Qatar
2006年11月05日
(注)本シリーズは「マイライブラリー」で一括全文をごらんいただけます。
http://mylibrary.maeda1.jp/A02QatarAlThani.pdf
(これまでの内容)
(第1回) はじめに
(第2回) アル・サーニー家の歴史 - 「親から子」への継承ルールを明文化
(第3回) 天然ガスで繁栄を約束されたカタル
(第4回) 内閣と王族:閣僚の過半数が王族
(第5回) 民主主義のシンボル:アル・ジャジーラTV
(第6回) 国威発揚のシンボル:国際イベントの誘致
(第7回) 輝くアラブ女性のシンボル:モーザ王妃

カタル王室のモーザ王妃は抜群のスタイルと美貌を誇るファーストレディである。但し「ファーストレディ」と言う言葉には注釈が必要である。何故なら彼女はハマド首長の第二夫人だからである。ハマド首長には3人の夫人があり、第一夫人と第三夫人は首長と同じサーニー家であるが、第二夫人のモーザ王妃はミスナッド家の出身である。1959年生まれの王妃はハマド首長より7歳年下で、1978年に結婚した二人の間には、5人の息子と3人の娘がある。彼女をファーストレディと称する所以はいくつかあるが、その一つは、ハマド首長と第一夫人のマリアム王妃との間に二人の息子がいるにもかかわらず、第二夫人である彼女の子息が皇太子となっていることである。1995年に宮廷クーデタで首長となったハマドは、皇太子としてモーザ妃の長男ジャーシム王子を指名した。そして2003年に突然ジャーシム皇太子位が重い糖尿病のため退位した時、後任の皇太子にはやはりモーザ妃の次男タミームが指名されたのである 。これらの事実からもハマド首長がモーザ王妃をいかに寵愛しているかがわかる。
モーザ王妃はカタル大学を卒業しており、美貌に加え知性も兼ね備えた女性である。彼女は慈善活動や教育活動などの社会活動に熱心であり、同国のマスコミには連日と言ってよいほどその活躍が報道されている。しかも天然ガスから生み出される無尽蔵とも言えるカタルの富がその活動を支えている。王妃は「カタル基金(Qatar Foundation)」の会長である。同基金はカタル国民の教育、研究及び社会福祉を増進することを目的に1995年に設立され、本部は首都ドーハの「教育都市(Education City)」にある 。このユニークな「教育都市」にはカーネギー・メロン大学やジョージタウン大学など米国の6つの大学の分校がある。カタルは教育の充実に力を注いでおり、地域の知的産業(Knowledge Industry)の中心になることを目標としている。同国は、金融、経済及び産業の分野でそれぞれGCCのトップを走るバハレーン、ドバイ或いはサウジアラビアと異なる路線を目指しており、その中心として活躍しているのがモーザ王妃なのである。
勿論、モーザ王妃に限らず中東各国の王妃は、いずれも社会活動に熱心である。それは世界の王侯貴族に共通している「ノブレス・オブリージ(高貴な者の義務)」の意識の表れであり、同時に富める者は貧しい者に手を差し伸べる義務がある、とするイスラムの教えによるものであろう。その意味で、サウジアラビアのアブダッラー国王の王妃も時折その社会活動が報道されるが、戒律の厳しいサウジアラビアでは、その報道はかなり抑制されたものであり、まして素顔の写真などは見られない。
ところがカタルのモーザ王妃の場合、素顔の写真が大きく報道されている。しかも抜群のスタイルと美貌に恵まれた王妃は格好の被写体である。王妃もそれを十分意識しているようであり、常に最新のファッションに身を包み、それでいてイスラム女性の慎ましやかさを失わないように振舞っている。彼女はカメラマンのみならず外国からの賓客にも非常に人気が高いのである。
因みにメディアへの露出度が高い中東の王妃としてモーザ王妃に比肩されるのは、バハレーンのサビーカ王妃とヨルダンのラニア王妃であろう。この3人を比較するとなかなか興味深い。
年齢はモーザ妃が47歳(1959年生)、サビーカ妃は58歳(1948年生)、ラニア妃が最も若い36歳(1970年生)と、ほぼ10歳違いである。子供の数はモーザ妃が8人、サビーカ妃4人、そしてラニア妃は4人である。モーザ妃とサビーカ妃の息子は皇太子であるが、ラニア妃の場合は長男がまだ12歳と若いため、皇太子はアブダッラー国王の異母弟である(なお、先代フセイン国王時代の例もあり、いずれ皇太子は王弟から国王の長男に交代するものと思われる)。
各王妃の出自は大きく異なっており、モーザ妃の実家は非王族のミスナッド家であり、サビーカ妃はハマド国王と同じハリーファ王家の王女である。これに対してヨルダンのラニア妃の父親はパレスチナ人の医師であり、彼女がキャリア・ウーマンとしてアンマンの新聞社に勤めていたときにアブダッラー国王(当時は皇太子)に見初められて結婚したのである。アブダッラーはフセイン国王の長男ではあるが、母親のムナ王妃が英国人であったため、王位継承が危ぶまれた時期もあった。そのためアブダッラーが国王に即位し、ラニアが王妃となった時、彼女は「現代のシンデレラ」と呼ばれたほどである。
現在3人の王妃はファーストレディとして公式の場では夫である国王或いは首長を助け、そして自らも重要なポストに就いて慈善活動、教育活動を中心に活発な活動を行っている。3人の王妃の活動の特色を見ると、カタルのモーザ妃は上に述べたとおり教育活動に力を入れており、バハレーンのサビーカ王妃はアラブ女性の地位向上のため国際的に積極的な活動を行っている。同妃は「アラブ女性連合最高評議会(AWO)」の議長を務めており、先般のイスラエルによるレバノン南部侵攻に際し、ムバラク大統領夫人はじめAWOのメンバーに呼びかけて、即時停戦を求める声明を発表したことなどは、サビーカ王妃の活動例のひとつである 。ヨルダンのラニア王妃の場合は、パレスチナ出身として国内では孤児院訪問などの社会活動に熱心に取り組む一方、その若さと国際的センスを活かして夫のアブダッラーの外国訪問に同行し、各国の要人に中東和平を訴え、同時に貧しい自国に対する援助の取り付けに一役を買っているのである。
カタルのモーザ妃の活動は国内の教育振興事業が中心であり、他の二人に比べて現在のところ国際的な活動は目立たないが、いずれカタルの国際的な地位が向上すると共に、外交の舞台でも活躍するようになるであろう。何しろスタイルと美貌に恵まれ、さらに世界有数の金持ちでもある王妃には、脚光を浴びる要素の全てが備わっている。外国のメディアはそれを見逃さないであろう。そしてカタルの無償援助(ODA)を求める開発途上国、或いはスポンサーとしてカタルを当てにする国際慈善団体など各種のNGO、NPOも、モーザ妃に熱い眼差しを向け始めている。王妃は今後ますますその輝きを増すであろう。
(第7話 完)
(今後の予定)
8.自国民わずか28万人なら西欧流民主主義は不要?
