Saudi Arabia

2017年02月28日

2017228

荒葉 一也

 

  サウジアラビアのサルマン国王が2月26日から日本を含むアジア5か国歴訪の旅に出かけた。国王は1935年12月生まれで、現在83歳の天皇陛下とは2歳しか違わない高齢である。加えて健康に不安があり2015年1月の即位以来外国への公式訪問はエジプトとGCC諸国など近隣諸国の他は同年5月に訪米したくらいであり、それ以外は私的な夏季休暇を外国の別荘で過ごす程度である。

 

ところが今回の外国訪問は31日間という長期にわたりアジア5か国を歴訪、帰途ヨルダンに立ち寄る予定になっている。2月26日に最初の訪問国マレーシアに3日間滞在したのち、インドネシアではバリ島での5日間の休養を含め12日間を過ごし、次いで中国に4日間、さらに日本を3日間公式訪問する。そして最後にモルディブを訪問、帰途ヨルダンに立ち寄るという強行スケジュールである[1]

 

リヤドからのフライト時間だけで見ればヨーロッパはもとよりワシントンの方がよほど近い。そしてサウジアラビアが現在抱えている外交或いは経済問題から考えた場合、今回訪問するアジア各国は近隣アラブ諸国或いは欧米諸国との関係に比べ外交の優先度が低いことは明白である。

KingSalman

国王本人の健康問題或いはサウジアラビアが置かれた状況から考えて今回の長期外遊には違和感がぬぐえないのである。勿論今回の訪問国がサウジアラビアにとって重要な国々であることは論をまたない。マレーシアとインドネシアは東南アジアのイスラーム国家であり、イスラームの盟主であるサウジアラビアにとって需要な国であろう。中国と日本はサウジアラビアの原油の最大の顧客である。そしてサウジアラビアは今、ビジョン2030を掲げ石油依存の経済から先進国家に脱却しようと固い決意で臨んでいる。そのためにサウジアラビアは先進イスラーム経済国家であるマレーシアとインドネシアとの協力が必要であり、また経済大国である日本と中国の先端技術或いは資本が必要であることは理解できる。

 

 しかしそれらの事情を踏まえたうえでなぜサルマン国王がこの時期に長期にわたり国を留守にしてまでアジア4か国(モルディブ訪問には政治的経済的背景は考えにくい)を訪問するのであろうか。敢えて今回の外遊を裏読みすると次のような憶測も否定しきれないのである。

 

憶測1.何らかの手術或いは治療をするのではないか?

 マレーシアは医療設備が整っており実際多くのサウジ人が手術・治療のため同国に出かけている。いわゆる医療ツーリズムである。GCC各国の君主はサルマン国王の実兄故ファハド国王がスイスで長期療養し或いはオマーン現国王がドイツで手術しているように海外の病院に入院することが珍しくない。そして時には治療目的を隠して外国に出かけることもある。今回の外遊がそのためと考えられないこともない。但しインドネシアを除き各国の滞在期間が短いことを考えると入院手術は無理かもしれない。

 

憶測2.外遊目的は半分保養、半分ビジネスではないか?

 中国と日本の訪問前にインドネシアのバリ島に立ち寄り、両国訪問後にモルディブを訪れることになっている。サルマン国王が高齢かつ病弱であるため中国・日本訪問のハードスケジュールの前後に休養日程を入れたことは間違いないであろう。ただサルマン国王がアジアの保養地を訪れるのは初めてである。国王は皇太子時代から夏の休暇シーズンを南仏ニースの別荘で過ごしてきた。しかし一昨年ニースに行ったとき、国王一行は地元民から激しい拒絶反応を受けた。その年の1月にパリでイスラーム過激派による風刺画週刊誌シャルリー・エブド本社襲撃事件があり、仏全土に嫌イスラーム(イスラム・フォビア)感情が高まったためである。国王一行はわずか1週間でニースを引き揚げた。それ以来、西欧にサルマン国王が安息できる場所はなくなった。そこで浮かび上がったのが穏健なアジアのイスラーム国である。季節的にも今のアジアモンスーン地帯は保養にうってつけである。

 

憶測3.日本及び中国に恩を売るつもりか?

