UAE(Abu Dhabi, Dubai)

2010年03月20日

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5.美貌の歌姫殺人事件(2008年7月)

 2008年7月、ドバイの高級マンションでレバノン人の流行歌手スザンヌ・タミーム(30)が何者かによってのどを切り裂かれて殺された。1996年にベイルートの有名音楽番組Studio El Fanで優勝、その美貌とハスキーな声で一躍トップシンガーに躍り出たスザンヌは、次々とヒットを飛ばす一方、数々の浮名を流すスキャンダル歌手でもあった。

 

 最初の夫と離婚した後、音楽プロデューサーのアーデル・マトゥークと結婚、アーデルはスザンヌのマネージャーに納まった。しかしトラブルが絶えず二人は離婚した。アーデルは離婚後彼女を中傷さらには横領、名誉棄損などで訴えた。元夫の嫌がらせに嫌気のさしたスザンヌはついにベイルートからエジプトのカイロに逃れ、そこで歌手活動を続けた。2006年には「Lovers」というタイトルのシングル・アルバムを出したが、これはレバノンの元首相で暗殺されたハリリに捧げられた曲である。

 

 しかしこれを最後に彼女はファンの前から姿を消した。派手好きでスキャンダラスな生活を送っていた彼女に何が起こったのか人々はいぶかしがったが、彼女は2007年にはドバイの高級住宅街ジュメイラ地区にあるコンドミニアムで暮らし始めた。そこでも彼女の奔放さはおさまらず、イラク生まれの英国キックボクシングチャンピオンと三度目の結婚をしている

 

そんな彼女に2008728日、突然の不幸が襲った。自宅マンションで何者かによって鋭利な刃物で喉を掻き切られ殺されたのである。ドバイ警察の大掛かりな捜査により犯人は間もなく逮捕された。犯人の名はモホセン・アル・スカリ。39歳のエジプト人元警官であった。彼は留置場で自殺を図ったが一命を取り留めたと言われる。但しこのあたりはゴシップ誌の報道であり真偽のほどは定かではない。しかし彼が自分は200万ドルの報酬で雇われた殺し屋である、と告白し、依頼者の名前を明かした時、世間はあっと驚いたのである。

 

 モホセンが明かしたスザンヌ殺害の依頼者はヒシャム・タラート・ムスタファ。ヒシャムはエジプト有数の建設・不動産コングロマリットを築いた富豪タラート・ムスタファの末息子でありグループ企業の不動産部門のCEOをつとめていた。彼自身、資産8億ドルの押しも押されもせぬ大富豪として諮問議会の議員も兼ねており、富と名誉を兼ね備えたエリート中のエリートである。そのような彼が殺人の罪で逮捕され裁判にかけられた。

 

 ヒシャムが200万ドルでモホセンにスザンヌ殺害を依頼した理由は彼女の心変わりに対する復讐だったようである。スザンヌがベイルートからエジプトに逃れ、ヒシャムと出会ったのは2004年の夏、紅海沿岸にある同国の有名な避暑地ウム・アル・シェイクだった。彼女は前夫アーデルから身を守るため、そしてエジプトでの新たな活躍の場を求めてヒシャムに色香で近づき彼を籠絡したのであろう。男を手玉に取る手練手管にたけたスザンヌにとって、財閥の御曹司ヒシャムを籠絡することなどたやすいことだったに違いない。ヒシャムの富と名声を利用してスザンヌは一流歌手としてカムバックした。

 

 50歳近いヒシャムには妻と3人の子供がいたため、二人の間は愛人関係として続いた。しかし彼女が飽きっぽかったのか、或いはヒシャムの彼女への執着が強過ぎたのか、セザンヌは次第に彼を避けるようになった。そしてついにスザンヌはまたもやドバイに逃げ出した、と言う訳である。しかし彼女がドバイでイラク人のキック・ボクサーと結婚したと知るや、50男の嫉妬心に火がついた。ヒシャムは殺し屋にスザンヌ殺害を頼んだのである。犯行の翌年(2009)5月、裁判所は彼に第1級殺人罪による絞首刑の判決を下した。法廷にあるのは地位も名誉も分別も忘れ嫉妬に狂った一人の中年男の姿であった。

 