9. 課題はRentier(金利生活)国民のMotivation、倫理観の維持
10.金持ちだからできること、小国だからできないこと
http://mylibrary.maeda1.jp/A02QatarAlThani.pdf
(これまでの内容)
(第1回) はじめに
(第2回) アル・サーニー家の歴史 - 「親から子」への継承ルールを明文化
(第3回) 天然ガスで繁栄を約束されたカタル
(第4回) 内閣と王族:閣僚の過半数が王族
(第5回) 民主主義のシンボル:アル・ジャジーラTV
(第6回) 国威発揚のシンボル:国際イベントの誘致
(第7回) 輝くアラブ女性のシンボル:モーザ王妃

カタル王室のモーザ王妃は抜群のスタイルと美貌を誇るファーストレディである。但し「ファーストレディ」と言う言葉には注釈が必要である。何故なら彼女はハマド首長の第二夫人だからである。ハマド首長には3人の夫人があり、第一夫人と第三夫人は首長と同じサーニー家であるが、第二夫人のモーザ王妃はミスナッド家の出身である。1959年生まれの王妃はハマド首長より7歳年下で、1978年に結婚した二人の間には、5人の息子と3人の娘がある。彼女をファーストレディと称する所以はいくつかあるが、その一つは、ハマド首長と第一夫人のマリアム王妃との間に二人の息子がいるにもかかわらず、第二夫人である彼女の子息が皇太子となっていることである。1995年に宮廷クーデタで首長となったハマドは、皇太子としてモーザ妃の長男ジャーシム王子を指名した。そして2003年に突然ジャーシム皇太子位が重い糖尿病のため退位した時、後任の皇太子にはやはりモーザ妃の次男タミームが指名されたのである 。これらの事実からもハマド首長がモーザ王妃をいかに寵愛しているかがわかる。
モーザ王妃はカタル大学を卒業しており、美貌に加え知性も兼ね備えた女性である。彼女は慈善活動や教育活動などの社会活動に熱心であり、同国のマスコミには連日と言ってよいほどその活躍が報道されている。しかも天然ガスから生み出される無尽蔵とも言えるカタルの富がその活動を支えている。王妃は「カタル基金(Qatar Foundation)」の会長である。同基金はカタル国民の教育、研究及び社会福祉を増進することを目的に1995年に設立され、本部は首都ドーハの「教育都市(Education City)」にある 。このユニークな「教育都市」にはカーネギー・メロン大学やジョージタウン大学など米国の6つの大学の分校がある。カタルは教育の充実に力を注いでおり、地域の知的産業(Knowledge Industry)の中心になることを目標としている。同国は、金融、経済及び産業の分野でそれぞれGCCのトップを走るバハレーン、ドバイ或いはサウジアラビアと異なる路線を目指しており、その中心として活躍しているのがモーザ王妃なのである。
勿論、モーザ王妃に限らず中東各国の王妃は、いずれも社会活動に熱心である。それは世界の王侯貴族に共通している「ノブレス・オブリージ(高貴な者の義務)」の意識の表れであり、同時に富める者は貧しい者に手を差し伸べる義務がある、とするイスラムの教えによるものであろう。その意味で、サウジアラビアのアブダッラー国王の王妃も時折その社会活動が報道されるが、戒律の厳しいサウジアラビアでは、その報道はかなり抑制されたものであり、まして素顔の写真などは見られない。
ところがカタルのモーザ王妃の場合、素顔の写真が大きく報道されている。しかも抜群のスタイルと美貌に恵まれた王妃は格好の被写体である。王妃もそれを十分意識しているようであり、常に最新のファッションに身を包み、それでいてイスラム女性の慎ましやかさを失わないように振舞っている。彼女はカメラマンのみならず外国からの賓客にも非常に人気が高いのである。
因みにメディアへの露出度が高い中東の王妃としてモーザ王妃に比肩されるのは、バハレーンのサビーカ王妃とヨルダンのラニア王妃であろう。この3人を比較するとなかなか興味深い。
年齢はモーザ妃が47歳(1959年生)、サビーカ妃は58歳(1948年生)、ラニア妃が最も若い36歳(1970年生)と、ほぼ10歳違いである。子供の数はモーザ妃が8人、サビーカ妃4人、そしてラニア妃は4人である。モーザ妃とサビーカ妃の息子は皇太子であるが、ラニア妃の場合は長男がまだ12歳と若いため、皇太子はアブダッラー国王の異母弟である(なお、先代フセイン国王時代の例もあり、いずれ皇太子は王弟から国王の長男に交代するものと思われる)。
各王妃の出自は大きく異なっており、モーザ妃の実家は非王族のミスナッド家であり、サビーカ妃はハマド国王と同じハリーファ王家の王女である。これに対してヨルダンのラニア妃の父親はパレスチナ人の医師であり、彼女がキャリア・ウーマンとしてアンマンの新聞社に勤めていたときにアブダッラー国王(当時は皇太子)に見初められて結婚したのである。アブダッラーはフセイン国王の長男ではあるが、母親のムナ王妃が英国人であったため、王位継承が危ぶまれた時期もあった。そのためアブダッラーが国王に即位し、ラニアが王妃となった時、彼女は「現代のシンデレラ」と呼ばれたほどである。
現在3人の王妃はファーストレディとして公式の場では夫である国王或いは首長を助け、そして自らも重要なポストに就いて慈善活動、教育活動を中心に活発な活動を行っている。3人の王妃の活動の特色を見ると、カタルのモーザ妃は上に述べたとおり教育活動に力を入れており、バハレーンのサビーカ王妃はアラブ女性の地位向上のため国際的に積極的な活動を行っている。同妃は「アラブ女性連合最高評議会(AWO)」の議長を務めており、先般のイスラエルによるレバノン南部侵攻に際し、ムバラク大統領夫人はじめAWOのメンバーに呼びかけて、即時停戦を求める声明を発表したことなどは、サビーカ王妃の活動例のひとつである 。ヨルダンのラニア王妃の場合は、パレスチナ出身として国内では孤児院訪問などの社会活動に熱心に取り組む一方、その若さと国際的センスを活かして夫のアブダッラーの外国訪問に同行し、各国の要人に中東和平を訴え、同時に貧しい自国に対する援助の取り付けに一役を買っているのである。
カタルのモーザ妃の活動は国内の教育振興事業が中心であり、他の二人に比べて現在のところ国際的な活動は目立たないが、いずれカタルの国際的な地位が向上すると共に、外交の舞台でも活躍するようになるであろう。何しろスタイルと美貌に恵まれ、さらに世界有数の金持ちでもある王妃には、脚光を浴びる要素の全てが備わっている。外国のメディアはそれを見逃さないであろう。そしてカタルの無償援助(ODA)を求める開発途上国、或いはスポンサーとしてカタルを当てにする国際慈善団体など各種のNGO、NPOも、モーザ妃に熱い眼差しを向け始めている。王妃は今後ますますその輝きを増すであろう。
(第7話 完)
(今後の予定)
8.自国民わずか28万人なら西欧流民主主義は不要?