 もし国王の歴訪がビジネス半分、保養半分であれば、日本及び中国はサルマン国王来訪に過大な期待はできそうもない。両国にとってサウジアラビアは重要な石油供給源であり、最高のもてなしで国王を心地よく迎え、そして送り出せれば成功と言えよう。幸い日中双方ともサウジアラビアとの間に面倒な問題は無い。イスラーム問題で険悪になりがちな米国トランプ政権やヨーロッパ諸国とは状況が異なる。またイスラーム国(IS)掃討作戦でロシア、イラン、トルコがシリア・アサド政権との連携を強める中で、サウジアラビアはシーア派のイランを極度に警戒し、IS対策では反政府組織の支援に固執しており、同国はシリア和平問題で蚊帳の外に置かれている。その点、日本及び中国に対してサルマン国王は石油の安定供給をちらつかせるだけで十分恩を売ることができる。

 

憶測4.中国、日本訪問は息子ムハンマド副皇太子への側面支援?

 サルマン国王は最愛の息子ムハンマドにサルマン家とサウジアラビアの将来を託している。ムハンマドを強引に副皇太子に引き上げのはムハンマド・ビン・ナイフ皇太子(国王実兄故ナイフ皇太子・内相の子息、即ち息子ムハンマドとは従兄弟関係)に男児がいないため、サルマンの思惑通りに事が運べば王位はいずれ息子ムハンマドとその子孫、即ちサルマン系統に収れんされるとにらんでいるに違いない。その息子ムハンマド副皇太子はビジョン2030を掲げて華々しい活躍を見せている。

 否、今のところは活躍している、と言うべきであろう。ビジョン2030はあまりにも野心的すぎるため、現在多くの障害にぶつかり実現の見通しに危険信号がともり始めたからである。石油に依存しない経済を創るには国内産業の多角化のため外国の資本と技術の導入が不可欠である。それには是非日本と中国から協力を取り付けたい。同時に経済改革の原資は石油しかなく、そのため原油の長期安定的な顧客である中国と日本をつなぎ留めなければならない。一方、日本と中国にとっても資本と技術の輸出相手、そして石油の輸入相手としてサウジアラビアと緊密な関係を保つことが必要である。

サウジアラビアと日本、或いはサウジアラビアと中国は現在のところ政治や宗教で面倒な問題がなく、経済ではウィン-ウィンの関係である。サルマン国王にとって訪中、訪日は苦境にたちつつある息子副皇太子に対する強力な側面支援なのではないだろうか。そのためであればサウジ国内ではよほどのことがない限りビジネスマンと面談することのない国王が例えば東京でソフトバンクの孫社長を謁見することも考えられないことではなさそうだ。

 

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       荒葉一也

       E-mail; areha_kazuya@jcom.home.ne.jpエジプト

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[1] Saudi Gazette on 2017/2/23, ‘Many pacts to be signed during King’s 31-day Asian tour next week’,

http://saudigazette.com.sa/saudi-arabia/many-pacts-signed-kings-31-day-asian-tour-next-week/




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2017年02月09日

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2.
石油篇:シェア競争に行き詰まりロシアを巻き込んで減産・高価格を目指すが?

 石油価格が低迷する中であえてシェアにこだわりチキンレースを展開したサウジアラビアであったが、2015年後半以降、価格はますます下落し、2016年初めにはついに1バレル20ドル台まで急落した。財政悪化に苦しんだOPEC(石油輸出国機構)加盟国は、昨年9月と11月の二度の総会でようやく減産に合意した。さらに12月にはロシアなど非OPEC産油国との協議の結果、今年1月から両者合わせて180万B/Dの協調減産を行っている。OPECが減産に踏み切るのは実に8年ぶりのことである[1]。米国のシェールオイルの生産動向が気がかりではあるが、ブレント原油の市場価格はバレル当たり50ドル台半ばに回復し、OPEC産油国はとりあえず安堵している。OPEC総会或いは非OPEC産油国との協議を主導したのはロシア、米国と並ぶ世界三大石油生産国のサウジアラビアであり、同国Al Falih石油相による活発なオイル外交の成果であった。

 

