2013年04月
2013年04月17日
(注)本レポートは「マイ・ライブラリー(前田高行論稿集)」で一括ご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0261MenaRank10.pdf
(MENAなんでもランキング・シリーズ その10)
2.2010年~2012年の日本とMENA諸国の貿易(続き)
(3年で50%伸びたカタール。逆にイランは35%減少!)
(2)主な国の輸入額の推移
(図http://members3.jcom.home.ne.jp/areha_kazuya/10-G02.pdf 参照)
2010年から2012年までの3年間のサウジアラビア、UAE、カタール及びイラン4カ国の輸入の推移をみると、サウジアラビアの場合2010年の輸入額は3.1兆円であり、その後2011年には4兆円に急増、2012年は4.4兆円に達し、3年間に40%近く輸入額が増えている。UAEも同様に2010年の2.6兆円が2012年は37%増の3.5兆円であった。
カタールからの輸入の伸びはこれら2カ国を上回り、1.9兆円(‘10年)→2.4兆円(’11年)→2.9兆円(‘12年)と毎年の増加率は20%強を記録、3年間で1.5倍に急増している。これは言うまでもなく2011年の東日本大震災を契機に同国からのLNG輸入が急増したためである。これに対しイランの場合は2010年の輸入額9,800億円が2012年には6,400億円と35%減少している。GCC3カ国からの輸入が急増しているにもかかわらず同じ中東の産油国であるイランからの輸入が急減したのは同国に対する国際的な経済制裁措置に日本も加わったためである。
(赤字に転じた日本の貿易収支。主な原因は対MENA貿易!)
(3)貿易バランス
(図http://members3.jcom.home.ne.jp/areha_kazuya/10-G04.pdf参照)
過去3カ年の日本の貿易バランスについてここではサウジアラビア、カタールの2カ国及びMENA19カ国(合計)、さらに中国、米国、全世界を比較してみる。
サウジアラビア及びカタールとの貿易バランスは日本の大幅な輸入超過が続いている。サウジアラビアと日本では2010年の貿易バランスはー2.6兆円であったが、その後もー3.5兆円(‘11年)、―3.7兆円(’12年)と貿易の赤字幅が拡大している。カタールの場合はー1.8兆円→―2.3兆円→―2.7兆円と赤字幅が一層拡大している。MENA諸国にはこのほかクウェイト、UAE、イラクなど産油国が多いため、MENA諸国と日本の貿易バランスは赤字幅がさらに大きい。2010年、‘11年、’12年の赤字はそれぞれー7.8兆円、-10.6兆円、-11.1兆円であり10兆円の大台を超えてさらに悪化しつつある。
日本全体の貿易バランスは2010年には6.6兆円の黒字であったが、2011年はー2.6兆円の赤字に転落、2012年はー6.9兆円に拡大している。中東産油(ガス)国との貿易赤字が日本全体の貿易バランスを崩した大きな要因であることは明らかである。因みに対中貿易では過去3年間マイナスの状況が続いており赤字幅も0.3兆円→1.7兆円→3.5兆円と急速に悪化している。世界経済の停滞に加え日中関係がこじれていることがその原因であろう。一方対米貿易は5兆円前後の黒字が続いており安定している。
(完)
本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
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2013年04月16日
2013.4.16
悲願の石油精製進出
石油産業では開発・生産を「上流部門」、精製・販売を「下流部門」と呼びならわしている。欧米ではExxonMobilなど上流・下流を合わせた総合石油企業が大半であるが、資源の乏しい日本では戦前から原油は輸入に頼り精製・販売を専業とする企業が殆どであった。しかも終戦間近の昭和20年に大半の製油所が空襲により灰燼に帰し、戦後は製油所再開および原油輸入の判断はすべて連合軍総司令部(GHQ)が握り民間の石油企業は手も足も出なかった。
