荒葉一也シリーズ
2018年04月17日
2018.4.17
(注)本レポートは昨年(2017年)3月の「(ニュース解説)サウジアラムコIPO(株式公開)の行方は?」の続報です。合わせてお読みいただくことをお勧めします。
UDL:http://mylibrary.maeda1.jp/0400AramcoIpoMar2017.pdf
「虎の子」が「張子の虎」になりかねないアラムコIPOの暗雲
鳴り物入りで始まったサウジアラビア国営石油会社サウジアラムコのIPO(株式公開)の雲行きが怪しくなっている。2016年にムハンマド皇太子(略称:MbS)が発表した構想ではアラムコの企業価値を2兆ドルと査定し、その5%即ち1千億ドルの株式を2018年中にサウジ国内及び海外市場に上場するというものであった。その後欧米の一流金融機関をアドバイザーに起用、公開準備が着々と進んでいるやに見えた。
MbSは2030年までに石油に依存しない経済を樹立するという野心的な計画「ビジョン2030」を打ち出し、非石油産業の育成を掲げた。そしてそのための資金的裏付けとして国営のサウジアラムコを株式会社に転換、株式市場を通じて国内外の民間資金の導入を図ろうという腹づもりである。これまで石油経済からの脱却を声高に唱えながら、今も石油に依存せざるを得ない現状を打開するには「虎の子」のサウジアラムコを利用するしかないという皮肉な状況に追い込まれているのである。
ところが最近になってアラムコの準備作業の遅れがささやかれ、IPOは2019年にずれ込むとの報道が目立ち始めた。また海外の上場先についてもニューヨーク市場が本命と言われながらいまだに決まらない状況である。さらにサウジ政府が約束していたアラムコの資産状況を示す財務諸表も公表されていない。また皇太子が見積もったアラムコの企業価値2兆ドルは高すぎるという一部欧米アナリストの懸念も払しょくされていない。
このままでは「虎の子」のアラムコが「張子の虎」になりかねない状況である。アラムコが欧米のスーパーメジャーを凌ぐ世界最大の石油会社であることは間違いなく、「張子の虎」と呼ぶのは無礼かもしれないが、アラムコの実態が部外者にはほとんどわからず、またIPOが難航しているという意味で筆者はアラムコを「張り子の虎」と見立てたのである。
どんどんずれ込む公開時期
アラムコのIPOは2016年1月に当時副皇太子であったムハンマド(MbS)がEconomist誌のインタビューで初めて明かした。世界のメディアがこのニュースに飛びつき、IPOの時期或は海外のいずれの株式市場に上場するかで情報が乱れ飛んだ。同年4月には早々とIPOアドバイザーが選定され、当事者から公開時期を2018年とする発言が繰り返されるなど、公開準備が着々と進んでいる様子がうかがわれた。さらに政府関係者からは同社の財務諸表が2017年中に作成されるとの発言も飛び出した。
ところがその後はサウジ側からの新たな公式発表は途絶えたままで、FalihアラムコCEOはメディアからIPOの遅れを問われると、作業は予定通り進んでおり、2018年中に上場すると判で押したように答えるばかりである。リヤド株式市場Tadawulに加えニューヨーク或はロンドンで上場する場合、上場審査期間を考慮すると今年第1四半期が申請書類提出期限と見られており、すでにタイムリミットは過ぎている。このため今年中の外国市場への上場は不可能と考えるのが順当であろう。
ニューヨーク上場が本命だが
