2018年01月09日

混迷深まるサウジアラビア(その1):スケープゴートにされた大富豪アルワリード王子(上)

(注)本レポート上・下は「OCIN-Initiative(荒葉一也ホームページ)」で一括してご覧いただけます。

 http://ocininitiative.maeda1.jp/Commentary.html


2018.1.9

荒葉一也

Areha_Kazuya@jcom.home.ne.jp

 

釈放金60億ドル?

alwaleed2

 昨年1223日付のWall Street Journalは、リヤドのリッツ・カールトン・ホテルに身柄を拘束されているサウド家王族で世界有数の大富豪アルワリード王子について当局が釈放金として60億ドル(邦貨約6,600億円)を提示したと伝えた[1]

 

 11月初めにムハンマド・ビン・サルマン皇太子(略称MbS)の指揮権発動により王族、閣僚、有力ビジネスマンなど約200人が汚職容疑で逮捕拘束された。当局は全容を明らかにしていないが、主な拘束者はアルワリード王子の他、王族ではアブダッラー前国王子息のミッテーブ王子及びトルキ王子(前リヤド州知事)、閣僚経験者のアッサーフ財務相、ファキーハ前経済・計画相、そしてビジネスマンでは国内最大のゼネコン、サウジ・ビン・ラーデン・グループのバクル会長、同じく国内最大手の旅行代理店Al Tayyar Travel一族のNasser al-Tayyarなど錚々たるメンバーである[2]。因みに父親から国家警備隊相のポストを継承したミッテーブ王子及びファキーハ前経済・計画相は共に逮捕の前日に解任されたばかりである[3]

 

 取調べの済んだ拘束者たちは順次釈放されつつあるが、伝えられるところでは釈放に際して当局から釈放金の額が提示され、それに応じた者が釈放されていると言われる。因みに11月末に釈放されたミッテーブ王子の場合は10億ドル(1,100億円)を支払ったと報じられている[4]。アルワリード王子に対しては前記の通り当局から60億ドルが提示されたようである。毎年世界の億万長者の資産順位を公表している米Forbes誌によればアルワリード王子の資産総額は187億ドルとされ、世界第45位の富豪である(ちなみに1位はマイクロソフト創業者ビル・ゲイツの860億ドル、ソフトバンクの孫正義CEO212億ドルで世界34)[5]。釈放金60億ドルはとてつもない金額であり、王子は資産の3分の1を失うことになる。王子自身は自分の資産は人生の25年以上をかけて築き上げた正当なものであり、拘束されること自体が理不尽で、釈放金の支払いには応じられないと側近に話していると伝えられる。そして彼は2カ月を経た今もリッツ・カールトン・ホテルに軟禁されたままである。

 

アルワリード王子の華麗なビジネス遍歴

 アルワリード王子は1955年初代国王アブドルアジズの18男タラール王子の長男として生まれた。彼はサルマン現国王の甥であり、ムハンマド皇太子とは従兄同士である。但し父親のタラール王子はアブドルアジズ初代国王とコーカサス出身の王妃の間に生まれた男子であり、これに対してサルマン国王は良く知られている通り名家スデイリ家出身のハッサ王妃の息子、いわゆるスデイリ・セブンの一人である。しかも若き日のタラール王子はエジプト・ナセル大統領のアラブ民族主義運動に感化されて祖国を捨ててエジプトにわたり、「自由プリンス」と呼ばれてサウド家改革運動を唱えた。しかしタラール王子の運動はナセルに利用されただけに終わり、結局彼はサウド家に詫びを入れ帰国したのであった。

 

 このような経緯があったためタラール王子は実質的に王位継承権をはく奪され、息子のアルワリード王子も政府中枢における出世の道を断たれた。このためアルワリードはビジネス界に転身、国内建設業から身を興しシティ・バンク、フォーシーズンズホテル、アップル等々世界の一流企業への投資で現在の国際的富豪の地位を築いたのである[6]

 

 アルワリードはスデイリ・セブンの長兄ファハド国王の時代にはサウジアラビアの国内投資には全く興味を示さなかった。当時のサウジアラビアには彼のお眼鏡に適う投資対象が無かったからであり、同時にファハド国王からスルタン皇太子兼国防相、ナイフ内相さらにサルマン・リヤド州知事(いずれも当時の肩書)に至るスデイリ兄弟が政治経済の利権を独占しており他の王族が入り込む余地はなかったのである。

 

 しかし国王がファハドからアブダッラーに替わると、アブダッラー国王は自分の子息を含めタラール王子やその息子アルワリードなどこれまで冷や飯を食ってきたスデイリ・セブン以外の王族を積極的に登用、特に経済を近代化、国際化するため、国際経験豊かなアルワリード王子にアドバイザー的役割を求めたのである。アルワリード王子はアブダッラーの期待に応え、サウジ企業の株式を積極的に購入して株式市場を活性化させるとともに、自らもジェッダにドバイのブルジュ・ハリーファをしのぐ世界最高層ビルの建設を推進したのである。

 

 なおタラール王子は自ら王位継承を求めることができないが故に王位継承権を決定するサウド家の私的諮問機関「忠誠委員会」において率直な発言を繰り返し、スルタン皇太子が実弟ナイフ内相の副皇太子への任命を画策したとき、あるいはスルタンが亡くなりナイフ新皇太子がサルマンを副皇太子に据えようとしたとき、タラール王子は王位をスデイリ兄弟でたらいまわしにすることに公然と反対した。このようにアブダッラー国王の晩年はそれまでと逆に、現在のサルマン国王、ムハンマド皇太子を含めたスデイリ兄弟とその一族が冷や飯を食っていたと言えるのである。

 

続く

 



[1] “The Price of Freedom for Saudi Arabia’s Richest Man: $6 Billion” on 2017/12/23, The Wal Street Journal

https://www.wsj.com/articles/the-price-of-freedom-for-saudi-arabias-richest-man-6-billion-1513981887

[2]Anti-graft committee will ‘create new era of financial transparency’ in KSA” on 2017/11/6, Arab News

http://www.arabnews.com/node/1188886/saudi-arabia

[3]Cabinet reshuffle, crackdown on corruption in Saudi Arabia” on 2017/11/5, Arab News

http://www.arabnews.com/node/1188521/saudi-arabia

[4] “Saudi prince freed in $1bn deal: official” on 2017/11/30, Daily Tribune(Bahrain)

[6] アルワリード王子の活躍については新潮新書「アラブの大富豪」第3章(前田高行著)参照。



drecom_ocin_japan at 09:09コメント(0)Saudi Arabia  

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