GCC

2011年04月01日

(注)本シリーズ1~5回は前田高行論稿集「マイ・ライブラリー」で一括ご覧いただけます。

http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0175GccCrisis.pdf

(お断り)本シリーズのテーマであるGCC各国の情勢は時々刻々変化しており、個々の記載内容は掲載時点の最新情報に基づいています。従ってシリーズの前後で記述内容あるいは事実関係に齟齬を生じるかもしれませんので予めご承知おきください。

アメとムチ:「懐柔策」と「抑圧策」(その3 非常事態宣言)
 サウジアラビアでデモ禁止令が出され(3月5日)、バーレーンとイエメンで相次いで非常事態宣言が布告された(3月15日&18日)。GCC諸国は極度に緊張している。1981年にGCCが結成されて以来、カタールの宮廷クーデタ(1995年)、バーレーンの反政府暴動(1994年)、サウジアラビアにおけるイスラム過激派テロ(1996年、2003年他)など各国で数々の騒乱事件が発生したが、今回はGCC結成以来の危機と言って間違いない。彼らはこれまで「バラマキ行政」或いは「見せかけの民主主義改革」といった「アメ」を見せて国民を懐柔してきたが、今や「ムチ」の使用を余儀なくされている。

 GCC君主制国家とエジプト、リビアなど強権国家の「アメ」と「ムチ」の使い分けを比べると興味ある事実が浮かぶ。GCC諸国では国民にまず「アメ」を与え、その効果が利かなくなると「ムチ」を使いはじめる。つまり最初国民に甘い顔を見せ、思う通りにならないとみるや仮面を剥ぎ弾圧を始めるのである。一方、強権国家の独裁者はまず「ムチ」で国民に無理やり言うことをきかせ、締め付けが効かなくなると補助金或いは改革といった「アメ」をばらまく。

 これは君主制と強権国家それぞれの権力基盤を確立する歴史が異なっているからである。GCC6カ国の支配者たちはいずれも百年以上前に武力で権力を掌握しているが、20世紀後半に石油の富を独占すると、経済的な恩寵を与える(彼らはこれを「アラーの恵み」と称した)ことで国民を懐柔するシステムを作り上げた。これに対して独裁者は軍事クーデタで権力を掌握し、非常事態宣言という強権的手法でそれを維持した。彼は国民に対して常に強面の顔で対峙したが、時間が経過し強権政治に倦んだ国民の不満が高まると「アメ」を小出しにしてそれを抑えようとする。このようにGCC君主制国家では先に「アメ」を配り、強権国家では先に「ムチ」を与えるのである。

 GCC君主制国家で非常事態宣言など強権的手法が取りづらいもう一つの理由はサウジアラビアを除き各国とも兵力が小さすぎることである。各国は金に糸目をかけず欧米の最新兵器を装備しているが、人口が少ないため兵員の数は限られる。軍事分析で有名な英国のシンクタンク「国際戦略研究所(IISS)」の「The Military balance 2010」によれば、GCC6カ国の兵力はバーレーン0.8万人、カタール1.2万人、クウェイト1.6万人、オマーン4.3万人、UAE5.1万人といずれも一桁台であり、サウジアラビアだけが例外的に多い(23.4万人)。一方国防支出(2008年)はサウジアラビアが380億ドル、UAE137億ドル、クウェイト68億ドルなどかなりの金額である(脚注1)。

  国防予算が潤沢であれば支配者は兵力、特に親衛隊(近衛兵)をできるだけ多く保有したいと考えるのが普通であろう。それにも関わらず兵力を増やせないのは、人口に占める自国民の数が少なく、また部族、宗派等に対する社会的伝統意識が色濃く残っているためである。例えばバーレーンの場合、人口111万人のうち自国民は54万人(49%)であり(外務省HP)、また王家と宗派が異なるシーア派が60~70%を占めているとされる。権力基盤が脆弱なハリーファ王家にとっては外国人を兵士とすること(いわゆる傭兵)も、シーア派国民を兵士にすることも「獅子身中の虫」を抱える危険な選択肢なのである。

