2014年02月

2014年02月05日

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下記のデータベースを追加しましたのでご利用ください。


「カタールのLNG事業一覧表」

http://members3.jcom.home.ne.jp/maeda1/1-D-3-52.pdf



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2014年02月03日

(注)本レポートは「マイライブラリー(前田高行論稿集)」で一括してお読みいただけます。

http://mylibrary.maeda1.jp/0297JapanAbuDhabi.pdf
 

4.IPICを介したコスモ石油とCEPSAの提携
 1月21日、コスモ石油はアブダビの国際石油投資公社(International Petroleum Investment Company, IPIC)の仲介によりスペインの石油企業CEPSAと「石油関連事業に関する戦略的包括提携合意契約」を締結した 。IPICはコスモ株式20%強を有する筆頭株主であり(但し名義はインフィニティ アライアンス)、同時にCEPSAの100%株主でもある。両社はIPICグループの一員なのである。この契約によりコスモ石油とIPSAは今後石油天然ガスの開発事業において共同で新鉱区獲得や事業拡大に協力することとなった。


 IPICは石油の余剰収入を基金としてアブダビ政府が設立した投資ファンドの一つであり、いわゆる政府系ファンドまたは国富ファンド(Sovereign Wealth Fund, SWF)と呼ばれるものである。アブダビの政府系ファンドとしてはIPICの他にもADIA(アブダビ投資庁)、Mubadalaがあるが、IPICは総資産653億ドル(SWF Instituteデータによる)を保有する世界17位の投資ファンドであり 、名前の通り世界の石油産業に対する投資を主たる目的としている。1984年に設立され会長はシェイク・マンスールUAE副首相(ムハンマド皇太子の実弟、故ザーイド前首長13男の)である 。


 IPICは1988年にCEPSAの株式9.6%取得したのを手始めにオーストリアのOMV社にも投資、現在の両社の持ち株はCEPSA100%、OMV24.9%である。そして2007年にコスモ石油株式の20.8%を取得している。またIPICは石油化学分野では北米のNova Chemicals或いはオーストリアのBorealisの親会社でもある。なおかつては韓国Hyundai Oilbankにも投資していたがこれは2010年に売却している。


 コスモ石油は1984年に旧大協石油と丸善石油の精製部門を統合して発足、1986年に3社の合併により現在に至っている。1980年代前半は昭和石油とシェル石油の合併(現昭和シェル石油)、日本石油と三菱石油との合併(日石三菱)など石油業界が戦後最初の大型再編に走った時代であった。その後2000年代に再び石油業界に再編の嵐が吹き荒れ、日石三菱グループと共石・日鉱グループが合併、日本最大のJXグループが生まれている。この間、コスモ石油についても他社との業務提携・合併のニュースが流れたが、結局コスモ石油は2007年、子会社のアブダビ石油を通じてかねてから協力関係にあったアブダビの国家資本を受け入れた訳である。


 コスモ石油とCEPSAの提携が今後どのように発展するかはしばらく観察を続ける必要があろう。精製販売面では日本とスペインでは相互補完関係は乏しく、またアブダビにとって日本も西欧も成熟市場であり発展の余地は乏しい。従って提携の主目的はプレスリリースにもあるように石油ガス開発で共同鉱区の獲得を目指すなど上流部門の共同事業であろう。CEPSAはアフリカ、南米等でいくつかのプロジェクトを手掛けている。


 但し世界の石油天然ガス開発プロジェクトは極地、大深海など技術及び資金の両面でハードルが非常に高くなっている。また産油(ガス)国の権限もますます大きくなっている。このような中で資金力に乏しく技術的にもIOCs(国際石油会社)に見劣りするコスモ石油とCEPSAの立場は厳しいと言わざるを得ない。



以上、アブダビ国内の鉱区利権問題及びIPIC/コスモ石油/CEPSAの資本業務提携問題について述べた。両者に共通しているのはアブダビ政府が米英仏各国の政治的影響力を弱め、またExxonMobil / BP / Shell / Total等の国際石油会社の支配力に対するカウンターバランスとして利用しようと考えていることではなかろうか。つまり欧米政府及び欧米系国際石油企業に牛耳られている現状を打破するため、重要な顧客である日中韓との連携を強めようとしているのである(勿論欧米政府と企業が最優先であることは間違いないであろうが)。だとすればアブダビの日本に期待するものはINPEXやコスモ石油等の個別企業と言うよりむしろ日本政府そのもののではないかと思われる。


(完)


本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
 前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
   Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
   E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp




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2014年02月02日

2000年2月、遂に利権契約終結
  27日に期限を迎える利権契約の延長に一縷の望みを賭けて現地リヤドに赴く。そのようなメッセージを残して小長社長は25日に日本を発った。前月の1月に深谷通産大臣がサウジアラビアを訪問し、鉱山鉄道計画を正式に拒否した時点でアラビア石油が利権を失うことは冷厳とした事実であり、社長の現地出張は内外に対するポーズでしかなかった。


