Qatar
2010年06月29日
1.低迷する天然ガス価格
天然ガスの国際価格が低迷している。しかも歴史的な低水準である。天然ガスには石油におけるWTI、Brent或いはDubaiのような世界的な指標となる価格体系はないが、NYMEX(ニューヨーク商品取引所)の先物取引である「ヘンリー・ハブ渡し価格 」は過去1年半近く百万BTU当たり5ドルを割ったままである。これは原油に換算するとバレル当たり30ドル以下であり、現在のWTI価格(70ドル強)と比べ半値以下の水準である(JOGMEC野神氏作成図参照 )。
天然ガスはパイプラインで生産者と需要家が直結され、またLNGの場合は巨額の初期投資が必要なため生産者と需要家が長期契約を結ぶなどエネルギー商品として石油ほど流通性があるとは言い難い。しかしヘンリー・ハブ価格だけでなく世界的に見て天然ガスの価格が低迷していることは事実である。そのため天然ガスを有力な外貨の稼ぎ手とするカタールやロシア、アルジェリアなどには焦りの色が見られる。
天然ガスは環境に優しいエネルギーとして近年脚光を浴びている。同じ化石燃料である石炭、石油及び天然ガスを比べると、炭酸ガスの排出量は石炭1に対し石油は0.8であり、天然ガスは0.6と言われている。このため日本など先進国では石油から天然ガスに切り替える動きがある。世界の天然ガス消費量は過去40年以上一貫して増えており、BP統計によれば2008年の年間消費量は三兆立法米に達した 。
しかし2009年以降天然ガスの輸出入が急速にしぼんでいる。その最大の理由は世界同時不況によるエネルギー消費の落ち込みであるが、もう一つの理由は米国内の天然ガスの生産が回復から増加に転じたことである。そして米国の天然ガスの可採埋蔵量は1997年を境に上昇に転じ、今や1970年代前半のレベルに回復しているが、その主役となっているのはシェールガスの開発及び生産である 。これにより米国の天然ガス輸入は大幅に減少している。特に影響を受けたのがLNGであり、LNG受入ターミナルの稼働率は今や10%に落ち込んでいると言われる
このことで最も影響を受けたのが世界最大のLNG輸出国カタールである。カタールの対米輸出はさほど多くないが、米国のLNG輸入減によりLNGのスポット市場は殆ど壊滅的と言ってよいほどの惨状である。カタールが誇るLNG船団も今や8隻がオマーン湾でガス価格の回復を待って係留状態にあると報道されている 。カタールはLNGの年産能力7,700万トン体制を標榜、今年から来年にかけて生産積み出し設備が次々と完成する予定である。今後しばらく天然ガスは供給過剰の状態が続くことは間違いない。現在カタールは躍起になってLNGの売り込み先を開拓中である。
本稿では米国の天然ガス輸入が急減した背景及びその最大の要因であるシェールガスの開発と生産の躍進について述べ、次いで世界の天然ガス輸出の盟主を目指すカタールの動き、そして背後に見え隠れする天然ガス生産国による「ガスOPEC」結成の動向を探ることとする。
(続く)
本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
E-mail; maedat@r6.dion.ne.jp
2007年12月02日
2.カタルの政府系ファンド(SWF):カタル投資庁
(1)運用資産の推定額
カタルの政府系ファンド(SWF, Sovereign Wealth Fund)を統括しているのはカタル投資庁(Qatar Investment Authority, 略称QIA)である。QIAの運用資産については米国ワシントンのPeterson Institute for International Economicsは500億ドルと推定しており、また日本の国際金融情報センターでは400億ドルとしている。