 実はOPEC・非OPECの協議は半年前の4月、合意寸前まで行ったことがある。当時のサウジアラビアのナイミ石油大臣とロシアのエネルギー相を中心に年初から綿密な打ち合わせが重ねられ4月18日、当時のOPEC議長国のカタールで増産凍結の手打ちが行われる予定であった。但し一つだけ問題があった。イランである。経済制裁のため大幅な減産を強いられていたイランが制裁前の水準に達するまで増産することを強く主張した。そこでサウジアラビアとロシアはとりあえずイラン抜きの増産凍結を宣言する腹づもりであった。

 

 それに待ったをかけたのがムハンマド副皇太子であり、彼はイラン抜きの決定に強硬に反対した。一介のテクノクラートに過ぎないナイミ石油相は王族No.3の副皇太子の意向に逆らえず、それまで積み重ねてきたロシアやUAEなど有力産油国との話し合いを已む無く反故にした。ハード・ネゴシエーターとして名をはせたナイミとしては国際会議の場で大恥をかいた気分だったかもしれない。副皇太子と石油相の関係にひびが入った。

 

その後5月初めに内閣改造があり、ナイミ石油相が退任し、改組されたエネルギー省の大臣にAl Falihアラムコ取締役会議長が指名された。Al Falih新エネルギー相は56才、82才のナイミから大幅に若返った。30才そこそこの副皇太子にすれば年の離れたベテランのナイミは使いにくかったはずである。と同時にナイミ自身もアブダッラー国王の時代に高齢を理由に退任を申し入れたことがあったが、その時は国王のたっての要請で留任し続けた経緯がある[2]。彼はアブダッラー国王に個人的な忠誠を尽くしたと言えよう。従って国王がサルマンに代われば石油相を続ける義理は無い。ナイミは石油相の地位に未練は無かった。この結果、副皇太子及びその意向を受けた新エネルギー相との関係も急速に薄れた。逆に言えば副皇太子はナイミというかけがえのないご意見番を失ったことになる。

 

 振り返って見ればサウジアラビアの石油大臣はOPEC創設期のヤマニ、産油国サウジの存在を世界に知らしめた前大臣のナイミ、そして現在のAl Falihエネルギー大臣、と歴代テクノクラートが務めている。国際情勢に振り回され変化の激しいエネルギー問題ではサウジアラビアの石油担当大臣と云えども足をすくわれることがある。そのような時テクノクラートであれば責任を取らせやすい。「トカゲのしっぽ切り」である。サウジアラビアでは国王が首相を兼務し石油大臣をコントロールするが、今はムハンマド副皇太子がその役割を担って石油大臣を陰で操っている。否、「操ってきた」という方が正しいかもしれない。最近の副皇太子はOPECを中心とする国際石油政策或いは国営石油アラムコの運営方針についてAl Falihエネルギー大臣にゆだね、自ら口をはさむことが無くなった。そして今回OPEC主要産油国が減産を受け入れた中でイランは実質的な増産を認められた。半年前の4月にイラン抜きで増産凍結を打ち出そうとしたことと比べ、今回の決定にはどれほどの進歩があっただろうか。サウジアラビアの石油政策が挫折したとすら言えよう。

 

Aramco
 しかし石油政策とは別に副皇太子がどうしてもやり遂げなければならないことが一つ残っている。アラムコの株式上場即ちIPOである。彼はビジョン2030及びNTP2020と呼ばれる野心的な経済改革プランを提唱、サウジアラビア経済の脱石油化を宣言した。但し現在の石油依存体質を脱却するために必要な資金は石油しかないというジレンマがある。そのジレンマを脱する方法が国営石油会社アラムコを株式会社として上場し株式の売却益をひねり出すことなのである。

 

 副皇太子はアラムコのIPO(新規上場)として株式の5%を売り出すと決めた。サウジアラビアの石油生産量は1千万B/D、埋蔵量は2,700億バレルに近い。世界最大の石油企業のエクソンモービル社ですら生産量は240万B/Dであり、アラムコの規模が桁違いであることがわかる。サウジ政府関係者はアラムコの企業価値を2兆ドルと見立てている。IPOで5%を上場するとしてそれだけで1千億ドルになる。これまでで最大と言われた中国アリババのニューヨーク上場が200億ドルであったから、アラムコIPOが如何に巨大なものであるかわかる。

 