9. 課題はRentier(金利生活)国民のMotivation、倫理観の維持
10.金持ちだからできること、小国だからできないこと
at 11:21
2006年10月24日
(お知らせ)
本シリーズは「中東と石油」の「A-02 カタールとサーニー家:金持ちだからできること、小国だからできないこと」で一括全文をごらんいただけます。
(これまでの内容)
(第1回) はじめに
(第2回) アル・サーニー家の歴史 - 「親から子」への継承ルールを明文化
(第3回) 天然ガスで繁栄を約束されたカタル
(第4回) 内閣と王族:閣僚の過半数が王族
(第5回) 民主主義のシンボル:アル・ジャジーラTV
(第6回) 国威発揚のシンボル:国際イベントの誘致

人口が少なくGCC6ヶ国の中では最後発国であるカタルは、これまで地味で目立たない国であった。しかし1993年に世界最大規模の埋蔵量を誇る天然ガスの開発に着手し、1998年、日本向けに最初のLNG(液化天然ガス)輸出が開始されるようになってから、同国は世界の注目を集めるようになった。特に環境負荷が少ないエネルギーとして天然ガスが人気を集めている近年は、輸出に一段と拍車がかかり、同国には膨大なドルが流れ込んでいる。
カタルは有り余るドルで空港や道路、電力などのインフラを整備し、超一流のホテルを建設している。人口わずか70万人、しかもその大半は出稼ぎの外国人労働者であり、自国民がわずか30万人弱のため、国内市場はたかがしれている。しかも国土の殆どは何も無い砂漠である。従っていかにインフラを整備しても天然ガスとその関連産業以外の産業が発達する必然性は乏しい。勿論外国企業の進出もエネルギー関連以外では殆ど期待できない。ただ豊かな財政のお陰で国民は税金も無く、しかも教育・医療などの公共サービスを無料で享受しており、失業など深刻な問題は全く見られない。また国民階層の間には隣国のバハレーンのようなシーア派とスンニ派といった宗教の対立も無い。まさに現代のカタルは国中が繁栄に浮かれている。
一人当たり国民所得は世界でもトップレベルであり、またS&Pのソブリン(A+)やMoody’sの外貨建てシーリング(A1)が示すように発行格付けランクもGCC6カ国の中では最高である。しかしカタルの国民や国家がいかに豊かであっても、それだけで国際的な名声を博することはできない。エネルギー問題ではサウジアラビアが常に世界的に注目されており、また湾岸のオイル・ダラーを運用する金融機能ではバーレーンの歴史と経験が光っている。さらに早くから空港、港湾そして自由貿易特区(フリー・トレード・ゾーン)を整備したUAEのドバイは中東のみならず中央アジアや東アフリカまでカバーする物流拠点として押しも押されもせぬ地位を築いている。カタルはそれら全ての面で後発国である。今、同国は資金力にまかせてこれら近隣GCC諸国に追いつこうとしている。金さえかければ設備というハードを整備することはそれほど困難ではない。と言うより黙っていても外国、特に英米のコンサルタントが魅力的な開発プランを提供し、その背後には世界中のゼネコンが群がり、超近代的な設備が次々と完成しているのが現在のカタルの姿であろう。
そのような中でカタルの国際的な知名度を上げる手っ取り早い方法、それが国際イベントの誘致なのである。立派な国際会議場とホテルさえあればどのような国際会議でも開くことができ、また巨大な競技場を作れば国際的なスポーツ・イベントを開催することができる。会議や競技会の運営に必要なノウ・ハウは欧米の専門のプロモーターに外注すれば良い。つまり金さえあれば国際イベントは手軽に開催でき、カタルの国威発揚につながるのである。
こうしてカタルは1997年の第4回中東・北アフリカ(MENA)サミットを皮切りに次々と国際的なイベントを誘致してきた。大きなイベントだけを取り上げても、MENAサミットの他、2001年にはWTO閣僚会議(ドーハ・ラウンド)を開催、そして今年12月にはスポーツの祭典アジア競技大会が開かれる。湾岸地域のビジネス関連の会議など中小のイベントはそれこそ枚挙にいとまがない。実はカタルは、東京が目指している2016年のオリンピック開催地にも立候補しようとしているのである。12月のアジア競技大会が成功すれば、オリンピック開催への夢に一歩近づくことになろう。
内政に殆ど問題らしい問題がないハマド首長は、カタルの国際的な地位の向上に情熱を傾けており、モーザ王妃と夫唱婦随で活発な外交を展開しているが、このような国際イベントは、彼らのプレゼンスを高める絶好の機会でもある。
しかしカタルで開催されたこれまでの二つの大型国際会議、即ちMENAサミット及びWTO閣僚会議は、客観的に見た場合、外見としては無事開催されたものの、実質的な中味として成功とは言い難いものであった。クリントン大統領時代の1997年のMENAサミットは、中東和平の機運が生まれたと判断した米国が、イスラエルの参加を強引に押し付けた結果、サウジアラビアを初めとする主だったアラブ諸国が会議をボイコットし、無残な結果に終わった。参加者が殆どいない会議のひな壇に米国のオルブライト長官(当時)が憮然とした表情で座っている報道写真は印象的であった。また2001年のWTOドーハ・ラウンドは、9.11テロの直後であったため、カタルでの開催が危ぶまれ、シンガポールが代替開催国として名乗りを上げた。しかし、ハマド首長は国家の威信にかけて開催を強行、会議に反対するNGO団体はカタルへの入国を拒否され、ドーハ市内は戒厳令に近い厳重な警備体制が敷かれ、会議参加者は缶詰状態でホテルと会議場を往復したのである。会議そのものはドーハ・ラウンドとしての決議を採択したが、その後の動きが示すようにWTOは今や完全に閉塞状況にあると言えよう。
MENAサミットにしろWTOにしろ、会議の成果にカタルの直接の責任がある訳ではない。しかし見方を変えれば、カタルには主催国として会議を成功に導くような力量はなかった、と言えないだろうか。通常、国際的な会議を自国で行う場合は、主催国は面子にかけても何らかの成果を出すべく、会議の表舞台、裏舞台を問わず必死の努力をするものである。しかしカタルには参加国を説得するだけの力量がなく、それは所詮小国の限界でもあろう。カタルの国際会議誘致は、単なる「貸し席業」にすぎず、カタルの名前を世界に売り込むことが最大の眼目であると言わざるを得ない。金持ちだからできること、小国だからできないこと。その意味で、カタルの国際イベント誘致は、あくまでも同国の国威発揚のシンボルなのである。
(第6話 完)
(今後の予定)
7.活躍する女性のシンボル:モーザ王妃
8.自国民わずか28万人なら西欧流民主主義は不要?
