2006年09月01日
(バハレーン特集)バハレーンとハリーファ王家:諸刃の剣の国内民主化と対米追随外交(最終回)
(これまでの内容)
(第1回) はじめに
(第2回) バハレーン及びハリーファ家の歴史
(第3回) 民主化をめざすハマド国王
(第4回) 内閣と王族閣僚
(第5回) 内政の課題(シーア派対策)
(第6回) 外交の課題(対米追随とGCC隣国対策)
(第7回) 経済の課題(対米FTAのつまづきとGCC回帰)
(第8回) 女性の活躍 (国際舞台で活躍するハリーファ家の女性他)
(最終回) コスメティック・デモクラシーとしての限界と今後の行方
「コスメティック・デモクラシー」とは直訳すれば「化粧顔の民主主義」である。「見せ掛け」或いは「うわべだけの」民主主義と言う意味であるが、辛辣に言えば「いかがわしい」民主主義とも言える。国名に「共和国」を冠し民主主義を標榜しながら、実際は大統領が独裁政治を行っているような場合がその一例である。彼は大統領選挙で政敵の出馬を妨害し、露骨な選挙干渉によって圧倒的な得票を獲得することにより、自らが信任されたと強弁する。
これはアフリカの開発途上国でよく見られる現象であり、欧米の民主主義団体はこれを「コスメティック・デモクラシー」と非難している。最近ではエジプトのムバラク政権に対して国内の反対政党が同様の非難を表明するなど、民主化のバロメーターを示す言葉として定着している。
先進国の中で開発途上国の民主化に最も熱心なのが米国である。1991年のソ連崩壊により米国一強時代となり、民主主義自由経済の社会主義計画経済に対する覇権が確立した後、米国は世界の紛争地帯で圧倒的な軍事力と一体化した形で米国流の民主主義を強引に押し付けてきた。中東はその典型的な例である。9.11テロ後の2003年11月にブッシュ米大統領が示した「中東民主化イニシアティブ」は、翌年の先進国サミットで「拡大中東・北アフリカ・パートナーシップ宣言」として中東・北アフリカ(MENA)諸国に対する新たな行動指針となった。
そもそも米国が世界の民主化に取り組む最大の理由は国際テロの撲滅にある。米国は開発途上国の貧困がテロの根本原因であり、その貧困は民主的で平等な社会のもとで経済開発が進めば自ずと解消すると考えた。そのためアメリカが望ましいと考える民主化に取り組む国に対して、各種の無償・有償援助を与えるのである。
米国はGCC湾岸諸国についても民主化を強く求めているが、豊かなGCCが米国に求めているのは援助ではなく、いざと言うときに後ろ盾となってくれる確実な保証である。GCCはいずれも絶対君主制(王制、首長制またはスルタン制)であり、米国の描く民主化と彼らの君主制はそもそも水と油である。ただその中でもバハレーンは国内のシーア派問題に加え対外的にも小国としての危機感を持っており、米国の後ろ盾を最も必要としている。一方の米国は、GCCの豊かなエネルギー資源を取り込むことが世界の覇権を維持するために欠かせず、バハレーンをそのための足がかりと位置づけている。バハレーンの立憲君主制への移行(2002年)と米国のFTA締結(2004年)はそのような両国の思惑の産物であると考えられる。従ってバハレーンの一連の民主化は「コスメティック・デモクラシー」と呼ぶ類のものである。バハレーンを統治するハリーファ家は体制維持のために「見せ掛けの民主主義」を装っているにすぎないのである。
しかし実は最近の米国はこのような君主制国家の「見せ掛けの民主主義」を容認し、或いは暗黙のうちではあるが積極的に推奨しているようにすら見えるのである。それは民主化の第一歩として米国が強く押し進めた中東での自由な選挙と議会制度が、現実には米国の意図せざる方向に向かっていることにある。民主的な選挙を行ったパレスチナでは過激派のハマスが主導権を握り、レバノンではイスラエルに激しく抵抗するヒズボラが政権与党となっている。またフセイン独裁を武力で打倒し民主政権を樹立したはずのイラクは、3年を経過した今も混乱から抜け出せないままである。
