Saudi Arabia

2018年01月17日

 

2018.1.17

荒葉一也

Areha_Kazuya@jcom.home.ne.jp

 

急膨張するPIF

 昨年10月、サウジアラビアのリヤドで同国の国富ファンドPIF(Public Investment Fund)による「フューチャー・インベストメント・イニシアティブ」が開かれた[1]。主催者はサルマン国王の子息ムハンマド皇太子(頭文字をとってMbSと呼ばれることが多い)であり、彼はPIFの会長でもある。会議にはIMFのラガルド専務理事の他、世界の有力投資家など総勢3,500人が集まり、ソフトバンクの孫会長はメインゲストとして招待された。ソフトバンクとムハンマド皇太子率いるPIF201610月に1千億ドル(10兆円)のソフトバンク・ビジョン・ファンド設立に合意している[2](正式発足は20175月でファンドの登記上の本社は英国)。ハイテク産業を投資対象としたこの世界最大のファンドにはPIFとソフトバンクがそれぞれ450億ドル及び250億ドルを出資し、その他アブダビの国富ファンドムバダラ開発、米アップル、クアルコム、オラクル、鴻海など世界のIT業界を代表する企業が出資を確約している。

 

 PIFの投資対象はハイテク技術産業に限らない。以下に述べるとおり米国のライドシェアサービス企業Uberなどの外国企業のほか、紅海の大規模都市開発計画NEOMなどの国内事業にも手を広げ、その膨張はとどまるところを知らない勢いである。

 

突然変異したPIF

 PIFは世界に数多くある政府系ファンド、国富ファンド(SWF)と呼ばれるファンドの一つであり、その歴史は古く国家の戦略的プロジェクトを資金面から支えることを目的に1971年に設立された。第一次石油ショック(1973)の直前で当時UAE(アブダビ)、クウェイト、カタールなど周辺の産油国でもオイルマネーを原資としてKIA(クウェイト投資庁)ADIA(アブダビ投資庁)QIA(カタール投資庁)などのSWFが次々と設立されている。

 

 しかしサウジアラビアの資金運用は保守的であり、米国政府証券などリスクの少ない金融商品に限られ、運用窓口も中央銀行のSAMA(サウジ通貨機関)が担っていた。従ってつい最近までは独立投資機関ではないSAMAがサウジアラビアを代表するSWFとみなされPIFの影は薄かった。

 

 状況が大きく動いたのはムハンマドが政治経済の表舞台に登場して以降のことである。アブダッラー前国王の後を継いでサルマンが第七代国王に即位すると、彼は最愛の息子ムハンマドを国防大臣に登用、さらに一部の反対を押し切って彼を副皇太子、のちには皇太子に任命したのである[3]。ムハンマドは国内の経済開発を一手に握るCEDA(経済・開発会議)のトップに就任、併せてPFIトップも兼任する。

 

 ワシントンのSWF Instituteが発表する世界の政府系ファンドの2013年ランクを見るとPIFの資金量は530億ドルであり世界45位であった。因みにこの時の世界1位はノルウェーの政府年金基金でその資金量は7,372億ドル、2位がSAMA(サウジアラビア通貨機構、当時は通貨庁)6,759億ドルであった。しかし昨年9月のランクではPIFは運用資産1,830億ドルで世界13位に上昇しており、SAMAの運用資産は5,140億ドル(世界5)とされている。2013年から2017年の間にSAMAの資産の多くがPIFに移転したことがわかる。

 

(続く)



[1]Big business comes to Saudi Arabia” on 2017/10/24, Arab News

http://www.arabnews.com/node/1182391/saudi-arabia

[2] “Kingdom investing billions in global technology fund” on 2016/10/15, Arab News

http://www.arabnews.com/node/998076/business-economy

[3] タラール王子(アルワリード王子の父親)が反対の急先鋒であった。本シリーズその1「スケープゴートにされたアルワリード王子」参照。



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2018年01月11日

(注)本レポート上・下は「OCIN-Initiative(荒葉一也ホームページ)」で一括してご覧いただけます。

 http://ocininitiative.maeda1.jp/Commentary.html

 

2018.1.11

荒葉一也

Areha_Kazuya@jcom.home.ne.jp

 

