2011年01月27日

荒葉一也SF小説Part II「エスニック・クレンザー(民族浄化剤)」(3)


(お知らせ)
荒葉一也のホームページ「OCIN INITIATIVE」が開設され、小説「ナクバの東」として続きを連載中です。
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退役将軍「シャイ・ロック」(3)
一介の理髪師に過ぎなかった『シャイ・ロック』の父親はイスラエル独立闘争の勇猛な戦士として頭角を現し、その後の第二次中東戦争でも活躍した。彼は何度も何度も武勇談を息子に言って聞かせた。いつしか『シャイ・ロック』は父親の最初の言葉だけでそれがいつ、どこであった話か解るようになったほどである。それでも彼はその話を聞くのが好きだった。ただ父親は独立戦争以前に行ったテロ活動については息子に何も話さなかった。時として無辜の市民を巻き添えにするテロ活動ーそれは父親自身思い出したくない時代であった。いつの時代でも大義のために無関係の他人が犠牲になる。それが歴史の事実である。そして息子もあえてその頃のことを父に問いただそうとはしなかった。

父親に洗脳された『シャイ・ロック』は創設期の空軍に入隊、パイロットを目指した。そして彼は第三次中東戦争で戦闘機パイロットとして大活躍した。ソ連の対イスラエル断交、エジプトのナセル大統領によるチラン海峡封鎖を契機として始まった第三次中東戦争は、イスラエル空軍の先制攻撃によりエジプト及びシリアは壊滅的な打撃を受け、戦いはわずか6日間で終わった。世に「六日戦争」と呼ばれる第二次中東戦争は、世界にイスラエル不敗神話を印象付けた。勝利の立役者は空軍であった。

戦後『シャイ・ロック』は米国のイスラエル大使館付武官として家族を伴いワシントンに赴任した。六日戦争の功績に対する論功行賞である。彼は戦場では沈着冷静、勇猛果敢な男だが普段は寡黙で口下手である。武官とは言え外交官の一翼となることに躊躇したが、階級社会の軍隊で上を目指すには米国駐在の経験は願ってもチャンスであり断る理由はなかった。妻も二人の娘も彼の背中を押した。特に長女のゴルダは父の米国赴任が決まると大喜びであった。

ワシントンに赴任した彼はこれまで知らなかった世界を垣間見た。生まれてこのかた戦争に明け暮れ、祖国での生活は緊張の連続を強いられるものであった。周囲を取り巻くアラブ諸国に対して連戦連勝のイスラエルであり、『シャイ・ロック』たち軍人の意気は上がり一般国民も過剰ともいえる自信を持ち始めていたが、明日何が起こるかわからない中東では息を抜く暇はなかった。
それに比べ米国とその国民は何とのんびりとおおらかな毎日を送っていることか。彼が米国に来たのはこれが初めてではない。未だ独身だった頃、パイロットの訓練生としてネバダの米空軍基地にいたことはある。しかしイスラエルからネバダまでは米空軍機で運ばれ、ニューヨーク、ワシントンなどの東海岸の大都市を見ることはなかった。彼自身も訓練に情熱を燃やしていたため訓練の休日にロスアンジェルスを垣間見たぐらいである。何よりも祖国の緊張状態を思うとのんびりした気分になどなれず、パイロットとしての技能を高め一刻も早く祖国の第一線に復帰したいという思いに駆られていたのである。


 (続く)

(この物語は現実をデフォルメしたフィクションです。)

荒葉一也:areha_kazuya@jcom.home.ne.jp

 

 



drecom_ocin_japan at 11:46コメント(0)トラックバック(0)荒葉一也シリーズ  

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