9. 課題はRentier(金利生活)国民のMotivation、倫理観の維持
10.金持ちだからできること、小国だからできないこと
本シリーズは「中東と石油」の「A-02 カタールとサーニー家:金持ちだからできること、小国だからできないこと」で一括全文をごらんいただけます。
(これまでの内容)
(第1回) はじめに
(第2回) アル・サーニー家の歴史 - 「親から子」への継承ルールを明文化
(第3回) 天然ガスで繁栄を約束されたカタル
(第4回) 内閣と王族:閣僚の過半数が王族
(第5回) 民主主義のシンボル:アル・ジャジーラTV
(第6回) 国威発揚のシンボル:国際イベントの誘致

人口が少なくGCC6ヶ国の中では最後発国であるカタルは、これまで地味で目立たない国であった。しかし1993年に世界最大規模の埋蔵量を誇る天然ガスの開発に着手し、1998年、日本向けに最初のLNG(液化天然ガス)輸出が開始されるようになってから、同国は世界の注目を集めるようになった。特に環境負荷が少ないエネルギーとして天然ガスが人気を集めている近年は、輸出に一段と拍車がかかり、同国には膨大なドルが流れ込んでいる。
カタルは有り余るドルで空港や道路、電力などのインフラを整備し、超一流のホテルを建設している。人口わずか70万人、しかもその大半は出稼ぎの外国人労働者であり、自国民がわずか30万人弱のため、国内市場はたかがしれている。しかも国土の殆どは何も無い砂漠である。従っていかにインフラを整備しても天然ガスとその関連産業以外の産業が発達する必然性は乏しい。勿論外国企業の進出もエネルギー関連以外では殆ど期待できない。ただ豊かな財政のお陰で国民は税金も無く、しかも教育・医療などの公共サービスを無料で享受しており、失業など深刻な問題は全く見られない。また国民階層の間には隣国のバハレーンのようなシーア派とスンニ派といった宗教の対立も無い。まさに現代のカタルは国中が繁栄に浮かれている。
一人当たり国民所得は世界でもトップレベルであり、またS&Pのソブリン(A+)やMoody’sの外貨建てシーリング(A1)が示すように発行格付けランクもGCC6カ国の中では最高である。しかしカタルの国民や国家がいかに豊かであっても、それだけで国際的な名声を博することはできない。エネルギー問題ではサウジアラビアが常に世界的に注目されており、また湾岸のオイル・ダラーを運用する金融機能ではバーレーンの歴史と経験が光っている。さらに早くから空港、港湾そして自由貿易特区(フリー・トレード・ゾーン)を整備したUAEのドバイは中東のみならず中央アジアや東アフリカまでカバーする物流拠点として押しも押されもせぬ地位を築いている。カタルはそれら全ての面で後発国である。今、同国は資金力にまかせてこれら近隣GCC諸国に追いつこうとしている。金さえかければ設備というハードを整備することはそれほど困難ではない。と言うより黙っていても外国、特に英米のコンサルタントが魅力的な開発プランを提供し、その背後には世界中のゼネコンが群がり、超近代的な設備が次々と完成しているのが現在のカタルの姿であろう。
そのような中でカタルの国際的な知名度を上げる手っ取り早い方法、それが国際イベントの誘致なのである。立派な国際会議場とホテルさえあればどのような国際会議でも開くことができ、また巨大な競技場を作れば国際的なスポーツ・イベントを開催することができる。会議や競技会の運営に必要なノウ・ハウは欧米の専門のプロモーターに外注すれば良い。つまり金さえあれば国際イベントは手軽に開催でき、カタルの国威発揚につながるのである。
こうしてカタルは1997年の第4回中東・北アフリカ(MENA)サミットを皮切りに次々と国際的なイベントを誘致してきた。大きなイベントだけを取り上げても、MENAサミットの他、2001年にはWTO閣僚会議(ドーハ・ラウンド)を開催、そして今年12月にはスポーツの祭典アジア競技大会が開かれる。湾岸地域のビジネス関連の会議など中小のイベントはそれこそ枚挙にいとまがない。実はカタルは、東京が目指している2016年のオリンピック開催地にも立候補しようとしているのである。12月のアジア競技大会が成功すれば、オリンピック開催への夢に一歩近づくことになろう。
内政に殆ど問題らしい問題がないハマド首長は、カタルの国際的な地位の向上に情熱を傾けており、モーザ王妃と夫唱婦随で活発な外交を展開しているが、このような国際イベントは、彼らのプレゼンスを高める絶好の機会でもある。
しかしカタルで開催されたこれまでの二つの大型国際会議、即ちMENAサミット及びWTO閣僚会議は、客観的に見た場合、外見としては無事開催されたものの、実質的な中味として成功とは言い難いものであった。クリントン大統領時代の1997年のMENAサミットは、中東和平の機運が生まれたと判断した米国が、イスラエルの参加を強引に押し付けた結果、サウジアラビアを初めとする主だったアラブ諸国が会議をボイコットし、無残な結果に終わった。参加者が殆どいない会議のひな壇に米国のオルブライト長官(当時)が憮然とした表情で座っている報道写真は印象的であった。また2001年のWTOドーハ・ラウンドは、9.11テロの直後であったため、カタルでの開催が危ぶまれ、シンガポールが代替開催国として名乗りを上げた。しかし、ハマド首長は国家の威信にかけて開催を強行、会議に反対するNGO団体はカタルへの入国を拒否され、ドーハ市内は戒厳令に近い厳重な警備体制が敷かれ、会議参加者は缶詰状態でホテルと会議場を往復したのである。会議そのものはドーハ・ラウンドとしての決議を採択したが、その後の動きが示すようにWTOは今や完全に閉塞状況にあると言えよう。
MENAサミットにしろWTOにしろ、会議の成果にカタルの直接の責任がある訳ではない。しかし見方を変えれば、カタルには主催国として会議を成功に導くような力量はなかった、と言えないだろうか。通常、国際的な会議を自国で行う場合は、主催国は面子にかけても何らかの成果を出すべく、会議の表舞台、裏舞台を問わず必死の努力をするものである。しかしカタルには参加国を説得するだけの力量がなく、それは所詮小国の限界でもあろう。カタルの国際会議誘致は、単なる「貸し席業」にすぎず、カタルの名前を世界に売り込むことが最大の眼目であると言わざるを得ない。金持ちだからできること、小国だからできないこと。その意味で、カタルの国際イベント誘致は、あくまでも同国の国威発揚のシンボルなのである。
(第6話 完)
(今後の予定)
7.活躍する女性のシンボル:モーザ王妃
8.自国民わずか28万人なら西欧流民主主義は不要?
9. 課題はRentier(金利生活)国民のMotivation、倫理観の維持
10.金持ちだからできること、小国だからできないこと
at 10:04
2006年10月15日
(お知らせ)
本シリーズは「中東と石油」の「A-02 カタールとサーニー家:金持ちだからできること、小国だからできないこと」で一括全文をごらんいただけます。
(これまでの内容)
(第1回) はじめに
(第2回) アル・サーニー家の歴史 - 「親から子」への継承ルールを明文化
(第3回) 天然ガスで繁栄を約束されたカタル
(第4回) 内閣と王族:閣僚の過半数が王族
(第5回) 民主主義のシンボル:アル・ジャジーラTV
ビジネスマンがカタルと言えばまず思い浮かべるのは「アル・ジャジーラ・テレビ(以下ジャジーラTV)」であろう。ジャジーラTV(正式英文名:Al Jazeera)は1996年、アラビア語圏初のニュース専門放送として中東の小国カタールで開局した。Al Jazeeraとはアラビア語で「島」または「半島」を意味する。発信地カタールがアラビア半島の一部であり、カタール自身がアラビア湾に突き出た半島であることに命名のいわれがあると考えられる。
ジャジーラTVのルーツはBBCが1994年に開始したアラビア語放送である。しかし1996年、サウジアラビア王家に関する報道に対して、サウジアラビア政府がBBCに放映内容の事前検閲を求めたことが両国の外交問題に発展し、結局BBCはアラビア語放送を中止した。この時、カタールが担当スタッフの多くを雇い入れてジャジーラTVを開局したのである。これには前年の1995年、首長の外遊中に息子の皇太子が王室クーデターを敢行して首長位を奪ったというカタールの国内事情も影響している。新国王はカタールのイメージアップを図り民主化のポーズを世界に示す手段としてアラビア語圏初のニュース専門衛星放送、ジャジーラTVを設立したのである。