  話し合いによるデモ活動の終息に失敗したバーレーンはGCC各国に治安部隊の派遣を要請(3月14日)、さらに非常事態宣言を発令した(15日)。バーレーンの要請に応じサウジアラビア及びUAEは夫々1千名及び500名の兵員を派遣、シーア派居住地区の警備に当たった。後顧の憂いが無くなったバーレーン治安部隊は反政府派の拠点「真珠広場」のデモ隊を排除し(16日)、反政府活動家を逮捕(17日)、そして反対派のシンボルであった真珠広場のモニュメントを破壊した(18日)。「ムチ」を使いはじめたハリーファ家はもう後戻りできなくなったのである。

(脚注1)詳しくはMENAランキングシリーズ18「MENAの国防支出と兵力ランキング」参照
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0165MenaRank18Defence.pdf 

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2011年03月29日

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アメとムチ:「懐柔策」と「抑圧策」(その2 国民にへつらう政府)
 中東北アフリカには長期政権の国が多い。民衆パワーで倒れたチュニジアのベン・アリは23年、エジプトのムバラクも29年という長期にわたり大統領を務めた。現在内戦状態にあるリビアのカダフィ大佐に至っては41年以上も最高権力者の座にある。そしてイエメンのサーレ大統領は32年、シリアのアサド大統領も父子二代を通算すると40年間権力を維持している。これらの国はいずれも共和制で大統領は任期4~7年、憲法には多選禁止の規定がある。しかし一旦権力を握った大統領は憲法を自らの手で改悪して強権体制を築き、その結果上記のような長期独裁政権が続いたのである。

これに対し、湾岸諸国は君主制であり権力の正統性(legitimacy)は支配者の血統にある。その意味では例えばバーレーンの場合、現ハマド国王は即位後12年であるが、実際の権力期間はハリーファ家が権力を掌握した1783年以来の二百数十年間であり、その他のGCC各国についても同じようなことが言える。つまり湾岸君主制国家の方が権力期間は長い。

ただ国民にとって共和制の大統領と君主制が異なるのは、前者は自分たちが選んだはずの大統領がいつまでも居座り続けることに最初は違和感を、そして次第に反感を抱くようになる。これに対し君主制では支配者一族のみが代々権力を継承するが、そのような支配体制が百年以上続くと、一般国民はその状態に慣らされ、権力者の暴政や過酷な搾取などがないかぎり体制打倒のエネルギーは蓄積されない。

特に湾岸諸国のような場合、富の源泉が国民の努力とは無関係な天然資源であるため、支配者に対する不満が表面化しにくい。為政者は天然資源の富の一部を国民に還元することで彼らの不満が表面化するのを防ぐことができる。それが「バラマキ行政」である。

勿論国民大衆の不満は経済的な面だけでは解消されない。ある程度の生活水準が確保されると、次に国民は言論の自由と政治への参加を求めるようになる。それは就職難と社会的逼塞感にとらわれている若者に顕著に表れる。それに対して為政者は制度、組織などに手をつけることで不満を吸収しようとする。いわゆる「ガス抜き」である。為政者は自らの既得権益を損なわない範囲で国民に「へつらう」政策を打ち出す。それが国民の権利拡張をうたった憲法の一部手直しなど法律、制度の改革であり、或いは閣僚の首をすげ替えるなどの政策対応となる。これらはいずれも場当たり的でその場しのぎの彌縫策であり懐柔策である。

 GCC各国で行われたこのような懐柔策には下記のようなものが見られる。
(1) バーレーン
 反政府組織は政治犯の釈放、ハリーファ首相の退任(ハマド国王の叔父で在任期間が40年を超える)及びシーア派国民に対する差別廃止を求め真珠広場を拠点に大規模なデモ活動を行った。これに対してサルマン皇太子(国王の長男)はTVで連日対話を呼び掛けたが、反政府運動は収まらず、ついに23名の政治犯を釈放(2月23日)、また内閣改造を行いエネルギー相など閣僚数名が交代した(2月26日)。