いずれにしてもアブダビ投資庁の推定資産5-9千億ドル(アブダビの項で詳述)、或いはサウジアラビア通貨庁の推定3千億ドル(サウジアラビアの項で詳述)と比べて一桁少ない。これはアブダビ、サウジアラビアが古くから石油を生産し、特に1970年代の第一次・第二次オイルショック以降余剰オイルマネーが発生し、これをSWFとして運用してきたのに対し、カタルは石油生産量が少なく、1997年に日本向けのLNG輸出を開始したことにより漸く余剰ドルが発生し始めたためである。しかもLNG輸出施設の建設に多額の対外借入を行ったため、例えば2000年末の同国の財政状況は国内総生産(GDP)164億ドルに対し、対外債務残高が131億ドルもあり、外貨準備高はわずかに18億ドルであった。従ってQIAの運用資産が4~500億ドルに達したのはここ数年のことと思われる。
しかしカタルのLNG輸出は昨年インドネシアを抜いて世界一になり、2009年にはLNG年産能力が7,800万トンに達する見込みである。カタルは人口が百万人弱(自国民だけであれが30万人弱)であり、従って余剰マネーは今後急激に膨らむものと考えられる。この結果QIAの資産は近い将来クウェイト(推定1,000-2,000億ドル、クウェイトの項で詳述)を追い抜くことは確実であり、サウジアラビア或いはアブ・ダビの水準に達することも十分考えられる。
(2)カタル投資庁(QIA)
カタル投資庁は首長直轄の組織と考えられる。取締役会会長はタミーム皇太子、副会長はハマド首相で、共にカタルを支配するサーニー家の王族である。タミーム皇太子はハマド首長の寵妃で第二夫人のモーザ妃の次男であり、未だ27歳(1980年生)と言う若さである。またハマド首相は1959年生まれで首長の遠縁である。取締役としてはこのほかアッティヤ副首相兼エネルギー・工業相、フセイン・カマル財務相を含め5名がいる。
QIAの組織は(1) Strategic and Private Equity, (2)Asset Management, (3)Real Estate, (4)Risk Managementの4つの部門にわかれている。投資分野は大きく分けてreal estate(不動産)、private equity(株式取得、M&A)およびinvestment funds(ファンド)の3つであり、不動産については子会社Qatari Diar Real Estate Investment Company、M&AについてはQatar Holding及びDelta Two Ltd.と呼ばれる企業がある(下記参照)。またカタル国内の有力企業についてはQIAが株式を直接所有しており、その主なものは、Qatar Telecom(持ち株比率55%)、Qatar National Bank(同50%)、Qatar National Hotels Company(同100%)などがある。
なお最近、QIAはリビアのLibyan Investment Corporationと水資源開発のための共同投資のMoUを締結している。
(3)Qatari Diar Real Estate Investment Company
不動産投資を目的とするQIA傘下のファンドである。国内のほかモロッコ、エジプト、シリア、英国、マレーシアなどで不動産投資を行っている。英国では同国最大の介護施設チェーンを50億ドルで買収した。さらに今年4月にはロンドン・チェルシー地区にある国防省の兵舎跡地を6億ポンド(12.2億ドル)で買収したほか、同地区のGrosvenor Watersideの3つの建物を取得している。またマレーシアのクアラルンプールでは商業モールに投資している。
なおExecutive Presidentのナーセル・アル・アンサリは同社の資本金が110億ドル、また国内外での18件の大型プロジェクトに対する総投資額は88億ドルに達すると述べている。
(4)Qatar Holding及びDelta Two Ltd.