 しかし実は話はこれで終わった訳ではない。死刑を宣告されたヒシャム及び彼の兄弟たちは再審請求に乗り出した。金に糸目をつけず最も優秀な弁護士を雇って判決の逆転を狙った。裁判と言う表舞台だけではなく、舞台裏で有力筋に働きかけたのは間違いないであろう。ヒシャム本人の命と彼ら一族の名誉が掛かっているだけに、金にものを言わせたはずである。エジプトは法治国家とは言うものの縁故主義や賄賂がはびこっていることは周知の事実である。金で殺し屋を雇えるのであれば、金で死刑も免れることができる、と言う訳である。

 

 そして今年3月、裁判所はヒシャム側の再審請求を認めた。再審は2カ月以内に開始されることになった。何故か再審理由は明らかにされていない。再審の結果がどうなるかについて、世間の誰しもが口には出さないものの解っている。いずれにしてもベイルート、カイロそしてドバイの三つの都市をまたにかけた世紀のスキャンダルは今後も末永く語り継がれるであろう。

 

(続く)

 

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2010年03月15日

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4.英国人カップルが浜辺で性行為(2008年10月)


 200810月、ドバイの裁判所は、浜辺で性行為に及んだ英国人のカップルに3カ月の実刑と、刑期終了後の即時国外退去を命じる判決を下した。女性はドバイのメディアで働いており、男性は観光で訪れていた。二人は7月の早朝、大量に酒を飲んだ後、何と浜辺の海水浴場という公共の場所で性行為に及んだというのである。アルコール類が禁止され、自由恋愛もご法度、ポルノ雑誌も発禁等々、イスラムの戒律が厳しいアラブのど真ん中でまさかそのようなことがあり得ようとは誰も想像しなかったはずである。

 

 湾岸諸国の中でも戒律の厳しさは国によって異なる。筆者が駐在していたサウジアラビアはその中でも最も厳しい国として知られている。外国人といえどもアルコールは厳禁である。従って酒が飲めるのは治外法権で守られている大使館だけ。若い大使館員の仕事の一つにロンドンでのビール、ウィスキー、ワインなどの買い付けがある。買い付けた酒類を大きな木箱で厳重に梱包してサウジアラビアに送るのである。箱の荷札には無関係な品物の名前が書かれているが、大使館御用達のため税関は中味をチェックできない。

 

 天皇誕生日などにはNational Dayとして各国大使館を招待したパーティーがひらかれ、アルコール類が振る舞われる。その時駐在員夫妻もお相伴にあずかり貴重な酒をいただくことができる。パーティーにはサウジ政府高官もいるがなにしろ治外法権の大使館の中だから文句をつけられることはない。大使館はこのほかにも民間人の我々を慰労する目的で正月パーティーを催し、ふんだんな酒と専属シェフによる日本料理を供してくれる。

 

 一方、ドバイではホテルで酒を自由に飲むことができ、また駐在する外国人は身分証明書があれば特定の店でアルコール類を自由に買うことができる。さらにナイトクラブもあり、世界各地のショー・ビジネスを楽しめる。サウジアラビアなど周辺イスラム諸国に気兼ねして、さすがに自粛した演出であるが、世界各地のダンサーが流れ込む。そうなると秘かに夜のビジネス目当ての女性も紛れ込む。ドバイの「闇の世界」は確実に成長している。

 

 ドバイには今や日本企業が数百社進出している。日本人の数はリヤド、アブダビ、クウェイトなど周辺GCC諸国に比べて断トツに多い。その理由は簡単である。ドバイ国際空港とジュベル・アリ自由港に世界中から人とモノが集まるからである。ドバイで開かれる国際見本市に世界各国からビジネスマンが訪れ、彼はドバイで数泊してから周辺諸国や中央アジア、アフリカへと足を延ばす。自動車、家電製品、日用雑貨品なども大型コンテナ船で一旦ドバイに荷揚げして仕分けされ、別な航空便や船便で最終目的地に送られる。

 

ドバイは人と物の世界的な中継基地である。人を引き付ける魅力はロンドン、ニューヨークには及ばないとしても、香港やシンガポールに匹敵する。世界各国の空港の乗降客ランクを見ると、1位シカゴ、2位北京、3位ロンドン(ヒースロー)5位成田と続きドバイ空港は世界16位であり、シンガポール(22)よりも上である。しかも他の空港が軒並み乗降客を減らす中で、上位空港の中で前年より乗降客が増えたのはドバイと北京だけである。また海上コンテナの取扱量は、1位シンガポール、2位上海、3位香港と続き、ドバイは堂々6位である(因みに日本は東京の世界24位が最高)。