サウジでは当初からリヤド市場の他、複数の海外市場での上場を目指していた。アラムコの企業価値2兆ドル、IPO規模1千億ドルをリヤドのTadawulだけで賄うことは庭先の池に鯨を放つに等しい暴挙であり無理がある。海外での公開先はニューヨークNYSEとロンドンLSEに絞られており、ロンドンは好条件をちらつかせているが、MbSの狙いが世界最高のネームバリューを有するニューヨーク上場にあることは疑う余地が無い。但し資本主義の牙城ともいえるNYSEは投資家保護のため上場基準が厳しい。まして米国内には911事件を契機とするサウジ・アレルギーが強くJASTA法も立ちはだかっている。また名うての訴訟社会の米国では上場後も決算内容によっては訴訟リスクが避けられない。
ニューヨーク(あるいはロンドン)上場に替わる代案としてロシア・中国の投資家に直接譲渡する案も飛び出しているが政治的リスクはこちらの方が大きく、MbSとしては何とかNYSE上場を実現したいはずである。ここから先は筆者の憶測であるが、MbSは今回の訪米時にトランプ大統領との会談の中でアラムコの上場について米国政府の格別の配慮を要請したと推測される。英国がメイ首相自ら誘致条件の緩和を提案しているだけに、MbSはトランプ大統領に期待したはずである。しかし報道を見る限りアラムコIPO問題が取り上げられた形跡はない。仮に両者の会談でIPO問題が触れられたとしても、多分トランプ大統領はビジネスライクな対応をとったに違いない。
蛇足ながら今回のMbSの訪米はアラムコ問題に限らずエルサレム大使館移転問題、シリア問題などあらゆる点においてMbSの希望を打ち砕いたように見えるのである。アラムコ上場問題は混迷の深まるサウジアラビアの一面を示していると言えよう。
以上
2018年02月27日
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2018.2.27
荒葉一也
2017年12月:トランプ大統領、米大使館のエルサレム移転明言
昨年12月、トランプ米国大統領はエルサレムをイスラエルの首都と認定、米国大使館を同地に移転すると発表した[1]。これに対しイスラーム諸国は猛反発し[2]、西欧諸国は当惑したのである。実は米国の国内事情からみればこれはトランプ大統領の暴挙でも何でもない。1995年に「エルサレム大使館法」が議会で可決されたにもかかわらず、歴代の大統領が拒否権を発動して移転を先送りしてきたことに対しトランプ大統領は選挙の公約を果たしたにすぎないのである。
しかし国際的に見るとこれは間違いなく暴挙である。エルサレムは世界三大一神教であるユダヤ教、キリスト教及びイスラームの全ての聖地であり、世界中で最もホットな論争を巻き起こす場所である。そのため国連でもトランプ政権を非難する決議が取り上げられ、安全保障理事会で米国は拒否権を行使したが、総会では圧倒的多数で決議された[3]。イスラーム諸国もトルコでOIC(イスラーム協力機構)の緊急会合を開き反対を表明しており、ヨーロッパ諸国や中国、ロシアなどは目立った行動こそないものの強い懸念を示した。
これで思い起こされるのは昨年5月トランプ大統領が最初の外国訪問としてサウジアラビア、イスラエル及びローマ・バチカンを選んだことである。言うまでもなくサウジアラビアにはイスラームの聖都マッカとマディナがあり、サウジアラビア国王は「二大聖都の守護者」を自認し、イスラエルはユダヤ教徒の国、そしてバチカンはローマ・カトリックの総本山である。トランプ大統領が3か国を同時に訪問したことはいわば彼が世界三大一神教を平等に扱っていると言えなくもない。但し本来の意図は、サウジアラビアに武器を売り込んで米国の国内経済を支えることであり[4]、イスラエル訪問は紛争が多発する中東で米国のイスラエル支持を明確に示すことであった。バチカン訪問だけが純粋な宗教的動機であったはずだ。しかしイスラエルとバチカン訪問はトランプ大統領の支持基盤であるキリスト教原理主義福音派(エヴァンジェリカル)の支持をつなぎとめるためだったことは間違いない。