 これだけ巨大なIPOはサウジアラビアの国内市場Tadawulの手に負えない。小さな池にクジラを放つようなものだからである。Al Falihエネルギー相もTadawulのほか世界で2~3か所の有力株式市場に同時に上場するつもりであると語っており、ニューヨーク、ロンドン、東京、香港、シンガポールなどが取りざたされている。上場誘致のため東証を傘下に置く日本取引所グループのCEOがサウジアラビアを訪問している[3]

 

 アラムコの残る95%の株式は政府系ファンドの公共投資ファンド(PIF)に移管される。そうなればPIFはノルウェー政府ファンド或いはアブダビ投資庁(ADIA)をしのぐ世界最大の政府系ファンド(SWF)になる[4]PIFは既に野心的な投資活動を始めている。米国の自動車配車アプリのUBER社に35億ドルを投資、さらに昨年はソフトバンクが打ち上げた1千億ドルのハイテクファンドに450億ドルの出資を決めている。ムハンマド副皇太子とソフトバンクの孫社長の東京での電撃会談が世界をあっと言わせたことは記憶に新しい。

 

 副皇太子が次々と打ち出す野心的な経済政策はこれまでの王族には見られなかったものであり国の内外からその行動力に称賛の声が上がっている。しかし彼が目指す改革はスタートしたばかりであり、結果は当分先の話である。石油を脱却するためにとりあえず石油にすがる。それが現在のサウジアラビアの姿であり、ムハンマド副皇太子の姿である。ただ2030年のゴールに至るハードルはかなり高い。ゴールにたどり着ければ副皇太子は傑出した指導者としての名声を手にするであろう。しかし失敗しないまでも不十分な成果しか上げられなかったならばそれは石油という虎の子の資産を食いつぶしただけの「虻蜂取らず」の結果に終わる恐れが無きにしも非ずである。今、ムハンマド副皇太子は危険なタイトロープ(綱渡り)を始めたばかりなのである。

 

(続く)

 

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[1] 9月から今年年初までのOPEC総会、非OPEC産油国との協議の経緯は拙稿「OPEC減産合意の経緯」参照。http://mylibrary.maeda1.jp/0397OpecProductionCut.pdf ごい

[2] マイライブラリー0154「辞めさせてもらえないサウジアラビアのサウド外相とナイミ石油相 (20074)参照。http://mylibrary.maeda1.jp/0154SaudNaimi.pdf 

[3] 201716NHKニュースより。

[4] 資料「世界の政府系ファンド」参照。http://menadabase.maeda1.jp/1-G-2-05SwfRank.pdf 



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2017年02月02日

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はじめに

MuhammadBinSalman
 サウジアラビアのムハンマド副皇太子はサルマン国王の七男である[1]
。キング・サウド国王大学を卒業後、父親の補佐役として国防相特別顧問、皇太子府特別顧問を歴任、2015年1月アブダッラー国王死去に伴い父サルマンが第七代国王(兼首相)に即位すると国防相に就任した。1985年8月生まれであるから、国防相就任時は30歳にもなっていない。そして同年4月には副皇太子に即位した。因みに皇太子のムハンマド・ビン・ナイフはサルマン国王の実兄故ナイフ内相の息子である。即ち皇太子と副皇太子の両ムハンマドは従兄同士ということになる。副皇太子は序列では国内No.3であり、王位が順当に継承されれば次の次の国王ということになる。

 

 副皇太子は経済・開発会議議長としてサウジの経済全般の舵取りの役割を負っている。この会議がとりまとめた2030年までの長期国家ビジョン「Saudi Vision 2030」及び2020年までに達成すべき具体的な目標計画「National Transformation Program (NTP) 2020」は、2016年春に閣議決定され、サウジアラビアは現在急激な経済改革の途上にある。

 

 外交についてはサルマン国王が健康不安の問題を抱えているため国賓との会談などを除き大半の実務は副皇太子とテクノクラートである外務大臣の二人三脚で進められてきた。またサウジアラビアの命運を握る石油政策についても国営石油会社アラムコ出身のファリハ・エネルギー大臣と副皇太子が政策の鍵を握っている。

 

