2007年09月01日
(現代中東の王家シリーズ1)サウジアラビア・サウド家
(お知らせ)
本シリーズは「中東と石油」の「A-15 サウジアラビア・サウド家」で全文をごらんいただけます。
(第17回)サウド家の有力家系(6):ファイサル家
第三代ファイサル国王の一族は官界と実業界の両方に軸足を持つサウド家の中では珍しい一族である。ファイサルの最初の妻スルタナ王妃の1人息子アブダッラー王子(1921-2007)は、一代で国内有数の財閥であるアル・ファイサリア・グループを築き、三番目、四番目の妻ハヤ王妃及びイファット王妃の息子達は、サウド外相、ハーリド・マッカ州知事など官界で活躍している王子が多数いる。
そしてもう一つファイサル一族が他の王族と異なる点は、彼らが「アル・ファイサル(ファイサル家)」と言う家名を名乗っていることである。前回までに触れたスルタン、ファハドなどスデイリ・セブンとその子孫を含め、アブドルアジズ初代国王の子孫は全て名前の最後に例外なく「アル・サウド(サウド家)」の称号を付けている。つまり分家を名乗っているのはファイサル一族だけなのである。それは「アル・ファイサリア・グループ」の名前が一般国民にまで広く浸透しているからであろう。ファイサル一族が「アル・ファイサル」と言う独自の称号を持つことは、サウド家の主導権が第三世代に移りつつある中で極めて興味深いことである。つまり現代風に言えば、ファイサル一族は「アル・ファイサル」の呼称によりサウド家の中でブランドを確立しつつある、と言えるのである。
ファイサルはアブドルアジズ初代国王と名門シェイク族出身のタルファ妃との間の1人息子であり、序列としては初代国王の三男になる(「アブドルアジズ初代国王の王妃とその息子達」参照)。異母兄のサウド(第二代国王)が国費を蕩尽して財政を傾けたため、1964年長老会議でサウドは退位させられファイサルが第三代国王に即位した。思慮深く聡明であったファイサルは国家の発展に尽くし、名君として今でも国民に敬愛されている。彼は宗教指導者を説得してテレビを導入し、或いは女子教育に力を入れるなど、サウジアラビアの近代化に大きく貢献したのである。
また対外面でも1973年の第四次中東戦争に際してファイサル国王は中東産油国を束ねて日本を含む欧米先進国に対する石油禁輸政策を発動、世界を震撼させたのである(第一次オイルショック)。しかし1975年、彼は不運にも急速な近代化に反対する王族の一員によって暗殺された。
彼は4人の妻との間に8人の息子と10人の娘をもうけた(「ファイサル家々系図」参照)。長男アブダッラー王子の母親スルタナ妃はスデイリ家出身でスデイリ・セブンの母親ハッサ妃の実妹である。つまり第三世代のアブダッラー王子とファハド、スルタンなど第二世代のスデイリ・セブンとの関係は、父親の係累で見れば伯父と甥の関係であるが、母親の係累では従兄弟同士という込み入った関係である。但しこのような婚姻関係はサウド家を含めアラブ世界では珍しいことではない。
アブダッラー王子は父ファイサルが皇太子の時代に内相に任命され将来が約束されていた。しかし1975年に父が暗殺されると彼の運命は暗転した。国政はスデイリ・セブンに牛耳られ官界で活躍できる場が無くなったため、彼は父の残した遺産をもとに「アル・ファイサリア・グループ」を興しビジネス界に転進した。最初に手がけたのは酪農業(アル・サフィ社)である。砂漠のサウジアラビアに酪農業は一見なじまないが、オイル・ブームに沸く70年代のサウジアラビアは同時にベビー・ブームの時代であり、ミルクなど酪農製品は最も成長率が高かった。アル・サフィ社は砂漠の中に空調設備の畜舎を建設、ミルク、チーズなどを生産して国内市場を席捲したのである。同社は数年前に仏の世界的酪農品メーカー・ダノン社と提携、ダノン・ブランドの各種乳加工製品を市場に送り出している。
「アル・ファイサリア・グループ」のもう一つの柱がソニー製品の国内総販売代理店である。オイル・ブームによる個人所得増大の追い風を受けてソニー製品は飛ぶように売れ、グループの家電・エレクトロニクス部門は急成長した。日刊紙アラブ・ニュースのサウジ企業百社番付(2006年版)によれば、同グループの年間売上高は27億リアル(約800億円)、総合順位18位、流通業では1位である。
ファイサル国王の第三夫人ハヤ王妃との間に生まれたハーリド王子はアシール州知事を経て今年マッカ州知事に就任した。聖都マッカ及び商都ジェッダを抱えるマッカ州はリヤド州、東部州と並ぶサウジ三大州の一つである。リヤド州及び東部州の知事はスデイリ一族(それぞれサルマン王子及び故ファハド国王子息ムハンマド王子)が押さえており、これに対抗するような形でハーリド王子がマッカ州知事に任命されているのは、スデイリ一族の牽制を狙うアブダッラー国王の深慮遠謀と言えそうである。
