2011年08月

2011年08月28日

「アラブの春」関連ニュース:
・アラブ連盟、リビア反政権側を正式メンバーと認定。 *

*アラブ連盟は2月以降カダフィ政権のメンバーシップを凍結中であった。なおアフリカ連合は今もカダフィ政権の正統性を容認している。

その他一般ニュース:
(UAE)観光産業競争力ランクで世界30位、MENAではトップ
(カタール政府系ファンドQIA関連2件)  **
・ギリシャの2・3位銀行合併にQIAが関与
・ポルトガルのエネルギー企業に2%出資

**QIAについては拙稿「湾岸産油国のSWF Part I-V」参照。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/SWF.html


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2011年08月27日

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2011年08月26日

(注)本シリーズ(1)~(6)は「前田高行論稿集:マイライブラリー」で一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0197SaudThreeFamilies.pdf


3.スルタン皇太子家:健康悪化で国王即位に黄信号
(家系図http://members3.jcom.home.ne.jp/maeda1/3-1-5SultanFamily.pdf 参照)
 スルタン皇太子はアブドルアジズ初代国王の15番目の息子である。母親のハッサ妃は名門スデイリ家の出身で、同妃はアブドルアジズとの間に7人の男児を産んだ。彼ら7人は「スデイリ・セブン」と呼ばれ、長男がファハド前国王でスルタンは次男である。ファハド前国王が2005年8月に亡くなったため今ではスルタンが「スデイリ・セブン」のリーダー格となっている。


 スルタンは1926年 (1928年或いは1924年説もある)生まれで、1947年にはわずか21歳の若さでリヤド知事となり、1953年に農業大臣として入閣、1962年には国防航空大臣に就任し現在に至っている。大臣在任期間は来年で実に50年に達する。1982年にファハドが第5代国王兼首相に即位した時、実弟スルタンをアブダッラー皇太子兼第一副首相に次ぐ第二副首相に指名した。これは将来、スルタンの皇太子ポストを確実にするための布石であり、実際2005年のファハド没後スルタンはアブダッラー新国王から皇太子に指名されたのである。


 最近のスルタンは度々米国で手術と長期の療養を行っており、老齢に加え癌を患っていると言われる。2009年にニューヨークで手術を受けたが、帰国後も病状は改善せず2010年8月からはモロッコで長期療養に入った。しかし11月にアブダッラー国王が米国で腰椎手術を受けることになったためやむを得ず帰国する羽目になった。ただ帰国後の閣議の写真を見る限り生気がなく、国王が帰国すると入れ替わりに再び米国に向かっている。彼の健康が憂慮すべき状態であることは間違いないようである。


 スルタンには6人の女性との間に32人の王子・王女がいる。1949年にムニーラ王妃(8月死去、享年80歳)の長男として生まれたハーリド王子は早くから国防航空省に入り現在父親に次ぐNo.2の副大臣である。いずれ跡を継いで大臣になるものと思われる。ハーリドの実弟トルキ王子は情報省次官の職にある。


 息子達の中で最も華々しい活躍をしてきたのがバンダル元駐米大使(1950年生)である。彼は英国でパイロットの訓練を受け、帰国後空軍中尉となった。そして当時のファイサル国王の娘ハイファ王女と結婚した。因みにハイファ王女はサウド現外相の実妹であり、従ってバンダルとサウドは義兄弟の間柄である。バンダル王子は1983年に33歳の若さで駐米大使に任命されその後2005年まで22年間にわたり駐米大使として活躍した。特にブッシュ前大統領の時代にはテキサスの大統領私邸に出入りするなど親密な関係を築き、9.11事件では在米サウジ人の本国緊急避難に手腕を発揮したことで知られる 。但しその一面米国製戦闘機など兵器の商談では絶えず黒い噂が流れ、父親スルタン国防相の金脈作りに貢献したことは間違いないようである。彼は米国から帰任後、新設の国家安全委員会(NSC)事務局長に就任している。


 ハジル王妃の息子ファイサル王子とファハド王子はバンダル王子と同じ1950年生まれの双子である。ファイサルは企画省副大臣及びスルタン慈善基金総裁を兼ねており、ファハド王子はタブーク州知事である。二人の実弟であるサルマンは東部州副知事を経て今回バンダル王子の下でNSC事務局次長のポストに就いた。


 スルタンの息子達の中ではバンダル王子が国際的にも名を知られている。しかし彼は駐米大使が長かっただけに国内事情に疎い。また彼には同母の男兄弟がなく、母親はアフリカ生まれでスルタンの召使だったため正式な王妃とは認められず、系譜でも本名ではなく単に「ウンム・バンダル(バンダルの母親)」と記されているだけである。このような点でバンダルはスルタン家の中で孤立していると見ることもできよう。海外に強いバンダルと国内に強いサルマンで互いにに補完させようとするスルタンの意図がうかがえる。


 既に書いたとおりスルタン皇太子は健康状態が万全ではない。仮にスルタン皇太子がアブダッラー国王より長生きしたとしても果たして国王の職責を正常に果たせるのか懸念が残る。或いはスルタンがアブダッラーよりも早く亡くなる可能性もある。このためスルタン及び彼の息子達はスルタンの存命中にできるだけスルタン家一族の足場を固めたいと考えているはずである。その足場となるのが国防航空省と国家安全委員会なのである。


(続く)


本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
 前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
   Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
   E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp



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2011年08月25日

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