2016年08月10日
見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(32)
第4章:中東の戦争と平和
4.「平和の家」と「戦争の家」
イスラームでは自分たちの世界を「平和の家(ダール・アル・イスラーム)」と呼び、それ以外の世界を「戦争の家(ダール・アル・ハルブ)」と呼んでいる。ちなみに「イスラーム」とは唯一神アッラーとその使徒ムハンマドを信じ、聖典クルアーン(コーラン)の教えに従って生きることを意味する(岩波「イスラーム辞典」より)。ムスリム(イスラーム信者)としてイスラーム世界で生活すればそれはとりもなおさず平和な世界なのであり、異教徒の住む外の世界では戦争が絶えない、ということになる。
イスラームでは自分たちの世界を「平和の家(ダール・アル・イスラーム)」と呼び、それ以外の世界を「戦争の家(ダール・アル・ハルブ)」と呼んでいる。ちなみに「イスラーム」とは唯一神アッラーとその使徒ムハンマドを信じ、聖典クルアーン(コーラン)の教えに従って生きることを意味する(岩波「イスラーム辞典」より)。ムスリム(イスラーム信者)としてイスラーム世界で生活すればそれはとりもなおさず平和な世界なのであり、異教徒の住む外の世界では戦争が絶えない、ということになる。
信仰心が篤ければ自分たちの世界に平和なユートピアが保証されるとするのは何もイスラームに限ったことではない。キリスト教にも「至福の千年王国」なる言葉がある。どちらの信者でもない筆者にはこれらの言葉を解説する資格はないが、似たような言葉であると言っても許されるであろう。他の一神教や多神教にも同じような思想があると思われる。「悟り」を最高の境地とする仏教の世界とは多少違うようである。
イスラームの勃興期にはジャーヒリーヤ(無明の世界)にイスラームの光を届ける布教活動がイスラーム帝国を築き上げた。そして中世では聖地エルサレムをめぐる十字軍との戦いでキリスト教を退けオスマン・トルコの繁栄がもたらされた。それはまさにこの世が「平和の家」であり続けた時代であった。近代西欧社会がこのオスマン・トルコを圧政と搾取の世界と指弾したとしても、そこに住む大多数の民衆にとっては平和な世界だったはずである。
その平和な世界を踏み荒らしたのは西欧列強の帝国主義であり、イスラーム世界で次々と「戦争の家」を繰り広げたのは帝国主義国家の政治家、軍人或いは資本家たちだった。ただ「平和の家」と「戦争の家」の境界にはそのどちらでもない世界がある。イスラームはそれを「和平の家(ダール・アッ・スルフ)」と名付けた。
第四次中東戦争の後、エジプトとイスラエルは和平協定を結び、以後今日まで半世紀近くの間アラブ・イスラエルの国家間戦争は起こっていない。まさに「和平の家」が出現したと言えよう。 従来中東戦争と言えばアラブ・イスラエル戦争のことであった。それはアラブ人とユダヤ人の民族戦争であり、同時にイスラームとユダヤ教の宗教戦争であった。それは単純な二項対立の図式であり、「敵」と「味方」がはっきりしていた。当事国以外についてもその国がアラブとイスラエルいずれを支持するかで「敵の味方は敵」、「敵の敵は味方」と単純に色分けすることができた。第四次中東戦争でアラブ産油国が石油戦略を発動したときにそれが明確に表れた。すなわちイスラエル(敵)の肩を持つ米国は敵であり、アラブ(味方)を支持する国は味方とみなして石油の供給を減らさないという戦略である。日本はあわてて三木副総理を中東に派遣しアラブの友好国であることを表明して石油の禁輸を免れたのである。
ところが第四次中東戦争以後の中東での戦争は単純な二項対立だけではなくなった。イラン・イラク戦争は民族対立(ペルシャ人対アラブ人)と宗派対立(シーア派対スンニ派)が絡み合ったものであり、アラブ諸国は揃ってイラクのサダム政権を支持した。しかしイラク南部には多くのシーア派住民がおり、彼らはイラク国民である前に敬虔なシーア派信徒であった。彼らは独裁者サダムの中央政府を恐れていたものの心情的にはイラン寄りである。
サウジアラビアのような周辺のスンニ派諸国にとってシーア派のイランは「敵」であり、同じスンニ派政権のアラブ国家であるイラクは「味方」である。しかし味方のイラクではあるが、サウジアラビアの国境のすぐ北側に住んでいるのはシーア派である。さらに独裁者サダム・フセインもイランとの開戦前は湾岸の王制国家打倒を叫んでおり、サウジアラビアにとっては油断のならない男である。
民族(血)と宗派(心)と政治思想(智)が絡み合い「敵」と「味方」が判然としなくなった。「敵の敵」が味方である かそれとも別の敵なのかもしれない。同様に「敵の味方」が敵なのかそれとも別な味方なのか、その時の状況或いは時の経過によって目まぐるしく変わる。
このような「敵」と「味方」が判然としない色調は21世紀に入りますます濃厚になるのであるが、1970年代後半から1980年代の中東は比較的穏やかな時代であった。これが平和な時代と呼べるかどうかは異論があるかもしれない。しかしその平和を担保したのはひとつがオイルマネー(カネ)に潤う湾岸産油国とその分け前に預かった中東各国が享受したオイルブームであり、もう一つがシリア、イラク、リビアなど各国に生まれた強権独裁体制である。第四次中東戦争以降の一時的な中東の平和は「オイルマネー」と「独裁者」がもたらしたと言ってもあながち間違っていないであろう。
(続く)
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荒葉一也
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