(2) オマーン
 オマーンはスルタン国王が40年以上にわたり首相、国防相、外相及び蔵相を兼務する極端な権力集中型の構造であるが、国民の忠誠心が高いため国王に対する批判は見られない。しかしその分、他の閣僚がスケープゴートになっており、2月下旬以降わずか10日の間に3回の内閣改造が行われている(2月26日、3月5日、3月7日)。国民は更なる民主化を求めておりこれまで立法府としての十分な権限を持っていなかった諮問議会に立法権及び監査権を付与する勅令が出された(3月13日)。

 この他UAEでは連邦国民議会選挙(FNC)を9月24日に実施することが告知され(3月17日)、サウジアラビアでも4月23日に地方議会選挙を行うと発表した(3月23日)。但しUAEのFNCとサウジアラビアの地方議会はいずれも権限が大幅に制限されており、サウジアラビアでは女性の投票も認められていない。両国政府の発表は民主化への取り組みのアナウンスメント効果を狙ったものと言えよう。またクウェイトでは政府を批判するジャーナリストに対する訴追を全て取り消すと発表しメディアに秋波を送っている(2月13日)。

(続く)

 

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2011年03月26日

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アメとムチ:「懐柔」と「抑圧」(その1 予算のバラマキ)
 国民大衆に不穏な動きがみられた時、為政者は洋の東西を問わず「アメとムチ」の政策を打ち出す。「アメ」は大衆をなだめるための懐柔策であり、「ムチ」は彼らを抑えつける抑圧策である。懐柔策の例としては国民の経済的不満を和らげるため大盤振る舞いのバラマキ行政を行うケース、或いは政治の民主化・変革を求める声に配慮して国民参政権の拡充や不人気な大臣の首をすげ替えるケースなどである。

 一方、抑圧策としては為政者に不都合な情報を阻止し、逆に自己に都合のよい情報のみを流すメディア・コントロールのようなバーチャルで間接的な方法の他、治安部隊によるデモの鎮圧或いは戒厳令・夜間外出禁止令などによる反政府活動の阻止、更には活動家の拘束など目に見える直接的な行動がある。

 為政者は状況をにらみながらこのような硬軟両面の方策を繰り出すのであるが、財政が豊かな湾岸諸国においてまず最初に打ち出されるのが「予算のバラマキ」である。湾岸諸国ではこれまでも石油価格が上昇し経常収支が大幅な黒字になった場合、各種のバラマキ政策が行われているが、今回は大幅黒字に加え政情不安の余波が各国に押し寄せたため、これまで以上にバラマキが実施されている。それらを国別に概観すると次のとおりである。

(1) サウジアラビア
 サウジアラビアではアブダッラー国王の帰国前に住宅ローン5.85億リアル(1.6億ドル)の帳消し案が出されており(2月5日)、帰国直後には同国初の失業手当制度導入や住宅ローン枠引き上げ、海外留学生の手当支給増などを含む総額360億ドルに達する臨時支出案が発表された(2月24日)。さらに3月19日には5,000億リアル(1,300億ドル強)の支出計画が公表されている。その中味は住宅50万戸の建設、公務員に対する2カ月の臨時ボーナス、月額3,000リアルの最低賃金保証、住宅ローンの限度額引き上げなど国民の歓心を買うための大盤振る舞いである。

 また18万人の政府臨時職員を正採用とする方針が示された(2月27日)。失業対策の中には内務省による6万人雇用が含まれているが、これなどは若者の雇用創出という名分で治安維持の強化を画策する政府の意図が透けて見える。また現在11万人を数える海外留学生(3月14日)に対する手当増額は、若者に優雅な留学生活を体験させることで国内での過激な行動の芽を摘もうとするものであろう。ともかく一連の施策はインフレで生活水準の悪化に不満を持つ(それでも非産油国から見れば格段に恵まれていることは間違いない)勤労者階級と、就職難にあえぐ(と言っても給与とポストを高望みしているにすぎない)若者、それぞれを懐柔するためである。

