2016年05月

2016年05月20日

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2016年05月19日

(注)本シリーズは「マイライブラリー(前田高行論稿集)」で一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0378MenaRank10.pdf

MENAなんでもランキング・シリーズ その10)

 

2.MENAと日本の2015年の輸出入

(対前年比金額ベースで4割減!)

(1)日本の輸入

(http://members3.jcom.home.ne.jp/areha_kazuya/10-T02.pdf 参照)

2015年のMENA諸国からの輸入総額は9.8兆円であり日本の輸入総額の13%であった。 MENA地域からの輸入はほとんどが石油或いは天然ガス(LNG)であり、サウジアラビア、UAE、カタール、クウェイト、オマーンのGCC5カ国及びイランが輸入相手国の上位を独占しており、これら6カ国だけでMENA全体の輸入額の92%に達している。

 

 国別ではサウジアラビアからの輸入額が3兆円でトップであり、第2位はUAE(2.8兆円)である。第3位はカタールの2兆円で、の3か国が輸入額1兆円以上の国である。第4位はクウェイト(7,800億円)、第5位イラン(3,900億円)であるが、上位5か国の対前年増減率はサウジアラビア40%減、UAE35%減、カタール44%減、クウェイト41%減、イラン40%減といずれも40%前後の大幅な減少である。これは原油価格が大幅に下落し、天然ガス(LNG)もこれに連動したため金額ベースの輸入額が大幅に減少したためである。

 

 6位のイスラエルからの輸入額は前年と殆ど変化が無い。これに次ぐ第7位から9位までのオマーン、イラクおよびアルジェリア3か国からの輸入が大きく落ち込んでいるのはこれらの国々からの輸入が石油あるいは天然ガスのエネルギーだからである。

 

非産油国のトルコ、エジプト両国からの輸入額はそれぞれ760億円、180億円であるが、前年比ではトルコがほぼ横ばいであったのに対してエジプトは42%減である。エジプトの政情不安が影響していると考えられる。なお金額は小さいもののモロッコからの輸入が前年に比べ8倍以上に増加しているのは注目される。

 

 ちなみに中国からの輸入は19兆円に達しMENA全体の2倍に達する。また米国からの輸入は8兆円でありMENAトップのサウジアラビアの2.7倍である。対前年比では中国は1%の微増、米国は7%増となっている。

 

(続く)

 

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

        前田 高行        183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601

                               Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642

                                          E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp



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2016年05月18日

(注)本シリーズは「マイライブラリー(前田高行論稿集)」で一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0378MenaRank10.pdf

(MENAなんでもランキング・シリーズ その10)


 中東北アフリカ諸国は英語のMiddle East & North Africaの頭文字をとってMENAと呼ばれています。MENA各国をいろいろなデータで比較しようと言うのがこの「MENAなんでもランキング・シリーズ」です。「MENA」は日頃なじみの薄い言葉ですが、国ごとの比較を通してその実態を理解していただければ幸いです。なおMENAの対象国は文献によって多少異なりますが、本シリーズでは下記の19の国と1機関(パレスチナ)を取り扱います。(アルファベット順)


 アルジェリア、バハレーン、エジプト、イラン、イラク、イスラエル、ヨルダン、クウェイト、レバノン、リビア、モロッコ、オマーン、パレスチナ自治政府、カタール、サウジアラビア、シリア、チュニジア、 トルコ、UAE(アラブ首長国連邦)、イエメン、


 これら19カ国・1機関をおおまかに分類すると、宗教的にはイスラエル(ユダヤ教)を除き、他は全てイスラム教国家でありOIC(イスラム諸国会議機構)加盟国です。なおその中でイラン、イラクはシーア派が政権政党ですが、その他の多くはスンニ派の政権国家です。また民族的にはイスラエル(ユダヤ人)、イラン(ペルシャ人)、トルコ(トルコ人)以外の国々はアラブ人の国家であり、それらの国々はアラブ連盟(Arab League)に加盟しています。つまりMENAはイスラム教スンニ派でアラブ民族の国家が多数を占める国家群と言えます。


 第10回のランキングは、財務省ホームページの貿易統計により2015年の各国と日本の輸出入を比較しました。


*財務省ホームページ:http://www.customs.go.jp/toukei/info/tsdl.htm 


1.総論:2015年の日本の貿易額
(大幅に改善された貿易バランス)
(1)全世界、MENA、GCCとの輸出入および貿易バランス
(表http://members3.jcom.home.ne.jp/areha_kazuya/10-T01.pdf参照)
 2015年の日本の輸出額は76兆円、輸入は78兆円で輸出入合計(以下貿易)額は154兆円に達した。輸出入のバランスは3兆円の貿易赤字となっている。前年の貿易赤字は13兆円であり、貿易収支は大幅に改善されている。


 MENAと日本の貿易額は輸出3.7兆円、輸入9.8兆円で差し引き6.2兆円の大幅赤字である。日本の輸出全体に占めるMENA向け輸出は5%弱であるのに対し、輸入は全体の13%を占めている。日本とMENAの貿易は日本の大幅な輸入超過であり、MENAの貿易赤字額は日本全体の赤字幅の2倍強である。これは言うまでもなく日本がMENA地域から大量の石油及びガスを輸入していることにある。特にMENAの主要貿易相手国であるGCCは輸出2.8兆円に対して輸入は8.9兆円、貿易赤字が6.1兆円となっており、MENA20カ国の貿易赤字はそのままGCC6カ国の貿易赤字ということになる。