両社は外国企業の株式取得(M&A)を目的としたQIAの関連企業である。Qatar Holdingはロンドン証券取引所(LSE)の株24%を買収、また北欧諸国の証券取引所を運営するOMXの9.98%の株も所有している。LSEとOMXについてはドバイが先行買収する形で、現在ドバイとカタルの間で激しい争奪戦が繰り広げられている。
最近、QIAはDelta Twoを通じて英国の大手スーパーJ Sainsburyに対して106億ポンドで敵対的買収を仕掛け25%の株を取得したが、結局買収を断念したと報じられている。
このほかでは欧州エアバス社の親会社であるEADS社(European Aeronautic, Defence and Space Company)の株式3.12%を所有しているが、これはDubai International Capitalと共同取得したものである。
その他の株式取得としては、Industrial Commercial Bank of China(中国、2.05億ドル、05年)、Lagardere(仏、5.1%)、Raffles Medical Group(Singapore, 5%)などがある。
(5)ドル投資の見直しおよび資金調達
カタルの首相でありQIAの副会長でもあるハマド首相は、CNBCのインタビューで、同国の投資の姿勢について、以前は99%ドル建てであったが、最近2年間でユーロ建て40%、ドル建て40%、その他20%に変更したと述べている。同国はドルへの過度の依存を見直し、またドル安への対策を講じているようである。
資金調達については10月にHSBC(香港上海銀行)、スタンダードチャータード銀行、シティ、モルガン、三菱UFJ銀行など世界の30行から30億ドルを借り入れたと報じられている。QIAの投資活動は非常に活発であり資金需要は旺盛であるが、実際にはQIA自体の運用資産は4-500億ドル程度と見られる(上記1参照)。外部からの借入はこのように投資計画と自己資金のバランスが取れていないためと考えられる。
(その2:完)
(これまでの内容)
その1:はじめに
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2007年06月08日
本シリーズは「中東と石油」の「A-02 カタールとサーニー家:金持ちだからできること、小国だからできないこと」で一括全文をごらんいただけます。
(第9回) 王族が民主主義や人権を説く危うさ
カタルは人口70万人、そのうち自国民がわずか30万人の小国である。そのカタルが有り余る金を注ぎ込んで豪華ホテルや巨大競技場を建設し、国営カタル航空に次々と新型旅客機を投入して国際線を拡充している。その目的は国際的なイベントを開催してカタルの国威を発揚することである。2001年にはWTO閣僚会議(ドーハ・ラウンド)を招致し、昨年12月にはアジア大会を開いた。2016年のオリンピックに東京と並んで立候補する意欲も示している。
カタルはそのようなビッグ・イベントの他にも国内で次々と国際会議を開き、さらには海外での会議のスポンサーになっている。そこではハマド首長、第二夫人で首長の寵妃モーザ王妃、或いはモーザ王妃の子息で皇太子のタミム王子が必ず主賓として挨拶を行っており、その晴姿が国内メディアのトップを飾っている。
興味あることに、これらの会議のテーマには共通項がある。それは「民主主義」と「人権」である。そしてモーザ王妃が出席する場合は、「女性の地位の向上」と言うテーマが加わる。例えば昨年11月には「民主主義の導入及び回復に関する第6回国際会議(ICNRD)」がカタルの首都ドーハで開催されている。会議ではハマド首長が主催国として挨拶し、ハマド・ビン・ジャーシム副首相兼外相(現首相)が議長として会議を取り仕切った 。この会議にはアナン国連事務総長(当時)も出席している。

そして同じ5月に米国ヒューストンのライス大学ベーカー研究所で「中東における女性と人権の向上」会議が開かれ、モーザ王妃がゲストとしてスピーチを行っている(下図写真) 。この会議のスポンサーは王妃が総裁をつとめる「カタル基金(Qatar Foundation)」である。

このようにカタルの王族は競って民主主義と人権のパフォーマンスを繰り広げているが、これはハマド首長の意向に沿ったものであると考えられる。欧米教育の洗礼を受けた彼は、父親で保守的な前首長の国政に飽き足らず、1995年、父親の外遊中に宮廷クーデタで政権を掌握した。その後、彼は開明的で進歩的な君主としてカタルのイメージアップ作戦を推進した。その最大の象徴がアル・ジャジーラTVであり(本シリーズ第5回「民主主義のシンボル:アル・ジャジーラTV」参照)、最近のそれが上に述べたような民主主義と人権に関する国際会議の誘致或いはそのスポンサーとなることである。