 

ドバイはこのように極めて魅力に富んだ都市である。筆者が今も鮮明に覚えているのは大阪でドバイとサウジアラビアのビジネスセミナーを行った時のことである。サウジアラビアは筆者が受け持ち、ドバイのPRはドバイ政府機関の駐日代表者(日本人)が行った。筆者は税制、優遇措置などもっぱら実務的なPRを行ったのに対してドバイの駐日代表者は開口一番、「ドバイはアラブでもなくイスラムでもありません。日本人駐在員が必要とするものは何でもそろっている自由で便利な都市です。過激派テロもいません。だから何も心配することはありません。」と説明したのである(彼の名誉のために付言するなら、彼は夜の世界について言及した訳ではない)。ともかくこれが簡にして要を得たドバイ紹介なのである。

 

冒頭の英国人カップルの事件はこのような自由なドバイ、そしてバブルに浮かれるドバイで起こるべくして起こった事件と言えよう。ただそれにしても白昼堂々と浜辺で性行為を行うとはあまりにも常軌を逸している。拙著「アラブの大富豪」のドバイの章で、太陽が燦々と降り注ぎコバルト・ブルーの澄んだ海がどこまでも続くアラビア湾、と書いた。英国人カップルはそのような蠱惑に満ちたアラビア湾の砂浜でアルコールとバブルに酔いつつ、どのような夢を見ていたのであろうか。

 

(続く)

 

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2010年03月11日

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3.不動産バブルの果てに(2008年8月)

 サウジ人判事の麻薬不法所持事件(前回参照)と同じ20088月、ドバイ政府系不動産企業ナヒール社は、幹部の一人を収賄容疑で調査中であると公表した。そのわずか1日前には不動産ノンバンクTamweel社の前CEOの不正が発覚、また数か月前、ドバイ・イスラム銀行とその子会社デヤール社にも捜査の手が入り、デヤール社のCEOが逮捕される事件が発生した。これら各社はいずれもドバイ政府の息がかかった企業ばかりである。特にナヒール社はドバイを代表する巨大不動産開発企業であり沖合を埋め立て巨大な椰子の木型の人工リゾート島のパームアイランドを造成していることで有名である。

 

 ナヒール社幹部の収賄額は8億ドルというとてつもない金額であるが、オイルブームによって過熱し、総額2兆ドルともいわれる天文学的な規模の不動産建設ラッシュに沸きたっていた当時の湾岸諸国にとって8億ドルの不正はささやかな額と言えなくはない。ともかく2008年前半までのドバイでは金銭感覚が麻痺していたのである。

 

  2008年に入ってドバイ司法当局が不動産取引に絡む不正の摘発を強化した。ドバイのバブルに終焉の兆しが訪れ、それとともに過去の膿が一斉に噴き出したことが背景にある。前年秋の米国のサブプライムショックで世界経済が一気に冷え込み、オイルブームに沸く湾岸諸国の不動産業界にも黄信号が灯りはじめ、それまでの放漫経営に対する監視の目が厳しくなったのである。

 

 逆説的に言えばバブルの時代は経営のチェック機能が働かず不祥事は表面化しなかったが、バブルがはじけ経営が厳しくなったため問題が顕在化したとも言える。Tamweel社のようにCEO自らによる横領事件の場合、彼が辞任するまで事件が発覚することはなかったと考えられる。ドバイ政府が株主の会社で政府自身がバブルに浮かれている国(しかも司法の独立など名目的にすぎないドバイ)では、経済犯罪は隠蔽されるケースが少なくないであろう。類似の事件が闇から闇に葬られていたことは間違いないはずである。

 

 バブルの経済事件はこのような大型犯罪だけではない。外国からの出稼ぎ者が不動産ローンを踏み倒して帰国するケースも少なくない。そもそも今回のドバイの不動産バブルには主に二つの要因がある。一つは使い切れないオイルマネーが運用先を求めてドバイの不動産市場に殺到したことである。そしてもう一つの理由はドバイ政府が外国人による不動産取得を認めたことである。もともと人口の9割近くが外国人のドバイでは自国民だけを相手にしたのでは不動産ビジネスの規模が限られる。また出稼ぎ外国人と言っても低賃金の肉体労働者ばかりではなく、銀行のマネージャー、エンジニア、医師などかなりの高給取りも多い。そこで市場の底辺を拡大するために外国人にも不動産市場の門戸を開いたのである。