(2)GCC, MENA、中国および米国との輸出入
(図http://members3.jcom.home.ne.jp/areha_kazuya/10-G01.pdf 参照)
 MENA及びGCCの貿易額を中国及び米国と比較すると、中国の貿易額は33兆円、米国は23兆円である。MENAの貿易額13兆円は米国の6割、中国の4割である。しかしその内訳をみるとMENAは輸入と輸出の比率が10対4であり貿易バランスは6.2兆円の赤字である。中国も貿易赤字はGCCと同額の6.2兆円であるが、輸入と輸出の比率は10対7であり、輸出入のバランスはMENAのほうがはるかに悪い。米国の場合は輸出15.2兆円、輸入8.1兆円であり、MENAあるいは中国とは逆に7.2兆円の貿易黒字である。


(続く)


本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
 前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
   Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
   E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp



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第2章:戦後世界のうねり:植民地時代の終焉とブロック化する世界

6.立ち上がるパレスチナ人
 1956年の第二次中東戦争ではエジプトはスエズ運河の国有化を国際社会に認めさせたことにより政治的な勝利を得た。しかし軍事的には間違いなく敗北であった。結果としてエジプトのナセル大統領はアラブの英雄として讃えられたものの、パレスチナに住み続け或いはパレスチナからヨルダンなどの隣国に移住した「パレスチナ人」と呼ばれる人々は歴史の渦にのみこまれる羽目に陥った。


20Palestine

   そもそもパレスチナとはシリア南部地中海東岸の地域的名称である。そこには古代からセム系の民族が住んでいたが、歴史に登場する最も古い部族はヘブライ語を話すユダヤ教徒である。彼らはパレスチナを自分たちに約束された土地イスラエルと称した。イスラエルとはユダヤの祖先アブラハムの孫ヤコブの別名である。


 しかしもちろんここに住んでいたのはユダヤ教徒だけではない。むしろ住民の多くはアラブ人である。キリスト生誕の紀元後はローマ帝国が支配し、キリスト教の勢力下に入る。そして7世紀にイスラームが興るとそこはアラブ人イスラム教徒の世界となり、その後1300年の間イスラームが支配する平穏な世界であった。もちろん地域の小競り合いが無かった訳ではないが、ヨーロッパや他のアジア地域に比べれば極めて平和な世界であったことは間違いない。オスマン帝国など歴代王朝の過酷な圧政があったことは否定できないが、それはヨーロッパやアジアでも同じだった。とにもかくにもパレスチナの住民たちは平和な暮らしを続けてきた。


 その平和を破ったのが20世紀の初めヨーロッパのユダヤ人たちが唱え出したパレスチナ祖国建設運動である。ロスチャイルドなど豊かな同胞の支援を受けて貧しいユダヤ人たちが大挙してパレスチナに押しかけ、先住民であるイスラム教徒(ムスリム)のアラブ人を圧迫した。ユダヤ人たちは「国無き民に民なき土地を」と言う巧妙なスローガンでパレスチナ入植を正当化した。しかしパレスチナが「民なき土地」ではないことは誰の目にも明らかである。


 結局パレスチナのアラブ人たちの多くは土地を追われ難民となってヨルダンなど隣国のアラブ諸国に移り住んだ。その動きを加速したのが第一次中東戦争、いわゆるイスラエル独立戦争である。70万人ともいわれるパレスチナ人が祖国を追い出された。祖国に残り或いは祖国を離れたアラブ人たちは以後「パレスチナ人」と呼ばれるようになった。親子代々パレスチナに住み続けた彼ら自身にはそもそも「パレスチナ人」などと言う意識は無かったはずである。第二次大戦後、国民国家が当たり前となり誰しもが「何々国民」として色分けされる世界になり、パレスチナにパレスチナ人が生まれたのである。


 彼らパレスチナ人はいつの日にかアラブの同胞が自分たちの土地を取り戻してくれると信じ、1948年の第一次中東戦争(イスラエル独立戦争)さらには8年後の第二次中東戦争(スエズ戦争)に耐え抜いてきた。第一次中東戦争ではイスラエルなど一ひねりで潰してみせると豪語したアラブ諸国の為政者たちに裏切られた。そして第二次中東戦争(スエズ戦争)ではエジプト軍とイスラエル軍の装備と戦闘能力の差をいやと言うほど見せつけられた。結局第一次中東戦争ではアラブ連合軍が単なる烏合の衆に過ぎなかったことを思い知らされ、第二次中東戦争ではスエズ運河の国有化を勝ち取ったナセル大統領ただ一人が英雄となった。パレスチナ人の心の中にはアラブ陣営が束になってもイスラエルには勝てないと言う無力感が残っただけであった。まさに「一将功成って万骨枯る」である。パレスチナ人はアラブの同胞に失望した。


 パレスチナ人たちに残された道はただ一つ、自ら立ち上がることであった。1964年、彼らはパレスチナ人の民族自決と離散パレスチナ人の帰還を目的とするパレスチナ解放機構(PLO)を結成する。


(続く)


本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

       荒葉一也

       E-mail; areha_kazuya@jcom.home.ne.jp

       携帯; 090-9157-3642




drecom_ocin_japan at 08:59コメント(0)トラックバック(0)中東の戦後70年 

2016年05月16日

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