ジャジーラTVは開局と同時に既成TVに飽き足らない視聴者の強い支持を受けた。しかしジャジーラTVの名前を決定的にし、CNN、BBCと並ぶ世界的なニュースブランドに押し上げたのは、アフガニスタン内戦時のタリバン政権やイラクのフセイン政権等これまで欧米メディアが取材不可能であった政権内部からのニュースを世界に向けて独占的に放映したことであろう。それまで欧米からの一方的なニュース報道にフラストレーションを感じていたアラブ・イスラム圏の視聴者はジャジーラTVに飛び付き、欧米メディアもジャジーラTVを貴重なニュースソースとして利用し始めたのである。
ジャジーラTVが世界で認知されたのはアフガニスタンやイラク政権内部からのいわゆるインサイダー・レポートであるが、躍進の契機となったのは9.11テロ事件後、米国が同事件の首謀者として国際指名手配したテロ組織アル・カイダのリーダー、オサマ・ビン・ラーデンとの単独インタビューに成功し、その後もアル・カイダが提供するビデオを放映し続けたことである。更には2003年3月のイラク戦争では、欧米メディアが米英軍の従軍記者として報道したのに対し、ジャジーラTVはイラク国内からの衛星中継により空爆やロケット砲の攻撃による被害状況を克明に報道して近代戦争の恐ろしさを印象付けた。
またイラク戦争後、極度に治安が悪化したイラク国内で旧政権残党や国際テロ組織による外国人誘拐事件が多発すると、ジャジーラTVは誘拐組織が提供する人質の映像ビデオを放映し、また日本政府を含めた人質関係国の政府要人によるインタビューや親族による人質解放要求メッセージ放映などはジャジーラTVの独壇場となりその知名度は飛躍的に高まった。
ジャジーラTVは「一つの意見とその反対意見(“The opinion and the counter opinion”)」をモットーとしており、普遍的な立場で両サイドの意見を公平に報道するということである。しかしながらこれはテロ組織が提供する情報をそのまま放映するいわば「情報のたれ流し」により、結局テロ組織の情報宣伝活動の片棒をかつぐことにもなりかねない。米国はこのようなジャジーラTVの対応を厳しく非難していた。そして人質処刑のビデオが(一部カットはされたものの)放映されるまでエスカレートすると、さすがに一般視聴者もその行き過ぎた報道に批判的になったのである。
ジャジーラTVは1996年にカタール首長の下賜金1.5億ドルで設立され、その後も毎年数千万ドルの補助金が交付されるなどカタール政府の財政的支援のもとにある。会長はカタールを支配するアル・サーニー家の一族ハマド・ビン・サーメルである。同社の知名度が上がるに伴い現在ではスポンサー収入が40%を占めているようである。
同TVは実力をつけるに従い、これまでタブーとされてきたアラブ諸国の政治問題に取り組んだ結果、各国との摩擦が生じた。そのため1998年から2002年にかけて、ヨルダン支局、クウェイト支局、パレスチナ支局、バハレーン支局などが、短期間ではあるが閉鎖に追い込まれた。また2002年にはサウジアラビアとヨルダンの王室批判報道に対し両国が駐カタール大使を召還するなどの事件も発生している。一部のアラブ諸国にとってジャジーラTVが目障りな存在であることは間違いない。
ジャジーラTVは最近になって英語放送開始と民営化という二つの大きな計画を打ち出した。すなわち英語放送を開始することにより、これまでのアラブ語圏という限定されたメディアから世界レベルの信頼度の高いメディアに変貌することを狙い、また民営化により体制従属型メディアから独立不羈のメディアに変貌しようとしている。
しかし民営化については、現オーナーのカタール首長はジャジーラTVの持つ世界的なメディアとしての価値を簡単には手放さないと思われる。現在の経営形態が続く限り、同TVにはカタールの国益を害さないと言う制約がつきまとう。それはつまりカタール国家あるいは現首長に関する不利な報道はしないことであり、またカタール外交を危険に陥れるような報道を控えることであろう。小国であるカタールは米国に中央軍司令部基地を提供するなど米国寄りの姿勢が明確である。と同時にサウジアラビア、イランなど周辺各国にも相応の配慮し、これらの国々を刺激することは避けたいはずであり、そのためジャジーラTVの報道内容には、常に自主規制の影がつきまとうであろう。
ジャジーラTVが民営化され、また有力スポンサーの獲得により財政的な自立を確保することは可能であろうか。その場合、放送拠点をカタール以外に移転したとしても、現在のアラブ諸国の大半は米国追随型であり、また隣接各国との紛争を抱えているため、同じような制約条件を課されるものと思われる。と同時に報道の自由を盾にアラブの為政者あるいは国民感情を逆なでするような報道が多発すれば、為政者或いは視聴者自身によるスポンサー商品(その多くは欧米或いは日本製品である)のボイコットと言う事態が発生しスポンサーが番組を降りることも考えられる。
残念ながらアラブの一般大衆はいまだ扇動に踊らされやすく、為政者はメディアを自己の保身と宣伝の道具としか考えないレベルにとどまっているのが実情である。ジャジーラTVが中東の安定と成長に寄与するのであれば将来「ノーベル平和賞」を受賞する可能性を秘めている。しかしその一方では「早熟のメディア」として歴史のあだ花に終わる恐れもある。今がジャジーラTVの正念場であろう。
(第5回完)
(今後の予定)
6.国威発揚のシンボル:国際イベントの誘致
7.活躍する女性のシンボル:モーザ王妃
8.自国民わずか28万人なら西欧流民主主義は不要?
9.課題はRentier(金利生活)国民のMotivation、倫理観の維持
10.金持ちだからできること、小国だからできないこと
本シリーズは「中東と石油」の「A-02 カタールとサーニー家:金持ちだからできること、小国だからできないこと」で一括全文をごらんいただけます。
(これまでの内容)
(第1回) はじめに
(第2回) アル・サーニー家の歴史 - 「親から子」への継承ルールを明文化
(第3回) 天然ガスで繁栄を約束されたカタル
(第4回) 内閣と王族:閣僚の過半数が王族
(第5回) 民主主義のシンボル:アル・ジャジーラTV

ジャジーラTVのルーツはBBCが1994年に開始したアラビア語放送である。しかし1996年、サウジアラビア王家に関する報道に対して、サウジアラビア政府がBBCに放映内容の事前検閲を求めたことが両国の外交問題に発展し、結局BBCはアラビア語放送を中止した。この時、カタールが担当スタッフの多くを雇い入れてジャジーラTVを開局したのである。これには前年の1995年、首長の外遊中に息子の皇太子が王室クーデターを敢行して首長位を奪ったというカタールの国内事情も影響している。新国王はカタールのイメージアップを図り民主化のポーズを世界に示す手段としてアラビア語圏初のニュース専門衛星放送、ジャジーラTVを設立したのである。
ジャジーラTVは開局と同時に既成TVに飽き足らない視聴者の強い支持を受けた。しかしジャジーラTVの名前を決定的にし、CNN、BBCと並ぶ世界的なニュースブランドに押し上げたのは、アフガニスタン内戦時のタリバン政権やイラクのフセイン政権等これまで欧米メディアが取材不可能であった政権内部からのニュースを世界に向けて独占的に放映したことであろう。それまで欧米からの一方的なニュース報道にフラストレーションを感じていたアラブ・イスラム圏の視聴者はジャジーラTVに飛び付き、欧米メディアもジャジーラTVを貴重なニュースソースとして利用し始めたのである。
ジャジーラTVが世界で認知されたのはアフガニスタンやイラク政権内部からのいわゆるインサイダー・レポートであるが、躍進の契機となったのは9.11テロ事件後、米国が同事件の首謀者として国際指名手配したテロ組織アル・カイダのリーダー、オサマ・ビン・ラーデンとの単独インタビューに成功し、その後もアル・カイダが提供するビデオを放映し続けたことである。更には2003年3月のイラク戦争では、欧米メディアが米英軍の従軍記者として報道したのに対し、ジャジーラTVはイラク国内からの衛星中継により空爆やロケット砲の攻撃による被害状況を克明に報道して近代戦争の恐ろしさを印象付けた。
またイラク戦争後、極度に治安が悪化したイラク国内で旧政権残党や国際テロ組織による外国人誘拐事件が多発すると、ジャジーラTVは誘拐組織が提供する人質の映像ビデオを放映し、また日本政府を含めた人質関係国の政府要人によるインタビューや親族による人質解放要求メッセージ放映などはジャジーラTVの独壇場となりその知名度は飛躍的に高まった。
ジャジーラTVは「一つの意見とその反対意見(“The opinion and the counter opinion”)」をモットーとしており、普遍的な立場で両サイドの意見を公平に報道するということである。しかしながらこれはテロ組織が提供する情報をそのまま放映するいわば「情報のたれ流し」により、結局テロ組織の情報宣伝活動の片棒をかつぐことにもなりかねない。米国はこのようなジャジーラTVの対応を厳しく非難していた。そして人質処刑のビデオが(一部カットはされたものの)放映されるまでエスカレートすると、さすがに一般視聴者もその行き過ぎた報道に批判的になったのである。