サウジアラビアへの兵器輸出と国内キリスト教徒に対するアピールのための外遊、そして今回のエルサレム宣言は全てトランプ大統領が日ごろから口にしている「米国第一主義」の発露である。トランプは何をしでかすかわからない、という芳しくない評価があるが、こうしてみると彼の思想と発言は実に一貫しているのである。
ところが彼の「米国第一主義」を理解せずに振り回されているのがサウジアラビア外交なのである。サウジアラビアの外交は一応ジュベイル外相が担っていることになっているが、誰の目にも明らかなように実質的に外交を取り仕切っているのはムハンマド皇太子であり、外相は皇太子の使い走りに過ぎない。皇太子はオバマ前大統領時代最悪であった米国との関係をトランプ大統領時代に入り太いパイプを築き上げた。彼は中東の和平に貢献する意思があるという大統領の発言に自国に対する米国の過大な期待を見たのであった。
しかしその結果はどうであろう。米国大統領はエルサレム首都宣言と米国大使館の移転というアラブ・イスラーム諸国の虎の尾を踏んだ。ここでムハンマド皇太子は立ち往生したのである。トルコで開催されたOICの緊急会合は外相出席でお茶を濁す始末で、トランプ発言についても何ら明確な反対発言ができないままである。エジプト、トルコ、クウェイトなどの諸国もサウジアラビアを冷たい目で見始めたのである。
(余話)サウジ外交の醜態:3つのスキャンダル
ここまで昨年のサウジ外交の六つのエピソードに触れたが、その他にもスキャンダルとも言うべき稚拙な外交エピソードが散見される。
その一つはパレスチナ系ヨルダン人実業家の拘束事件である。汚職摘発でアルワリード王子を含む王族・閣僚・ビジネスマン多数が拘留中の昨年12月、ヨルダンの有力実業家Masri氏がリヤド空港で一時拘束された。その後彼は相応の金額を払って帰国を許されたようであるが、あるメディアはムハンマド王子がヨルダン国王に対し、釈放を条件にトルコでのOIC会議に同国が欠席するよう強要したとの噂を伝えている[5]。これが事実であれば、エルサレム問題をできるだけ荒立てたくない皇太子の稚拙な策謀というべきであろう。
二つ目はサウジアラビアとイスラエルの水面下での接触の噂である。ムハンマド皇太子がトランプ大統領の娘婿で側近のクシュナー補佐官と極めて親しいことは周知の事実であり、ユダヤ教徒のクシュナーを挟んでサウジとイスラエルが合従連衡するのではないかという噂が絶えない。それはまずは航空路開設問題に表れており、昨年3月にはクウェイトの新聞にサウジ航空機がテルアビブ空港に試験飛行で着陸したというニュースが流れた。サウジ政府は猛烈に反発し、クウェイト側が謝罪して一件落着した[6]。6月にはトルコのウェブニュースにイスラエル空港に駐機中のサウジ航空機の写真が掲載された。これは合成写真によるフェーク(偽)ニュースだったようであるが、火のないところに煙は立たずということわざもある。このほかのニュースとしてサウジ政府要人がイスラエルを訪問したとの報道が流れたが、サウジ外務省はこれを否定している[7]。
三つめは現在東京国立博物館で開催中の「アラビアへの道―サウジ秘宝展」の開会式に観光遺跡庁のスルタン王子が顔を見せなかったことである[8]。スルタン王子はサルマン国王の子息でムハンマド皇太子の異母兄という有力王族である。サウジの現地新聞は王子が来日しテープカットを行うと報道していた。しかし王子は来日せず駐日大使が代役を務めた。リヤドではそのころ汚職摘発を理由にした皇太子の権力闘争の真っ最中である。スルタン王子も心安らかでなかったはずで、筆者はサルマン一族が宮廷クーデタを恐れてリヤドを離れられないのではないかと推測している。
孤立深まるサウジアラビアーそして誰も近づかなくなった!