米国の押し付ける民主主義が中東各国で反米感情を煽り或いは混迷を深めていることは疑いようの無い事実である。それと対照的に、非民主的とされる湾岸君主制国家の方が安定している。絶対君主制がいずれ民主制に変貌するのは必然である、とする歴史観に立てば、GCC君主制国家の安定は一時的なものであり、パレスチナ、イラクなどの民主主義国家はいずれ安定に向かう、といえるであろう。しかしだからといってパレスチナやイラクを含め中東諸国が米国にとって望ましくないイスラム的な民主主義国家(それを民主主義と呼ぶかどうかはともかく)にならないと言う保証はないのである。
西欧の社会民主主義が停滞し、ソ連の社会主義が滅びて、米国流民主主義が世界のデファクト・スタンダード(事実上の標準仕様)となった。しかしそこでは「民主主義」という言葉が自明のものとされ、「それは民主主義に適ったことであるか?」と言う問いはあっても、「その民主主義は理に適ったことであるか?」と言う問いは忘れ去られている(長谷川三千子著「民主主義とは何なのか」より)。選択肢は民主主義しかない、そしてその民主主義は一つしかない、と言う米国の思い込みが中東各国に混乱と戸惑いをもたらしている。
果たしてバハレーンは今後どのような方向に進むのであろうか。支配王家のハリーファ家も国民一般も超大国米国の後ろ盾で国家の存続を図ろうとしている点では共通していると考えられる。国内では更なる民主化を求めるシーア派の多数国民と既得権益をできるだけ保持し続けたいとするハリーファ家との確執が続くであろう。ただし国民一般も豊かで安定した社会が今後も保証されるならば、急激な社会変革は望まないであろう。彼らは体制の変革によりもたらされる「真の民主主義」と呼ばれる代物が社会の混乱を招き、結局新たな独裁者或いは腐敗政治を生むだけではないか、と言う懸念を肌身で感じている。また支配者(ハリーファ家)が少数のスンニ派であり、国民が多数のシーア派と言う逆転した関係にあるバハレーンは、国内が混乱すれば近隣諸国に付け込まれるスキがある。このことは両者とも十分認識しているはずである。彼らは、イスラムの価値観を共有しつつ共存できる体制を模索するのであろう。
(完)
(第1回) はじめに
(第2回) バハレーン及びハリーファ家の歴史
(第3回) 民主化をめざすハマド国王
(第4回) 内閣と王族閣僚
(第5回) 内政の課題(シーア派対策)
(第6回) 外交の課題(対米追随とGCC隣国対策)
(第7回) 経済の課題(対米FTAのつまづきとGCC回帰)
(第8回) 女性の活躍 (国際舞台で活躍するハリーファ家の女性他)
(最終回) コスメティック・デモクラシーとしての限界と今後の行方
「コスメティック・デモクラシー」とは直訳すれば「化粧顔の民主主義」である。「見せ掛け」或いは「うわべだけの」民主主義と言う意味であるが、辛辣に言えば「いかがわしい」民主主義とも言える。国名に「共和国」を冠し民主主義を標榜しながら、実際は大統領が独裁政治を行っているような場合がその一例である。彼は大統領選挙で政敵の出馬を妨害し、露骨な選挙干渉によって圧倒的な得票を獲得することにより、自らが信任されたと強弁する。
これはアフリカの開発途上国でよく見られる現象であり、欧米の民主主義団体はこれを「コスメティック・デモクラシー」と非難している。最近ではエジプトのムバラク政権に対して国内の反対政党が同様の非難を表明するなど、民主化のバロメーターを示す言葉として定着している。
先進国の中で開発途上国の民主化に最も熱心なのが米国である。1991年のソ連崩壊により米国一強時代となり、民主主義自由経済の社会主義計画経済に対する覇権が確立した後、米国は世界の紛争地帯で圧倒的な軍事力と一体化した形で米国流の民主主義を強引に押し付けてきた。中東はその典型的な例である。9.11テロ後の2003年11月にブッシュ米大統領が示した「中東民主化イニシアティブ」は、翌年の先進国サミットで「拡大中東・北アフリカ・パートナーシップ宣言」として中東・北アフリカ(MENA)諸国に対する新たな行動指針となった。