 

 彼ら一時滞在の外国人がドバイの不動産を取得するのは居住が目的ではなくあくまで転売である。バブル最盛期に「Off-Plan Sales Before Construction」と言う言葉があった。計画(プラン)ができただけで未だ建設に取り掛かってもいない不動産の販売である。客は中味も確認しないまま手付金を支払う。建設が始まると思惑で価格にプレミアムがつく。最初の購入者はすぐに転売して利ザヤを稼ぐ。建設が進むにつれて価格はますます高騰し、人々が我先に飛びつく。こうして数度の転売が繰り返される。完成しても実際に入居するのは2割にも満たない。大半の購入者はさらなる値上がりを待つのである。

 

 購入資金は銀行が必要なだけ貸してくれる。オイルマネーが次々と流れ込んでくるため、銀行間の貸出競争も熾烈になり、ローン審査は甘くなる。そこそこの給料の外国人ならほとんど無審査と言ってもよい。労働ビザで入国している外国人は、雇い主との労働契約が切れた場合ローンを完済しなければ出国のビザがもらえない仕組みになっている。そこに貸し付ける銀行側の落とし穴があった。

 

 このようなバブルが永久に続くはずは無い。バブルが弾けた時貧乏くじを引くのは転売された物件の現在の所有者であろう。ドバイでは2008年から2009年にかけて不動産が暴落し、軒並みピーク時の半値以下になった。最後に買った者は転売しても大損が出る。さらに不景気のため先ず外国人の首が切られた。失業した外国人はローンも返済できず進退極まったのである。

 

 ついに彼らは夜逃げ(国外逃亡)を図った。ローンが残っており正規の出国ビザは取れないため、一時休暇を装って出国する。空港の駐車場には彼らが乗り捨てた高級外車が置き去りにされるという寸法である。

 

 それでは地元のドバイ人たちは無傷だったのだろうか。彼らの中にもバブルに踊り大きな損失を受けた者がいたことは間違いない。王族や大富豪も例外ではなかったはずである。しかし大富豪が破綻したという話は全く聞こえてこない(唯一の例外はサウジアビアのゴサイビ及びサード財閥である)。彼らは今回程度のバブル崩壊ではびくともしないほどの財力を持っているのか、さもなくば政府が何らかの尻拭いをしているとも考えられる。

 

 全てが不透明なドバイは弱肉強食、魑魅魍魎が跋扈する世界。権力者に近い者、狡猾な者、目端が利く者だけが生き延びる、何でもありの世界なのである。

 

(続く)

 

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2010年03月04日

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2.麻薬不法所持事件(2008年8月)

 20088月、ドバイの滞在先のホテルでサウジ人男性が麻薬不法所持の容疑で逮捕された。コーランで麻薬の使用を厳禁されているイスラム社会では麻薬の所持や売買は厳罰に処せられる。それでも近年湾岸諸国には麻薬がはびこり、麻薬不法所持のニュースそのものは目新しいものではなかった。しかし逮捕者がサウジアラビアのシャリア(イスラム)法廷の判事であったことに市民は驚いた。

 

 彼はモロッコ人の妻とともに休暇でドバイを訪れ、ホテルで麻薬を吸引している現場を警察が踏み込み現行犯逮捕されたのである。サウジアラビアはイスラム圏でも特に麻薬犯罪に厳しく、シャリア法廷では麻薬の使用は終身刑、運び屋など麻薬売買に従事した者には死刑の判決が下される。死刑の場合、処刑は街の広場など公共の場で斬首刑又は絞首刑として行われ、その場所と時間は事前に新聞などで公表され、ご丁寧に処刑者の顔写真まで掲載されるのが慣例であった。

 