サウジアラビアは米国の威勢をバックに中東の覇者たらんとした思惑がはずれ今や周辺諸国から胡散臭い目で見られ孤立が深まっている。それらの国の名前を挙げるとすれば、クウェイト、オマーンのGCC2カ国とエジプト及びヨルダンであろう。
サウジアラビア、UAE及びバハレーンとカタールとの国交断絶問題では当初クウェイトが様々な仲介を試みたがムハンマド皇太子の頑なな態度で問題解決の目途が立たない。クウェイトはサウジの姿勢に嫌気がさしたのかGCC結束に消極的になり、現在ではむしろカタールとの関係修復に動いているように見える。両国の民間航空路開設について協議していると伝えられる[9]のはその証左であろう。
オマーンは元々サウジアラビアとは一線を画する姿勢であり、今回のカタール断交問題でも立場を鮮明にしていない。そしてクウェイトと同様カタールとの経済協力を模索し、3月には両国でビジネス会議を開催すると表明している[10]。オマーンは歴史的にホルムズ海峡を挟んだイランとの関係を絶やさないようにしており、イラン憎しのサウジアラビアとは明らかに異なった外交方針を貫いている。またオマーンはオスマン帝国以来の由緒あるスルタン制国家であり、建国百年に満たない新興国サウジアラビアが石油の富で周辺国を服従させようとする態度をかねてから苦々しく思っている。
ヨルダンとエジプトは経済危機のたびにサウジアラビアからの援助を引き出し、そのためサウジの外交政策を支持する態度を示してきた。図に乗ったムハンマド皇太子はヨルダン、エジプトを含むアカバ湾一帯の総合開発計画NEOMプロジェクトを打ち出した[11]。皇太子は公共投資基金(PIF)も出資するソフトバンク・ビジョン・ファンドの資金で3か国の経済開発を図ろうとする善意のプロジェクトのつもりであろうが、ヨルダン及びエジプトの一般国民感情から考えればサウジの経済侵略と映らないことはない。このプロジェクトの少し前、サルマン国王とシーシ・エジプト大統領との間でアカバ湾の2島のサウジ帰属を認め、これら2島をかけ橋とするアラビア半島とシナイ半島の架橋計画が表面化した[12]。橋が完成すればシナイ半島、さらにエジプト本土の経済開発に寄与することは間違いないであろうが、エジプト国内では2島のサウジ帰属に根強い反対論がある。ここにもサウジを尊大と見るエジプトの国民感情が潜んでいるようである。
サウジアラビアの孤立は深まるばかりで、他国は誰もサウジに近寄らなくなりつつある。
(完)
[1] ‘Trump tells leaders he plans to move US embassy to occupied Jerusalem’ on 2017/12/5, Gulf News,
[2] ‘Erdogan threatens to cut ties with Israel over Jerusalem controversy‘ on 2017/12/06, Arab News他
[3] ‘General Assembly Overwhelmingly Adopts Resolution Asking Nations Not to Locate Diplomatic Missions in Jerusalem7 on Dec 21, 1917, UN Press Release,
[4] ‘US says nearly $110 billion worth of military deals inked with Kingdom’ on 2017/5/21, Arab News
[5] Billionaire freed after settlement’ on 2017/12/20, Arab Times
[6] ‘Saudi Arabian Airlines gets apology from Kuwaiti company for posting rumors of alleged flights to Tel Aviv’ on 2017/3/1, Arab News
[7] ‘Saudi foreign ministry denies secret Saudi visit to Israel’ on 2017/10/22 Arab News
[8] Roads of Arabia exhibition makes its way to Japan‘, on 2017/12/26, Arab News
http://www.arabnews.com/node/1214961/saudi-arabia