ジャジーラTVは1996年にカタール首長の下賜金1.5億ドルで設立され、その後も毎年数千万ドルの補助金が交付されるなどカタール政府の財政的支援のもとにある。会長はカタールを支配するアル・サーニー家の一族ハマド・ビン・サーメルである。同社の知名度が上がるに伴い現在ではスポンサー収入が40%を占めているようである。
同TVは実力をつけるに従い、これまでタブーとされてきたアラブ諸国の政治問題に取り組んだ結果、各国との摩擦が生じた。そのため1998年から2002年にかけて、ヨルダン支局、クウェイト支局、パレスチナ支局、バハレーン支局などが、短期間ではあるが閉鎖に追い込まれた。また2002年にはサウジアラビアとヨルダンの王室批判報道に対し両国が駐カタール大使を召還するなどの事件も発生している。一部のアラブ諸国にとってジャジーラTVが目障りな存在であることは間違いない。
ジャジーラTVは最近になって英語放送開始と民営化という二つの大きな計画を打ち出した。すなわち英語放送を開始することにより、これまでのアラブ語圏という限定されたメディアから世界レベルの信頼度の高いメディアに変貌することを狙い、また民営化により体制従属型メディアから独立不羈のメディアに変貌しようとしている。
しかし民営化については、現オーナーのカタール首長はジャジーラTVの持つ世界的なメディアとしての価値を簡単には手放さないと思われる。現在の経営形態が続く限り、同TVにはカタールの国益を害さないと言う制約がつきまとう。それはつまりカタール国家あるいは現首長に関する不利な報道はしないことであり、またカタール外交を危険に陥れるような報道を控えることであろう。小国であるカタールは米国に中央軍司令部基地を提供するなど米国寄りの姿勢が明確である。と同時にサウジアラビア、イランなど周辺各国にも相応の配慮し、これらの国々を刺激することは避けたいはずであり、そのためジャジーラTVの報道内容には、常に自主規制の影がつきまとうであろう。
ジャジーラTVが民営化され、また有力スポンサーの獲得により財政的な自立を確保することは可能であろうか。その場合、放送拠点をカタール以外に移転したとしても、現在のアラブ諸国の大半は米国追随型であり、また隣接各国との紛争を抱えているため、同じような制約条件を課されるものと思われる。と同時に報道の自由を盾にアラブの為政者あるいは国民感情を逆なでするような報道が多発すれば、為政者或いは視聴者自身によるスポンサー商品(その多くは欧米或いは日本製品である)のボイコットと言う事態が発生しスポンサーが番組を降りることも考えられる。
残念ながらアラブの一般大衆はいまだ扇動に踊らされやすく、為政者はメディアを自己の保身と宣伝の道具としか考えないレベルにとどまっているのが実情である。ジャジーラTVが中東の安定と成長に寄与するのであれば将来「ノーベル平和賞」を受賞する可能性を秘めている。しかしその一方では「早熟のメディア」として歴史のあだ花に終わる恐れもある。今がジャジーラTVの正念場であろう。
(第5回完)
(今後の予定)
6.国威発揚のシンボル:国際イベントの誘致
7.活躍する女性のシンボル:モーザ王妃
8.自国民わずか28万人なら西欧流民主主義は不要?
9.課題はRentier(金利生活)国民のMotivation、倫理観の維持
10.金持ちだからできること、小国だからできないこと
at 21:22
2006年10月08日
((お知らせ)
本シリーズは「中東と石油」の「A-02 カタールとサーニー家:金持ちだからできること、小国だからできないこと」で一括全文をごらんいただけます。
これまでの内容)
(第1回) はじめに
(第2回) アル・サーニー家の歴史 - 「親から子」への継承ルールを明文化
(第3回) 天然ガスで繁栄を約束されたカタル
(第4回)内閣と王族:閣僚の過半数が王族
カタルの首相はハマド首長が任命する。内閣の閣僚の人数は首相以下17人であり、過半数の9人がアル・サーニー家の王族である。GCC各国の内閣はいずれも多くの王族が閣僚ポストを占めているが、閣僚の人数が過半数を超えているのはカタルとバハレーンだけである。カタルではアル・サーニー家が全ての国政を掌握しているのである。
王族閣僚の肩書と名前は次の通りである。
肩書 名前
首相 アブダッラー・ビン・ハリーファ・アル・サーニー
第一副首相兼外相 ハマド・ビン・ジャーシム・ビン・ジャービル・アル・サーニー
国防相 ハマド・ビン・ハリーファ・アル・サーニー
内相 アブダッラー・ビン・ハーリド・アル・サーニー
通信・運輸相 アハマド・ビン・ナーセル・アル・サーニー
都市・農業相 アブドルラハマン・ビン・ハリーファ・ビン・アブドルアジズ・アル・サーニー
内務担当国務相 アブダッラー・ビン・ナーセル・ビン・ハリーファ・アル・サーニー
国務相 ハマド・ビン・アブダッラー・ビン・ムハンマド・アル・サーニー
国務相 ハマド・ビン・スヘイム・アル・サーニー
アブダッラー首相はハマド首長の異母弟であり、国防相はハマド首長自身が兼務している。上記でわかるとおり首相及び国防相を含め外相、内相など枢要なポストは王族が独占している。国家元首であるハマド首長が国防相を兼務し内閣の序列では首相の下位にある。これは、ハマド首長が立法・行政・司法の三権の全てを掌握する最高権力者であり、首相は単なる行政部門のトップにすぎないことを示している。ハマド首長自身が父親である前首長を追放して元首となったことを含め、カタルは過去三代続けて宮廷クーデタにより元首が交代しているため、現首長は国防軍を自分の直接の指揮下に置き睨みをきかせているのであろう。
なお非王族の閣僚ではアッティヤ家のアブダッラー・アル・アティヤがナンバー3、即ち第二副首相兼エネルギー・工業相兼水電力相のポストにある。ハマド首長の生母(ハリーファ前首長の第一夫人)がアッティヤ家出身であることなど、同家は準王族と見て差し支えない有力家系である。
王族閣僚をハマド首長との血縁の遠近で見ると、首相は異母弟(前首長の第三夫人の長男)、アブダッラー内相及びハマド・ビン・スヘイム国務相は従兄弟であり、首長と近い親族である。しかし、ハマド第一副首相兼外相などはアル・サーニー家の初代首長にまでさかのぼる遠縁の親族である。このことからサーニー家はアラブの部族の特徴でもある一族の強い結束を現在も維持していることがわかる。
しかしこのように一族の全てを抱え込むと、王族の人数は際限なく増えることになる。因みにアル・サーニー家の家系図で見ると、ハマド首長の四親等(即ち従兄弟まで)の男子親族だけで約50人を数える。従ってアル・サーニー家の男子王族の総数が数百人に達することは間違いない。そのうち閣僚として登用される王族はごく一握りであり、その他大勢の王族をどのように扶養するかは、アル・サーニー家の大きな問題であろうと推測される。
特にカタルのような小国では石油・天然ガス以外にめぼしい産業は無く、雇用は政府とその関係機関に限定される。そのため現在も官公庁あるいは石油・天然ガス・金融・通信業など政府の支配が及ぶあらゆる分野の有力ポストにアル・サーニー家の王族が群がっている。
カタルの人口の4割は未成年者であり、若年者の雇用創出が大きな課題となっているが、カタル国内の雇用吸収力は限られている。但し、石油・天然ガスの豊かな収入があり、それに比較して人口が少ないカタルでは手厚い社会保障を維持することができるため、失業による生活苦と言う問題は今後も発生しないであろう。しかし、仕事も無く、無為徒食に明け暮れる若者が増えれば社会の不安定化につながる。また数少ない雇用のポストをめぐって不明朗な縁故主義がはびこり、就職に有利な王族と不利な一般市民との間に溝が生まれる。しかも王族の中においてすらその勢力関係によって不平等が生まれることは間違いないであろう。
現在の豊かな生活が保証されれば、カタルの大人達はある程度の不平等を我慢するであろう。しかし若者は、格差或いは機会の不均等に不満を抱き、イスラム原理主義に走り、社会不安を引き起こす恐れもある。若者の不満、それは豊かな社会の中の贅沢な不満である。豊かであればあるが、小さな部族国家のカタルにはそれなりの問題が潜んでいるように思われる。
(第4回 完)
(今後の予定)
5.民主主義のシンボル:アル・ジャジーラTV
6.国威発揚のシンボル:国際イベントの誘致
7.活躍する女性のシンボル:モーザ王妃
8.自国民わずか28万人なら西欧流民主主義は不要?