 筆者もリヤドに駐在中、そのような公開処刑のニュースを何度も見たことがある。処刑者は例外なくバングラデシュやパキスタンなど貧しい国の労働者であった。さすがに筆者は処刑そのものを見たことは無いが、興味本位で見物に行く外国人も少なくない。市内中心部のモスクの広場で行われた公開処刑を見た知人の話によれば、一目見ようと集まった黒山の人だかりの中を黒い頭巾を頭からすっぽり被せられた被処刑者が引き立てられ、広場の中央に土下座させられる。まず執行吏が罪状を読み上げると次いでイスラムの導師がコーランの一節を朗唱し、アラーのもとで悔い改めるよう彼を諭すのである。そして最後に執行吏がイスラムの半月刀で後ろからバッサリと斬首する。広場に連れられて来てから処刑されるまでの間はせいぜい十数分だそうだ。処刑後は控えていた出稼ぎの清掃人がモップで広場の大理石に残った血痕を跡形も無く洗い流す。

 

 処刑が終わると見物の市民は潮が引くように四方に散ってゆく。筆者はたまたま処刑数時間後、近くの客先を訪問した帰りに現場に立ち寄ったことがあるが、その時広場は既に人影もまばらで大理石の床は何事もなかったかのように陽光に輝いていた。数時間前に一人の命が失われたとは思えないような静寂があり、妙な意味で感慨を覚えた記憶がある。そして麻薬犯罪に対する厳罰主義で市民に恐怖心を抱かせ、犯罪の撲滅を図る司法当局の強い意思を感じた。

 

 公開処刑に対して西欧のマスコミは残虐かつ非人道的として強い批判を繰り返している。このためサウジアラビアでも最近では大都市での公開処刑は見かけなくなったが、麻薬犯罪に対する厳罰主義はドバイを含むイスラム諸国全てに共通している。それにもかかわらず湾岸諸国における麻薬犯罪は減らず、摘発件数はむしろ増加傾向にある。国際世論に押された当局が取締を強化していることが摘発増加の一因である。UAEでは1999年から2006年までの間に8,000人以上の密売人が逮捕され、米国は麻薬捜査の出先機関をドバイに設置している。またGCC自らも国連麻薬犯罪対策事務所(UNODC)の支援を受けてカタールのドーハに「湾岸犯罪捜査センター」を新設し対策に躍起である。これには麻薬の密貿易のカネが資金洗浄(マネー・ロンダリング)されて世界のテロ組織に流れるのを防止する意味もある。

 

 しかしドバイで麻薬犯罪そのものが増加していることは間違いない。その要因の一つはオイルブームで浮かれ気分になったドバイ周辺の産油国から自由と享楽を求めてドバイに押し掛ける観光客が急増し、彼らがドバイで羽目を外すからである。今回の事件のサウジ人裁判官もその例と言える。享楽の場所は麻薬などダーティーな犯罪の温床である。そしてドバイは世界有数のハブ空港として中東のみならずパキスタン、アフガニスタンなどともつながっており、これが麻薬犯罪増加の第二の要因となっている。アフガニスタンは世界のヘロイン生産量の80%を占めている。最近では南米空路が開かれ、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイにまたがる悪名高い「麻薬のトライアングル」からも密輸入されていると言われる。ドバイは有力な麻薬中継貿易基地なのである。

 

 第三の要因は1990年代のアフガン戦争、2003年のイラク戦争により治安が悪化し、麻薬のはびこる余地が生まれたことである。GCCの中でも特にクウェイトで麻薬犯罪が多発しているが、これはクウェイトが隣国イラクへの米軍補給基地となり多数の米兵が駐留するようになったことと無関係ではない。同国への麻薬供給基地としてドバイが一役買っていることもまぎれもない事実である。

 

 麻薬に対する需要があれば当然その供給ルートも太くなる。供給ルートを担うのはパキスタン、バングラデシュなど貧しい国の貧しい人間である。彼らの多くが湾岸諸国に出稼ぎに行くが、労働環境は劣悪であり賃金も西欧人や日本人の数十分の一、月額2-3万円に過ぎない。それでも本国に比べれば10倍以上あり、10年程度出稼ぎすれば故郷にマイホームを建て一寸した商売を始めることができる。だから彼らは出稼ぎ斡旋業者に借金をしてでも湾岸諸国に出稼ぎに行くのである。

 

しかし斡旋業者に払う金すら無く日々の生活にあえぐ極貧層も多い。かれら極貧層はカネのためなら何でもする。麻薬組織がそれにつけ込み彼らを運び屋に仕立てドバイへと送り込むのである。ドバイ空港で見つかれば極刑を免れない極めてリスクの高い仕事であるが、運よく運び屋を数回やり終えれば、普通の出稼ぎ労働者の10年分以上を稼ぐことができる。運び屋志望はいくらでもいるのである。