息を吹き返すきっかけとなったのが昭和25年の朝鮮戦争である。同年、日本石油(日石)・下松、東亜燃料工業(東燃)・清水、大協・四日市、丸善・下津などの製油所が次々と操業を再開した。しかし原油は欧米企業に握られており、日石はカルテックスと委託精製契約を結び、東燃はエッソ、モービル(後のExxonMobil)の傘下に入ることとなった。精製販売業は日石、丸善、出光のような国内資本と、エッソ、モービル、シェルなどの外国資本が併存した。前者が民族系、後者が外資系である。また精製事業と販売事業を分離する業態が一般的となり「精製」、「元売り」と言う呼び方が一般的となった。
70年代の高度成長期に入ると各社は製油所を次々と新設或いは増設した。さらに日本各地に石油化学コンビナートが林立するようになった。そこでは大型製油所が建設され、コンビナート内の石油化学工場にナフサが、また発電所には重油が供給され、ガソリンは石油元売り会社に卸された。
アラビア石油が中心となって千葉県袖ケ浦に建設された「富士石油」もそのような製油所、いわゆるコンビナート・リファイナリーの一つであった。上流企業として出発したアラビア石油は自ら下流部門の製油所を持つことが悲願であった。それによって上流から下流まで一貫操業するExxonMobilのようなメジャーな石油企業になることができると考えたからである。勿論ExxonMobilには及ぶべくもないが「和製メジャー」を目指したのである。
実はアラビア石油が自前の精製会社を持とうとしたのはもう一つ別の切実な問題があった。同社が生産し輸入するカフジ原油は硫黄分が多くガソリン溜分の少ない重質油であり日本の精製会社に歓迎されない原油であった。日本の石油市場ではガソリンだけが高く売れ、その他の重油、軽油、ナフサなどは儲けの薄い商品であった。ガソリン溜分の多い軽質油を好む精製会社はカフジ原油を敬遠したのである。ただ通産省(現経済産業省)は日本企業であるアラビア石油が生産する「日の丸原油」だからと言う理由で精製各社に半ば強制的に引き取らせた。民間企業としては設備の新増設の許認可権を握るお役所に逆らえなかったのである。
アラビア石油は早くから日本国内に製油所を建設することを計画していた。静岡県の太平洋沿岸の埋立地が最初の候補地となり設計図が出来上がり製油所の名前も地元の富士山にちなんで「富士石油」と決められた。この計画は結局実を結ばす、千葉県袖ケ浦の石油化学コンビナート建設計画に姿を変えて実現した。しかし製油所の名前はそのまま「富士石油」が踏襲された。
親会社の名前が「アラビア」石油であり、子会社の名前が「富士」石油。創立者の山下太郎は戦前満州で活躍し「満州太郎」と呼ばれ、戦後は「アラビア太郎」と呼ばれた。「アラビア石油」と「富士石油」は世界を股にかけた彼らしい命名と言えよう。
高度成長の最後の名残の1970年代はアラビア石油グループにとって黄金時代であった。その後70年代末のイラン革命とそれに続くイラン・イラク戦争及び第二次オイルショックに続く80年代以降の石油消費量の減少によりグループはサウジアラビア現地と日本国内の双方で苦闘するのであるが、当時のアラビア石油の社内でそのことに思いを致す者は少なかった。
(続く)
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(バハレーン)4件の爆弾テロ発生。反政府組織が犯行声明。
(UAE)Saif副首相兼内相、治安問題でイラン要人と会談。
(クウェイト)首長誣告罪でAl-Barrak前議員に懲役5年の判決。抗議デモに1万人。
(カタール)ガス事業展開でExxonMobilとMoU締結。
(サウジ)Manifa油田で操業開始。来年には90万B/Dのフル生産に。
・拡大するイスラム保険Family Takful。2016年には56億ドル規模に。 *
・昨年の軍事費支出5%減。欧米減少、中国、ロシア増加。潮目の時期:スウェーデン国際平和研究所(SIPRI) **
*レポート「イスラム金融は今後も発展するか」参照。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0252IslamicFinance.pdf
**MENAランク18:国防支出と兵力(英国IISS「Military Balance」)参照。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0250MenaRank18.pdf