そもそも米国が世界の民主化に取り組む最大の理由は国際テロの撲滅にある。米国は開発途上国の貧困がテロの根本原因であり、その貧困は民主的で平等な社会のもとで経済開発が進めば自ずと解消すると考えた。そのためアメリカが望ましいと考える民主化に取り組む国に対して、各種の無償・有償援助を与えるのである。
米国はGCC湾岸諸国についても民主化を強く求めているが、豊かなGCCが米国に求めているのは援助ではなく、いざと言うときに後ろ盾となってくれる確実な保証である。GCCはいずれも絶対君主制(王制、首長制またはスルタン制)であり、米国の描く民主化と彼らの君主制はそもそも水と油である。ただその中でもバハレーンは国内のシーア派問題に加え対外的にも小国としての危機感を持っており、米国の後ろ盾を最も必要としている。一方の米国は、GCCの豊かなエネルギー資源を取り込むことが世界の覇権を維持するために欠かせず、バハレーンをそのための足がかりと位置づけている。バハレーンの立憲君主制への移行(2002年)と米国のFTA締結(2004年)はそのような両国の思惑の産物であると考えられる。従ってバハレーンの一連の民主化は「コスメティック・デモクラシー」と呼ぶ類のものである。バハレーンを統治するハリーファ家は体制維持のために「見せ掛けの民主主義」を装っているにすぎないのである。
しかし実は最近の米国はこのような君主制国家の「見せ掛けの民主主義」を容認し、或いは暗黙のうちではあるが積極的に推奨しているようにすら見えるのである。それは民主化の第一歩として米国が強く押し進めた中東での自由な選挙と議会制度が、現実には米国の意図せざる方向に向かっていることにある。民主的な選挙を行ったパレスチナでは過激派のハマスが主導権を握り、レバノンではイスラエルに激しく抵抗するヒズボラが政権与党となっている。またフセイン独裁を武力で打倒し民主政権を樹立したはずのイラクは、3年を経過した今も混乱から抜け出せないままである。
米国の押し付ける民主主義が中東各国で反米感情を煽り或いは混迷を深めていることは疑いようの無い事実である。それと対照的に、非民主的とされる湾岸君主制国家の方が安定している。絶対君主制がいずれ民主制に変貌するのは必然である、とする歴史観に立てば、GCC君主制国家の安定は一時的なものであり、パレスチナ、イラクなどの民主主義国家はいずれ安定に向かう、といえるであろう。しかしだからといってパレスチナやイラクを含め中東諸国が米国にとって望ましくないイスラム的な民主主義国家(それを民主主義と呼ぶかどうかはともかく)にならないと言う保証はないのである。
西欧の社会民主主義が停滞し、ソ連の社会主義が滅びて、米国流民主主義が世界のデファクト・スタンダード(事実上の標準仕様)となった。しかしそこでは「民主主義」という言葉が自明のものとされ、「それは民主主義に適ったことであるか?」と言う問いはあっても、「その民主主義は理に適ったことであるか?」と言う問いは忘れ去られている(長谷川三千子著「民主主義とは何なのか」より)。選択肢は民主主義しかない、そしてその民主主義は一つしかない、と言う米国の思い込みが中東各国に混乱と戸惑いをもたらしている。
果たしてバハレーンは今後どのような方向に進むのであろうか。支配王家のハリーファ家も国民一般も超大国米国の後ろ盾で国家の存続を図ろうとしている点では共通していると考えられる。国内では更なる民主化を求めるシーア派の多数国民と既得権益をできるだけ保持し続けたいとするハリーファ家との確執が続くであろう。ただし国民一般も豊かで安定した社会が今後も保証されるならば、急激な社会変革は望まないであろう。彼らは体制の変革によりもたらされる「真の民主主義」と呼ばれる代物が社会の混乱を招き、結局新たな独裁者或いは腐敗政治を生むだけではないか、と言う懸念を肌身で感じている。また支配者(ハリーファ家)が少数のスンニ派であり、国民が多数のシーア派と言う逆転した関係にあるバハレーンは、国内が混乱すれば近隣諸国に付け込まれるスキがある。このことは両者とも十分認識しているはずである。彼らは、イスラムの価値観を共有しつつ共存できる体制を模索するのであろう。
(完)