第四夫人イファット王妃の産んだ息子達は外交及び国防部門で活躍しており、最も有名なのがサウド外相である。1941年生まれのサウド王子は秀才の誉れが高く、1964年に米プリンストン大学を卒業した後、石油省次官を経て1975年に外務大臣に就任しており、30年以上にわたりサウジ外交の第一線で働いている。彼の実弟トルキ王子(1945年生)は、中央情報局長官の後2002年から2005年まで駐英大使を勤め、同年7月にはスルタン皇太子の子息バンダル王子の後を継いで駐米大使となった。ちなみにバンダル王子の妻は兄弟の実妹ハイファ王女である。トルキ王子が駐英大使の時代は、兄のサウドが外相、義弟バンダルが駐米大使であり、兄弟3人で9.11テロ事件後微妙な関係にあった対米及び対英外交を担っていたのである。(写真はサウド外相)
しかしバンダル王子の後任となったトルキ駐米大使も在任わずか1年半で大使を辞めている。バンダル王子の辞任はファハド国王死去と同時期であることから、サウド家内部の権力闘争と関係付けた観測が流れたが、トルキ王子の突然の辞任は内外に波紋を呼び、その真相は闇に包まれている。
(第17回完)
(これまでの内容)
(第16回)サウド家の有力家系(5):解体に向かうスデイリ一族(スデイリ・セブン4)
(第15回)サウド家の有力家系(4):ファハド前国王家(スデイリ・セブン3)
(第14回)サウド家の有力家系(3):ナイフ内相家とサルマン・リヤド州知事家(スデイリ・セブン2)
(第13回)サウド家の有力家系(2):スルタン皇太子家(スデイリ・セブン1)
(第12回)サウド家の有力家系(1):アブダッラー国王家
(第11回)サウド家とビジネスの関わり(2):ビジネスに進出した二人の王族
(第10回)サウド家とビジネスの関わり(1):パトロンと庇護される者
(第9回)要職を独占するサウド家の王族(その3):高級官僚の王族達
(第8回)要職を独占するサウド家の王族(その2):官選知事の顔ぶれ
(第7回)要職を独占するサウド家の王族(その1):中央政府閣僚
(第6回)アブドルアジズの息子達に受け継がれる王位
(第5回)アブドルアジズの治世後期:石油の発見と第二次世界大戦
(第4回)サウド家安泰のために:26人の王妃と36人の王子達
(第3回)アラビア半島国盗り物語―「サウジアラビア王国」の樹立
(第2回)サウド家のクウェイト亡命生活と19世紀末の中東情勢
(第1回)サウド家のはじまり
(前田 高行)
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E-mail: maedat@r6.dion.ne.jp
本シリーズは「中東と石油」の「A-15 サウジアラビア・サウド家」で全文をごらんいただけます。
(第17回)サウド家の有力家系(6):ファイサル家
第三代ファイサル国王の一族は官界と実業界の両方に軸足を持つサウド家の中では珍しい一族である。ファイサルの最初の妻スルタナ王妃の1人息子アブダッラー王子(1921-2007)は、一代で国内有数の財閥であるアル・ファイサリア・グループを築き、三番目、四番目の妻ハヤ王妃及びイファット王妃の息子達は、サウド外相、ハーリド・マッカ州知事など官界で活躍している王子が多数いる。そしてもう一つファイサル一族が他の王族と異なる点は、彼らが「アル・ファイサル(ファイサル家)」と言う家名を名乗っていることである。前回までに触れたスルタン、ファハドなどスデイリ・セブンとその子孫を含め、アブドルアジズ初代国王の子孫は全て名前の最後に例外なく「アル・サウド(サウド家)」の称号を付けている。つまり分家を名乗っているのはファイサル一族だけなのである。それは「アル・ファイサリア・グループ」の名前が一般国民にまで広く浸透しているからであろう。ファイサル一族が「アル・ファイサル」と言う独自の称号を持つことは、サウド家の主導権が第三世代に移りつつある中で極めて興味深いことである。つまり現代風に言えば、ファイサル一族は「アル・ファイサル」の呼称によりサウド家の中でブランドを確立しつつある、と言えるのである。
ファイサルはアブドルアジズ初代国王と名門シェイク族出身のタルファ妃との間の1人息子であり、序列としては初代国王の三男になる(「アブドルアジズ初代国王の王妃とその息子達」参照)。異母兄のサウド(第二代国王)が国費を蕩尽して財政を傾けたため、1964年長老会議でサウドは退位させられファイサルが第三代国王に即位した。思慮深く聡明であったファイサルは国家の発展に尽くし、名君として今でも国民に敬愛されている。彼は宗教指導者を説得してテレビを導入し、或いは女子教育に力を入れるなど、サウジアラビアの近代化に大きく貢献したのである。
また対外面でも1973年の第四次中東戦争に際してファイサル国王は中東産油国を束ねて日本を含む欧米先進国に対する石油禁輸政策を発動、世界を震撼させたのである(第一次オイルショック)。しかし1975年、彼は不運にも急速な近代化に反対する王族の一員によって暗殺された。
