」であろう。
トランプ政権の中東政策もこの二つのキーワードによって読み解くことが肝要と思われる。つまりIS(イスラーム国)或いはアル・カイダなどイスラーム過激派の問題、イスラエル・パレスチナ問題、イラン・イスラーム宗教政権の問題、そしてシーア派イラン対スンニ派王制国家の問題、クルド民族問題等々もその一つ一つの問題が米国の国益に照らし他の国際問題との優先度を天秤にかけて処理することになろう。そして問題の取り組みに際しては多国間(マルチ)としてではなく、米国と当事国の二国間(バイ)の交渉(ディール)で処理することになろう。
国家間の交渉は交渉の過程では「対等」であり、交渉の結果は「ギブ・アンド・テイク(譲り合い)」が基本である。しかしトランプにはこれまでの多国間交渉で常に米国が譲ってきたという強い思い込みがある。ビジネスの交渉は二者(バイ)である。ビジネスマン出身のトランプは国家間の交渉を二国間(バイ)により「アメリカ・ファースト」の国益最優先で交渉に臨むつもりである。
その場合交渉相手にとって最大の問題は米国が強すぎるということであろう。両者の力関係に天と地ほどの格差があれば交渉そのものが「対等」かつ「ギブ・アン・テイク」になりえないのは自明の理である。米国は交渉の場で相手を威圧し、相手に与える(ギブ)よりも多くのものを得る(テイク)ことになる。米国民はその結果に満足するであろう。しかし交渉の結果が米国の一方的な搾取になっていることに気付かない(或いは気付こうとしない)。このような米国流交渉術が世界に蔓延しそれがデファクト・スタンダード(事実上の標準)になれば「強いもの勝ち」、「勝者総取り」という恐ろしい世界地図が見えてくるのである。そして強き者には驕り、傲慢、蔑視などが生まれ、弱き者にはねたみ、そねみ、ひがみ、憎しみなどが生まれ、両者の対立は先鋭化する。さらに米国(及び西欧)とアラブの関係で懸念すべきは両者のキリスト教とイスラームは共に一神教であり、互いに自分たちが「善」で相手方が「悪」という単純二項対立の宗教観に根付いていることである。勿論良識ある一般国民は平素そのような単純な対立を持ち出さないであろうが、トランプに限らず欧米やアラブの政治家たちは対立を利用して大衆の人気を得ようとする誘惑を捨てきれない。そこには日本の古来の美風「和をもって貴しとなす」の妥協を重んじる精神、或いは「三方一両の損」の大岡裁きの精神は見られない。
それではトランプ政権は中東が抱える多様な問題に対して具体的にどのように取り組んでいくつもりであろうか? イスラエル、エジプト、サウジアラビアなど各国首脳のトランプ大統領との会談、及び国務長官、国防長官の現地訪問を含めて米国と中東諸国との関係を眺めてみよう。
(続く)
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荒葉一也
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2011年02月01日
(お知らせ)
荒葉一也のホームページ「OCIN INITIATIVE」が開設され、小説「ナクバの東」として続きを連載中です。
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退役将軍「シャイ・ロック」(4)
しかし年齢と経験を重ねた後の二度目の米国赴任は彼の眼を外部に開かせた。末席とは言え大使館付の武官ともなればむしろ外部に目を開くことが期待される。彼の主な任務。それはワシントンに集まる各国の軍事情報や米国の軍需産業の最新情報を収集することであった。そしてもう一つの重要な任務はペンタゴンを中心とする米国の軍関係者との人脈形成であり、同時に祖国を物心両面でサポートしてくれる在米ユダヤ人たちと密接な関係を築くことであった。
各国の軍事情報や米国軍需産業の情報を収集する仕事は彼の性に合っていた。もともと米国空軍や航空機メーカーの幹部達とはかつて戦闘機パイロットとしての訓練を受けた時の人脈があり馴染みの顔触れが多い。各国の軍事情報については、折に触れて開かれる大使館のパーティーに各国の駐在武官を招待したり、或いは逆に各国大使館のパーティーに出向いて駐在武官同士の立ち話でいろいろな情報を集めた。気になる噂については米英など西欧諸国の武官に直接面談して確かめたりした。