and‘Roads of Arabia expo opens in Tokyo’ on 2018/1/30, Arab News
[9] ‘Qatar and Kuwait to enhance air transport ties’ on 2018/2/20, The Peninsula
https://www.thepeninsulaqatar.com/article/20/02/2018/Qatar-and-Kuwait-to-enhance-air-transport-ties
[10] ‘Qatari-Omani business meet to be held in April’ on 2018/2/21, The Peninsula
https://www.thepeninsulaqatar.com/article/21/02/2018/Qatari-Omani-business-meet-to-be-held-in-April
[11] ‘SoftBank tipped for $25bn KSA investment in ‘unique’ deal’ on 2017/11/16, Arab News
[12] ‘Cairo cedes Red Sea islands to Riyadh’ on 2016/4/11, MEED
2018年02月13日
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2018.2.13
荒葉一也
2017年11月:レバノン、ハリリ首相の辞意撤回騒動
レバノンは人口約600万人の小国であるが、「宗教のモザイク国家」と言われるほど多数の宗教宗派が混在している。イスラームのシーア派、スンニ派、ドルーズ派を始め、キリスト教ではマロン派、ギリシャ正教、ローマ・カトリック、アルメニア正教などがあり、全体では18宗派で構成されている[1]。政治的安定を確保するためレバノンは建国以来、大統領はマロン派、首相はスンニ派、国会議長はシーア派と決められている。現在の大統領はミシェル・アウン、首相はサアド・ハリリである。因みにサアド・ハリリの父親ラフィーク・ハリリもかつてレバノン首相を務めたが、退任後の2005年に爆殺されている。以来、親イランのシーア派ヒズボラと親サウジのスンニ派との対立が激しくなり、レバノンの国内紛争はイランとサウジアラビアの代理戦争の様相を呈している。(後述するイエメンでも親イランのフーシ派と親サウジのスンニ派ハディ政権によるイランとサウジの代理戦争という同じ図式による泥沼の内戦が続いている。)
サアド・ハリリは父親の遺志を継いで2005年末に首相に選ばれたが、2011年にラフィーク暗殺の原因究明を巡り親シリア派の野党閣僚が辞任するとハリリ内閣は瓦解、その後大統領職もその後任を巡って紛糾し国政は混乱した。2016年にようやく新大統領が決定、憲法規定に則り同年11月に挙国一致のサアド・ハリリ内閣が成立した。ハリリ首相は複雑なパワー・バランスの中で微妙なかじ取りを強いられているが、彼を陰に陽に支えたのがスンニ派の盟主サウジアラビアなのである。
実はサアド・ハリリはサウジアラビアのリヤドで生まれ育ち、レバノンとサウジの二重国籍を有し、父親ラフィークはサウジでビン・ラーデンと並ぶ大手ゼネコンSaudi Oger社の創業者であり、したがってサウド家王族とも極めて親密な関係を持っている。中でも大富豪アルワリード王子は、母方の祖父が初代レバノン首相であり、同国にも事業の拠点を置いているため、ハリリ家とは特に親しい。ラフィークの葬儀には当時のアブダッラー国王とアルワリードの父親タラール王子が参列したほどである。
首相就任以来親イランのヒズボラなどシーア派国会勢力との政争で綱渡り的な政権運営を強いられていたハリリ首相は昨年12月サウジアラビアを訪問、国王、皇太子と善後策を協議した。この時、ハリリは突然首相辞任を表明して世界を驚かせた[2]。ところがハリリはその後レバノンに帰国すると今度は辞意を撤回してもう一度世界を驚かせたのである。
ハリリはリヤドでの辞意表明は国民に対するショック療法であると説明したが、背後にサルマン国王とムハンマド皇太子の圧力があったとの見方が強い。ハリリは帰国後大統領の強い慰留で辞意を撤回したのであるが、結局この猿芝居を演出したサウジの国王と皇太子は世間の冷笑を浴びたのである。援助をちらつかせて小国レバノンを自らの意向に従わせようとしたサウジ外交の失敗であった。
2017年12月:イエメン、サーレハ前大統領暗殺