9. 課題はRentier(金利生活)国民のMotivation、倫理観の維持
10.金持ちだからできること、小国だからできないこと
本シリーズは「中東と石油」の「A-02 カタールとサーニー家:金持ちだからできること、小国だからできないこと」で一括全文をごらんいただけます。
これまでの内容)
(第1回) はじめに
(第2回) アル・サーニー家の歴史 - 「親から子」への継承ルールを明文化
(第3回) 天然ガスで繁栄を約束されたカタル
(第4回)内閣と王族:閣僚の過半数が王族
カタルの首相はハマド首長が任命する。内閣の閣僚の人数は首相以下17人であり、過半数の9人がアル・サーニー家の王族である。GCC各国の内閣はいずれも多くの王族が閣僚ポストを占めているが、閣僚の人数が過半数を超えているのはカタルとバハレーンだけである。カタルではアル・サーニー家が全ての国政を掌握しているのである。
王族閣僚の肩書と名前は次の通りである。
肩書 名前
首相 アブダッラー・ビン・ハリーファ・アル・サーニー
第一副首相兼外相 ハマド・ビン・ジャーシム・ビン・ジャービル・アル・サーニー
国防相 ハマド・ビン・ハリーファ・アル・サーニー
内相 アブダッラー・ビン・ハーリド・アル・サーニー
通信・運輸相 アハマド・ビン・ナーセル・アル・サーニー
都市・農業相 アブドルラハマン・ビン・ハリーファ・ビン・アブドルアジズ・アル・サーニー
内務担当国務相 アブダッラー・ビン・ナーセル・ビン・ハリーファ・アル・サーニー
国務相 ハマド・ビン・アブダッラー・ビン・ムハンマド・アル・サーニー
国務相 ハマド・ビン・スヘイム・アル・サーニー
アブダッラー首相はハマド首長の異母弟であり、国防相はハマド首長自身が兼務している。上記でわかるとおり首相及び国防相を含め外相、内相など枢要なポストは王族が独占している。国家元首であるハマド首長が国防相を兼務し内閣の序列では首相の下位にある。これは、ハマド首長が立法・行政・司法の三権の全てを掌握する最高権力者であり、首相は単なる行政部門のトップにすぎないことを示している。ハマド首長自身が父親である前首長を追放して元首となったことを含め、カタルは過去三代続けて宮廷クーデタにより元首が交代しているため、現首長は国防軍を自分の直接の指揮下に置き睨みをきかせているのであろう。
なお非王族の閣僚ではアッティヤ家のアブダッラー・アル・アティヤがナンバー3、即ち第二副首相兼エネルギー・工業相兼水電力相のポストにある。ハマド首長の生母(ハリーファ前首長の第一夫人)がアッティヤ家出身であることなど、同家は準王族と見て差し支えない有力家系である。
王族閣僚をハマド首長との血縁の遠近で見ると、首相は異母弟(前首長の第三夫人の長男)、アブダッラー内相及びハマド・ビン・スヘイム国務相は従兄弟であり、首長と近い親族である。しかし、ハマド第一副首相兼外相などはアル・サーニー家の初代首長にまでさかのぼる遠縁の親族である。このことからサーニー家はアラブの部族の特徴でもある一族の強い結束を現在も維持していることがわかる。
しかしこのように一族の全てを抱え込むと、王族の人数は際限なく増えることになる。因みにアル・サーニー家の家系図で見ると、ハマド首長の四親等(即ち従兄弟まで)の男子親族だけで約50人を数える。従ってアル・サーニー家の男子王族の総数が数百人に達することは間違いない。そのうち閣僚として登用される王族はごく一握りであり、その他大勢の王族をどのように扶養するかは、アル・サーニー家の大きな問題であろうと推測される。
特にカタルのような小国では石油・天然ガス以外にめぼしい産業は無く、雇用は政府とその関係機関に限定される。そのため現在も官公庁あるいは石油・天然ガス・金融・通信業など政府の支配が及ぶあらゆる分野の有力ポストにアル・サーニー家の王族が群がっている。
カタルの人口の4割は未成年者であり、若年者の雇用創出が大きな課題となっているが、カタル国内の雇用吸収力は限られている。但し、石油・天然ガスの豊かな収入があり、それに比較して人口が少ないカタルでは手厚い社会保障を維持することができるため、失業による生活苦と言う問題は今後も発生しないであろう。しかし、仕事も無く、無為徒食に明け暮れる若者が増えれば社会の不安定化につながる。また数少ない雇用のポストをめぐって不明朗な縁故主義がはびこり、就職に有利な王族と不利な一般市民との間に溝が生まれる。しかも王族の中においてすらその勢力関係によって不平等が生まれることは間違いないであろう。
現在の豊かな生活が保証されれば、カタルの大人達はある程度の不平等を我慢するであろう。しかし若者は、格差或いは機会の不均等に不満を抱き、イスラム原理主義に走り、社会不安を引き起こす恐れもある。若者の不満、それは豊かな社会の中の贅沢な不満である。豊かであればあるが、小さな部族国家のカタルにはそれなりの問題が潜んでいるように思われる。
(第4回 完)
(今後の予定)
5.民主主義のシンボル:アル・ジャジーラTV
6.国威発揚のシンボル:国際イベントの誘致
7.活躍する女性のシンボル:モーザ王妃
8.自国民わずか28万人なら西欧流民主主義は不要?