親子二代にわたる遺恨の様相

MbS
 このようにサウド家一族のこれまでの勢力争いの歴史を念頭に考えると今回の汚職摘発による王族の逮捕拘束にはファハド、スルタン、ナイフ亡き後のスデイリ・セブンの最後の砦であるサルマン国王とムハンマド皇太子がムッテーブ王子などアブダッラー前国王派の一掃を画策、アルワリード王子はそのとばっちりを受けてスケープゴートにされたと考えることができる。アルワーリド王子に対する唐突な拘束と巨額の釈放金の要求にはサルマン国王・ムハンマド皇太子父子とタラール王子・アルワリード王子父子という親子二代にわたる遺恨の様相がみえてくるのである。

 

 ムハンマド皇太子は昨年11月のニューヨーク・タイムズのインタビューにおいて「我が国は1980年台から汚職にけがされ、検察当局は逮捕者から1千億ドルを回収できると見込んでいる」と語り、今回の王族摘発は権力掌握のためとの憶測を否定、「2015年初めから当局に命じて内偵してきた」と述べている[1]

 

 しかし皇太子の言葉を鵜呑みにはできない。トランプ米大統領は今回の皇太子の勇断を評価しているが、トランプ大統領以外の世界中のメディアや政治家、評論家は汚職摘発の陰にサウド家内の権力闘争の臭いをかいでいる。特にサウジアラビアと深い利害関係を持つ金融界や経済界のビジネスマンたちは関心と同時にサウジ経済の先行きに強い懸念を抱き始めた。

 

 アルワリード王子が本当に容疑を受けるような汚職に手を染めたのか、それが釈放金60億ドルに値するほどの大罪なのか、真相は明らかではない。ムハンマド皇太子は汚職のルーツは1980年代にさかのぼると述べているが、アルワリード王子自身はそのころは既に欧米での投資事業に軸足を移しており、国内ではほとんど活動していない。当時はファハドが皇太子として実権を握り、1982年に第5代国王に即位すると、その後は2005年にファハドが亡くなるまで彼を頂点とするスデイリ兄弟が国政を壟断する時代が続いたのである。その時期は丁度石油収入が右肩上がりに増え、インフラ開発に莫大な国費が投じられ、欧米諸国から巨額の武器を調達した時代であった。国内建設業者あるいは海外武器メーカーとの取引で巨額のリベートがファハド国王はじめスルタン国防相、ナイフ内相、サルマンリヤド州知事のスデイリ兄弟たちに流れたと見てほぼ間違いないであろう。

 

 その当時のスデイリ兄弟にすればリベートは当然の分け前であり、石油の富は彼ら以外の王族あるいは一般国民にもいきわたっていたので罪の意識は薄かったかもしれない。しかし21世紀に入ると分配すべき富に限りが生まれた。分け前にあずかることのできる王族はアブダッラー国王の身近な王族や取り巻きに限られてくる。しかも国王の余命も長くはない。従って取り巻きの王族や高級官僚が競って蓄財に励んだであろうことは容易に想像できる。

 

 近年汚職が蔓延し一般国民の間に支配層に対する不信感が高まったのは事実であろう。ムハンマド皇太子はその機運を捕えて政敵の排除に乗り出したと言えよう。アルワリード王子はスケープゴートにされたのである。

 

今後の行方は?

 アブダッラー国王の子息ミッテーブは当局と早々と妥協、10億ドルを支払って釈放された[2]。しかしアルワリード王子は釈放金の支払いを拒否し法廷闘争に持ち込む構えを見せている。彼が本当に法廷で裁かれるのか、それともムハンマドとアルワリードが妥協し何らかの条件付きで釈放されるのかは予断を許さない。彼が拘束されている超高級ホテル リッツ・カールトンは225日から一般客の宿泊を受け入れるようである[3]。これから判断してアルワリード王子の処遇も近々決定するものと思われる。

 

 ムハンマドはかなり頑なな性格の持ち主であり、カタール問題でもクウェイトの調停を無視し断交を続けている[4]。ここでも反イランで同調するトランプ米大統領の後押しが皇太子の強気を支えている。しかし妥協のない外交や政治は長続きしない。アルワリード王子も裁判に備えて超一流の弁護士を雇うであろう。場合によってはこれまでのビジネス活動を通じてサルマン一族の秘密を握っている可能性も否定できない。法廷で両者の暴露合戦が展開されればサウド家及びサウジアラビアに対する国際評価は地に落ちる。双方にとって何もプラスはない。

 