この結果、カタルは民主主義や自由に関する各種の国際機関の調査において、中東諸国の中で最も高い評価を受ける国の一つに挙げられるようになった。例えば国連開発計画(UNDP)の人間開発指数(Human Development Index)では、中東諸国の中ではイスラエル、クウェイト、バハレーンに次ぐ4番目に評価され 、NGO団体「国境なきレポーター」による「報道の自由の指数」でもイスラエル、クウェイト、UAEに次いで4番目である 。また英エコノミスト誌の調査機関EIUが最近発表した世界121カ国の平和指数ランクでは世界30位、中東ではオマーンの次に高いランクを得ている。
しかしカタルの国家そのものが本当に民主的かどうかは別の問題である。現在のカタルの政治体制が絶対君主制であることは間違いなく、議会は勅選議会でクウェイトやバハレーンのような国民選挙が行われる見通しは明らかにされていない。そして閣僚も全員首長の任命である。西欧から同国民主化の象徴と賞賛されるアル・ジャジーラTVの大半の経費は王室に依存している。そのためか同TVは自国特に首長家に不利な報道を控えていると言われる。(ジャジーラTVはこのような批判に対し、中東には報道すべき重要なニュースが数多くあり、カタル国内の問題は報道に価しないような小さな事件ばかりである、と釈明している。)
イスラームを国教とするカタルが欧米流の民主主義や人権を唱え、中東におけるリーダーであるかのごとく振舞い、しかもサーニー家の王族自身がそのパフォーマンスを先導することに対し、他のGCC諸国、特にサウジアラビアなどは苦々しく思っている。女性の社会進出に慎重なアラブ諸国では、王族女性が国際会議に出ることはあまり例がない。写真のモーザ妃は服装こそ黒いベールに身を包んでいるが、素顔で壇上に立ち、しかもその写真がインターネット上で公開されるというのは、アラブの王族女性としては極めて異例のことなのである。この点についてはモーザ妃自身も意識しているのであろう、彼女の国内での活動が報道されるのは、教育・慈善事業などに限られている。
先進国の立憲君主制国家の王族ならいざしらず、専制君主制のカタル王家が民主主義や人権の会議を主催し、しかもそのことをメディアが大々的に報道することは、アラブ諸国だけでなく先進国の多くの人が違和感を覚えるのではないだろうか。
カタルとサーニー家が欧米受けのするイメージアップに成功しているのは豊かな資金力に物を言わせる金持ちだからできることであろう。同時に人口の少ないカタルでは、サーニー家が国民に豊かな富を分配することで彼らの不満を封じることができる。しかし小国であるが故に地域のオピニオン・リーダーになれない、と言うことも事実であろう。
(第9回完)
(これまでの内容)
(第1回) はじめに
(第2回) アル・サーニー家の歴史 - 「親から子」への継承ルールを明文化
(第3回) 天然ガスで繁栄を約束されたカタル
(第4回) 内閣と王族:閣僚の過半数が王族
(第5回) 民主主義のシンボル:アル・ジャジーラTV
(第6回) 国威発揚のシンボル:国際イベントの誘致
(第7回) 輝くアラブ女性のシンボル:モーザ王妃
(第8回) 自国民わずか28万人なら西欧流民主主義は不要?
2007年04月04日
後任首相のハマド・ビン・ジャーシムも前首相と同じ1959年生まれであり、ハマド首長の遠縁の王族である。ハマドの首相昇格により、副首相はエネルギー・工業相及び水・電力相を兼務するアル・アティヤ1人となった。なおRasGasのManaging Directorムハンマド・サーレー・アル・サーダが新たにエネルギー・工業担当国務相に就任した。

カタルではハマド首長が強い権力を有し、また最近ではタミム皇太子が表舞台に出ることが多くなったため、アブダッラー前首相の地位は儀礼的なものになっていると言われており、最近では公式の場に出ることも少なくなったようである。
カタルの首長家では、2003年に皇太子がハマド首長の第二夫人モーザ妃の長男ジャーシムから次男タミムに交代した。また2003年の内閣改造でアブダッラーの弟ムハンマド・アル・サーニーが経済・商業相に就任したが、昨年3月、ハマド首長、タミム皇太子により解任されている。
これらのことから、アル・サーニー家内部でハマド首長はタミム皇太子への世襲路線を明らかにしつつあると考えられる。ハマド首長自身が父親であるハリーファ前首長の外遊中の1995年に宮廷クーデタにより首長となっており、これまでの一連の王族の人事問題は、首長家内部の複雑な事情の一端を示しているとも言えよう。
*参考:
「カタル・サーニー家の構図」(MENA Informant 2002年12月22日)
カタル内閣閣僚名簿
2006年11月17日
本シリーズは「中東と石油」の「A-02 カタールとサーニー家:金持ちだからできること、小国だからできないこと」で一括全文をごらんいただけます。
(これまでの内容)
(第1回) はじめに
(第2回) アル・サーニー家の歴史 - 「親から子」への継承ルールを明文化
(第3回) 天然ガスで繁栄を約束されたカタル
(第4回) 内閣と王族:閣僚の過半数が王族
(第5回) 民主主義のシンボル:アル・ジャジーラTV
(第6回) 国威発揚のシンボル:国際イベントの誘致
(第7回) 輝くアラブ女性のシンボル:モーザ王妃
(第8回) 自国民わずか28万人なら西欧流民主主義は不要?
