2011年04月25日
MENA騒乱でサウジアラビアとカタールが見せた対照的な外交活動(上)
(注)「マイ・ライブラリー」で(上)(下)を一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0177SaudiQatarDiplomacy.pdf
はじめに
チュニジア、エジプトに続くリビア、イエメン及びバーレーンの騒乱に対しサウジアラビアとカタールの両国は紛争解決に積極的に関与する外交姿勢を示している。
サウジアラビアは東の隣国バーレーンに治安部隊を派遣して同国の王制を支える一方、南の隣国イエメンにはサーレハ大統領の退陣を促すGCC調停案を突き付けた。他方、カタールは内戦状態にあるリビアの反政府側に肩入れしてアラブ諸国の中では真っ先にベンガジ臨時政府を承認、またNATOの空爆作戦には自国の戦闘機が参戦している。
サウジアラビアとカタールの動き極めて対照的である。両国の外交姿勢を一言で表すならさしずめ次のように言えるのではないだろうか。曰く、サウジアラビアの場合は、「大統領の代わりはいても、王家の代わりはない!」ということであり、カタールの場合は「アラブの同朋よりも欧米の機嫌取り?」ということではなかろうか。
以下両国の外交姿勢を見てみよう。
1.サウジアラビアの場合:「大統領の代わりはいても、王家の代わりはない!」
サウジアラビアにとってバハレーンは特別な存在である。アラビア半島の大半を占め人口2千四百万人の地域大国サウジアラビアから見れば、ペルシャ湾に浮かぶ小さな島国バーレーンは地政学的にさほど大きな意味を持たない。しかしサウジアラビアを統治するサウド家もバーレーンを統治するハリーファ家も民族的には同じ部族(ハニ・ウトーブ族)であり一体感は強い。
宗教も共にイスラム教スンニ派である。問題はバーレーン国民の7割がシーア派であり、サウジアラビアのペルシャ湾沿岸にも多数のシーア派住民が居住していることである。バーレーンのシーア派住民は支配者であるスンニ派の王家と対立を繰り返し、それは地域の大きな不安定要因となっている。今回はMENAに吹き荒れる民主化の嵐がバーレーンのシーア派住民の心に火を点けた。彼らは首都中心部の「真珠広場」を占拠して民主化を求めた。
MENAの嵐を憂慮したサウジアラビアのアブダッラー国王がモロッコでの療養を切り上げて急遽帰国した時、首都リヤドの空港にはバーレーンのハマド国王の姿があった。空港で両国王はバーレーンの情勢分析と対策を話し合った。それと並行してバーレーン国内では皇太子がデモ隊に対して話し合いによる民主化を呼びかけていた。反政府派の有力者たちは元々急激な改革には消極的であったが、デモ参加者の一部は次第に過激になり、ついには王制の打倒を叫び始めた。バーレーンとサウジアラビアの為政者は過激派の背後にちらつくシーア派国家イランの影におびえた。話し合い路線の先に予測されるのはイラン革命の再来とも言えるバーレーン・ハリーファ家崩壊の悪夢である。それはとりもなおさずサウジアラビアのサウド家の危機でもあった。
彼らはデモを力づくで鎮圧することを決めた。3月15日、バーレーン政府は非常事態を宣言、それと同時にGCCに支援を要請、サウジアラビアから1,000人の治安部隊がバーレーンに進駐した。サウジアラビアの他にもUAEからは500人が派遣された。GCCは湾岸の君主制国家6カ国の共同体であり、地域の脅威に共同で対処し君主制を維持することが最大の目的である。脅威の具体的対象はイラン。UAEもイランとの間で領土問題を抱えており、バーレーンの革命騒ぎを見過ごすことはできない。
GCC各国は米国を頼みの綱としている。その米国は中東の民主化を声高に唱える一方、これまでサウジアラビアなどの湾岸君主制国家を支えてきた。その理由の一つは湾岸諸国がイスラエルとイランを挟む要衝の地にあると言う地政学的な理由であり、もう一つはこれらの国が世界のエネルギー安全保障にとって欠くことのできない国だからである。しかし湾岸の君主たちは米国がいつ手のひらを返して自分たちを見限るかもしれないと言う疑念を抱いている。自分たちの支配体制は自分たちで守らなければならない、と彼らは考えた。君主制の善し悪しは後々の歴史が決めることであって、彼ら自身にとっては現在の体制を守ることこそが全てである。
それではイエメンの場合はどうか。33年間もの長期にわたるサーレハ体制により国内は腐敗し、国民の不満が鬱積していた。MENAの騒乱をきっかけに国民は大統領の辞任を求めて抗議行動を起こした。共和制のイエメンでは「大統領の代わりは他にもいる」ということである。イエメンの動乱がアラビア半島全域に拡大することを恐れたGCCは、サーレハ大統領の退陣と新たな挙国一致内閣の設立という調停案を示した。専制君主制国家のサウジアラビアを中心とするGCCがイエメンに対して民主主義のプロセスによる政権交代を提案した。奇妙な茶番劇を見ているようである。
イエメンの反政府派も内部は一枚岩ではない。それどころか国内では部族が対立し、イスラム過激派「半島のアル・カイダ」が跋扈している。さらに南部では旧南イエメンの残党による分離独立運動がうごめいている。反政府派は呉越同舟の集団であり、烏合の衆とすら言える。独裁的手法で国内を支配してきたサーレハ大統領がいなくなれば国内に新たな混乱が生まれる恐れが強い。サーレハ後のイエメンにフセイン体制崩壊後のイラクの姿がダブる。
サウジアラビアはGCCを前面に押し立ててバーレーン及びイエメンの秩序回復を図ろうとしている。一方は治安介入という形であり、他方は調停という形で手法は正反対である。しかしサウジアラビアのサウド家の底に流れる思想は一つである。
「大統領の代わりはいても、王家の代わりはない!」。
(続く)
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