12月初めイエメンのサーレハ前大統領がフーシ派武装組織によって暗殺された[3]。サーレハとフーシ派は欧米諸国及びサウジアラビアが正統と認めるハディ暫定政権に対抗する反政府組織として共闘、イエメンの首都サナアを占領し、暫定政権をアデンに追いやった一大勢力である。サーレハは仲間割れによってフーシから命を奪われたわけであるが、実はサーレハがサウジアラビアと密通し寝返ろうとしたためフーシ派から裏切り者として暗殺されたというのが真相のようである。
しかしサーレハとサウジアラビアの関係は一筋縄では済まない複雑な関係である。それは2011年の「アラブの春」にさかのぼる。当時サーレハは北イエメン時代を含めすでに34年間もイエメンの大統領であった。しかし2011年、チュニジアで始まった民主化の嵐はリビア、エジプトからイエメンまで波及、2012年前半の度重なるデモで騒然とする中、6月にはついに反政府組織による大統領府攻撃によりサーレハは負傷、治療のためサウジの首都リヤドに向かった。事実上の亡命である。
サーレハはリヤドでサウジ政府から因果を含められ大統領職を当時副大統領のハディに譲ったのである。サウジ外交の勝利としてイエメンはスンニ派による民主国家に変身するはずであった。しかし本来部族社会であるイエメンで国内に有力な後ろ盾を持たないハディは弱体であり、足元を見たシーア派のフーシ派部族が挙兵した。そして傷が癒えて帰国したサーレハは自分を支持する部隊を引き連れ何とフーシ派と共闘、ハディの追い落としを図ったのである。サウジ政府にとってはサーレハに恩をあだで返されたようなものである。
フーシ派のバックにイランがいたことは言うまでもない。首都のサナアはフーシ派とサーレハ部隊によって陥落、ハディ政権は南部の国内第二の都市アデンに撤退、ハディ暫定大統領はサウジのリヤドに難を逃れ、現在もそこから指揮を執っているほどである。しかしアデン臨時政府は寄り合い所帯でありサナア奪還どころか暫定政府に抵抗する南部の独立勢力に押され、このままではかつてのようにイエメンが南北に分断されかねない状況である。
サウジ政府にとってイエメンを分断させずにスンニ派国家として存続させるためには、ハディは頼りにならず、イランに支援されたフーシ派を打ち破るにはサーレハに寝返りを働きかけるほかないと考えたのであろうか。しかしそのサーレハは暗殺され、イエメンの将来は混とんとしたままである。ただサーレハが暫定政府側につけば彼が早晩実権を握り再び独裁国家が生まれるであろうことも想像に難くない。
サルマン国王及びムハンマド皇太子のサウジ外交の無為無策ぶり、あるいはシーア派イラン憎しの怨念が支配する限り同国の外交は地域の混乱を深めるだけかもしれない。
(続く)
[1] 外務省:レバノン共和国基礎データより。
[2] “Hariri revokes resignation after consensus deal” on 2017/12/5、Arab News
[3] ‘Yemen's Ali Abdullah Saleh assassinated by Al Houthi militia‘ on 2017/12/4, Gulf News
2018年02月06日
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2018.2.6
荒葉一也
2017年6月:カタールと断交、GCC解体へ[1]
6月初め、サウジアラビアはUAE、バハレーン及びエジプトを巻き込んでカタールと断交した[2]。カタールがシリア、イラク、レバノンあるいはイエメンのシーア派勢力をひそかに支援しているというのがその理由である。カタールを含めGCC各国はいずれもスンニ派の君主制国家である。しかしバハレーンはシーア派住民が国民の多数を占め、サウジも東部油田地帯に少なからぬシーア派を抱えている。サウジアラビアのサウド王家、バハレーンのハリーファ王家はシーア派住民とその背後で糸を引く(と彼らが主張する)イランの動向に神経をとがらせているのである。
その中で同じペルシャ(アラビア)湾岸にありながらカタールは宗派対立とは無縁である。さらに前ハマド首長(現首長の父親で現在は国父の称号を有する)と王妃(即ち現首長の母親)は西欧化即ち近代化ととらえ、アル・ジャジーラTV開設など他のGCC統治者とは一味違う政策を推進した。同国はエジプトのイスラム同胞団宗教指導者の亡命を受け入れ、あるいはアル・ジャジーラTVがサウジアラビアの体制を批判するなど地域の強権的なイスラム政権にとって目障りな存在であった。