 これらのことからわかる通りムハンマド副皇太子は国王の全幅の信頼を得て国防、外交、経済、エネルギーなどサウジアラビアの心臓部を一手に握る立場にあり、これまで2年間、八面六臂の活躍で国内外から大きな期待を寄せられている。

 

 しかし最近になって各分野で多くの問題が表面化している。それは世界(そして中東)の政治・経済情勢のしわ寄せであったり、彼自身が旗を振るビジョン2030、NTP2020の急激な改革によるひずみであったりする。この結果ムハンマド副皇太子は今では八方ふさがりともいえる状況の中にある。

 

 本稿では国防、エネルギー、経済、外交それぞれについてその現状と副皇太子が抱える問題について分析を試みる。

 

 

1.国防篇:泥沼にはまったイエメン内戦介入

2011年の「アラブの春」はイエメンにも波及、長期独裁政権を誇っていたサーレハ大統領(当時)がサウジアラビアの仲介により退陣、ハーディー副大統領が大統領に就任して紛争は終息するかに見えた。しかしながら、北部一帯を支配する武装勢力でスンニ派の一派ザイド派のフーシがイランの支援を受けて蜂起した。さらにサウジから帰国したサーレハ前大統領がこれに合流して2014年には首都のサナアを占領するまでになった。ハーディー政権は紅海沿岸のアデンに逃れたが、フーシ・サーレハの連合勢力に押しまくられ、加えて南部ではスンニ派過激組織「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」が暗躍、国内平定どころか自身の存続すら危うい状況になった。

 

見かねたサウジアラビアは2015年3月、アラブ連合軍を結成して反政府勢力の空爆に踏み切った。サウジにとっては長い国境を接するイエメンが不安定化すればサウジ国内の治安も悪化し、サウド家にとって由々しき事態になる。しかしサウジ一国だけの介入では内政干渉と批判される。そこでUAEなど利害を共有するGCC諸国や金で言うことを聞くスーダンなど貧しい北アフリカ諸国を巻き込んで紛争に介入した。介入の理由は反政府勢力をテロリスト集団と断定、ハーディ政権の対テロ活動を支援するという名目である。最近の中東ではISやアルカイダだけでなく、シーア派など敵対勢力にテロリストのレッテルを貼ることがもっぱらである。政府勢力が反政府勢力をテロリスト呼ばわりするだけでなく、逆にシリア内戦のように反政府勢力がアサド政権をテロリストと決めつけることもある。それぞれの政治勢力が敵対勢力を「テロリスト」と呼ぶことで自己を正統化する手段に使っているのである。

 

一般認識としてはテロリスト=イスラーム過激派原理主義者であり、実はサウジアラビアの国教であるワッハーブ派は典型的な原理主義(スーフィズム)である。そのため西欧諸国ではサウジアラビアとイスラーム過激主義を同一視し、その文脈でサウジアラビアこそがテロリストの温床であるとする根強い固定観念がある。従ってサウジ政府がテロリスト撲滅を声高に呼びかけても諸外国はサウジの主張を眉唾とみなすほどである。世界のテロ共同作戦の中でサウジアラビアは孤立している。

 

目をイエメン国内に向けると、シーア派国家イランの支援を受けたフーシはハーディー政権に対して優位に戦っており、また国境を接したサウジアラビアに向けて度々ロケット砲攻撃を行っている。サウジアラビアにとってフーシ勢力の脅威はイラク・シリアのIS(イスラム国)以上に大きい。イエメン内戦は今やサウジアラビアとイランの代理戦争の様相を呈している。アラブ連合軍を率いるサウジアラビアはあたかもベトナム戦争における米国のような泥沼状態に陥っている。拡大する空爆により民間人の犠牲も増え、国際人権団体からはサウジアラビアに対する非難の声が高まっている。

 

サウジ国内では言論統制が厳しく反戦の声は聞こえない。殆どのサウジ人は今もオイルブームのバブルの余韻に浸っており、隣国イエメンの内戦には無関心である。サウジ政府は福祉ばらまき行政を続け国民の不満を抑えることに腐心している。しかし、これまで湯水のごとく使っていたオイルマネーは石油価格の下落により急激に細っている。その一方戦費はますます膨れ上がっている。サウジアラビアの財政は急速に悪化しているのである。

 