(2) バーレーン
 石油収入の少ないバーレーンはバラマキのための財源が乏しいが、それでも激化するデモを鎮めるため全所帯に1千ディナール(邦貨約21万円)の現金給付を行うことを発表した(2月11日)。しかしこの金額は1カ月近く前にクウェイト政府が行った同様の政策(下記参照)に比べてかなり見劣りがし、多数を占めるシーア派住民の満足するところではなかったようである。

(3) クウェイト
 クウェイトはシーア派が人口の20-25%を占めておりバーレーンに次ぐ比率である。同国は自由選挙による議会制度が機能しておりGCCの中で最も民主的な国家との評価を得ている。しかし首長が首相の任免権及び法律の拒否権を持っており、サバーハ家内閣と野党議員が多数を占める議会は対立しており常に政情が不安定である。このため首長或いは首相は国民大衆に対しこれまでも種々の「アメ」を与えてきた。

 今回も政府は全国民に1千KD(約30万円)と14カ月分の無料の食料を支給した(1月17日)。これは独立50周年、湾岸戦争20年の記念と言う名目であったが、チュニジア、エジプトと続く政変に恐怖を抱いたサバーハ家が打った布石であることは言うまでも無い。1990年のイラク侵攻の記憶が生々しいサバーハ家は内外の政治情勢に対して極めて敏感なのである。

(4) オマーン
 オマーンは今回のMENA政変でバーレーンに次いで大きな影響を受けているが、これは同国がGCC6カ国の中でバーレーンと同様国家規模の割に石油・天然ガス収入が少ないことと無縁ではなかろう。
 カブース国王に対する国民の人気は高くバーレーンのような王制打倒の動きは見られないが、若者の失業率は高く物価高とインフレで国民の不満が高まっている。このため同国でも最低賃金の保証(2月15日)に始まり、5万人の雇用及び月額150リアルの失業手当支給(2月27日)、さらには食料品に対する補助金追加(3月20日)などの大盤振る舞いが打ち出されている。

(5) UAE、カタール
 このような中でUAEとカタールはUAEが米、パンに対する補助金を打ち出した(3月10日)以外は特に目立ったバラマキ行政は行っていない。国民一般が既に十分石油の富を享受しているためであろう。両国の場合は次項に触れるように「民主化」という名の政治的な餌を見せることに重点を置いているようである。

(続く)


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2011年03月22日

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崖っぷちのバーレーン・ハリーファ王家
 反政府デモに揺れるバーレーンがつかの間の落ち着きを取り戻している。皇太子の国民対話の呼びかけを無視して首都マナマ中心部の「真珠広場」に居座った反政府デモ隊に対し、政府はついに同盟国サウジアラビアとUAEの治安部隊の助けを借りて排除に乗り出した(2月16日)。その二日後には政府は重機を動員して反政府運動のシンボルとなっていた広場の記念塔を破壊した(2月18日)。記念塔は1981年のGCC結成を記念して建てられたものであり、加盟6カ国に因んだ6本の脚が真珠を支える形のモニュメントである。真珠はかつてペルシャ湾の特産品でありバーレーンは真珠の採取と交易の中心地として栄えた。「真珠広場」の名前はこのような歴史を踏まえたものだったのである。

 バーレーンはペルシャ湾に浮かぶ島国で、面積は東京23区と川崎市を合わせた程度、人口は110万人強である(外務省HPより)。面積、人口ともGCC6カ国の中では最も小さいが、紀元前からペルシャ湾の海洋国家として栄えた古い歴史を誇っている。対岸のサウジアラビアとの間は海上橋で結ばれている。石油の生産量は少なく他のGCC諸国に比べ必ずしも豊かとは言えないが、クウェイトやサウジアラビアなど周辺国のオイル・マネーを集め、今では金融立国(オフショア・センター)としての評価が定着している。

