2012年07月03日

中東VIP劇場サウジアラビア篇:タナボタで皇太子になったサルマン王子(1)

(注)本レポートは「マイ・リブラリー(前田高行論稿集)」で一括ご覧いただけます。http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0232SaudiCrownPrinceSalman.pdf

1.わずか8カ月で皇太子交替
salman
(写真は新皇太子に即位したサルマン国防相)

 先月(6月)18日、サウジアラビアのアブダッラー国王は新しい皇太子にサルマン国防相を指名した。2日前にジュネーブで死去したナイフ皇太子(内相兼務)の後釜である。実はナイフ自身、昨年10月に当時の皇太子スルタン(国防相兼務)が死去したことに伴い内相兼務のまま皇太子になったばかりであった。この時リヤド州知事であったサルマン王子が国防相の地位を引き継いだ。ナイフ内相は皇太子在任期間わずか8カ月で亡くなり、今回後任としてサルマン王子が国防相兼務のまま皇太子に即位することになったのである。


 ここに名を挙げた4人の王族(アブダッラー、スルタン、ナイフ及びサルマン)はいずれも初代国王の子息であり、そのうちスルタン、ナイフ、サルマンの3人は故スデイリ王妃を母親とする同母の兄弟である。スデイリ妃は7人の王子を生み、息子達は俗に「スデイリ・セブン(スデイリ7人兄弟)」と呼ばれている。長男が故ファハド前国王であり、スルタン、ナイフは次男、三男、そしてサルマンは6男である。末子の7男アハマドは今回の人事で内務省副大臣から大臣に昇格している。それぞれの生年はアブダッラーが1923年(現在89歳)、スルタン1931年(享年80歳)、ナイフ1933年(享年79歳)、サルマン1936年(現在76歳)であり、アハマドは1940年生まれの72歳である(なおアブダッラー及びスルタンの生年については諸説ある)。


*サウド家系図「アブドルアジズ初代国王の王妃とその子息たち」参照。
http://members3.jcom.home.ne.jp/maeda1/3-1-3bSonsOfAbdulazizByWife.pdf 


 わずか8カ月の間に皇太子がスルタンからナイフ、さらにサルマンへと入れ替わり、しかも彼らが同母の兄弟であることに世間は一様に驚くとともにスデイリ兄弟の勢力の強さを見せつけられた思いであった。しかし世間が何より驚いたのはサルマンがあれよあれよと言う間にNO.2の皇太子の座に上り詰めたことであろう。その意味ではサルマンは「シンデレラ・ボーイ」である(彼を「ボーイ」と呼ぶには歳を取り過ぎているが、アブダッラー、スルタン、ナイフなど他の兄弟に比べれば若い方である)。


 サルマンはこれまでもアブダッラー後のサウド家の後継者レースの中で将来の国王候補の一人にあげられてきた。しかしそれはあくまでも「次の次」であり「ダークホース」としての後継者候補だった。アブダッラーがスデイリ・セブンの長兄ファハド前国王の後を継いで第6代国王になったとき、彼はスルタン国防相を皇太子に指名した。その後、アブダッラーは後継者の選定ルールを明確にするため、アブドルアジズ初代国王の息子36人の家系から各一人ずつを選任して「忠誠委員会」を設立した。スルタン皇太子の王位継承を自明とし、スルタン以後の王位継承問題をサウド家全員の合意に委ねようとしたのである 。


*図「アブドルアジズ初代国王の子息と忠誠委員会メンバー」参照
http://members3.jcom.home.ne.jp/maeda1/3-1-3aSonsOfAbdulazizByAge.pdf 


 この段階では誰しも年齢的に見てアブダッラーが先に亡くなり、新国王に即位するスルタンが誰を皇太子に選ぶかが問題であると考えた。最右翼はスルタンの実弟でNo.3のナイフであったが、兄弟間での王位のたらい回しに反対するタラール王子(王族富豪アル・ワリード王子の父親)もいる。もしスルタンが国王になれば彼は多少の反対を押し切ってでもナイフを皇太子に指名したであろう。しかしそのナイフが次に国王になった場合、サルマンを皇太子に指名できるかどうかは微妙な問題である。スルタンーナイフーサルマンと三代続けて実の兄弟が王位を継承することに他の王族から異論が出ることは容易に想像できる。またその頃はサルマンもかなりの高齢になっているはずであり、第三世代(現国王の息子達の世代)からも不満の声が出るであろう。


 ところが現実には昨年10月、スルタン皇太子がアブダッラー国王よりも先に亡くなり「忠誠委員会」はナイフを皇太子に推薦した。そしてサルマン・リヤド州知事(当時)が国防相に任命されたのである。この時よもやナイフ皇太子がアブダッラー国王よりも先に亡くなるとは誰も思ってもいなかったはずである。何年か後にナイフが国王に即位した時に「忠誠委員会」がサルマンを皇太子に推薦するか否かが問題になったであろう。つまりサルマンは有力な後継者の一人ではあるが、あくまでダークホース的な存在なのである。


 そして今回のナイフ皇太子の急死である。結局国王は最も無難なサルマンを皇太子に指名した。ナイフの死後わずか二日後のことである。この時、後継者選定の「忠誠委員会」が開催されたとの報道は見当たらない。アブダッラー国王を含め王族全員がこのような事態を予測していなかったのであろう。こうしてサルマンはわずか8カ月の間にリヤド州知事から国防相、さらに皇太子へと華麗な三段跳びを果たしたのである。彼の皇太子即位はまさに「棚からぼたもち」のタナボタと言っていい。


(続く)


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