しかしムハンマド副皇太子はイエメン内戦からの出口を見つけることができない。わずか30歳そこそこで軍隊経験の全くない温室育ちの王子にイエメン空爆の戦略と戦術は期待できない。最近の彼は国防相でありながら、兵士激励のための前線訪問のニュースもない。昨年3月以降6月のクウェイトでの停戦会談を含め幾度となく和平協議が行われているが、そこにはイニシアティブをとるべきムハンマド副皇太子の姿は見られない。そして両勢力の停戦も長続きせず泥沼の内戦は今も果てしなく続いている。

 

彼が国防相の任にあらずと見られても致し方ない状況なのである。それはとりもなおさず父サルマン国王の任命責任でもあろうが、自身の健康に問題を抱えている国王は最重要ポストである国防相をムハンマドに任せるしかないとも言えそうである。国王には宇宙飛行士の経験のあるスルタン王子或いは空軍パイロットとしてシリア空爆に参加しているハリド王子のように多少とも軍隊経験のある息子がいるが、いずれも国防相の任に堪えないのであろう。サルマンには13人の息子がいるが、これまでの経歴を見る限り、彼は息子たちの教育に失敗し、頼れるのはムハンマドただ一人のようである。勿論それとてムハンマドが傑出して有能というのではなく、他の息子たちと比較した結果でしかないのかもしれない。

 

(続く)

 

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       荒葉一也

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[1] サルマン国王家々系図参照:http://menadabase.maeda1.jp/3-1-7.pdf 



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2011年09月07日

(注)本シリーズ(1)~(6)は「前田高行論稿集:マイライブラリー」で一括してご覧いただけます。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0197SaudThreeFamilies.pdf


5. 鍵を握るバイ・プレーヤー:サルマン家、ファイサル家、ファハド家、タラール家
(1)サルマン家:兄の腰巾着でメッキのはげたサルマン州知事
(家系図http://members3.jcom.home.ne.jp/maeda1/3-1-7SalmanFamily.pdf 参照)
 サルマンはアブドルアジズ初代国王の25番目の息子であり、スデイリ7人兄弟の6番目である。1936年生まれの彼は1962年以来39年にわたり首都リヤドの州知事の地位にあり、13州の知事の中では在任期間が最も長い。彼がかくも長く州知事を務めることができたのはひとえに長兄の故ファハド第5代国王や次兄スルタン(現皇太子)或いは4番目の兄ナイフ内相のバックアップによるものと言える。


 彼はかなり以前は後継国王の有力候補とされていたが最近ではあまり下馬評にあがらなくなった。既に75歳の高齢であることが主な理由だが、リーダーとしての彼の資質にも問題があると筆者は考えている。サルマンは人格温厚で慈善活動に熱心なことで知られている。しかし2000年前後から州知事としての行政能力に加えテロ組織に対する資金供与疑惑が問題視されるようになった。2003年から2004年にかけてリヤドで国際テロ組織アル・カイダによるテロ事件が相次いで発生したが、事件を鎮圧したのは兄ナイフ内相であった。治安対策は内務省の管轄であるとはいえ、首都でテロ事件が頻発したことは州知事の能力を問われる問題であり、もし民選知事であれば更迭されていたに違いない。サルマンの責任が追及されなかったのは兄のファハド(2005年死亡)、スルタン、ナイフが尻拭いをしたからである。


 一方テロ組織に対する資金援助問題についてはサルマン主宰の慈善団体が寄付金の資金洗浄(マネーロンダリング)に利用されたとの疑惑が外国、特に米国から提起された。サルマンの3男アハマド王子が2002年に死亡した時、詳しい死因が公表されなかったため9.11事件に関係しているとの噂が流れたほどである。サルマンやアハマドがテロ組織への資金援助或いは資金洗浄に直接関与したかどうか真実は闇の中であるが、温厚さと優柔不断はコインの裏表であり、人の好さを利用されサルマンが問題に関与し或いは関与させられたのかもしれない。


 サルマンは兄達に頭が上がらないブラザー・コンプレックスがあると考えられる。彼は兄が外国で手術や療養をする場合、知事の公務を差し置いてでも兄の見舞いにかけつけた。健康を害したファハド(当時国王)がスイスで療養した時、サルマンは兄の病床に付き添い、またスルタンがニューヨークで手術後モロッコで静養した時もサルマンは長期間にわたりリヤドを留守にした。いずれのケースもサルマンは兄の腰巾着となり自己の延命を図ったと見られる。