 人口のうち半数はインド、パキスタンなどアジアからの出稼ぎ労働者で、実際の国民の人数は54万人程度にすぎない。バーレーンの住民の多くはイラン(ペルシャ)から渡り住んだ子孫たちであり、そのため現在でも国民の7割はイスラム教シーア派である。ところがアラビア半島から移住した遊牧民(ベドウィン)のハリーファ家が1783年に支配権を確立した。イスラム教スンニ派のハリーファ家が支配するバーレーンはその後英国の保護領を経て1971年に独立を宣言した。スンニ派は国民の3割程度であり、シーア派に対して少数派にとどまっている。

ハリーファ家は支配王家として絶対的な権力を握って国政の枢要なポストを独占し、またスンニ派国民を優遇して権力基盤を築いてきた。つまりバーレーンは少数派(スンニ派)が多数派(シーア派)を支配するという特異な社会構造であり、多数派を占めるシーア派住民は社会・経済のあらゆる面で差別待遇を受けているのが実情である。このような状況が潜在的な社会不安を生み、そのため同国ではこれまでも騒擾事件が頻発している。今回の騒動をチュニジア、エジプトに触発された民主化運動と見なす外部識者が多いが、実は問題の根源は少数派のハリーファ家が国を支配し、しかも多数派と宗派が異なることにある。隣接国との関係で見れば、同じスンニ派王制国家であるサウジアラビアがハリーファ家を、またシーア派のイランが一般国民をバックアップしており、ペルシャ湾を挟む二大国の対立構造が問題を複雑にしているのである。

ハマド現国王は1999年に即位後、国内の対立を和らげるため、国民憲章制定、二院制議会設立と矢継ぎ早の民主化政策を打ち出し、2002年には政体を立憲君主制国家に変更している。但しこれら一連の改革は民主化の旗印を掲げているものの、実態はハリーファ家の独裁体制をカムフラージュするための小手先の改革、俗に言う「コスメティック・デモクラシー」(化粧顔の民主主義)である。例えば二院制のうち国民選挙の対象は下院だけで、上院議員は国王の勅撰である。また国王は議会が承認した法律に対して拒否権を有しており、首相の任免権も国王にある。その結果首相を始め主要閣僚は全てハリーファ家の王族が独占している(脚注1)。

今回の抗議デモの中で当初反政府派は首相(国王の叔父である)の交代と民主化の推進と言う穏健な要求にとどまっていたが、その後急進派が力を得て王制の廃止を主張するようになった。これに対しリベラルな思想を持つと言われる皇太子は「国民対話」を呼び掛けたが、急進派はもとより穏健派も対話には懐疑的であった。国王、首相を含めた体制側も、一旦譲歩すれば歯止めがかからなくなりチュニジア或いはエジプトのように最終的に権力を奪われると言う恐怖感があると思われる。

ハリーファ体制が崩壊して最も困るのはサウジアラビアと米国である。サウジアラビアは油田地帯に多くのシーア派を抱えており、彼らが蜂起すれば国内の治安と石油生産に甚大な影響が出る。このためサウジアラビアはバーレーンの要請に応じて治安部隊1,000人を送り込んだ。サウジアラビアとしてはチュニジアに始まったドミノ倒しを何としても阻止しなければならないのである。また米国は第5艦隊の基地を持っており、イランを牽制するために同基地は不可欠である。中東民主化を標榜する米国にとってハリーファ独裁体制を表だって支持することはできない。かと言って背後にイランの影がちらつく反体制派にエールを送ることもためらわれる。ジレンマの米国は「両者の話し合いによる解決を希望する」と言うあいまいな態度しか取れないのである。

結局、バーレーンは他のGCC諸国と米国を後ろ盾に強権的な抑圧体制で多数派を抑え込むしかないのであろう。バーレーンの民主化は(現状では欧米流の民主化が同国に平和と安定をもたらすかどうか疑問であるが)さらに遠のいたと言える(脚注2)。

(続く)

 (脚注1)バーレーン内閣の閣僚リスト
http://members3.jcom.home.ne.jp/maeda1/4-3BahrainCabinet.pdf 
(脚注2)詳しくは拙稿「カタールとバーレーンに見る民主化の現状」参照
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/A57DemocracyInBahrainQatar.pdf 