 

当局が摘発する麻薬犯罪は氷山の一角にすぎない。冒頭のサウジ人裁判官、そして公開処刑された運び屋達はある意味で運が悪かった、とすら言えるのである。

 

(続く)

 

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2010年03月01日

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1.はじめに

 1月20日、ドバイのホテルで一人のパレスチナ人がプロの殺し屋に暗殺された。彼の名はマハムード・アル・マブフ。イスラエル・ガザ地区生まれの50歳で1989年以来シリアのダマスカスに住むマハムードはイスラエルの最も手ごわい抵抗勢力であるハマスの軍事幹部としてかねてからイスラエルに狙われていた男である。


 ドバイに静養で訪れていた彼は、滞在中のホテルの部屋に押し入った複数の暗殺犯に狙撃されて命を落とした。ホテルの部屋の内側には家具が散乱し、彼が犯人の侵入を必死に防ごうとした形跡が残されていた。ドバイ警察の捜査結果によれば犯人は前日被害者と同じホテルに宿泊、ホテル内を下見した後、翌日暗殺を実行すると、その足で直ちにドバイから出国している。ホテルの廊下の監視カメラには彼らが何気なくマハムードの後を歩く姿が残っており、宿泊者名簿から直ちに彼らの名前とパスポート番号は判明した。しかしもちろん名前は偽名、パスポートは偽造であった。その手際の良さはまさにプロの殺し屋の仕業であり、また実行犯以外にも彼らをサポートする一味がいたことも後日判明した。この事件の背後にはイスラエルのスパイ組織モサドが関与していると見られ、事件が今後大きな問題に発展するか、それとも闇に葬られるか、その帰趨が注目されている。

 

 実はドバイが外国人の暗殺の舞台になったのはこれが最初ではない。昨年3月にはロシア・チェチェン共和国の反政府組織の有力者がドバイ市内の駐車場で拳銃で撃たれて即死した。ドバイは人口百数十万であるが、そのうち8割は外国人であり、国籍もバラエティに富んでいる。しかも国際的なビジネス都市として世界中からビジネスマンが集まる。地元の家庭にメードとして雇われる東南アジアからの出稼ぎ女性も少なくないが、中にはビジネスマンを相手にするいかがわしい女性たちもいる。ドバイには皮膚の色、顔立ちなど世界中のありとあらゆる人種が集まる。街頭ですれ違い、或いはレストランで席が隣り合わせになっても誰もそれを気にとめない。一般の外国人はもとより犯罪者にとってこれほど居心地の良い街はないであろう。

 


 ドバイの周りにはアブ・ダビ、サウジアラビア、カタールなど地下からオイルマネーが湧き出す国が目白押しである。原油価格が急騰した2000年以降そのオイルマネーがドバイにどっと流れ込み、ドバイは未曽有のバブルに沸いた。これら周辺国より一足先に港湾施設と自由貿易特区(フリー・トレード・ゾーン)を設け、地域随一のハブ空港を建設したドバイにヒト、モノ、カネが集まるのは自然の成り行きであった。それはビジネスマン、車・家電などの消費財、オイルマネーと言った「表」の顔だけではない。「表」の顔が集まるところには必ず「裏」の顔も集まるのは世の習いである。「裏」の「ヒト」とは即ち暗殺者などの犯罪集団であり、「モノ」は麻薬などの非合法商品である。そして賄賂、詐欺、横領、違法貿易などから生み出された「裏のカネ」は人知れず国外に運び出され、ドバイはマネー・ロンダリング(資金洗浄)の温床となっている。

 

 そのようなドバイには人々のモラルを麻痺させ、市民が眉をひそめるような破廉恥な事件も起こる。海水浴場の砂浜で白昼堂々と性行為を行ったのは英国人の男女であった。バブルが終焉を迎えるのと時を同じくしてドバイではこれら暗殺犯罪、詐欺事件、破廉恥行為が多発した。ドバイは今や国際犯罪都市の様相を呈していると言える。最近発生した事件に沈みゆくドバイの姿が繁栄されているのである。

 

(続く)

 

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