イスラエルにとっては冷戦下のソ連がエジプトやシリアに大規模な武器供与を行っていることがもっとも気がかりだった。かれはそのためイランの駐在武官とも頻繁に情報を交換した。当時のイランは親米派のシャー・パハレビーが国内で絶対的な権力を握っており、軍事面では「ペルシャ湾の警察」と呼ばれ西側陣営の一翼を担っていた。イランとイスラエルは宗教も民族も異なり水と油の関係である。しかし両国は共にソ連及びアラブ諸国と緊張関係にある。両者の間には「敵の敵は味方」という際どい関係があり、その両者を結びつけていたのが米国という共通の絆である。冷戦の一方の雄、米国のおひざ元ワシントンにおいてイランとイスラエルは緊密な情報交換を行っていた。『シャイ・ロック』は夜遅くまで机に向かって本国に報告書を送り続けた。
軍事情報の収集に比べ在米ユダヤ人など民間人との交際は苦手であった。軍事関連の話題なら流暢に受け答えする彼も、世間的な話題になると途端に舌が滑らかに動かない。元来口下手なだけに多弁でジョーク好きなアメリカ人を相手にすると一方的な聞き役に終わってしまう。相手から人気のテレビ番組についてどう思うか、と感想を聞かれても満足に答えられない。何しろ彼は騒々しいだけのテレビのホームコメディには興味が無く、毎晩本国への報告書作りに追われテレビを見る時間など無いのである。米国のテレビ番組をチェックするのは本国の外務省から派遣された職業外交官に任せれば良い、と彼は思っていた。
(続く)
(この物語は現実をデフォルメしたフィクションです。)
荒葉一也:areha_kazuya@jcom.home.ne.jp
2011年01月27日
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退役将軍「シャイ・ロック」(3)
一介の理髪師に過ぎなかった『シャイ・ロック』の父親はイスラエル独立闘争の勇猛な戦士として頭角を現し、その後の第二次中東戦争でも活躍した。彼は何度も何度も武勇談を息子に言って聞かせた。いつしか『シャイ・ロック』は父親の最初の言葉だけでそれがいつ、どこであった話か解るようになったほどである。それでも彼はその話を聞くのが好きだった。ただ父親は独立戦争以前に行ったテロ活動については息子に何も話さなかった。時として無辜の市民を巻き添えにするテロ活動ーそれは父親自身思い出したくない時代であった。いつの時代でも大義のために無関係の他人が犠牲になる。それが歴史の事実である。そして息子もあえてその頃のことを父に問いただそうとはしなかった。
父親に洗脳された『シャイ・ロック』は創設期の空軍に入隊、パイロットを目指した。そして彼は第三次中東戦争で戦闘機パイロットとして大活躍した。ソ連の対イスラエル断交、エジプトのナセル大統領によるチラン海峡封鎖を契機として始まった第三次中東戦争は、イスラエル空軍の先制攻撃によりエジプト及びシリアは壊滅的な打撃を受け、戦いはわずか6日間で終わった。世に「六日戦争」と呼ばれる第二次中東戦争は、世界にイスラエル不敗神話を印象付けた。勝利の立役者は空軍であった。
戦後『シャイ・ロック』は米国のイスラエル大使館付武官として家族を伴いワシントンに赴任した。六日戦争の功績に対する論功行賞である。彼は戦場では沈着冷静、勇猛果敢な男だが普段は寡黙で口下手である。武官とは言え外交官の一翼となることに躊躇したが、階級社会の軍隊で上を目指すには米国駐在の経験は願ってもチャンスであり断る理由はなかった。妻も二人の娘も彼の背中を押した。特に長女のゴルダは父の米国赴任が決まると大喜びであった。
ワシントンに赴任した彼はこれまで知らなかった世界を垣間見た。生まれてこのかた戦争に明け暮れ、祖国での生活は緊張の連続を強いられるものであった。周囲を取り巻くアラブ諸国に対して連戦連勝のイスラエルであり、『シャイ・ロック』たち軍人の意気は上がり一般国民も過剰ともいえる自信を持ち始めていたが、明日何が起こるかわからない中東では息を抜く暇はなかった。
それに比べ米国とその国民は何とのんびりとおおらかな毎日を送っていることか。彼が米国に来たのはこれが初めてではない。未だ独身だった頃、パイロットの訓練生としてネバダの米空軍基地にいたことはある。しかしイスラエルからネバダまでは米空軍機で運ばれ、ニューヨーク、ワシントンなどの東海岸の大都市を見ることはなかった。彼自身も訓練に情熱を燃やしていたため訓練の休日にロスアンジェルスを垣間見たぐらいである。何よりも祖国の緊張状態を思うとのんびりした気分になどなれず、パイロットとしての技能を高め一刻も早く祖国の第一線に復帰したいという思いに駆られていたのである。
(続く)
(この物語は現実をデフォルメしたフィクションです。)
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