9. 課題はRentier(金利生活)国民のMotivation、倫理観の維持
10.金持ちだからできること、小国だからできないこと
at 10:24
2006年09月20日
(お知らせ)
本シリーズは「中東と石油」の「A-02 カタールとサーニー家:金持ちだからできること、小国だからできないこと」で一括全文をごらんいただけます。
(これまでの内容)
(第1回) はじめに
(第2回) アル・サーニー家の歴史 - 「親から子」への継承ルールを明文化
(第3回) 天然ガスで繁栄を約束されたカタル
カタルはOPEC(石油輸出国機構)の加盟国であるが、生産(割当)量は72.6万B/Dで加盟11か国中最も少ない。世界全体でも21位であり(BP統計2006年による)決して大きな産油国とは言えない。カタルの名を高らしめているのは世界第3位の埋蔵量を有する天然ガスと近年急速に拡大しているLNG(液化天然ガス)輸出のおかげである。
カタル半島北部のアラビア(ペルシャ)湾にあるNorth Field(北部ガス田)と呼ばれる巨大な天然ガス田は、イランのSouth Pars(南パルスガス田)とつながった世界最大のガス埋蔵地帯である。カタルの天然ガス資源の量は25.8兆立方メートル(石油換算1,680億バレル)で、ロシア、イランに次ぎ世界第3位である 。これは同国の年間生産量の150年分に相当し、カタルの天然ガス資源は無尽蔵、と言って差し支えないのである。三井物産、丸紅、伊藤忠も出資している二つのLNGプラント(Qatargas及びRasGas)から、昨年は2,300万トンのLNGが輸出されており、その最大の輸入国は日本である。天然ガスは石油に比べクリーンなエネルギーとして脚光を浴び、世界的に需要が急増している。このためLNGプラントの大規模な増設を行っており、2012年にはインドネシアを抜いて世界最大の輸出国(計画輸出量7,810万トン)となる見込みである。またLNG輸出のほか周辺国にパイプラインで天然ガスを輸出する計画(ドルフィン・プロジェクト)、或いはGTL(Gas to liquid)と呼ばれる天然ガスを常温の液体燃料に転換するプラントなど野心的な計画も推進している。
LNGの輸出が増え、またその価格が石油と連動して急上昇したことにより、カタルの歳入及びGDPも急拡大している。GDPについて見ると、1990年代の初め同国のGDPは70億ドル台であったが 、昨年の名目GDPは6倍以上の421億ドルに達しており、実質GDPの対前年伸び率は昨年11.1%(実績)、今年12.1%(見込み)、来年10.6%(予想)、と3年連続して二桁の成長が見込まれている 。
この結果、一人当たりのGDPは世界第4位の50,600ドル(2005年、因みに日本は35,700ドル)となり、来年はさらに68,000ドルに達する見込みである。なお、この計算の基礎となるカタルの人口は80万人であるが、そのうちの6割強は外国人の出稼ぎ労働者である。このためIIF (The International Finance, Inc.)では、カタルの自国民の一人当たりGDPはこの数値よりさらに大きいであろう、と述べている 。因みに筆者が独自に試算したところ、2005年のカタル自国民の一人当たりGDPは114,000ドルという驚異的な数値になる(詳しくは2006/8/20付けMENA Informant「湾岸3カ国の本当の一人当たりGDP」参照)。
カタルには天然ガス輸出の見返りとして膨大なドルが流れ込んでいる。現在、その一部は巨大な空港や、高層ビル、リゾートホテルなどの建設ラッシュを生み出し、また消費財の輸入が急増している。さらに今年12月のアジア大会に向けて豪華な施設が次々と建設されている。国内経済はまさにバブル状態である。しかし、人口はわずか70万人であり、国内だけでは膨大なドルを吸収しきれない。余剰資金は外貨預金或いは直接・間接の対外投資となって外国に還流しており、カタルの純在外資産(Net Foreign Assets)は500億ドル(GDPの1.2倍)に達すると見られる。
資源は無尽蔵で、しかもクリーンエネルギーとして世界から引く手あまたの天然ガスに恵まれたカタルは、今ブームの真っ只中にあり、さらに今後当分の間はブームが続くであろう。ハマド首長をトップとするアル・サーニー家は、このようなカタルをどのように統治していこうとするのであろうか。
次回はカタルの内閣とアル・サーニー家の王族閣僚について述べることとする。
(今後の予定)
4. 内閣と王族閣僚
5. 民主主義のシンボル:アル・ジャジーラTV
6. 国威発揚のシンボル:国際イベントの誘致
7. 活躍する女性のシンボル:モーザ王妃
8. 自国民わずか28万人なら西欧流民主主義は不要?
9. 課題はRentier(金利生活)国民のMotivation、倫理観の維持
10. 金持ちだからできること、小国だからできないこと
本シリーズは「中東と石油」の「A-02 カタールとサーニー家:金持ちだからできること、小国だからできないこと」で一括全文をごらんいただけます。
(これまでの内容)
(第1回) はじめに
(第2回) アル・サーニー家の歴史 - 「親から子」への継承ルールを明文化
(第3回) 天然ガスで繁栄を約束されたカタル

カタル半島北部のアラビア(ペルシャ)湾にあるNorth Field(北部ガス田)と呼ばれる巨大な天然ガス田は、イランのSouth Pars(南パルスガス田)とつながった世界最大のガス埋蔵地帯である。カタルの天然ガス資源の量は25.8兆立方メートル(石油換算1,680億バレル)で、ロシア、イランに次ぎ世界第3位である 。これは同国の年間生産量の150年分に相当し、カタルの天然ガス資源は無尽蔵、と言って差し支えないのである。三井物産、丸紅、伊藤忠も出資している二つのLNGプラント(Qatargas及びRasGas)から、昨年は2,300万トンのLNGが輸出されており、その最大の輸入国は日本である。天然ガスは石油に比べクリーンなエネルギーとして脚光を浴び、世界的に需要が急増している。このためLNGプラントの大規模な増設を行っており、2012年にはインドネシアを抜いて世界最大の輸出国(計画輸出量7,810万トン)となる見込みである。またLNG輸出のほか周辺国にパイプラインで天然ガスを輸出する計画(ドルフィン・プロジェクト)、或いはGTL(Gas to liquid)と呼ばれる天然ガスを常温の液体燃料に転換するプラントなど野心的な計画も推進している。
LNGの輸出が増え、またその価格が石油と連動して急上昇したことにより、カタルの歳入及びGDPも急拡大している。GDPについて見ると、1990年代の初め同国のGDPは70億ドル台であったが 、昨年の名目GDPは6倍以上の421億ドルに達しており、実質GDPの対前年伸び率は昨年11.1%(実績)、今年12.1%(見込み)、来年10.6%(予想)、と3年連続して二桁の成長が見込まれている 。
この結果、一人当たりのGDPは世界第4位の50,600ドル(2005年、因みに日本は35,700ドル)となり、来年はさらに68,000ドルに達する見込みである。なお、この計算の基礎となるカタルの人口は80万人であるが、そのうちの6割強は外国人の出稼ぎ労働者である。このためIIF (The International Finance, Inc.)では、カタルの自国民の一人当たりGDPはこの数値よりさらに大きいであろう、と述べている 。因みに筆者が独自に試算したところ、2005年のカタル自国民の一人当たりGDPは114,000ドルという驚異的な数値になる(詳しくは2006/8/20付けMENA Informant「湾岸3カ国の本当の一人当たりGDP」参照)。
カタルには天然ガス輸出の見返りとして膨大なドルが流れ込んでいる。現在、その一部は巨大な空港や、高層ビル、リゾートホテルなどの建設ラッシュを生み出し、また消費財の輸入が急増している。さらに今年12月のアジア大会に向けて豪華な施設が次々と建設されている。国内経済はまさにバブル状態である。しかし、人口はわずか70万人であり、国内だけでは膨大なドルを吸収しきれない。余剰資金は外貨預金或いは直接・間接の対外投資となって外国に還流しており、カタルの純在外資産(Net Foreign Assets)は500億ドル(GDPの1.2倍)に達すると見られる。
資源は無尽蔵で、しかもクリーンエネルギーとして世界から引く手あまたの天然ガスに恵まれたカタルは、今ブームの真っ只中にあり、さらに今後当分の間はブームが続くであろう。ハマド首長をトップとするアル・サーニー家は、このようなカタルをどのように統治していこうとするのであろうか。
次回はカタルの内閣とアル・サーニー家の王族閣僚について述べることとする。
(今後の予定)
4. 内閣と王族閣僚
5. 民主主義のシンボル:アル・ジャジーラTV
6. 国威発揚のシンボル:国際イベントの誘致
7. 活躍する女性のシンボル:モーザ王妃
8. 自国民わずか28万人なら西欧流民主主義は不要?
9. 課題はRentier(金利生活)国民のMotivation、倫理観の維持
10. 金持ちだからできること、小国だからできないこと
at 08:49