10月29日から11月1日までカタルのドーハで第6回International Conference of New or Restored Democracies, ICNRD)が開催され、日本からは有馬龍夫中東和平担当特使他4名が参加した。ICNRDは1988年のマニラ第1回会議以来、3年ごとに主に開発途上国で開かれており、各国が協力して民主主義の回復と進展を図ることを目的としている 。カタルは会議の主催国となることで、自国が世界の民主主義の旗振り役であることをアピールする狙いがあったと思われる。実際、カタルは民主主義に関する国際会議の開催に熱心であり、7月には「民主主義・人権・女性の権利拡張のための中東・北アフリカ・フォーラム」も開催している 。
そしてカタルの民主主義のイメージを高めているもう一つの要因はアル・ジャジーラ・テレビであろう。アラビア語のニュース専門テレビ局として10年の実績を誇り、また今月からは英語放送も開始した。今や英国のBBC、米国のCNNと並ぶ知名度を獲得したアル・ジャジーラは、中東にはまれな自由な報道という印象を世界に植え付け、カタル自体のイメージアップに大きく貢献している(第5回 「民主主義のシンボル:アル・ジャジーラTV」参照)。
また民主主義の指標の一つとみなされる女性の登用においても、カタルは進歩的である。即ち同国はGCCで最初に女性閣僚を生み、またカタル大学の学長は女性である。さらに女性がメディアに出ないのが普通であるGCC諸国の中で、教育や慈善活動の先頭に立っているモーザ王妃の姿は報道で大きく取り上げられている(第7回「輝くアラブ女性のシンボル:モーザ王妃」参照)。
このためか、政治の透明度を監視する国際団体や世界のメディアのカタルに対する評価は中東諸国の中ではかなり高い。例えばNGO団体のTransparency Internationalが世界163カ国の公務員と政治家の腐敗度を国際比較した「腐敗認識指数(Corruption Perception Index 2006, CPI)によれば、カタルは世界32位であり、UAE(31位)に次いで中東では二番目である。トルコ(60位)やエジプト、サウジアラビア(共に70位)よりもカタルは清潔であると評価されている 。また、ジャーナリストの国際団体Reporters without Borders for Press Freedomが行った第3回世界各国報道自由度指標(Third Annual Worldwide Press Freedom Index)では、カタルは世界167ヵ国中の104位であり、世界レベルでは下位グループであるが、中東諸国の中では4番目である。因みに中東諸国の中でカタルより上位にあるのはイスラエル(36位)、レバノン(87位)、クウェイト(73位)である。なお中東で最も低いのはサウジアラビア(159位)であり、日本は42位、世界最下位は北朝鮮である 。
このようにカタルは世界の民主主義の普及に力を貸しており、また自国の民主主義のイメージ作りに成功しているように見える。しかし、国内の民主主義の度合いを見ると、GCC6ヶ国の中で同国が必ずしも民主化の先頭を切っている訳ではない。クウェイトやバハレーンでは普通選挙による国民議会が制度として定着しているのに対し、カタルの議会は今もハマド首長が任命する諮問議会制度にとどまっている。隣国のサウジアラビアですら地方議会での選挙制度が導入されたが、カタルでは来年に選挙を実施すると言われているだけで 、日程も公表されていないのである。
それでは何故カタルはクウェイトやバハレーンより民主化が遅れているのだろうか。それは一言で言えば、「民主化を促す外圧が殆ど無い」からであり、したがって「民主化は支配者、即ちハマド首長自らの裁量で行われる」からである。クウェイト、バハレーンのいずれの国の民主化も支配一族が国内の反対勢力と妥協を強いられた結果であるが、カタルにはそのような外圧がないのである。