その結果、サウジアラビアはエジプト、UAE及びバハレーンを巻き込んでカタールと断交したのである。食料品など生活用品の多くをサウジ、UAEに頼っていたカタールは陸路、空路及び海路の全てを封鎖されて大きな困難に直面した。サウジアラビアはカタールがすぐに音を上げると高をくくっていた節がある。無理難題を突き付けてカタールが膝を屈して許しを請うのを待ち受けたのである。しかし金に困らないカタールはトルコ、インドさらにはGCCの宿敵であるイランまで補給ルートを広げ急場をしのいでいる。7か月経った今も問題解決の兆しは見えない。
ムハンマド皇太子は断交当初、米国のトランプ大統領がまずサウジ側に理解を示したことですっかりいい気になった。しかしその後トランプ大統領はカタール側にも同じようなリップ・サービスを与えており、またヨーロッパ諸国やロシア、中国などは所詮GCC内部の内輪もめと静観している。サウジ側は振り上げたこぶしを下ろすこともできず、12月のGCCサミットには国王、皇太子のいずれも顔を出さずテクノクラートの外務大臣でお茶を濁す始末である。アブダッラー前国王の時代にもサウジアラビアと他のGCC加盟国が対立することはあった。しかしアブダッラーの寛容な姿勢で事態がこじれる前に解決していた。しかしサルマン国王とムハンマド皇太子の時代になるとサルマンの慇懃無礼な姿勢とムハンマドの向こう見ずな対応が自ら外交の袋小路を招いているように見える。
2017年9月:シリア、イラクの拠点陥落でIS(イスラム国)崩壊
イスラム国(IS)が猛威を奮っていた間、中東では敵味方の立場をひとまず棚上げしてIS打倒のために呉越同舟、大同団結し、ロシアを含む欧米諸国もそれぞれの思惑で各国政府あるいは反政府組織を支援した。
シリア領内における対IS戦線は複雑多岐を極めた。シーア派の中の少数派であるアラウィ派アサド政権は同じシーア派のイランの支援を受けた。そしてロシアもシリア国内にある中東唯一の海軍・空軍基地を保持するためにアサド政権を支えた。米国はアサド政権の退陣を求めるクルド勢力を含む反政府勢力に肩入れした。サウジアラビアもその一翼であった。とは言え反政府勢力はアサド退陣を旗印にした同床異夢の集団に過ぎない。イスラム国(IS)誕生の母体となりその後袂を分たったアルカイダ系のヌスラ戦線、民族独立を求めるクルド勢力などISに対抗できる軍事勢力を持つ勢力の他に民主勢力もある。トルコは自国内のクルド独立運動への波及を恐れてクルド勢力を警戒したのに対し、伝統的に民主主義と民族独立に理解と同情を示す米国や欧米諸国は民主勢力及びクルド勢力を後押しした。
このような中でサウジアラビアは反政府勢力を支援したのであるが、それはあくまでイスラム過激思想のISから自国を守るために過ぎない。アルカイダの流れを汲むヌスラ戦線は受け入れがたく、また人権や開かれた議会制などサウド家絶対君主制になじまない民主勢力の主張を苦々しく思っている。それでもサウジが反政府勢力を支持したのは、米国と共同歩調を取ることこそ自国の最大の安全保障だったからである。
2017年に入り呉越同舟・同床異夢の勢力が共通の敵IS(イスラム国)をほぼ打倒した。しかし当然のことながらIS後のシリア和平について異なる夢がぶつかり合うことになる。当面イニシアティブを握ったのはアサド政権とそれを支えたロシア及びイランである。米国はと言えば支持していたクルド勢力がトルコ、イラクなどの現政権と対立し、民主勢力は口先ばかりで実力が伴わない状況であり米国の代理人が見当たらない。
この状況ではサウジの出る幕は全く無いと言って良い。和平交渉の国際外交の舞台でサウジは端役すら演じられないのである。
(続く)
[1] サウジ・カタール断交の経緯及び現状については以下のレポート参照。
2017年7月「カタールGCC離脱の可能性も」
http://mylibrary.maeda1.jp/0416GccDispute2017July.pdf
2017年12月「いよいよGCC解体か?首脳会議を振り返って」
[2] “Bahrain, KSA, Egypt and UAE cut diplomatic ties with Qatar” on 2017/6/5, Arab News
2018年02月01日
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2018.2.1
荒葉一也
ジェットコースターのようなサウジ外交
サウジアラビアの外交が変調をきたしている。トランプ大統領が最初の外国訪問先にサウジアラビアを選んだ時、サルマン国王及びムハンマド皇太子は得意の絶頂であった。IS(イスラム国)あるいはイランとの闘いを錦の御旗に、さらにトランプ大統領の支持発言をバックにサウジアラビアは地域の紛争で主導権を握り、トルコ、エジプトを押しのけてアラブの盟主の地位を狙った。