 サルマンには10人の息子がある。そのうち長男のファハドは不節制による心臓病で2001年に亡くなり、三男のアハマドもその翌年上述の通り疑惑の中で死亡している。次男のスルタンはアラブ初の宇宙飛行士として有名であり、現在は政府の観光促進機関STCのトップを務めている。政府は観光促進に力を入れているが王族のポストとしてはアブダッラー、スルタン、ナイフの息子達に比べ格下と言わざるを得ない。4男で石油省次官のアブドルアジズはかつて日本のアラビア石油の利権延長交渉で派手なパフォーマンスを示したが、交渉は決裂し両国間に大きなしこりを残す結果となりそれ以来彼は石油省次官としては影の薄い存在になっている。


 サルマン一族はかつてSharq Al-Awsat, Arab Newsなど有力紙の発行元SRMGのオーナーとしてスデイリセブンやサルマン家をPRしていたが、経営に失敗しグループは現在富豪の王族アル・ワリード王子がオーナーである。サルマンの5男ファイサル王子はSRMG会長に納まっているが実権は無い。このようにサウド家の中でのサルマン一族の存在感は薄まりつつある 。

 (2)ファイサル家:外交とビジネスを両立させるユニークな家系、第三世代の高齢化が問題
(家系図http://members3.jcom.home.ne.jp/maeda1/3-1-9AlFaisalFamily.pdf 参照)
 第三代ファイサル国王の家系は「Al Faisal(ファイサル家)」と称されている。現在の王族は全て名前の最後に「Al Saud(サウド家)」が付けられているが、ファイサル家だけは独立した呼称が認められサウド家の中でも特別な存在感を示している。


 ファイサル家は国政(特に外交)とビジネスの両方に軸足を置くユニークな一族である。国政はハヤ王妃の息子のハーリド王子(1940年生)がマッカ州知事であり、イファット妃の息子サウド(1941年生)が外相である。サウドは1975年以来36年間にわたり外相をつとめ外交では彼の右に出る者はいないほどの実力者である。またサウドの同母弟トルキ王子(1945年生)は中央情報局長官、駐英大使及び駐米大使を歴任している。但し駐米大使はバンダル(スルタン皇太子の息子)の22年間と言う超長期の在任期間に比べ、後任のトルキはわずか1年半であった。彼が短期間で辞めた理由は明らかではないが、中央情報局長官の在任時期と国際テロ組織アルカイダの暗躍及び9.11テロ事件が重なっていることと関係があるのかもしれない。


 ファイサル家の中ではスルタナ王妃の系統がビジネス界で活躍している。一人息子のアブダッラー(2007年死亡)はAl-Faisaliyah Groupを創設、ソニーなど有力外国企業の総代理店として同グループを国内有数の企業集団に育て上げた。グループは現在アブダッラーの子供や孫に引き継がれている。


 ファイサル家では既にサウド外相、ハーリド・マッカ州知事など第三世代が中核であるが、サウドとハーリドは共に70歳を超えており、第二世代のサルマンなどとほぼ同じ高齢である。サウド外相はアブダッラー国王に重用されており有力な後継国王候補とみなす向きもあるが、高齢に加え脊椎の手術を受ける(2009年9月)など健康に不安がある。彼自身も引退をほのめかしており後継者レースに加わっていないと見られる。実弟のトルキも駐米大使退任後は鳴りをひそめておりファイサル家のメンバーが後継者争いに加わる見込みは少ない。結局ファイサル家を代表して後継者選出の「忠誠委員会」メンバーとなっているハーリドが長老格のご意見番として後継者指名で存在感を示すのかもしれない。


(続く)


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 前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601
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2010年11月23日

(注)本レポートは「マイライブラリーに一括掲載されています。
http://members3.jcom.home.ne.jp/3632asdm/0162SaudRoyalFamily2010.pdf