例えばクウェイトの場合、支配家のサバーハ家のルーツは有力商人であり、また宗教はイスラム教スンニ派である。これに対して大多数の国民は遊牧民族ベドウィンの出身で、しかもシーア派住民がかなりいる。このため一般国民の忠誠心は薄く、サバーハ家の権力基盤は弱い。サバーハ家は国民の不満を和らげる必要があり、そのために民選議会を制度化しているのである 。
またバハレーンの場合、支配家のハリーファ家はもっと切実である。国民の大半はシーア派であり、スンニ派のハリーファ家は少数派のため、常に反政府運動が蠢動している。その動きをテロや暴動などの過激な行動に顕在化させないため、議会制という「飴」を与えなければならないのである。
翻ってカタルの場合は、アル・サーニー家が武力で国内の他部族を制圧し、またバハレーンやアブ・ダビの外部勢力から領土を守ってきた歴史がある。そして国民の大多数は首長家と同じスンニ派である。従って国内に反対勢力と呼べるようなものが存在しない。また、クウェイトにとってのイラク、或いはバハレーンにとってのイランのような脅威となる外敵もいない。そして何よりも天然資源(石油・ガス)による膨大な富を有している割には人口が極端に少ないことが、国内の安定につながっている。公表されているカタルの人口は74万人であるが 、そのうちの3分の2は外国人労働者であり、自国民は28万人にすぎない。一人当たりのGDPは3.8万ドルに達する 。因みにこの一人当たりGDPは外国人労働者を含めたものであり、カタル自国民のGDPはこれをはるかに上回っているはずである(筆者の試算では10万ドルを超える )。
世界のいずれの国においても国民が豊かであり、また民族や宗教の対立がなければ、テロや暴動などの過激な運動は影をひそめるものであり、カタルもその例外ではない、と言うことである。豊かで宗教や部族の対立が無いため、民選議会制のような国民の不満を「ガス抜き」する制度は当面カタルには必要が無いのである。
さらに税金の無いことが議会制の必要性を薄めている。何故なら一般の国家の場合、国民には納税の義務があり、その反対給付として国民は国政に参加する権利を主張する。そして行政サービスは税金によって賄われるため、国民は往々にして税の使途に異議をはさむ。そこでは民主主義は自明のこととされる。しかし納税義務が無く、行政サービスが無償で提供されるカタルの場合、国民には権利としての民主主義の意識が乏しく議会の必要性を余り感じない。
そのような状況であるため、為政者であるアル・サーニー家は、国民に豊かな富の一部を分配し、申し訳程度の民主化を実行すれば十分なのである。逆に必要以上の民主化を行えば、むしろ君主制そのものが危うくなる恐れがあり、ハマド首長もそれほど愚かではない。勿論現在の絶対的君主制に対して外国、特に米国が批判していることは首長も十分認識している。ところが幸いなことに中東民主化を掲げる米国は、民主的な総選挙を行ったはずのイラクやパレスチナ自治政府が混迷するのを目の当たりにして、湾岸君主制国家の現実を容認する素振りである。このようにカタルには民主化を強制する外圧が無いのである。
こうしてカタルは、ハマド首長自身の裁量で民主化が推進されている。自国民がわずか28万人の同国では、欧米流の直接民主主義は今のところ必要がないと言えよう。カタルの民主化はまさに「コスメティック・デモクラシー(見せ掛けの民主主義)」なのである。
(第8回 完)
(今後の予定)
9. 課題はRentier(金利生活)国民のMotivation、倫理観の維持
10.金持ちだからできること、小国だからできないこと