 今回の事件はこれまでサウジアラビアと商取引や投資を行い、あるいは今後ビジョン2030のビジネスチャンスを狙う世界のビジネスマンにとってかなりの影響があろう。サウジアラビアの王族あるいは閣僚、有力ビジネスマンとの取引にかなり慎重になることは間違いない。今回の摘発はサウジ人だけであったが、今後場合によっては外国人ビジネスマンに累が及ばない保証は無いからである。あるいはそのような状況にもかかわらず間隙を縫って皇太子とその取り巻きに取り入り私腹を肥やす外国人も現れるであろう。機を見るに敏な彼らは暴利をむさぼった末、状況が不利と判断するや手のひらを返すように去っていくに違いない。サウジアラビアに汚職の種が尽きることはなさそうである。

 

 いずれにしてもサウジアラビア経済は当分の間混乱と低迷の時代が続く予感がする。

 

以上



[1] “Saudi Crown Prince says anti-corruption drive is essential for the Kingdom’s reputation” on 2017/11/24, Arab News

http://www.arabnews.com/node/1198521/saudi-arabia

[2] “Saudi prince freed in $1bn deal: official” on 2017/11/30, Daily Tribune (Bahrain)

http://www.newsofbahrain.com/viewNews.php?ppId=39980&TYPE=Posts&pid=22&MNU=3&SUB=

[3] “Riyadh Ritz-Carlton to reopen doors for guests from Feb. 25” on 2018/1/5, Saudi Gazette

http://saudigazette.com.sa/article/525507/SAUDI-ARABIA/Riyadh-Ritz-Carlton-to-reopen-doors-for-guests-from-Feb-25

[4] レポート「いよいよ GCC 解体か?―GCC 首脳会議を振り返って」参照。

http://mylibrary.maeda1.jp/0429GccSummitDec2017.pdf 



drecom_ocin_japan at 09:01コメント(0) 

2018年01月09日

(注)本レポート上・下は「OCIN-Initiative(荒葉一也ホームページ)」で一括してご覧いただけます。

 http://ocininitiative.maeda1.jp/Commentary.html


2018.1.9

荒葉一也

Areha_Kazuya@jcom.home.ne.jp

 

釈放金60億ドル?

alwaleed2

 昨年1223日付のWall Street Journalは、リヤドのリッツ・カールトン・ホテルに身柄を拘束されているサウド家王族で世界有数の大富豪アルワリード王子について当局が釈放金として60億ドル(邦貨約6,600億円)を提示したと伝えた[1]

 

 11月初めにムハンマド・ビン・サルマン皇太子(略称MbS)の指揮権発動により王族、閣僚、有力ビジネスマンなど約200人が汚職容疑で逮捕拘束された。当局は全容を明らかにしていないが、主な拘束者はアルワリード王子の他、王族ではアブダッラー前国王子息のミッテーブ王子及びトルキ王子(前リヤド州知事)、閣僚経験者のアッサーフ財務相、ファキーハ前経済・計画相、そしてビジネスマンでは国内最大のゼネコン、サウジ・ビン・ラーデン・グループのバクル会長、同じく国内最大手の旅行代理店Al Tayyar Travel一族のNasser al-Tayyarなど錚々たるメンバーである[2]。因みに父親から国家警備隊相のポストを継承したミッテーブ王子及びファキーハ前経済・計画相は共に逮捕の前日に解任されたばかりである[3]

 

 取調べの済んだ拘束者たちは順次釈放されつつあるが、伝えられるところでは釈放に際して当局から釈放金の額が提示され、それに応じた者が釈放されていると言われる。因みに11月末に釈放されたミッテーブ王子の場合は10億ドル(1,100億円)を支払ったと報じられている[4]。アルワリード王子に対しては前記の通り当局から60億ドルが提示されたようである。毎年世界の億万長者の資産順位を公表している米Forbes誌によればアルワリード王子の資産総額は187億ドルとされ、世界第45位の富豪である(ちなみに1位はマイクロソフト創業者ビル・ゲイツの860億ドル、ソフトバンクの孫正義CEO212億ドルで世界34)[5]。釈放金60億ドルはとてつもない金額であり、王子は資産の3分の1を失うことになる。王子自身は自分の資産は人生の25年以上をかけて築き上げた正当なものであり、拘束されること自体が理不尽で、釈放金の支払いには応じられないと側近に話していると伝えられる。そして彼は2カ月を経た今もリッツ・カールトン・ホテルに軟禁されたままである。

 