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2011年03月20日

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チュニジア革命が示すMENA諸国政治体制の共通点
 昨年12月に発生したチュニジアの暴動は北アフリカの安定政権と見られていたベン・アリ政権をいとも簡単に転覆させた。その余波はとどまるところを知らず、中東北アフリカの雄エジプトではムバラク政権が退陣し(2月12日)、リビアでも現在カダフィ政権と反政府軍が激しい内戦を展開している。それはアラビア半島の各国にも波及、バーレーン及びイエメンでは激しい反政府デモが繰り広げられて両国とも非常事態宣言が出された(バーレーン:3月15日、イエメン3月18日)。

 チュニジア暴動の発端は無許可の露天商を開いていた失業青年が警察に摘発され、悲観したあげく焼身自殺を図ったことに始まる。この事件をツイッター或いはユーチューブなどインターネットで知った同世代の若者が政府に対する抗議行動を呼び掛けた結果、大群衆のデモ隊がこれを阻止しようとした政府の治安部隊を圧倒、ついにベン・アリ大統領を権力の座から引きずり下ろしたのである(1月15日、「ジャスミン革命」)。1987年に無血クーデタで権力の座についたベン・アリ政権はこうして23年の長期政権を閉じた。

 このジャスミン革命には中東北アフリカ(MENA)諸国が内包するいくつかの共通点が見られる。それは支配者側で見ると長期にわたる独裁体制であり、被支配者(一般国民)の側で見ると、若者が人口の多くを占め、しかも高い失業率に苦しんでいることである。さらにそのような若者層がインターネットと言う自由な情報手段を駆使したという事実を挙げることができる。

 これらの特徴は湾岸GCC諸国においても顕著に見ることができる。だからこそGCCの支配者たちはチュニジア、エジプト、リビアと続く革命と内戦の現実に危機感を露わにしている。北アフリカの政変を最早対岸の火事とみなすことができなくなったのは、バーレーンで非常事態宣言が出され、サウジアラビアとUAEが相次いで同盟軍を派遣したこと(3月14日)に示されている。

 GCC各国の君主の呼称はサウジアラビア及びバーレーンでは国王(アラビア語では「マリク」)、クウェイト、カタール及びUAEでは首長(同「アミール」)、オマーンでは国王(同「スルタン」)と異なるが、本質は全く同じ専制君主制である。バハレーンのハリーファ家、オマーンのブ・サイード家、アブダビのナヒヤーン家、カタールのアル・サーニー家などはいずれも18世紀に興った王朝である。サウジアラビア王国の建国は1932年と比較的新しいが、サウド家自体は17世紀末に勃興しており、歴史的に見ればGCC各国の君主制はいずれも2百年以上続いている(脚注参照)。この点から見れば非君主制国家の独裁者の在任期間とは比較にならないほど長期間にわたり権力を保持しているのである。(因みにリビア・カダフィ大佐:41年、エジプト・ムバラク大統領:29年、イエメン・サーレ大統領:33年、シリア・アサド大統領親子:通算40年など)

 被支配者の側から見た場合、若者が人口の半分を占め、彼らがインターネットと言う情報手段を駆使していると述べたが、この点についてはチュニジア、エジプトよりもむしろ湾岸諸国の方が顕著である。失業問題については各国によって多少事情が異なり、人口の多いサウジアラビア、石油収入の少ないバーレーンではこれは大きな問題であり、それに比べ人口が少なく豊かな収入を誇るUAE、カタール、クウェイトなどではさほど騒がれていない。オマーンはその中間と言えよう。しかし6カ国とも石油・天然ガスに依存し産業多角化による雇用の創出が進んでおらず、若者の失業問題が深刻化していることは間違いない。

 本稿はこのような問題意識をベースとして一連の問題を多面的、重層的に取り上げることにより湾岸王制国家が直面している危機の分析を試みようとするものである。

(続く)

(脚注)拙稿 「GCCの王家・首長家シリーズ」参照
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/RoyalFamilyInGcc.html


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