2015年08月

2015年08月24日

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2015年08月21日

(注)本レポート(1)~(8)は「マイライブラリー(前田高行論稿集)」で一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0354SaudiKingSalman.pdf

3.老国王の迷走と暴走のルーツ
 サルマン国王は1935年生まれ、今年で80歳になる。アブドルアジズ初代国王の25男であり、名家スデイリ家出身のハッサ王妃が生んだ7人の王子、俗にいう「スデイリ・セブン」の6男である。長兄が先々代国王のファハド、次兄が長く国防相を務めたスルタン、三番目の兄が元内務相のナイフであり、サルマンが皇太子に指名したムハンマドはナイフの息子である。スルタンは兄ファハド国王時代の1986年に第二副首相のポストに就いた。当時は副皇太子のポストは無く第二副首相は国王=首相、皇太子=第一副首相につぐNo.3のポストである。そしてファハドが亡くなり2005年にアブダッラーが国王に即位するとスルタンが皇太子となり、時をおかずしてナイフは第二副首相となった。


 スルタンはアブダッラーよりも若いためアブダッラーが先に亡くなりスルタン国王の時代が来ると誰しもが考えていた。不幸にしてスルタンが2011年に亡くなると、新しい皇太子にナイフが指名された。アブダッラーが1925年生まれに対してナイフは8歳年下の1933年生まれである。この時、スデイリ・セブンの兄弟が次々と世襲筆頭候補に擬せられることに対して他の王族から批判の声が上がったが、その急先鋒が富豪アルワリード王子の父親タラール殿下であった。


 サルマンはそのことを意識していたと思われ黒子役に徹した。長兄ファハド国王が不治の病に倒れアブダッラー皇太子(当時)が執政として実権を握った時にはリヤド州知事としての職務を放擲し、スイスで療養中のファハドの病室に張り付いたが、これはアブダッラーの即位後もスデイリ・セブンの勢力温存を図るために他ならなかった。そして2005年にアブダッラーが第六代国王に即位した後は、スルタン、ナイフの兄二人とともにアブダッラーをけん制しつつ、権謀術策をめぐらし、スルタン国王―ナイフ皇太子体制を築くことに専心した。この場合、さすがにサルマンが次々期の国王になる図式は他の王族が警戒するはずである。このような事情からサルマンがスルタンあるいはナイフと同じコースを歩むと考えた者は少ない。


 サルマンはいずれ国王になるであろう兄二人の参謀に徹しサウド家の中で権謀術策を尽くした。彼はそのため外国訪問はほとんどせず、またイスラム過激派が蠢動しつつあった国内の治安対策についても兄たちにまかせっきりだった。つまり彼は策謀家であり兄二人の腰巾着だったと言えよう。そのような彼が皇太子であった兄二人が相次いで亡くなり、さらにはアブダッラー国王も死亡した結果、まさに「瓢箪から駒」として皇太子さらには国王になった訳である 。


 このようなサルマンの政治姿勢は彼を権謀術策には秀でているが、国家の指導者としてのリーダーシップあるいはビジョンに欠けカリスマ性の乏しいスケールの小さな人物に作り上げた。さらに彼自らが策略家であるため彼を支えるスタッフの育成を怠った。優秀な策略家必ずしも優秀なトップたり得ないのである。


 そしてもう一つ指摘できるのは老いの問題である。冒頭に触れた通りサルマン国王は1935年生まれで今年80歳になる。アブダッラー前国王(1925年生)が2005年に即位した時と同じ年齢であるが、アブダッラーの場合は既に皇太子時代の1995年から執政として実権を握っており、実質的な治世は20年間に達する。それに対して80歳のサルマンが今後10年以上実権を持ち続けることができるとは考えにくい。ましてファハドはじめ彼の3人の兄たちも80歳そこそこで亡くなっている。彼自身も2010年に背骨の手術を受け、また左腕が少し不自由であるなど健康に問題を抱えている。サルマンの老い先は長くない。


 だからこそ彼は自分の目の黒いうちに策略家としての最後の仕上げをすることに執念を燃やしていると考えられる。彼は第三世代へのバトンタッチと言う大義名分を掲げ、故ナイフ内相の遺児で甥のムハンマド・ビン・ナイフを皇太子に引き上げ、それに連動する形でまだ30歳の息子ムハンマドを副皇太子に据えたのである。サルマンには息子が12人おり、ムハンマドは6番目である。年上の5人の息子を差し置いて、実務能力が未知数のムハンマドを副皇太子にしたサルマンの真意を部外者が推し量るのは難しい。しかし今回のことがサルマン家のみならずサウド家の将来の火種にならないという保証は無い。サルマンの迷走と暴走は今後も続きそうである。


(続く)


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2015年08月19日

(注)本レポート(1)~(8)は「マイライブラリー(前田高行論稿集)」で一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0354SaudiKingSalman.pdf