3.権力の世襲を進める第二世代
 ベドウィンの部族社会を基盤とする湾岸GCC諸国はかつては自らの力で権力を奪取することが普通であった。アブドルアジズ初代国王が宿敵ラシード家を倒し、アラビア半島全域を武力制圧したことはよく知られている 。オマーンのカブース現国王或いはカタールのハマド現首長が宮廷クーデタで実の父親から権力を奪ったのはいずれもごく最近のことである。

 しかし近年はこのような下剋上による宮廷クーデタの動きは影をひそめ、権力の座を平和裏に継承するルールが生まれつつある。サウジアラビア以外のGCC諸国では国王或いは首長の子息(通常長男)を皇太子に指名し自分の死後王位を継がせる、いわゆる「直系長子世襲制」が一般的になりつつある。しかし第二世代に異母兄弟の多いサウド家では系統を一本化する機運は熟していない。

 後継争いをめぐるお家騒動を避けるためアブダッラー国王は2006年に「忠誠委員会」を設置した。委員会はサウド家の第二世代の王子全員(王子が故人の場合はその子息)が関与しており、後継者選びにおける一族内の平等の原則が保持されている。これはファハド前国王がスルタン、ナイフ、サルマンなど同母の弟を重用した弊害を避けるためと考えられる。

 この結果、最近では王位と言う最高権力の争奪をめぐる合従連衡の動きは表向き見られない。その反面、第二世代には自己の保有する権力を息子(第三世代)に世襲させる動きが顕著になってきた。アブダッラー国王が最初の入院直後に自らが兼務していた国家警備隊最高司令官の地位を3男のムッテーブに譲ったことはその例である 。この人事異動では国王は副司令官で異母弟のバドル王子の職を解いている 。これは息子の司令官としての地位を盤石にするためと言えよう。一方、数十年にわたり大臣の地位を保っているスルタン国防相やナイフ内相もそれぞれ息子を国防相副大臣(ハーリド)や内相補(ムハンマド)に任命しており、いずれ大臣の地位を譲るつもりであることは間違いないであろう。(図「サウド家王族の閣僚・政府要人」http://members3.jcom.home.ne.jp/maeda1/3-1-1MinisterAndProminentPrince.pdf参照)
 
このような動きは将来国王が交代しても現在自らが掌握している組織の勢力を温存しようとする第二世代の王族の思惑だと考えられる。

4.予測される当面の動き
 アブダッラー国王の後継国王にスルタン皇太子が即位すること既定路線である。スルタン即位後に「忠誠委員会」により次期皇太子が選任される訳である。これまでポスト・スルタンとして何人かの王族の名が下馬評にのぼっているがいずれも決定打に欠く。

 サウド家はベドウィンの伝統である「話し合い(マジュリス)」を尊重する。そのため王子達はたとえ王位に対する野心があったとしても、公然と名乗りを上げることはない。「忠誠委員会」の構成メンバーは同母兄弟、異母兄弟の第二世代、そして彼らの息子達の第三世代など複雑に入り組んでおり、舞台裏で秘密裏に多数派工作に動けば、他の王族から顰蹙を買いむしろ逆効果になる恐れもある。

 これらの事情を勘案すると、第二世代(或いはその遺児の第三世代)の王族は、当面、状況の推移を静観しつつ現在自己の保有する地位を息子達に継承し、来るべき権力交代時に備えるものと思われる。

 一つ気がかりな点は国王不在中に実質的な采配を振るうスルタン、ナイフ及びサルマンの同母3兄弟が後継者問題に何らかの手を打つ可能性が潜んでいることである。彼ら自身は全員高齢で健康問題を抱えている。そのためいずれかの家系(例えばスルタン家)の第三世代を次期皇太子とし、他の湾岸諸国のように「直系長子世襲制」を導入する可能性も否定できない。ただこの場合、皇太子の座を巡って三家系の第三世代の王子たち(つまり互いが従兄同士の関係である)の間に軋轢が起こるかもしれない。それ以上に非スデイリ系統の29人の忠誠委員から強い反発の出ることが予想される。

王族が当面は事態を静観し、自己の権力基盤の補強に努めるのではないかと書いたのはそのような意味も含めてのことである。

以上

(前回の内容)
1.国王、脊椎痛治療のため米国へ
2.皇太子ほかの王族閣僚にも健康不安


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drecom_ocin_japan at 09:41コメント(0)トラックバック(0) 
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