彼は4人の妻との間に8人の息子と10人の娘をもうけた(「ファイサル家々系図」参照)。長男アブダッラー王子の母親スルタナ妃はスデイリ家出身でスデイリ・セブンの母親ハッサ妃の実妹である。つまり第三世代のアブダッラー王子とファハド、スルタンなど第二世代のスデイリ・セブンとの関係は、父親の係累で見れば伯父と甥の関係であるが、母親の係累では従兄弟同士という込み入った関係である。但しこのような婚姻関係はサウド家を含めアラブ世界では珍しいことではない。
アブダッラー王子は父ファイサルが皇太子の時代に内相に任命され将来が約束されていた。しかし1975年に父が暗殺されると彼の運命は暗転した。国政はスデイリ・セブンに牛耳られ官界で活躍できる場が無くなったため、彼は父の残した遺産をもとに「アル・ファイサリア・グループ」を興しビジネス界に転進した。最初に手がけたのは酪農業(アル・サフィ社)である。砂漠のサウジアラビアに酪農業は一見なじまないが、オイル・ブームに沸く70年代のサウジアラビアは同時にベビー・ブームの時代であり、ミルクなど酪農製品は最も成長率が高かった。アル・サフィ社は砂漠の中に空調設備の畜舎を建設、ミルク、チーズなどを生産して国内市場を席捲したのである。同社は数年前に仏の世界的酪農品メーカー・ダノン社と提携、ダノン・ブランドの各種乳加工製品を市場に送り出している。
「アル・ファイサリア・グループ」のもう一つの柱がソニー製品の国内総販売代理店である。オイル・ブームによる個人所得増大の追い風を受けてソニー製品は飛ぶように売れ、グループの家電・エレクトロニクス部門は急成長した。日刊紙アラブ・ニュースのサウジ企業百社番付(2006年版)によれば、同グループの年間売上高は27億リアル(約800億円)、総合順位18位、流通業では1位である。
ファイサル国王の第三夫人ハヤ王妃との間に生まれたハーリド王子はアシール州知事を経て今年マッカ州知事に就任した。聖都マッカ及び商都ジェッダを抱えるマッカ州はリヤド州、東部州と並ぶサウジ三大州の一つである。リヤド州及び東部州の知事はスデイリ一族(それぞれサルマン王子及び故ファハド国王子息ムハンマド王子)が押さえており、これに対抗するような形でハーリド王子がマッカ州知事に任命されているのは、スデイリ一族の牽制を狙うアブダッラー国王の深慮遠謀と言えそうである。
第四夫人イファット王妃の産んだ息子達は外交及び国防部門で活躍しており、最も有名なのがサウド外相である。1941年生まれのサウド王子は秀才の誉れが高く、1964年に米プリンストン大学を卒業した後、石油省次官を経て1975年に外務大臣に就任しており、30年以上にわたりサウジ外交の第一線で働いている。彼の実弟トルキ王子(1945年生)は、中央情報局長官の後2002年から2005年まで駐英大使を勤め、同年7月にはスルタン皇太子の子息バンダル王子の後を継いで駐米大使となった。ちなみにバンダル王子の妻は兄弟の実妹ハイファ王女である。トルキ王子が駐英大使の時代は、兄のサウドが外相、義弟バンダルが駐米大使であり、兄弟3人で9.11テロ事件後微妙な関係にあった対米及び対英外交を担っていたのである。(写真はサウド外相)しかしバンダル王子の後任となったトルキ駐米大使も在任わずか1年半で大使を辞めている。バンダル王子の辞任はファハド国王死去と同時期であることから、サウド家内部の権力闘争と関係付けた観測が流れたが、トルキ王子の突然の辞任は内外に波紋を呼び、その真相は闇に包まれている。
(第17回完)
(これまでの内容)
(第16回)サウド家の有力家系(5):解体に向かうスデイリ一族(スデイリ・セブン4)
(第15回)サウド家の有力家系(4):ファハド前国王家(スデイリ・セブン3)
(第14回)サウド家の有力家系(3):ナイフ内相家とサルマン・リヤド州知事家(スデイリ・セブン2)
(第13回)サウド家の有力家系(2):スルタン皇太子家(スデイリ・セブン1)
(第12回)サウド家の有力家系(1):アブダッラー国王家
(第11回)サウド家とビジネスの関わり(2):ビジネスに進出した二人の王族
(第10回)サウド家とビジネスの関わり(1):パトロンと庇護される者
(第9回)要職を独占するサウド家の王族(その3):高級官僚の王族達
(第8回)要職を独占するサウド家の王族(その2):官選知事の顔ぶれ
(第7回)要職を独占するサウド家の王族(その1):中央政府閣僚
(第6回)アブドルアジズの息子達に受け継がれる王位
(第5回)アブドルアジズの治世後期:石油の発見と第二次世界大戦
(第4回)サウド家安泰のために:26人の王妃と36人の王子達
(第3回)アラビア半島国盗り物語―「サウジアラビア王国」の樹立
(第2回)サウド家のクウェイト亡命生活と19世紀末の中東情勢
(第1回)サウド家のはじまり
(前田 高行)
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