2.暴走する老国王:即位後わずか3カ月で皇太子の首をすげかえ
 南仏バカンス騒動を迷走とするならサルマン国王が1月の即位以来発令した数々の勅令は暴走と呼ぶにふさわしいものかもしれない。アブダッラー国王が死去した今年1月23日、新国王に即位したサルマン・ビン・アブドルアジズは最初の声明で異母弟のムクリン副皇太子を皇太子に指名するとともに前国王の路線を踏襲すると述べた 。一般市民や諸外国は新国王がこれまで同様穏健かつ慎重にスタートしたものと好意的に受け止めた。


 ところがその舌の根も乾かない1週間後の1月29日、サルマンは衝撃の人事および組織変更の勅令を発令した 。人事ではアブダッラー前国王の息子でリヤド州知事とマッカ州知事であったトルキ王子およびミシャール王子を解任、その他故スルタン元皇太子の息子で国家安全評議会(NSC)事務局長のバンダル王子(元駐米大使)および中央情報局(GID)長官のハリド王子を解任した。同時に組織面では従来からあった石油最高会議、国家安全評議会(NSC)などが廃止され、新たに政治安全保障問題会議および経済開発問題会議の二つの会議に集約された。


 二つの会議の議長にはそれぞれムハンマド・ビン・ナイフ副皇太子兼内相(故ナイフ元皇太子の子息)及びムハンマド・ビン・サルマン国防相(国王の子息)が任命された。因みに二人のムハンマドのうちムハンマド国防相のみは両方の会議のメンバーに名を連ねている。後にも触れるがムハンマド・ビン・サルマンは今年30歳になったばかりであり、サルマン国王が偏愛する息子と言われている。内閣改造も同時に行われ司法大臣、教育大臣、文化情報大臣等が交代したが、新大臣はいずれもサルマン国王あるいはムハンマド国防相と極めて近い関係にある人物であった。

 
 これらのことから浮かび上がるのは、アブダッラー前国王一派の追放、及びサルマン国王の側近により政治権力を独占しようとするサルマンの意図である。


 3か月後の4月29日、サルマンはさらに驚くべき人事を発表した。何と3か月前に皇太子に指名したばかりのムクリン王子を解任し、ムハンマド・ビン・ナイフを副皇太子から皇太子に昇格させ、その後任として息子のムハンマド国防相を副皇太子に指名したのである 。ムクリン王子はわずか3カ月で皇太子の座を滑り落ちたのである。ムクリン王子の能力に問題があった訳ではない。また皇太子、副皇太子の人事は国王の専権事項ではなく初代アブドルアジズ国王の36人の息子(あるいは孫)からなる「忠誠委員会」の承認が必要である。報道によれば忠誠委員会で4人の王子がサルマンの息子の副皇太子就任に反対票を投じたと伝えられ、さらにムクリン退位の条件として多額の金銭がサルマン側から支払われたとの噂も流れている。


 ムハンマド・ビン・ナイフを皇太子に指名したことにより王位は第三世代に引き継がれることが明らかになった。第二世代から第三世代にいつバトンタッチされるかは近年のサウド家の最重要課題であった。これを踏まえると皇太子がムクリンからムハンマドに交替したことにはそれなりの大義名分が立つ。数多い第三世代の王子の中でムハンマド・ビン・ナイフが新皇太子に指名されたことについてはサウド家内部でも異論はなかったものと思われる。と言うのは彼が内務省副大臣当時、父親のナイフ内務相(当時)の外遊中に訪問客を装った自爆テロ犯に襲われ危うく一命をとりとめたことがあり 、それ以来彼はサウド家の英雄として第三世代の中で別格視されるようになったからである。豊富な国内テロ対策の経験は現在のサウジの国情にぴったりなのである。


 これに対してもう一人のムハンマド・ビン・サルマンの副皇太子指名にはサウド家の王族ばかりでなく世界中が驚いた。しかし二人のムハンマドを見ればそこにサルマン国王得意の深慮遠謀がうかがえる。それはムハンマド皇太子は55歳、既婚であるが子供は娘(王女)ばかりであり、息子(王子)がいないことである。副皇太子は30歳と若く未婚であるが、将来結婚して王子をもうける可能性は高い。


 つまり近い将来ムハンマド・ビン・ナイフが国王となった場合、新皇太子にムハンマド・ビン・サルマンが指名されることがほぼ確実であり、サウド家内部にお家騒動が起こる可能性は低い。しかもうまくすれば王位の系統が将来生まれるであろうムハンマド・ビン・サルマンの息子に引き継がれる可能性も考えられる。それはサルマン国王直系の血筋がサウジアラビア王国の継承者となることを意味する。以上はあくまで将来の仮定の話であるが、権謀術策に長けたサルマンなればこその説得力のある話と言えないだろうか。


 サルマンの老い先は短い。だから彼は暴走と見られかねないことも平気でやりそうである。権力を握った暴走老人ほど扱いにくいものが無いのは古今東西変わらない歴史の真実である。


(続く)


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