2012年08月
2012年08月27日
(注)本レポートは「マイ・ライブラリー(前田高行論稿集)」で一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0237BahrainCrownPrince.pdf
2.サルマン皇太子の横顔
(家系図http://members3.jcom.home.ne.jp/maeda1/3-3BahrainKhalifa.pdf 参照)
バハレーンのサルマン皇太子はハリーファ家の当主ハマド現国王の長男として1969年10月に生まれ現在42歳である。バハレ-ンはGCCの中で最も古い歴史を持っており、古代バビロニア、アッシリア時代にはディルムーンと呼ばれる貿易中継地であり、また中世には真珠の産地として栄えた。この地は長らくイランが支配していたためイスラム教シーア派の国民が人口の70%程度を占めている。因みにバハレーンを統治するハリーファ家は18世紀にアラビア半島から移住したスンニ派である。バハレーンにおけるシーア派(多数派被支配階級)とスンニ派(少数派支配階級)の対立は同国の根源に遡る問題なのである。
サルマンが生まれた2年後の1971年にバハレーンは英国保護領から独立し、その後1999年に彼の祖父イーサが亡くなり父親のハマドが第10代首長に即位、その時サルマンは皇太子になっている。ハリーファ家では第7代の長男が皇太子に就いて以来、首長没後皇太子が首長に即位し、首長が長男を皇太子に指名することが慣例となっている。つまり首長位は終身制で直系の長男が相続するシステムが平穏裏に続いているのである。世界の君主制度は一般的に終身制で生前譲位は稀である。また継承者も現君主の長男(直系男子、日本など)或いは男女を問わず第一子(直系長子、英国など)とする違いはあるものの最初に生まれた子供とすることが普通である。バハレーンもそのような普通の継承制度がとられておりサルマン皇太子が次期君主になることは既定路線である。
実はGCC6カ国の中でバハレーンのように君主が寿命を全うし、直系男子の皇太子に平穏に継承されている例はむしろ珍しいほうである。例えばサウジアラビアでは初代国王の死後第二代サウド国王から第6代のアブダッラー現国王までは初代の息子達が継承している。クウェイトでは首長が亡くなった都度新皇太子が指名されており、継承ルールが不明確である。UAEのアブダビもサウジアラビア同様皇太子は現首長の異母兄弟である。またカタールは現ハマド首長が宮廷クーデタにより父親の前首長を追放して首長に即位している。これら各国に比べてバハレーンの王位継承制度は極めて安定していると言える。
このような安定した君主制のもとでサルマン皇太子はワシントンのアメリカン大学に留学して政治学を学び、さらに英国のケンブリッジ大学で歴史哲学を修めた。帰国後は国防省等で帝王学を学んだ後、1999年に皇太子となり、国民行動憲章実施委員長、経済開発委員長など政治・経済の要職をつとめ2008年には帝王学の仕上げとして国軍副司令官(司令官は父親のハマド国王)に任命されている。
因みにハリーファ家の当主はこれまでUAE、クウェイト、カタールなど他のGCC諸国と同様「首長」を名乗っていたが、議会制度の導入(2000年)や憲法に相当する国民行動憲章の制定を経て2002年には政治体制を立憲王政国家に変更、以後ハマドは国王を名乗っている。従ってハマド現国王が亡くなればサルマン皇太子はハリーファ家第11代当主で第二代バハレーン国王となる。
サルマン皇太子は欧米留学で得た民主主義の知識と帰国後に国民生活に直結した要職を重ねることで国民との距離を縮め国民の信頼を得た。皇太子自身、自分が国民に信頼されていると考えたであろうし、反政府のシーア派国民も皇太子を進歩的と信じ彼に期待したのである。首都マナマの中心地「真珠広場」がデモで騒然とした昨年2月から3月にかけて皇太子がTVを通じて対話を呼びかけた時 、誰しもが彼を事態収束の救世主と見なしたのである。
しかしそれが幻想にすぎなかったことが間もなく判明した。サルマン皇太子の行動に待ったをかけたのが大叔父のハリーファ首相であり、その背後にはバハレーンの混乱を力づくで収めようとするサウジアラビアの影があった。
(続く)
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