2017年01月11日
見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(54)
エピローグ
1.東と東の遭遇
イスラエルとの戦争でヨルダン川西岸のパレスチナの地を追われ東隣のヨルダンに逃げ延びたパレスチナ難民たちは、生活のため1960年代前後に石油ブームに沸くクウェイト、サウジアラビアなど豊かな湾岸諸国に出稼ぎ者として移り住んだ。そこはヨルダンからさらに東方であり、この時期パレスチナ難民は東へ東へと向かったことになる。彼らはもちろん湾岸の地を終の棲家にしようとしたわけではない。湾岸諸国は彼らの永住を認めなかったし、彼ら自身も石油の富を鼻にかけた無能で尊大なだけのベドウィンの国は我慢できなかった。パレスチナ人の多くは国際社会の仲介でイスラエルとパレスチナが平和協定を締結し二国家共存体制になれば祖国の地に帰還できると期待していた。
しかし度重なる中東戦争でパレスチナ独立の夢はむしろ遠のいた。それに追い打ちをかけたのが1990年のイラクによるクウェイト進攻であった。世界中がフセイン政権の暴挙を非難し、とりわけサウジアラビアなど湾岸の王制国家はクウェイトの次の餌食になるのではないかと強い危機感を抱いた。ところがヨルダン政府とPLO(パレスチナ解放機構)はイスラエル打倒を叫ぶフセインを支持したのである。その結果湾岸戦争の後、当然のことながらクウェイト及びサウジアラビア政府は出稼ぎのヨルダン人及びパレスチナ人全員を国外追放処分にした。
クウェイトとサウジアラビアの国境地帯で操業していた日本の石油開発会社で働く3人のアラブ人たちも決断を迫られた。ヨルダン人のカティーブはパレスチナ人のザハラを誘って、実家のあるアンマンに帰ることにした。出稼ぎ中に貯めた資金を元手にカティーブはアパート経営を、ザハラは自動車修理工場を立ち上げるつもりであった。残るもう一人のパレスチナ人シャティーラは米国で働く弟を頼って移り住むことにした。東へ東へと向かっていたパレスチナ人たちは、一転して西へと移動し始めた。
ある一夜、日本人の同僚が3人のために送別会を開いてくれた。日本人専用の社宅のためサウジアラビアでは御法度のアルコールもふるまわれ一同は思い出話にふけった。勤務年数は最も長いシャティーラで30年、カティーブでも21年に達し人生の壮年期を日本企業で働いたことになる。出稼ぎ者の彼らがこれほど長く一つの会社に勤めることは珍しい。普通のクウェイトやサウジの企業であれば、オーナーの気まぐれで首になったり、或いはオーナーの横暴に耐えかねて転職していたに違いない。しかし日本人の会社は落ち着いて働ける会社であり、職場環境は居心地が良かった。政府と会社の利権契約が2000年までであり、彼らはできればその時まで働き続けたいと思っていた。しかし歴史に振り回されてきたパレスチナ人たちは今回の国外追放も運命の一つとして淡々と受け入れたのであった。
彼らは温厚で誠実な日本の企業で働くことができたことに素直に感謝していた。そして第二次世界大戦に敗れ焦土と化したその国が奇跡的な復興を遂げ、今では自分たちの身の回りに自動車、テレビ、カセットレコーダー、冷蔵庫など日本製品があふれていることに驚異と称賛を惜しまなかった。さらに日本人たちが人種の差別なく平等に扱ってくれることがうれしかった。それはこの会社に入るまでには無かった経験であった。
会話が弾む中、背後のカセットレコーダーから聞き覚えのない澄んだ女性歌手の歌声が流れてきた。メロディーはどうも中国の歌曲のようである。シャティーラが隣席の日本人に聞くと、歌手は有名な台湾女性で歌曲名は「ホー・リー・チン・ツァイ・ライ(何日君再来)」と言うらしい。愛する人との別れを惜しみ、いつの日か再会できることを願う歌だそうだ。
人生難得幾回醉,不歡更何待!
(人生で幾度も酔えるものではない、ためらうことなく今を楽しみしましょう)
來、來、來,喝完了這杯再説吧。
(さあ、さあ、さあ、まずこの一杯を飲み干しましょう)
今宵離別後,何日君再来?
(今宵別れたら、君はいつまた来るの?)
パレスチナ人にとって「君」とは「平和の女神」であった。「平和」はいつも彼らのもとを足早に通り過ぎる。甘く切ないメロディーと歌声がアラブ音楽とはまた一味違う郷愁を呼び起こした。中東(Middle East)と極東(Far East)の名も無い人々の心が触れ合う一夜。それは東と東が遭遇するひと時であった。
パレスチナからヨルダンさらに湾岸諸国へと東に移動したシャティーラは今度は一足飛びに西半球の米国に移住したのであった。彼はそこで豊かとは言えないが、平和な生活を手に入れた。キリスト教国の米国でイスラーム教徒が生活することは決して楽なことではなかったが、米国はやはり平和と安全に守られた世界一の国であった。
(続く)
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荒葉一也
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