スンニ派の盟主を自認するサウジアラビアはシーア派の旗頭イランとの対決姿勢を強め、シリア内戦でアサド政権の退陣を求めて反体制派を支援した。あるいはイエメンではハディ暫定政権の後ろ盾となって空爆作戦を行い、イランをバックに優勢を伝えられるフーシ派反政府勢力と泥沼の戦いを続けている。そして今度はあろうことか堅い同盟関係をはぐくんできた湾岸君主制国家6カ国GCCのリーダーであるサウジアラビア自らが同盟国カタールと断交したのである。それが昨年前半までのサウジアラビアの華々しい外交政策であった。
ところが昨年下期以降一転してサウジ外交の歯車が狂い始めた。IS(イスラム国)崩壊後のレバント地域の主導権はロシアとトルコと彼らに支持されたアサド政権の手にわたりサウジアラビアは完全に蚊帳の外である。イエメン内戦は先行きが見えず最近ではむしろ首都リヤドに向けたフーシ派のミサイル攻撃にさらされるありさまである。またカタールとの紛争もカタールがイランやトルコに接近するなどGCCそのものが崩壊の瀬戸際にある。そのような中で米国のトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認め、大使館を移転すると宣言した。米国と二人三脚のつもりでいたサウジ政府も今度ばかりは追従するわけにはいかない。かと言って米国を正面から非難する勇気もなく、奥歯にものの挟まったような言いぶりに終始している。
このようなサウジ外交を見てサウジの外交能力に疑問を抱いたのは周辺諸国のみならずヨーロッパ・アジアの大半の国であろう。多分米国ですらサウジ外交の底の浅さにあきれているのではないだろうか。今やサウジアラビア外交が先の見えない八方ふさがりの状況にあることは誰の目にも明らかである。サウジ外交の誤算の原因の多くはムハンマド皇太子の場当たり的な外交方針と分不相応な大国意識にあることは間違いない。
昨年1月以降のサウジアラビアの外交活動についてムハンマド皇太子の動きを交えて時系列的に俯瞰するとほぼ以下のような状況である。
2017年5月:トランプ大統領の初外遊先に選ばれ得意の絶頂
昨年5月、トランプ米国大統領が就任後初の外遊先としてサウジアラビアを訪問したことに世界は驚いた[1]。サウジ政府はイランを除く主要なイスラム国の首脳を首都リヤドに招き米国大統領との会議を開き、大いに面目を施した。サルマン国王とトランプ大統領は共同宣言でテロとの闘いをうたい、イランをその元凶と厳しく批判した。同時にサウジは戦闘機を含む米国の兵器数千億ドルの購入契約を結びビジネス・ファーストのトランプ大統領への手土産とした[2]。
ムハンマド皇太子は3月に米国を訪問、トランプの娘婿クシュナー大統領上級顧問と緊密な連携を図りこの日に備えたのである[3]。クシュナーはユダヤ教徒でありスンニ派イスラムの盟主を任じるサウジアラビアとしてはかなり向こう見ずな外交とも映るがムハンマド皇太子は何のてらいもなかったようで、得意の絶頂で自らの力を誇示したのである。前任のオバマ大統領が民主主義と人権外交をかかげ脱中東政策を実行した時、米国とサウジアラビアの関係は最悪となり、ムハンマドはロシアのプーチン大統領や仏大統領に近付いたが[4]、今やサウジアラビアはトランプ大統領との親密な関係を印象付けることで中東地域外交のイニシアティブをとったつもりでいた。
しかしその後のサウジ外交は暗転する。
(続く)
[1] “‘A new page’ as US President Donald Trump lands in Saudi Arabia” on 2017/5/20, Arab News
[2] “US says nearly $110 billion worth of military deals inked with Kingdom” on 2017/5/21, Arab News http://www.arabnews.com/node/1102646/saudi-arabia
[3] “Trump, Deputy Crown Prince call for intensifying efforts to fight terror” on 2017/3/15, Saudi Gazette
[4] “Royal visit to
give a fillip to Riyadh-Paris relations” on 2015/6/24, Arab News他