 そして27日は過ぎた。帰国した社長は翌28日午前9時、記者会見でサウジアラビアとの利権契約が終了したことを発表、今後は2003年1月まで残されているクウェイトとの利権契約に基づきカフジでの操業を続けると述べた。プレスリリースの資料は同時刻に全社員にも配られた。


 この連載ではこれまでサウジアラビアとの利権契約だけに触れてきたので、ここで少し説明が必要であろう。そもそもカフジ油田はサウジアラビアとクウェイトが共同統治する「中立地帯」の海上部分にあった。石油が発見される以前、中立地帯は国境のフェンスもない無人の砂漠でベドウィンがラクダや羊の群れと共にわずかな草を求めて遊牧生活を送る土地であった。しかし中立地帯南側のサウジアラビア及び北側のクウェイトに大規模な油田が発見されたため、両国政府が共有する形で中立地帯沖合の開発利権がアラビア石油に与えられることになった。アラビア石油は両国政府とそれぞれ別々の契約を結んだのであるが、契約書の期限が両国で異なった結果、サウジアラビアとの契約期限は2000年2月、クウェイトとの期限は2003年1月となったのである。アラビア石油がサウジアラビアとの交渉に全力を注いだのは契約期限が早く到来するからであり、またクウェイト自身がサウジアラビアと会社の契約延長交渉を見守る立場を取ったからでもある。


 プレスリリースを一読した社員の頭を最初にかすめたのは、会社は、そして自分たちの生活はこの先どうなるのかと言う不安感であった。確かにアラビア石油創立の時からいずれこの日が来ることを覚悟しておくべきであったと言われればその通りなのである。1990年代後半になると若い有能な社員が五月雨式に辞めていった。彼らは自らの力で運命を切り開いていったのである。しかし40代、50代の社員の殆どは最期まで会社に残った。中高年には転職の道は険しく、まして世間の会社に比べ楽な仕事で高給を食む彼らは会社にしがみつく以外に考えが及ばなかった。その多くは利権契約が延長されるに違いないと根拠のない楽観論を信じ込み、或いは信じようと自らに言い聞かせた。中には日本に不可欠な石油の採掘利権を持つアラビア石油だから最後は日本政府が何とかしてくれるはずだ、アラビア石油は普通の民間企業とは違うのだ、と言いふらす者もいた。


 中高年社員の期待は見事に裏切られた。この日、60歳間近のある出向社員はプレスリリースを見た途端、顔面を引きつらせ突然机の中のものを段ボール箱に詰め込み始めた。戻れるはずもない本社に戻るつもりなのであろうか。見ていた女子社員たちはあっけにとられていた。またつい先日まで自分より年上の子会社生え抜きの社員に見下したような態度をとっていた若い出向者は茫然自失の体であった。


 その日の夕刻、本社で社長が事情を説明するから全員集合せよ、との指示を受け出向先から駆け付けた。机を片隅に移動した総務部の広い事務室内に社長以下の在京役員とそれを取り囲むように多数の社員がいた。筆者自身を含め社員の誰しもが硬い表情であった。社長はまず社員にお詫びすると深々と頭を下げた後説明したが、それはプレスリリースの内容を越えるものではなかった。社長の説明に続いて人事担当取締役が経営合理化は避けられずその詳細は追って知らせる、と捕捉した。質疑応答に移ると途端に社員から次々と経営陣の無為無策を非難する声があがったのは当然である。社長一人が受け答えし、その他の重役は一言も発せずただ頭を下げるだけであった。契約延長交渉の最終段階は日本政府(通産省)とサウジアラビア政府の直接交渉となり、そこに同席したのは社長だけであるから、他の役員たちは答えようがないのである。しかし彼らはつんぼ桟敷に置かれていた訳ではなく重役会で逐一承知していたはずである。それにもかかわらず交渉に積極的な役割を果たすつもりのなかった彼らの姿はまさにサラリーマン重役そのものであり、彼らは所詮無力だったとしか言いようがない。


 説明会に出席した社員の大半は経営陣を糾弾する仲間と社長のやりとりを不安げな表情で聞いているだけであり発言者の数はさほど多くなかった。黙り込んでいる社員も多分言いたいことが山ほどあり喉元まで出かかっていたに相違ない。筆者自身もそのような一人であったがそれをどのように表現すればよいのか気持ちの整理がつかなかったのである。一通りの発言が終わるとやがてその場を沈黙が支配した。そして皆の心の中に深い喪失感が漂い始めた。社員全員が身も心も居場所のないデラシネ(根なし草)になってしまったのである。


 当日の夕刊各紙は利権失効のニュースを大きく取り上げた。因みに日本経済新聞は1面トップから3面まで詳細な記事で埋まっていた。その見出しを列挙すると以下のようなものであった。
・アラ石の採掘権失効、事業規模半減、
・アラ石社長、「合理化、合併も視野。サウジ側の鉄道建設の期待大きすぎた」
・サウジ、油田支配を誇示
・コスト問われた自主開発、エネルギー政策は市場重視型に:深谷通産大臣


(続く)


(追記)本シリーズ(1)~(30)は下記で一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0278BankaAoc.pdf 
本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
 前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
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