アルワリード王子の華麗なビジネス遍歴

 アルワリード王子は1955年初代国王アブドルアジズの18男タラール王子の長男として生まれた。彼はサルマン現国王の甥であり、ムハンマド皇太子とは従兄同士である。但し父親のタラール王子はアブドルアジズ初代国王とコーカサス出身の王妃の間に生まれた男子であり、これに対してサルマン国王は良く知られている通り名家スデイリ家出身のハッサ王妃の息子、いわゆるスデイリ・セブンの一人である。しかも若き日のタラール王子はエジプト・ナセル大統領のアラブ民族主義運動に感化されて祖国を捨ててエジプトにわたり、「自由プリンス」と呼ばれてサウド家改革運動を唱えた。しかしタラール王子の運動はナセルに利用されただけに終わり、結局彼はサウド家に詫びを入れ帰国したのであった。

 

 このような経緯があったためタラール王子は実質的に王位継承権をはく奪され、息子のアルワリード王子も政府中枢における出世の道を断たれた。このためアルワリードはビジネス界に転身、国内建設業から身を興しシティ・バンク、フォーシーズンズホテル、アップル等々世界の一流企業への投資で現在の国際的富豪の地位を築いたのである[6]

 

 アルワリードはスデイリ・セブンの長兄ファハド国王の時代にはサウジアラビアの国内投資には全く興味を示さなかった。当時のサウジアラビアには彼のお眼鏡に適う投資対象が無かったからであり、同時にファハド国王からスルタン皇太子兼国防相、ナイフ内相さらにサルマン・リヤド州知事(いずれも当時の肩書)に至るスデイリ兄弟が政治経済の利権を独占しており他の王族が入り込む余地はなかったのである。

 

 しかし国王がファハドからアブダッラーに替わると、アブダッラー国王は自分の子息を含めタラール王子やその息子アルワリードなどこれまで冷や飯を食ってきたスデイリ・セブン以外の王族を積極的に登用、特に経済を近代化、国際化するため、国際経験豊かなアルワリード王子にアドバイザー的役割を求めたのである。アルワリード王子はアブダッラーの期待に応え、サウジ企業の株式を積極的に購入して株式市場を活性化させるとともに、自らもジェッダにドバイのブルジュ・ハリーファをしのぐ世界最高層ビルの建設を推進したのである。

 

 なおタラール王子は自ら王位継承を求めることができないが故に王位継承権を決定するサウド家の私的諮問機関「忠誠委員会」において率直な発言を繰り返し、スルタン皇太子が実弟ナイフ内相の副皇太子への任命を画策したとき、あるいはスルタンが亡くなりナイフ新皇太子がサルマンを副皇太子に据えようとしたとき、タラール王子は王位をスデイリ兄弟でたらいまわしにすることに公然と反対した。このようにアブダッラー国王の晩年はそれまでと逆に、現在のサルマン国王、ムハンマド皇太子を含めたスデイリ兄弟とその一族が冷や飯を食っていたと言えるのである。

 

続く

 



[1] “The Price of Freedom for Saudi Arabia’s Richest Man: $6 Billion” on 2017/12/23, The Wal Street Journal

https://www.wsj.com/articles/the-price-of-freedom-for-saudi-arabias-richest-man-6-billion-1513981887

[2]Anti-graft committee will ‘create new era of financial transparency’ in KSA” on 2017/11/6, Arab News

http://www.arabnews.com/node/1188886/saudi-arabia

[3]Cabinet reshuffle, crackdown on corruption in Saudi Arabia” on 2017/11/5, Arab News

http://www.arabnews.com/node/1188521/saudi-arabia

[4] “Saudi prince freed in $1bn deal: official” on 2017/11/30, Daily Tribune(Bahrain)

[6] アルワリード王子の活躍については新潮新書「アラブの大富豪」第3章(前田高行著)参照。



drecom_ocin_japan at 09:09コメント(0) 

2017年11月09日

サウジアラビア王家に関する下記データを更新しましたのでご利用ください。

・アブダッラー前国王家家系図 (Muteb国家警備隊相解任)
・ムクリン元皇太子家家系図 (Mansourアシール州副知事事故死)



drecom_ocin_japan at 17:57コメント(0) 

2017年04月26日

下記のサウジアラビア王家々系図を更新しましたのでご利用ください。

・サルマン国王家家系図:http://menadabase.maeda1.jp/3-1-7.pdf 

・故スルタン元皇太子家家系図:http://menadabase.maeda1.jp/3-1-5.pdf



drecom_ocin_japan at 21:29コメント(0)トラックバック(0) 
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